Bayreuth 2003

6月28日(土)
 今日は10時から11時まで、僕が一人でピアノ弾きながら「ローエングリン」の女声の初心者稽古をつけた。何処の国でも女声の方が真面目に勉強してくるし、上達も早い。その後、練習場で「ローエングリン」の立ち稽古があったが、ここのところずっと僕が働きづめだったのでフリードリヒが名前をはずしてくれた。つまり今日は夕方の稽古まで自由時間というわけだ。
ちょうど「ジークフリート」のオーケストラ練習をやっているので、こんな時じゃないと聴けないと思って、聴きに行った。「ジークフリート」は先日新国立劇場でもやっていたので、まだ耳に新しい。
 ところが練習場に入って我が耳を疑った。聞こえてくる音が全然違うのである。いや、音自体というよりもっと別のことだな。僕がとっさに思い出したのは、京都に住んでるワグネリアンの人が新国立劇場公演のN響の音について、
「あれはあきまへんな。よく整ってはるけど、うねりがないです。」
と言った言葉だった。
まさにうねりだ。あたりの空間をうねりが満たしているのだ。それと音の厚み。音圧というのだろう。音に込められた想いがグワーッと胸に迫ってくる。細かいところは日本のオーケストラのように合ってはいない。でも、それがなんだと思ってしまう。みんなの気合いが合っていればいいのだ。
凄いなあ。ここのオーケストラ!やっぱりバイロイトだなあ。音楽って何だろう、という根本的な事をまた考えさせてくれる。
 彼等が奏でる音楽は指揮者によってコントロールはされているものの、徹頭徹尾自主的で、細部に至るまで気持ちがこもっているし、場面ごとにそれにふさわしい音色に誰ともなしに自然に変わっていく。
 日本人はどうだろう?あと何十年とか経ったらこういう風になるんだろうか?ならないとしたら何が足りないのだろうか?技術が追いついてない訳ではないだろう。いろいろ考えたら絶望的になってきた。

6月29日(日)
 今日は午前中に「神々の黄昏」の舞台稽古。
午後はシュターペルを伴奏者にして僕が「タンホイザー」の男声初心者稽古をつけた。アマチュアの合唱団の練習のように難しいところをゆっくりさらってゆく。みんな速くやればやったでなんとか誤魔化してしまうが、ゆっくりやってみると結構ボロが出るものだ。で、ボロを突っついているとまた次のボロが発覚する。そんな風にして第二幕の後半、男声合唱の一番難しいところだけで2時間があっという間に終わってしまった。でも終わったらみんなに感謝された。音を自分で取ってくるのは当然だが、ハーモニーの中で自分の位置を確認したりするのは自分一人では出来ない。だからこんな練習が必要なんだ。バイロイトでもこんな練習するの?と思う人もいるだろうが、こうした練習は実は世界中どこでも本当は求められているのだよ。

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