Bayreuth 2010

7月18日(日)

ドイツビールと焼きソーセージ
 フランクフルト空港から乗り継いでニュルンベルク空港に着いた。天気は快晴。しかもかなり涼しい。荷物を取って出口に向かうとディーター・クラインが大きな手を広げて僕たちを迎えてくれた。

 ディーターは今は退官して悠々とした生活を送っているが、元バイロイト大学の細菌学の教授だ。でも彼は教授という肩書きからは最も遠い風貌と性格を持っていて、僕ととても気が合うのだ。
 彼はとても自由な人間。休暇中に自転車でイタリアまでも行ってしまうし、キャンプ場でキャンプしては、むしろそれで浮いたお金を食べる方に使って食い道楽をする。ギターとバスクラリネットをこよなく愛し、譜面を見て弾くよりは即興演奏を好む。何カ国語も話し、とてもインテリだが、自分がインテリであることに全く興味を示さないし、インテリの人達の間にいることを好まない。

 さて、僕たちを乗せたディーターの車は、約一時間後にはアウトバーンを降りてバイロイトの街に入っていった。僕たちが泊めてもらうWinter和子さんの家に着くと、和子さんが満面の笑みを浮かべて僕たちを歓迎してくれた。

 Winter和子さんは、自宅のすぐ近くにあるバイロイト大学で日本語を教えている。実は彼女のご主人もディーターと同じくバイロイト大学教授だったが、わけあって別居している。娘さんと息子さんがいるけれど、もう二人とも家を出ているので、今は和子さんはこの家に一人で暮らしている。
 ホテルよりずっと広くて快適な二階の客間に案内してもらい、荷物をほどいてシャワーを浴びたりしていたら、窓辺から良い匂いがただよってきた。見ると下の庭でディーターがバーベキューをしている。網の上には沢山の焼きソーセージBratwurstや鳥のもも肉が乗っている。

 ああ!着くそうそうドイツ・ビールと焼きソーセージで、僕は到着早々めくるめくドイツ食の世界に突入してしまった。もう、あとは知らない。

 

7月19日(月)

ワルキューレ
 7年ぶりのバイロイト祝祭劇場。なにもかもなつかしいが、特にこの真ん中に通路のない平土間席の狭さや、途中で眠らせないように配慮された居心地の悪い席の作りが、ここが通常の劇場でないことを嫌でも思い知らせてくれて微笑ましい。
 時間が来てベルが鳴ると、両側の扉がバタンと音を立てて閉められる。客席の明かりが消えていく。前方には通常の劇場のようなオーケストラ・ピットはなく、暗闇の中に聴衆は沈み込んでゆく。

 「ラインの黄金」や「パルジファル」などと違って、「ワルキューレ」の開始は激しい嵐の音楽だ。指揮者の動きや楽員の様子など一切見えないので、この暗闇の中でいつ沈黙を突き破って曲が始まるのかと思うと、手の届かないところにある目覚まし時計が鳴る直前に目覚めてしまったような落ち着かない気分になる。
 そんな気持ちをあざ笑うかのように、全く意表を突いて曲が始まった。ところが、あれっと思うくらい静かだ。新国立劇場などの通常の劇場で聞き慣れていたボリュームとは随分違う印象。それでいて量感はたっぷりある。まるでステレオのボリュームつまみを少しだけ絞ったようなバランス感覚。ほほう、これがワーグナーが意図した音響か。7年前までは当たり前のように感じていたが、今あらためて聞くと不思議な感覚。

 クリスティアン・ティーレマンの嵐の音楽は速い!でも、この速さで弾くヴァイオリンの6連符は、激しく大地に打ちつける雨粒をうまく表現している。金管楽器は随分遠くに聞こえる。ティンパニーも、通常はもっとダイレクトに聞こえるのだが、決して弦楽器を圧することはない。

 ジークムント役のヨハン・ボータが登場し、歌い始める。なるほど、歌詞が良く聞こえる。この歌とオーケストラのバランス感!バイロイト祝祭劇場に来たくても来れない人には悪いが、ワーグナーが望んだムジーク・ドラマ(音楽劇)の模範を経験したければ、やはりここに来るのが最良だ。
 ここで聴くと、たとえば第二幕のヴォータンの長い独白でさえ少しも退屈ではない。それどころか、ワーグナーがむしろこうした部分にこそ力を傾けて、オペラとは違う楽劇の世界を構築したかったのだということがよく理解出来るのだ。

