「アイーダ」にみる通俗性と芸術性について

三澤洋史   

第一部 ヴェルディと通俗性

 エジプトでは1869年のスエズ運河開通に伴って首都カイロに歌劇場を建て、そのこけら落としにとヴェルディに新作オペラを依頼しました。それが本日の演題である「アイーダ」となるわけですが、話はすんなりいったわけではなく、ヴェルディは一度その依頼を断りました。ところが差し出された題材が興味深かったので最終的には依頼を承諾しました。ただし残念ながらこけら落としには間に合わず、カイロでは代わりに「リゴレット」を上演したそうです。
「アイーダ」は1870年11月に完成。1871年12月24日カイロ初演となります。ヴェルディ58歳の時です。

 「アイーダ」と言えば、誰しもあの凱旋行進曲を思い浮かべます。その場面の壮大さ故に、このオペラは「グランド・オペラ」という言葉を通り越して「スペクタクル・オペラ」と呼ばれています。
 このオペラの中には、他の作品と比べて実験的な要素が少なく、親しみやすいメロディーや華やかさが前面に押し出されています。ヴェルディはこの作品を作る時、あまり冒険したり斬新な試みをせず、これまで自分が使って成功してきた確実な技法のみを使いました。それ故にこの作品はどこに行っても大成功を収め、ヴェルディの全作品の中でも最も有名なオペラと言われると共に、最も通俗的であるという悪口も言われているのです。

ヴェルディと通俗性
 ヴェルディは「リゴレット」をヴェネチアの劇場で初演した時、「女心の歌」がたちまちヒットするであろうことを知っていて、決して初日まで劇場外にもれないよう細心の注意を払ったといわれています。一般の人の練習場への立ち入りを厳しく禁じたり、マントヴァ公爵を演ずる歌手を別室に呼んで、このアリアだけ誰にも聞かせないでレッスンしたそうです。
 案の定、幕が開くと、その日の内にヴェネチアの街中の人が〜ゴンドラの漕ぎ手に至まで〜このメロディーを口ずさんでいたと言われています。
 このように“ヒットソング”というものは、たまたま出来てしまったということはあり得なくて、常に意識的に作られるものです。

 流行歌やポピュラー音楽の作曲家は、クラシック音楽の作曲家よりも大衆の心をくすぐることに長けています。ではクラシック音楽の方が程度が高いから、クラシック音楽の作曲家は常に簡単に流行歌が作れるかというと、そんなことはありません。これはある意味別の才能が必要なのです。
 「女心の歌」を作ったヴェルディは、そうした大衆音楽の才能も持ち合わせていたということがここで証明されています。

 実は、ヴェルディと通俗性というのはとても良いテーマなのです。そもそもヴェルディの生きていた頃のイタリア・オペラを取り巻く社会というものは、現在我々が考えるよりずっと通俗的だったと言えます。テレビも映画もなかった時代です。オペラに対して総合的な娯楽性を求めていたとしても不思議はないでしょう。
 我が国においての、歌舞伎と観客との関係のようなものです。勿論“通”と呼ばれるうるさい客がいたり、“通好み”と呼ばれる一般客には受けないけれど芸術性の高い役者がいたりはするけれど、そもそも歌舞伎というもの自体が庶民に支えられていたのではないでしょうか。

 ヴェルディは、その出発点からワーグナーとは全く違っていました。理念が先で、新しい聴衆を開拓するというよりは、まず劇場ありきで、劇場が要求するところの名作を作り出す作曲家だったわけです。そこには生きた聴衆というものが存在していて、初演が成功するということはすなわち庶民にそれが受け入れられるということを意味していました。
 ヴェルディは、そうした大衆のニーズをよく知っており、これに答えていたのです。つまりヴェルディと大衆性あるいは通俗性とはアイーダだけに限らず、本来切っても切れない関係にあったのです。

 ただ大衆というものを馬鹿にしてはいけません。大衆は我が儘なもので、自分たちが全然理解出来ないものからは離れていくかも知れませんが、逆に大衆のレベルにおもねただけの作品、あるいは元々そのレベルでしかない作品を見抜く目というものも持っていて、そうした作品は大衆から忘れ去られていきます。大衆は、自分たちを一歩先の世界に連れて行ってくれる芸術家を求めているのです。
 長い年月を経て、今日まで残っていて、世界中で上演されている作品は、批評家が強制的に「これが価値があるから」と言って定めたわけではありません。大衆がその作品の価値を分かって支持しているのです。

