皆既日食を求めて 前半

8月10日 アウグスブルク
 アウグスブルクの駅を降りたとたんホテルを予約していなかったことを後悔した。街中にリュックサックを背負っている人達が溢れている。バイロイトからここに来るまでの列車があまり込んでいなかったのですっかり安心していたが、この人ごみを見ていきなり背中から汗が出た。と、とにかく早くツーリスト・インフォメーションに飛び込まなければ。
今夜の宿が確保できなかったら野宿になるかもしれない。
僕は我を忘れて走り出した。

 バイロイトに来て間もない頃から、合唱団員の話題の中に時々思い出したように皆既日食の事が上っていた。
「バイロイトでも90%以上の日食になるので、光りが薄くなる感じは味わえるけれど、ちょっと足を伸ばしさえすれば、100%の皆既日食が見られるのだから見に行かなければ損だよ。」
と誰かが得意になって言っていた。
「100%か、なかなか見られないものだし、ちょっと面白そうだなあ。」
彼等の話を聞きながら僕もなんとなく興味が湧いてきた。
 音楽祭の日程を確認してみると、なんと皆既日食が起こる8月11日はオフの日になっている。まさかみんなで日食を見に行く為にわざと休みにしたのではないだろうな?日本からやって来た僕の家族も、もう帰ってしまっていてどうせ一人ぽっちだ。ようしちょっと旅行するつもりで皆既日食を見に行こう!
 さて、でも一体何処に行ったらいいのだろうか?僕は本屋に行って皆既日食の記事がでている科学雑誌を買ってきた。それによると100%皆既日食の地域は、ドイツでは、
シュトゥットガルトからアウグスブルクを通ってミュンヘンへと抜ける帯状のエリアである。その中でここから一番近くて、しかもルートの真ん中を通っている都市はというと、
アウグスブルクかな。ミュンヘンもあるけれどもう何度も行っているし、どうせ行くなら初めてのところがいい。よし、ではアウグスブルクに決めた!もう何が何でもアウグスブルクである。ええと、アウグスブルクってどういう街だっけ?ああ、ロマンチック街道なんだ。ローマの皇帝アウグストに因んでつけられた名前らしい。
というわけで宿も予約せずに,世界中からマニア達が集まってくるこの皆既日食の中心地アウグスブルクに、僕はノコノコとやって来たってわけだ。