 時差ぼけによる睡魔と戦いながら全三幕を見終わって、一番強調したいところは、何といってもオーケストラの素晴らしさだ。何が違うって、全ての楽器のプレイヤーが場面の内容を熟知していて、ふさわしい音色やニュアンスでもって音楽を構築していく点だ。
 まるでオーケストラ全体がひとつの生き物のようになっている。パワフルでありながら柔らかい金管楽器は弦楽器に溶け合い、木管楽器のソロは弦楽器から浮かび上がっては、また自然にトゥッティの中に身を忍ばせてゆく。誓って言うが、こんなオーケストラは世界中どこを探してもない!バイロイト祝祭管弦楽団、健在!
 それにはクリスティアン・ティーレマンの指揮の力も少なからずある。彼の音楽上のイデーはクリアで、バランス感覚は抜群。何の迷いもない。今や彼はオケを完全に掌握していて、実に気持ちの良い音楽を導き出しているのだ。いやはや、初日の「ワルキューレ」はとにかく驚いたまま終わった。

 

7月20日(火)

素晴らしき仲間達
 今日は「マイスタージンガー」の日。昨日の「ワルキューレ」は合唱がなかったため、合唱団のメンバーには今日初めて会う。ゲネプロは4時から始まるが、その前の3時15分からの声出し練習に妻と二人で行く。合唱指揮者のフリードリヒは僕に会うなり、
「おお、ヒロ!本当に痩せたなあ。」
と驚いている。
「お前、来年来てくれよ!来年は合唱がかなり忙しいので人手が足りないんだ」
おいおい、会うなり早速仕事の話かよ。
「そう言ってくれるのはとても嬉しいよ。でもね、今年ここに来られたのはね、新国立劇場で子供オペラがないからなんだ。でも来年はまたあるので、きっと無理だな。」
「残念!とにかくお前には毎年オファーをかけるからな。いつでも来いよ。いいな!」
「分かった」
合唱団員がぞくぞく集まってくる。思ったより沢山のメンバーが残っている。みんな僕の顔を見るなり、
「ヒロー!」
と叫んで走ってきて抱きしめてくる。女の子達は頬を押しつけてくる。なつかしいな、こういうヨーロッパ風挨拶。

 練習が始まった。僕は妻と二人で合唱練習室の後ろに座っている。フリードリヒがみんなに向かってこう言った。
「今日はなつかしい人をみんなに紹介する。新国立劇場が忙しくて7年間もここを留守にしたヒロフミ・ミサワだ」
 大きな拍手に包まれて僕は立ってみんなに挨拶した。拍手はいつまでも止まなかったので、僕は一度座ったけれどもう一度立たなければならなかった。まだみんなが僕のことを仲間だと思ってくれているのが感じられて嬉しかった。この素晴らしき仲間達!

 合唱団の声出し練習を聴きながら、いろいろなことを思った。当時と違うのは、今や僕は新国立劇場合唱団というプロのオペラ合唱団で少なからぬ年月仕事をしていて、その観点から冷静にこの祝祭合唱団の素材やテクニックを分析出来ること。
 まず、当たり前だが、1人1人の素材は素晴らしい。男声はやはり世界のトップクラスだ。特にバスの声の厚みは素晴らしい。日本人にはとうてい真似が出来ないが、それは技術の問題というよりは、純粋に体の大きさの問題だ。
 女声に関して言うと、手前味噌になるが、新国立劇場の女性達も捨てたもんじゃないぞ。ただ響きの違いが両者の間にある。それがどこからくるのかは、もう少し研究してみたい。今の時点から言うと、ビブラートが少なく、合唱としては清楚でとてもきれいなのだが、そのままオペラのソロ歌手としては通用しないような発声法で響きが作られている。これは前任者バラッチの時代と一番大きな違いだ。7年もの間に徐々にフリードリヒの意図に従って作られたサウンドなのかも知れない。
 数年前にやはりフリードリヒが合唱指揮者を務めるベルリン国立歌劇場合唱団を聴かせてもらったが、祝祭合唱団はベルリンの音色とも全然違う。響きがベルリンよりずっと明るくて、ドイツ的というよりはインターナショナルだ。
 合唱音楽の作り方については、同業者なのでいろいろ細かいところまで思うところがあるが、今それをみなさんの前で言うことは適切ではないと思う。ま、同業者というものは意地悪な聴き方をするものでね・・・・。