ヴェルディの通俗性@ 声を信じる
 ヴェルディと大衆とについて語る時、まずヴェルディがその生涯の最後まで決してブレなかった点として、声による表現力を信じていたという点が挙げられます。
 ベルカントの声を有する偉大な歌手の圧倒的な表現力。ハイトーンのパワー。こうしたことにヴェルディは最後まで信頼を置き、歌手達に自らの音楽を委ねました。だから彼は、ドラマが一度止まっても、アリアが終わって聴衆がその歌を讃えて拍手することを許していました。

 ひいきの歌手がどんな素晴らしい声を出し、どう高音を伸ばすかといったことへの興味は、そのオペラのドラマを総合的に味わうという見地からすれば、一面的で幼稚なものであるかも知れませんが、庶民のこうしたオペラの楽しみ方をヴェルディが嫌がっていた形跡はありません。むしろそれぞれのアリアなどの最後にカデンツをつけたりして、歌手の技巧が際立ち、同時に聴衆が拍手がしやすいように様々な配慮がなされています。

ヴェルディの通俗性A 声楽的アンサンブルとグランド・フィナーレ
 ヴェルディは、「アイーダ」までは、番号付のオペラを捨てませんでした。さらにワーグナーが早くも捨て去ってしまった、声楽的アンサンブルについては、最後の「ファルスタッフ」までも決して捨てませんでした。すなわち同時進行しながら別々の歌詞を歌う二重唱、三重唱、四重唱、及び合唱を含んだ大規模なコンチェルタートと呼ばれる楽曲です。 
 ヴェルディは、むしろこれらのアンサンブルを中心にオペラを構成していきました。彼のオペラではアンサンブルを中心に場面割りをたどっていける分かりやすさがあるのです。
 たとえば、「アイーダ」第一幕の構成は、ラダメスのロマンツァ「清きアイーダ」、アムネリスとの二重唱、アイーダ登場して三重唱という風にです。
 ヴェルディは、アリアだけでなくこうした場面ごとの拍手をも許しました。

 ワーグナーが何故こうした声楽的アンサンブルを捨てたかというと、複数の歌手がそれぞれメロディーを朗々と歌って同時に別々の歌詞を言うことは、かえって聞き取りにくいし、なによりもドラマの流れがそこで止まってしまうからです。
 ワーグナーは、ヴェルディが同時にひとりひとりの想いを独白させるようなところでは、それを歌詞ではなくむしろ管弦楽が奏するライト・モチーフに語らせました。会話が自然に行われ、聴衆にもその意味がはっきり伝わるように、なるべく語りに近いスピードと間を与え、歌手達にメロディーを朗々と歌わせることを極力避けました。
 一方、ヴェルディは、流れが止まっても、「ここはアンサンブルに徹して音楽的な高揚感を与える」と割り切り、ドラマが進行するところと音楽的に密度が高いところとを交互に置きました。

グランド・フィナーレ
 ヴェルディは基本的にオペラの真ん中過ぎたあたりに、ソリストと合唱とによる大規模なコンチェルタートを含むグランド・フィナーレと呼ばれる部分を置き、これによってオペラのひとつのクライマックスを築きました。
 この着想を、彼はそれ以前のベルカント・オペラやマイヤベーアなどのグランド・オペラから得ましたが、新作を発表するごとにグランド・フィナーレの内容に様々なヴァリエーションを加えていきました。
 合唱指揮者としてヴェルディの様々なオペラの合唱場面に付き合ってきた私は、ヴェルディのグランド・フィナーレの多様性とその変遷とを語るだけでも、おそらく一晩の講演が出来てしまうのですが、いくつか例を挙げるだけでも私の語ることの意味がお分かりいただけると思います。