「お客様,あいにく今晩はアウグスブルク中のホテルというホテルは全て満杯となっております。みんなお客様のように皆既日食を見に来た人達ばかりですよ。」
インフォメーションのお兄さんは言葉こそ丁寧だが、なあに今ごろノコノコ来たって宿なんかあるわけないじゃない、と顔に書いてある。あちゃー、まいったなこりゃ!
「あのう,高いホテルでもいいんですけど。」
「あのね、だからね、高い安いの問題じゃないの。要するにないの。皆無。」
ほらほら本音が出たよ。やだね。この勝ち誇ったようなものの言い方。
「ああ、ただね。プライベートならまだあるかもしれませんよ。」
「何それ?」
「普通の家です。客間をお客様に貸す人がいるんです。ちょっと電話してみますね。どうせそれ以外にはお客様がアウグスブルクに泊まれる可能性は全く無いわけですからね。」
なんとなく言葉の間に引っ掛かるものがあるなあ、このお兄さん。でも電話したらどうやら部屋が空いているらしい。しかも二部屋あるようなので、僕の隣のカウンターで粘っていた若者に突然、
「プライベートでいいですか?50マルクです。」
と英語で呼びかけた。
その若者がOKしたので、彼はいきなり僕の隣人になった。それに車を持っている彼は僕を一緒に乗せて、郊外にあるそのプライベートの家に連れて行ってくれる事になった。
だがこれが全ての過ちの始まりだった。
 彼はイギリス人だった。他の二人の仲間達と一緒にロンドンの北の方の町から彼の車で皆既日食を見に来た。ミュンヘンに最初行ったが、ミュンヘンは物凄い事になっていて、とても予約のない者が泊まれる状況ではなかったので、仕方なくここアウグスブルクまで車を飛ばして来たという事だ。
「さあそうと決まったら早く行こう。」
と喉まで出たら、
「ちょっと待って!インフォメーションに渡す手数料は現金じゃないとだめなんだって。銀行に行って両替してくる。」
ええ?こいつ手数料分のマルクも持ってないでドイツに来てるのかい?あきれたね全く!
後から考えてみると、この時点で僕はあいつにさっさと見切りをつけて自力で行けば良かったのだ。だがその時はもう、人の車に乗って楽々目的地まで行けるという安易な考えにすっかり支配されていて、インフォメーションからプライベートの家の住所を貰う事も、行き方を地図で教えてもらう事も怠っていた。つまりは彼と行動を共にするしか道はなかったのだ。
 待つ事10分、やっと戻ってきた。さあいこうぜ、と思ったら携帯電話をかけている。
「仲間が駅前のバーガー・キングにいて来いと言っている。まあとりあえずちょっと行って、コーヒーでも飲んでから行こう。」
仕方なくついて行く。
 バーガー・キングに着いたら、二人の仲間がゆったりとくつろいでいた。「やあ!」と言って握手する。彼等の英語は訛りがひどくてとても聞きづらい。それにダラダラとしゃべっていてなかなか出発しようとしない。
 そのうち一人が、
「さてと、ぼちぼち行きますか。」
と言ってくれたのでああよかったと思った。
 ところがまず仲間を送っていかなくちゃ、と言う。みんなで彼の車に乗り込むと車内はすでにかなりの荷物を無造作に積んであることも手伝ってギューギュー一杯になった。この狭さの中、イギリスからドーバー海峡を渡ってはるばるきたのか?悪いねえ。僕が飛び入りしたばっかりにますます狭くなったね。
彼等の泊まる所は僕達の所とは正反対の方角だ。着いてみたら教会の施設で、殺風景だがこざっぱりとしていてとても感じのいいところだ。僕がここに入ってもいいんだけどなあ。それにしてもここに着くまでなんだかずいぶん同じ場所をぐるぐる回ったような気がする。もしかしてこいつって方向音痴なのでは?
 その予感は見事に的中した。仲間を降ろして僕と彼の二人は一路目指す家に向かった。だが僕たちが走っている道路は工事していた。これを真っ直ぐいったらもうすぐだと思っていたら、いきなり「工事中により迂回道路を行く事」という立て札が出ていて、嫌がおうにも迂回させられてしまった。げっ!分かんなくなっちゃったよ。ちゃんと戻って見つけられるかなあ。少し行くと再び迂回道路の表示が出ていた。しかし何故か彼は自身たっぷりにそれを無視して直進した。
「ちょっと、おい!分かってんの?今の所入るんだったんだぜ。」
「違うね。もっと先だ。」
「本当?」
「ああ。」
 そして走ること約一時間。ある時は個人の家の庭に乱入したと思えば、ある時はとんでもない田舎道をひたすら埃を飛ばして走った。時にはとうとう狂ったのか高速道路に乗ってしまった。
「おいおい、何やってるんだよ。アウトバーンだよ、これ。」
「もう一度振り出しにもどってアウグスブルクの町から出直すのさ。」
バカかこいつは!もう知らない。
 ところが驚いたことに、「あーあ。」とため息ついて止まった所で何気なく通りの看板を見たら、何と目当ての通りの名前が書いてあるではないか。
「やったあ!バンザーイ!」
二人で握手して喜び合った。