もうお父ちゃんの時代じゃない
 賛否両論で話題のカタリーナ・ワーグナー演出の「マイスタージンガー」についても、正直言ってあまり多くを語りたくない。褒めたいところも沢山あるけれど、同じくらいネガティブに感じたところもある。僕自身の好みもあるので、ここであげつらうことにあまり意味を感じない。
 それに、狡いようだが、僕もアクティブにこの業界に関わっているので、いつ彼女と一緒に仕事をする機会が訪れても不思議ではないし、ここバイロイトにまた来る可能性もある。昔、新国立劇場開場記念公演「ローエングリン」の時に、演出家ヴォルフガング・ワーグナーと共に日本を訪れた時にはまだ初々しいティーン・エージャーだった彼女も、今やエヴェ・ワーグナーと組んでこの劇場の支配人だ。

 ただ、ひとつだけ言っておくと、
「もうお父ちゃんの時代じゃないのよ!」
と、新しい世代を切り開いた勇気は讃えたい。この演出は、父親ヴォルフガングがまだ元気な時に初演されたのだから、お父ちゃんの目の前で彼女は反抗してみせたわけよ。
 また、随所に見い出された斬新なアイデアは、若い割には舞台経験が豊富な彼女の育った環境の成せる業だと思う。たとえば第三幕歌合戦で観客席が斜めにセリ上がってくる場面などはとても感心した。
 全体を通して、これまでヴォルフガング演出で大まじめに取り組まれた箇所は、全てパロディ化され、逆に見過ごされた箇所がクローズアップされ、光を当てられる。こんなことも、父親の演出のアシスタントをし、作品も演出も隅々まで知っているからこそ出来ることだ。

 それより僕が知りたいことは、この演出をめぐってカタリーナとヴォルフガングとの間に一体どんな会話がなされたのかということ。お父ちゃんは娘に何を言って、それに対して娘はどんな反論をしたのかね。それが分かれば、どんな批評もいらないや。

 

7月21日(水)

シュタイングレーバーを訪ねる
 今日は午前中にシュタイングレーバー社の社長であるウド・シュミット氏に会いに行く。シュタイングレーバー社社長シュタイングレーバーはリヒャルト・ワーグナーの時代からバイロイトにあるピアノ公房で、バイロイト祝祭劇場の練習ピアノを提供しているのみならず、今やパリを初めとして世界中に進出しており、シプリアン・カツァリスのようにシュタイングレーバーでしか弾きたくないと公言するピアニストも少なくない。
 実は僕も、バイロイトで働いていた時には、滞在の間シュタイングレーバーのアップライト・ピアノをレンタルし、自分のアパートに運ばせて弾いていた。そのお陰でミュージカル「ナディーヌ」も、新国立劇場子供オペラ「ジークフリートの冒険」も生まれたというわけだ。
 シュミット氏はWinter和子さんの親友で、とても陽気で気さくな人だ。会うなり何年間も離れていたなどとは信じられないくらい打ち解けて、いろいろ話がはずんだ。秘書の女の子がコーヒーを運んでくれたが、シュミット氏は彼女に言ってフランケン・ワインを運ばせた。朝からフランケン・ワイン?
 僕たちが通された部屋には、リストが弾いていたというピアノがあった。自由に弾いていいよというので試弾する。現在のピアノとは随分感じが違って、もっとやさしい音がする。僕がひとしきり弾くと、シュミット氏は今度はその隣の部屋にあるもっと古そうなピアノに案内してくれた。
「これはね、リストよりもっとずっと古い時代のピアノだ」
とシュミット氏。ふうんと思って弾き始めてびっくりした。なんて美しい夢のような音!でも音量はかなり小さい。これでシューベルトやシューマンを弾いたらとても素敵に違いない。しかも、丁度この部屋くらいの大きさのサロンに、多くても数十人を集めて演奏するのにふさわしい。
 このピアノ気に入った!買いたい!でもこんな歴史的ピアノなんて売ってくれるわけないし、仮に売ってくれても僕の財力では買えるわけないし・・・・・。

 それからいろいろ雑談したが、シュミット氏に勧められるまま飲んだフランケン・ワインがおいしくて、グラスを飲み干すとまたシュミット氏ったら注いでくれて、また飲んだらまた注いでくれて・・・・朝からすっかり酔っ払ってしまった。不思議なのは、この地で飲むフランケン・ワインはまた格別だということだ。

 その後、妻と街に買い物に出て、昼食は旧市街の真ん中にある郷土料理のレストランでザウアー・ブラーテンという肉料理を食べる。フランケン地方の名物であるじゃがいも団子クレーセを堪能する。やばいぜ、食欲が止まらない!

