7月11日(日) 後半

 カンティーネのお祭りはもう始まっていた。
最初に12マルク払ってバッジを貰って体につけるともう食べ放題だ。といっても実はそうたいしたものはない。何種類かの肉をただひたすら焼いただけのバーベキューとサラダ、パンくらいなのだ。なあんだ。
オッペンアイガーが僕を呼ぶので彼の所に席を取った。お皿に適当に食べ物を取り、生ビールを注文する。これは別払いで一杯3マルク。
オッペンアイガーと乾杯をしていると、向こうからナディーヌがやって来た。ナディーヌはオッペンアイガーの知り合いだが、ベルリンのハンス・アイスラー高等音楽院の学生で、僕のお気に入りの娘だ。まだ20歳くらいだと思う。浅黒い肌と長い黒髪を持っていて、卵型の顔をしたスラッとした美人だ。こうして並んで話しをするのは初めてなので何となく恥ずかしいような嬉しいような。ムフフ・・・・。近くで見ると瞳がまるでガラス玉のように透き通っている。僕が冗談を言うと大きな口をあけて子供のように笑う。いいなあ若いって!あ、こんな言い方をしていたらおじさんだな。
それにしてもこの肉、一体なあに?硬くて噛み切れないじゃないの。しかも豚肉なのに中の方まだ生だし・・・。
オッペンアイガーとナディーヌの3人で少し話していたら、ナディーヌと仲良しの若いフランス娘ラレンカが来た。彼女も美人だが、ちょっと変わっている。というかちょっとイカれている。オッペンアイガーがボン歌劇場の合唱指揮者をしていた時に、彼女のご主人が(結婚しているのだ。相手もフランス人。)フランス語の言語指導で入っていたというつながりだ。ご主人は哲学のドクターを取得しているというのに、ラレンカったら見るからにチャラチャラしていて、男と見れば誰にでも思わせぶりな態度を取る。現に今も僕の横に来たと思ったら、人の体にベタベタと触ってくる。美人なので悪い気はしないが、どういうリアクションをしていいか分からなくて困る。顔も近づけてくる。どうしよう。
 ナディーヌとはベルリンの話で盛り上がった。近くのテーブルに、ベルリンのなんとかという有名アンサンブルの一員になっているマルコが座っていたが、我々の話を聞きつけてこちらに加わってきた。
冷戦時代、東西に分断されていたベルリンは、東西ドイツ統一後その倍になった総力を結集し、再び首都としての機能を備えるべく、街中を工事場と化して準備してきた。ベルリン・フィルハーモニーホールからブランデンブルグ門に至る、かつて「壁」が我が物顔でのさばっていた中心地などは、10年前とはまるで別の都市のようだ。ボンの議会も6月末で引き上げて、いよいよベルリンに乗り込んできた。2000年というミレニアムの到来とともについにベルリンも完全に首都となる。栄光のベルリン・フィルハーモニーの本拠地である事に加えて、ベルリン国立歌劇場、ドイツ歌劇場、コミッシュ・オパーという3つの歌劇場と、ベルリン高等音楽院、ハンス・アイスラー音楽院と2つの有名な音楽大学を持っているベルリンは、元来、地方分散型文化であったドイツを再び中央集権型に変えていくのかもしれない。諸外国が潜在的に恐れているかつてのナチの時代の「強いドイツ。強いベルリン。」が確かに実現する。しかし時代はあの頃とは違う。ベルリンは、フランスにおけるパリのように、最もエキサイティングな都市としてこれから文化の発信地になるのだ。
「ねえねえ、ヒロ!ベルリンにおいでよ!」
ナディーヌが言う。
「行ってどうすんだよ?」
「楽しいじゃない。ヒロがいればさ。劇場に入って働けばいいじゃない。」
簡単に言うよこの娘は。
「ねえ本当にベルリンにおいでよ。一緒に遊ぼうよ。」
おいおいそんなふうに袖引っ張るなよ。一緒に遊ぼうなんてこんないたいけないおじさんをからかうんじゃありません。その気になるじゃないの。
 ラレンカとはフランスの話。3年前、僕はフランス語を勉強する為に、パリの語学学校に夏の一ヶ月間通ったことがあった。最初は「聞き取り」が出来なくて、先生が読み上げる文の中にしょっちゅう出てくるvirgule(ヴィルギュル)point(ポワン)という言葉をなんだろうなあと思いながら書き取っていたら、実はコンマと点のことだった、などという失敗談を話したら、ラレンカはお腹をよじらせて笑う。
「フランス人はHを発音できないと聞いていたけど、僕のクラスの先生が僕のHirofumiという名前をどうしてもイロフミとしか発音出来ないんだ。本当だったんだね。でもどうして分かんないんだろうねえ?」
と僕。
するとラレンカは不思議そうな顔をして、
「え?なあに?一体何処が違うの?」
なんて聞く。
僕は驚いてナディーヌと顔を見合わせた。ナディーヌは笑いながら、
「ヒロフミとイロフミの違いよ。」
「あたしには違いが分からない。」
「ええ〜?!」
と一同。
僕が聞く。
「でもさあ、笑う時はHAHAHAってエイチを使うだろう?」
「言わないわ、Aだけよ。」
「じゃ笑ってみい。」
「アハハハハ!」
「ほら言ってる。」
「言ってない。」
僕らみんなで、
「言ってるう〜!」

 こんなふうに騒いでいる間に夜が更けてきた。帰り際に二人の美人娘が僕の頬にブチュっとキスしてきた。いいなあヨーロッパのこの習慣って。
真っ暗な道を僕はスキップして帰った。家々の明かりは昨晩と同じ。でも僕の心には翼が生えている。ど、どうにかしてくれえ!この僕の単細胞を・・・・!

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