 家に着いて呼び鈴を鳴らす。初老の上品な婦人が出てきたが、僕たちの顔を見るなり、
「何してたんですか今まで?すっかり待ちくたびれましたよ。無責任にもほどがあります。
今ちょうどもう一度インフォメーションに電話して別のお客さんを回してもらうように頼むとこでした。」
と一気にまくしたてた。
要するに完全に怒っていたのだ。見ると例のイギリス野郎は僕の陰に隠れている。どうやらこいつはドイツ語を一言もしゃべれないらしい。お前のせいだろ、こんなに遅れたのは、お前が謝れよ、と僕はかなり頭にきたけれど、目の前にはもっと頭にきている人がいるので、とりあえずこっちをなだめる方が先決だ。
「道路があっちこっち工事中で迂回しているうちにまるで分からなくなってしまったのです。インフォメーションから貰った地図はメインストリートしか出ていないし、もう永久に辿り着かないかと思いましたよ。」
 身振り手振りを使ってなるたけ大げさに説明した。まるでイタリア人だなこれじゃ、と自分で可笑しくなったが、一方ではここで泊めてもらえなかったら駅で野宿でもする運命になるので、なるたけ一生懸命言い訳をしてこちらの誠意だけでも見てもらわなければならない。バーガーキングで時間をつぶしたことなんか勿論決して言ってはならない事である。
「仕方ないわね。いいわ、どうぞ上がって。」
 どうやら僕の熱気が伝わったのか、彼女の機嫌は直ったらしい。僕たち二人を家の中に引き入れてくれた。ふぅ〜。一挙に疲れた。
 女主人はイギリス野郎とは反対に英語をほとんど話さなかったので、僕以外の二人がコンタクトを取るときは僕が通訳するはめになった。英語とドイツ語の通訳を僕が外国人相手にするなんて実に妙だ。
 婦人の家は、外側は何世帯も並んでいるモダンな住宅だ。内装はとてもシックでややアンティーク趣味にまとめられていた。僕たちは三階の部屋に案内された。家族の誰かが住んでいた部屋だ。大きな机があり、本棚には沢山の本が並んでいる。写真もある。若い頃の婦人と思われる女性とその家族の写真だ。ここに写っているご主人や子供たちは一体どうしているのだろうか、などとどうでもいいことについ興味が湧く。窓から階下を見ると、花が咲き乱れた緑の多い庭園が美しく手入れされていた。
 下からピアノの音がする。驚いたことに結構上手だ。ショパン・エチュードなんか弾いている。思わず音につられて階段を降りる。最初に家に入ったときは気が動転していて気が付かなかったのだが、扉を開けて最初に入った部屋の真中にドーンとグランドピアノが置いてある。スタインウェイではないか。婦人が弾いている。
「アマチュアの腕ではないですね。どこかできちんと勉強していますね。」
「あら、どうしてそんな事お聞きになるの?」
「申し遅れましたが、僕も音楽家です。」
「まあ、音楽家!」
「仕事でバイロイトに来ています。そこでは合唱アシスタントをやっていますが、指揮者です。」
「あら、恥ずかしい。あたしはフランスに生まれて、コンセルヴァトワールで勉強したこともあるけど、その後は自分の才能に限界を感じて・・・。でも今でも仲間達とピアノ・トリオなどの室内楽をやったりして結構楽しいわ。ねえ、ちょっとなにか弾いてよ、指揮者さん!」
 僕は今バイロイトでやっているワーグナーの中から何曲か弾いた。暗譜で即座に弾けるものといったら現在これしかないのだ。とても良いピアノだった。
 イギリス野郎が降りてきた。
「凄いね。みんなピアノ弾くんだな。言っとくけどオレだめだよ。」
誰も期待してないよ。バカだなこいつ。
「どう、街まで行くけど乗ってく?」
「ありがとう。でも後からのんびりバスかなんかで行くからいいわ。」
もうヤダもんね。あいつの車に乗るの。アウトバーンにも田舎道にも行きたくないし。
 イギリス野郎は口笛を吹きながら出て行った。僕も婦人と少し話をしてから一度部屋に戻り、ベッドの上で少し横になって休んでから家を出た。バスに乗って街に出る。

 アウグスブルクの街はダダッ広くて、ロマンチック街道沿いの他の街のような風情を期待すると幻滅する。いわゆるひとつの都会だ。バイロイトの方がずっと素敵。
 聖アンナ教会のあるアンナ通りで4人組のグループがストリート・ミュージックをやっていた。中世の吟遊詩人の格好をして、太鼓とリュートのような弦楽器、リコーダとバグパイプで演奏していた。実に上手だった。時にはアカペラで素朴なメロディーを歌うかと思うと、次にはそのメロディーを材料に楽器でヴァリエーションを演奏する。玄人耳にも卒のない素晴らしいヴァリエーションで、こんな通りで演奏するのがもったいないくらいだ。僕の中の血が騒ぐ。もしかしたら自分も前世こんな音楽をやって街から街へとさすらっていたりして・・・。
 いろいろ歩き回ってお腹もすいてきたので、市庁舎のラーツ・ケラーにいってみた。僕は市庁舎の建物裏のテラスに席を取り、地ビールと子牛のロースト、すなわちハクセを注文した。これが大当たりだった。肉は柔らかいし、皮はパリパリと香ばしいし、すっかりいい気分になって今度は白ワインを注文する。これがまたまた素晴らしい。ビールとワインのチャンポンですっかり酔いが回ってきたようだ。ああもう満足!やっぱり旅行っていいなあ。
 ほろ酔い気分で宿に帰る。シャワーを浴びて部屋に戻る途中、廊下の本棚に何冊か音楽関係の興味深い本を見つけた。それらを手にとって部屋に入りベッドに寝転がって拾い読みする。ドイツ語とフランス語の本が半々だった。婦人は本当に音楽が好きなんだな。ぼんやり読んでいたら顔の上に本が落ちてきた。もう眠る時だ。思いがけなく良い所に泊まる事が出来た。神に感謝。すぐに僕は眠りの穴の中にどろんと落ちていった。

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