ジークフリート
 午後4時。再びティーレマン指揮のリング。今日は「ジークフリート」。僕が働いていた頃はジークフリート役を歌っていたヴォルフガング・シュミットが、このプロダクションからミーメ役を歌っている。これがなかなか良い。シュミットは「サロメ」のヘロデ役で新国立劇場にも来ているし、合唱指揮者フリードリヒの親友でもあるので、個人的にもよく知っている。とても茶目っ気たっぷりで陽気な奴なので、元来ジークフリートよりはミーメに向いている。その張りのある強い声も、キャラクター・テノールとして用いられるととても効果的だ。
 叙情的な「ワルキューレ」では、特別感心しなかったタンクレッド・ドルストの演出も、「ジークフリート」では、特に動きのある箇所で才能のきらめきを感じさせ、とても好感が持てた。話によると「ラインの黄金」が特に面白いということで、今回それだけ見ることの出来なかった僕は、とても残念な思いをしている。
 名前を聞いたことのなかったランス・ライアンのジークフリートは、若々しく溌剌としていてとても良いと思った。ブリュンヒルデのリンダ・ワトソンも絶好調。第三幕の二重唱の果てしなく続く高音域の競演も2人ともバッチシ決まって、ゲネプロだというのに終わった瞬間ブラボーの嵐を浴びていた。ただライアンとワトソンが並ぶと、視覚的には裕福なマダムとそのツバメとか、母親と息子の会話とかに感じられてしまうのは、仕方のないこととはいえ残念!

 この日は前から二列目という特等席。オーケストラの楽員の姿が全く見えないという触れ込みのこの劇場だが、この最前列では例外的に、立つと楽員の姿を少しだけ見ることが出来る。また、ピットのサイドにはモニター・テレビがあって、それを上演中に垣間見ることが出来る。
 本番中、歌とオケが微妙にズレると、僕はモニター・テレビに映るティーレマンの指揮ぶりを見て、原因をたちどころに追求する。ティーレマンは音楽を全て把握しているし、歌手のパートも頭に入っているが、それを知った上で、歌手がズレてもそれに合わせようとはしないのだ。
「これ以上ズレたくなかったら俺を見ろ!」
というわけだ。歌手にとってはやり易い相手ではないな。でも、どんな時でも彼の想いを真っ直ぐに貫くので、オケの楽員から見ると何の迷いも生じず、安心してプレイ出来る。だからオケも決して乱れたり崩れたりしない。結果的にティーレマンの作りたい音楽は聴衆に百パーセント伝わる。やはり本当に良いものを作ろうと思ったら、職人的妥協ではなく巨匠的オーソリティーこそ必要とされるのだと見ていて強く思ったよ。

 

7月22日(木)

スエーデン放送合唱団指揮者と食事
 今日は祝祭合唱団のメンバーでもあり、幅広くエージェンシーの仕事もしているシンガポール人のメン・チャ・エンの家に昼食に招かれる。実はメンの住んでいるアパートは、Winter和子さんの家から歩いて五分ほどのところで、バイロイト大学のすぐ隣だ。
 メンとは、僕がバイロイトで働いている時から親しかった。彼はなんでも良く出来る奴で、彼の中華料理は天下一品。妻と2人で行くと、まだ他の人達は来ていなくてデザートを作っていた。タピオカにPalmsugar(椰子糖)と、それに見たこともないような植物を入れて混ぜている。妻が手伝った。
 それから別の来客があった。紹介されて驚いたのは、彼はバイエルン放送合唱団とスエーデン放送合唱団の二つの音楽監督を兼ねている合唱指揮者ペーター・ダイクストラだった。メンは、実は彼を僕に会わせたくていたのだ。ペーターはまだ30を出たばかりの好青年。でも言うことも考えていることもしっかりしている。なるほど、こういう奴が、あの二つの名門コーラスを率いているのかと感心した。彼はつい先日スエーデン放送合唱団と日本に演奏旅行に行っていたばかりで、僕たちは日本の話でいきなり盛り上がったが、その後は互いの合唱団の話などで親交を深めていった。
 もう一組のカップルが来た。昨晩「ジークフリート」でファフナー役を歌ったブラジル人のバス歌手ディオジェネス・ランデスだった。彼は今度「さまよえるオランダ人」のダーラント役で初来日する。だから日本のことをいろいろ知りたがっていた。
 水餃子のスープから始まり、シンガポール風カレーやエビの炒め物などのメインを通ってタピオカのデザートまで、メンの料理はどれをとっても素晴らしく、僕たちの和やかな会話も永遠に続くかと思われたが、4時の「ローエングリン」開演に先駆けて3時から合唱団は声出し練習があるため、すっきりと切り上げて祝祭劇場に向かった。