 たとえば「運命の力」第三幕の戦場の野営地では、さまざまな情景が繰り広げられています。たとえば戦場という場所のどさくさに紛れてあくどい商売をしようとするトラブーコと兵士達のやりとりや、母親の元を離れて寂しがる新兵達とそれをなぐさめるお姉さん達や、風紀を乱していると言ってみんなをとがめに来るが、一同から嫌がられる僧のメリトーネなどです。さらに「ラタプラン」というほとんどアカペラで歌われる戦争ゴッコの合唱などが、悲劇的なストーリー展開とは全く離れて、まるでNHKの「ふるさとの歌祭り」か「紅白歌合戦」のような娯楽的場面を作り出しています。
 そのため、本来陰湿な内容を持つこの「運命の力」にある種の救いをもたらしているとして評価する人もいれば、反対にそれによってドラマの焦点がぼやけてしまっていると批判する人がいます。
 しかしひとつだけ言えることは、こうした場面を通して、私たちは当時のイタリア人達の生活ぶりをかいま見ることが出来ます。それ故にヴェルディは特にイタリア人からは国民的作曲家としてあがめられ親しまれているのです。

 パリのオペラ座のためにフランス風グランド・オペラのつもりで書いた「ドン・カルロ」第三幕では、通常祝祭的で華やかに上演される合唱やバレエの場面の代わりに、なんと“異端者の処刑”という重々しい場面を描きました。
 ここで特筆するべきことは、この場面の間にドン・カルロがなだれこんできて、フランドルの使者達と共に国王にフランドル地方の圧政からの解放を訴えたり、その訴えを国王に退けられて逆上したカルロが剣を抜くと、それを制止したのが他ならぬカルロの親友ロドリーゴだったりと、「運命の力」と違って、まさにドラマの重要な進行がコンチェルタートの真っ直中で起きるということです。

「アイーダ」のグランド・フィナーレ
 「ドン・カルロ」のグランド・フィナーレで獲得した手法を、ヴェルディは「アイーダ」でさらに発展させます。通俗性といえば、ヴェルディの全作品の全場面中最も通俗的な第二幕第二場グランド・フィナーレで、ヴェルディは確かに「お客様は神様です」と言わんばかりにアトラクションの大サービスをします。
 でも、それだけにとらわれていると、この場面に潜む芸術性に気づかないで通り過ぎてしまいます。エチオピアとの戦いに勝って凱旋してきた戦士ラダメスは、エチオピアの捕虜達の解放を国王に願いますが、その捕虜達の中にアイーダの父親でありエチオピア国王のアモナズロが身分を隠して紛れ込んでいます。また国王はラダメスに自分の娘アムネリスを后に迎えるよう命令し、アイーダは絶望にうちひしがれます。
 このようにヴェルディは、華やかなスペクタクルで聴衆を楽しませながらも、重要なドラマ展開をこの場に盛り込んでいて、ドラマ的にはこのオペラ全体の折り返し点となっています。その意味では、「アイーダ」のグランド・フィナーレは、ヴェルディにとって庶民との接点を保ちながらも自身の芸術性を盛り込んだ、彼のオペラ作りのひとつの結論とも言えるものなのです。

ヴェルディの通俗性B ライト・モチーフ〜テーマソング?
 「運命の力」や「ドン・カルロ」あたりから、ヴェルディの作風にワーグナーの影響があると言われるようになりました。ライト・モチーフのようなものを使い始めたことと、和声がしだいに複雑になり、管弦楽の比重が増えてきたことがその理由として挙げられます。
 ただ以前の講演「オテロ」の時にも申しましたが、ヴェルディがワーグナーから影響を受けたとしても、それはワーグナーの音楽のほんの入り口にしか過ぎません。
 ワーグナーは「ラインの黄金」からはっきり意識してライト・モチーフを使い始めましたが、すでに最初から縦横に使って、もうライト・モチーフだけで曲が出来ていると言っても過言でないくらいに全体を仕上げました。それがワーグナーの音楽をそれまでの「タンホイザー」や「ローエングリン」といった初期の作品に比べて比較出来ないくらいに複雑にしていったのです。
 その反対に、ヴェルディの場合、注目すべき事にこのライト・モチーフを用いることで、ワーグナーとは反対に、これまでよりももっと“通俗的にオペラを作る”方法を獲得したのです。しかもモチーフの扱い方はライト・モチーフと言うよりは、むしろテーマ・ソングあるいはテーマ音楽と言った方がふさわしいくらいです。
 登場人物が現れるとそのテーマが流れます。これがむしろドラマを分かり易くします。あくまで庶民と共に歩むヴェルディはテーマを限定し、ワーグナーからは考えられないくらい単純化して使用しました。