 写真の左から二番目がペーター・ダイクストラ。隣は彼の奥さん。僕の隣はディオジェネス・ランデス。その後ろがメン。

ローエングリン〜何故ねずみ?
 午後3時。「ローエングリン」の声出し練習。なんとノルベルト・バラッチがみんなの前に現れて挨拶した。バラッチとは、現在の合唱指揮者エバハルト・フリードリヒの前任者で、僕をバイロイトに呼んでくれた張本人。でも、僕が最初にバイロイトで助手をした1999年を最後に祝祭合唱団指揮者をしりぞいてしまった。伝説に残るほどの名合唱指揮者で、僕が最も尊敬する人物だ。挨拶の後、バラッチは僕の方にやって来て握手をしてくれた。なつかしくて涙が出そうになった。

 さて、ハンス・ノイエンフェルス演出による新プロダクションの「ローエングリン」だが、合唱団の衣装はなんと「ねずみ」だ。メンが「暑い暑い!」と嫌がっていたわけが分かった。ぬいぐるみではないが、かなりそれに近い衣装。ねずみの顔をかたどった帽子をかぶり、お尻には長いしっぽがついている。そして動きもねずみのようにちょこちょこ歩き回り、手は意味なくブラブラしている。それが集団になるとかなり可愛い。可愛いが・・・・、

何故ねずみ・・・?

 随所で聴衆から「あはははは!」と笑い声が起きる。スクリーンが降りてきて、
「真実その一」
などと書かれ、その後ねずみのアニメが映し出される。まるで日本のアニメのように可愛くてこれが「ローエングリン」の最中であることをわすれさせるが、それにしても・・・・、

何故ねずみ・・・・・?

 ドラマの中身はよく作ってある。テルラムント役のルチオ・ガッロが不調のため降りてしまったのは残念だが、代役はこの役に慣れているケテルセンだ。それと、以前のフリム演出のリングでブリュンヒルデを歌って素晴らしい演技を披露したエヴェリン・ヘルリツィウスが、今回はオルトルート役。
 この2人が織りなす陰謀と暗躍の性格付けが素晴らしい。もしかすると、演出家の指示というより、芸達者な2人による自発的な演技かも知れないのだがね。そのへんの見極めは難しいなあ。とにかく、通常だと長く感じられる第二幕前半が緊張感を孕んであっという間に終わったのは有り難い。第三幕前半の二重唱の演技付けもきちんとなされている。だからこの演出家は基本的にはもの凄く優秀であり、人間関係やそれが織りなすドラマの流れを見事に描き出している。でも、それだからこそなおさら思う・・・・・。

何故ねずみ・・・・・・・?

 話題のテノール、タイトル・ロールのヨナス・カウフマンは、しっかりとした響きを持っていて音楽的。ピアノの表現も秀逸。ただイタリアのテノールとは違って音色は微妙にベルカントではない。このへんをどう見るかだな。新国立劇場ででも歌ったことのあるアンネッテ・ダッシュのエルザは清潔感に溢れて好感を呼ぶ。
 そして・・・・これまた話題の若手指揮者アンドリス・ネルソンの音楽造りだが、なかなか良いぞ!速い曲の緊張感もさることながら、特に叙情的な場面の音色やフレージングが美しい。こうしたことは、通常若手にはあまり期待出来ないだけに、かなり将来が楽しみな器であると感じられた。

 

7月23日(金)