わずか4つのテーマ・ソング
 「アイーダ」で使われるテーマ音楽をおさらいしておきましょう。
1) まず冒頭の前奏曲から現れ、アイーダが自分の愛を語る時必ず現れるモチーフ。これを「アイーダの愛のモチーフ」と名付けます。(ピアノで弾く)
2) 次に「権力のモチーフ」です。
3) エジプトの王女アムネリスは次のようなテーマに乗って登場します。
4) そして、彼女が嫉妬すると、次のような「嫉妬のモチーフ」が流れます。

基本となるのはこれだけです。ヒーローのラダメスには残念ながらテーマが与えられていません。つまりラダメスには筋の流れを左右する力が与えられていないのです。テーマはアイーダの「愛」とそれを阻むもの。ヴェルディの考えははっきりしています。

前奏曲
 この前奏曲は、わずか53小節ながら、これまでの前奏曲あるいは序曲にない凝縮力を持っています。その扱い方は決して通俗的ではなく、むしろとても芸術性が高いと思います。
 ただワーグナーと違うのは短いことです。ここがヴェルディのバランス感覚というものでしょう。かつてヴェルディはミラノのスカラ座初演のためにもっと大規模な序曲を作りましたが、作曲家自身それに満足せず、結局現在の形が残っています。

序曲のメロディを弾く
 曲はまず「アイーダの愛のモチーフ」に始まります。それが発展していくと、「権力のモチーフ」が現れます。それからこの二つが同時進行します。この曲のコンセプトは簡単です。つまりアイーダの愛が、権力によって引き裂かれようとしていることを象徴しているのです。こうした立体的な作り方は明らかにワーグナーの影響があると思います。

ヴェルディの通俗性C 単純化された登場人物とテーマ音楽
 ヴェルディがカイロ歌劇場と交わした契約は次の通りでした。まずギャラですが、十五万フラン(ドン・カルロの作曲料の三倍)。ただしテキストはヴェルディが自分のギャラの中から負担して誰かに書かせる。指揮者もその費用を負担する。
 これはどういうことかというと、ヴェルディは、台本も音楽も全く彼の好きなようにオペラを書くことが出来たと言うことです。これは、劇場から依頼されて作曲するヴェルディとしては、むしろ珍しいことなのです。
 「アイーダ」の台本を書いたのはギスランツォーニですが、彼は作家であり批評家であると共に優れたバリトン歌手でもあったそうです。彼はヴェルディを尊敬していましたので、ヴェルディはほとんど彼を意のままに扱って台本を修正させたと言われています。だから「アイーダ」の台本のあり方には、ヴェルディも大いに責任を負っています。

 「アイーダ」の物語は、「ドン・カルロ」のように歴史物でない故に、ストーリー展開がとても単純です。
 エジプトの武将ラダメスと、その敵国であるエチオピアの国王の娘のアイーダとの間に恋愛関係がある。もうこれだけでも悲劇が予想されます。
 そこにアイーダを横恋慕しているエジプト国王の娘アムネリスがからんできます。そしてラダメスとアイーダの恋路が様々な要素で妨げられるといったお決まりの展開となるのです。
 アムネリスの役所は、ドン・カルロのエボリ姫に似ています。ラダメスに横恋慕し、嫉妬に狂う役です。アイーダの前でわざと親切を装ったり、ラダメスが死んだと嘘を言ったりと、いかにも憎たらしそうな女として描かれています。
 エジプト、エチオピア両方の国王も、その立場がはっきりしており、「ドン・カルロ」のように孤独に悩んだり、心が揺れ動くとかいうことはなく画一的な性格が与えられています。
 このオペラの中では、すでに立場によって対立がはっきりしており、主人公達はもちろんその中で悩みはしますが、ただ一直線に進むのみで、意外な展開とはなりません。この点が「アイーダ」の台本の限界と言われています。
 しかし、ヴェルディのオペラは常に、個人の愛とそれを阻もうとする社会あるいは権力との対立を描いていて、「アイーダ」ではまさに余計なものをそぎ落としてまっすぐそのテーマに向かっています。その分かりやすさが通俗性ともつながるのかもしれませんが、「ドン・カルロ」の結末で見せたある種の世に対する諦念といったものが、ここではもう一歩推し進められていて、それはヴェルディの独創性につながってくると私は見ています。そのことについては、また後に述べてみたいと思います。