描写する音楽〜神々の黄昏
 音楽がどこまで具体的な意味を持つことが出来るのか、ワーグナーは挑戦している。「神々の黄昏」まで聴き通してみて、そのことをつくづく思った。歌われるのではなく語りかける歌唱。それを支えて、心理描写や状況説明を事細かく描写する管弦楽。これこそが楽劇の楽しみであり、それはある意味、お母さんがベッドで子供に話して聞かせるお伽噺の延長とも言えるのだ。つまりはかつて演出家キース・ウォーナーが主張していたように、ワーグナーの楽劇の本質はストーリー・テリングにあり、というわけだ。

 バイロイト祝祭劇場では、舞台の両袖が狭いため、舞台道具の横移動は不可能だ。全て後ろに移動させ舞台転換を行わなければならない。その上、大規模なセリもないし、基本的に舞台転換は人力だ。
 新国立劇場などでは、両袖も含めた4面舞台で床もスライドするので舞台転換をそのまま聴衆に見せることも出来るが、ここでは不可能。そのため、ワーグナーが元来転換音楽として書いた部分は全て緞帳を一度閉めて、音楽だけ聴くことになる。
 ところが、これがいいのだ。たとえば序幕から第一幕へとつなぐ有名な「ジークフリートのラインへの旅」では、ジークフリートのモチーフから始まる。そこへローゲのモチーフが出現する。つまりジークフリートはここでローゲの支配する炎の壁を越える。それに「愛の決心」のモチーフが戯れるようにからんでくる。それから「ライン河のモチーフ」が来てジークフリートがラインのほとりに着いたことを表現する。
 ほらね、みんな音楽の中で表現されているでしょう。キース・ウォーナー演出のトーキョー・リングでは、それらがみんなプロジェクターによるアニメーションで表現されていた。それは確かに分かり易いよ。でも、そうやって甘やかされるとかえって音楽の中から意味を聴き取る楽しみが奪われてしまうし、聴衆から想像力が奪われてしまう。制約の中にこそファンタジーは生まれるのだから。
「ジークフリートの葬送行進曲」もそう。ここではしばし場面を中断して、これまで登場したジークフリートにまつわる様々なモチーフを味わいながら、稀有なる英雄の死を悼むべきなのかも知れない。余計な視覚的刺激は本来要らないのだ。

ティーレマン絶好調!
 ティーレマンの指揮が冴えている。彼は全てのライトモチーフを鮮やかに描き出し、楽劇において管弦楽がどのような役目を果たすべきなのかという課題の理想的な姿を我々に提示してくれている。オケの中でのバランスは抜群で、音楽のテクスチュアの中から必要なモチーフが絶妙なタイミングで現れ出てくる。
 
 意外だったのはテンポの設定。予想に反して全体的に速めなのだ。もっとも僕の方は、最近東京でダン・エッティンガーが指揮した「神々の黄昏」の遅いテンポに慣れてしまったので、余計そう感じる部分もあるかも知れない。
 第二幕冒頭は、ダンのように遅いテンポで聴くとこれから始まる場面の悲劇性が強調されるが、ティーレマンのテンポで聴くと、「ニーベルングの破壊工作」のリズムが全面に出てきて、「アルベリヒの陰謀がなにやらうごめいているぞ」という雰囲気を醸し出す。このようにテンポひとつで表現する世界がまるで違ってくるのだ。
 
 ジークフリート役のランス・ライアンとブリュンヒルデ役のリンダ・ワトソンの二人が光っている。ワトソンは、以前不調の時期があったが、今は声的には絶好調。意外と素晴らしかったのは、ラインの乙女達。それぞれが真っ直ぐ通る声でハーモニー抜群。随分稽古したんだろうな。演技も秀逸。ちなみに名前を挙げておくと、ヴォークリンデ=クリスティアーネ・コール、ヴェルグンデ=ウルリケ・ヘルツェル、フロスヒルデ=シモーネ・シュレーダー。

 さあ、いよいよ終幕だ。ティーレマンの演奏する「愛による救済の動機」があまりに素晴らしくて胸に込み上げるものがあり、涙が出そうになった。どうしてこんな風に演奏出来るのだろう?どうしてこんな風にヴァイオリンが押し寄せるようなうねりを持って、僕たちの心に直接迫ってくるのだろう。ティーレマンも凄いがオケも凄い!ああ、ここまで来た甲斐があった。

世界中でここでしか聴けないもの。それはティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団による「愛の救済の動機」だ!


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