第二部 「アイーダ」の実践

第一幕第一場
 ラダメスが武将として活躍しているエジプトでは、エチオピアとの間に緊張関係があります。ラダメスは、エチオピアとの戦いの総司令官として活躍したい、そして勝利の暁には愛するアイーダと結ばれたいと願い、有名な「清きアイーダ」を歌います。残念ながら本日はこれは聞きません。通俗的で(笑)ドラマの流れにあまり関係ないからです。

 そこへ王女アムネリスがやって来ます。テーマに乗って分かり易いですね。
ラダメス、アムネリスの二重唱〜三重唱(+アイーダ)

 アムネリスはラダメスのことを好きなのに、彼の心の中には誰か別の女がいるらしいと思い密かに探りを入れます。

 ラダメスは、アイーダへの想いを感づかれたかと心配になります。そのラダメスの態度を見てアムネリスは、「やっぱり誰かいる、それは一体誰?」と嫉妬の炎を燃やします。

 アイーダ登場。アイーダのテーマが流れます。実に分かり易いですね。アイーダを見るラダメスの態度にアムネリスは自分の恋敵がアイーダであることを知り、ますます嫉妬の炎を燃やしていきます。

このように、単純化されたライト・モチーフは、とても物語を分かり易くするのです。

「勝ちて帰れ」をピアノを弾きながら分析
 次にアイーダの「勝ちて帰れ」に触れてみたいと思います。ヴェルディは、通常だったらアリアと記すところをシェーナと書きました。シェーナとはイタリア語で場面(シーン)という意味です。実際この曲は、その中でアイーダの心の揺れが的確に表現されており、単に一つの情感を歌うアリアからかけ離れています。

 私は、このアリアのような扱いこそが、外面的には保守的に見えるこのオペラの真価であると思っています。ここでは音楽はドラマにぴったりと寄り添っています

 エジプト国王ランフィスは神の信託が下り、総司令官をラダメスに任命します。王女アムネリスが「勝ちて帰りなさい」と歌うと一同がその言葉を繰り返します。ラダメスの事を想うアイーダも思わず「勝って帰ってきて!」と叫びます。(ピアノで弾く)
 しかしそれは同時に自分の家族を敗北に追いやること。自分の立場とラダメスとの愛情との相克に苦しむアイーダ。
(愛のテーマを弾きながら)それなら、あたしの愛はどうなるの?とつぶやきます。
(最後の部分を弾きながら)神々よ、あたしの苦しみにお慈悲を・・・・。

第一幕第二場
 第一幕第二場では、ハープの伴奏に乗って歌われる巫女達の神秘的な聖歌と、それに答える祭司達の連?の場面を作曲しました。ここに巫女が登場することは歴史的考察からするとあり得ないと言われるのですが、ヴェルディの発案で台本作家のギスランツォーニを説得したと言われています。
 ここでヴェルディは珍しく異国情緒を曲に盛り込んでいます。これは依頼先であるカイロ歌劇場のためというより、むしろイタリア国内の聴衆にエキゾチックな効果で受けるようにねらって書かれたように思われます。

第二幕第一場
 アムネリスはアイーダに「あたしはあなたの友達だわ。」と親しげに装い、恋敵の本心を暴こうとしています。
アイーダ、アムネリスの二重唱

 アムネリスはわざとラダメスが戦死したと言い、アイーダの様子を見ます。悲しみにうちひしがれるアイーダを見て言います。
「震えおののくがいい!お前はラダメスを愛しているのね!あたしは嘘をついたのよ。ラダメスは生きているわ。言っておくけどあたしもラダメスを愛しているのよ!」
アイーダも負けていません。
「あたしの恋敵!いいわ、受けて立ちましょう。」
でもすぐに自制して、
「あたしは何を言ったのでしょう。お慈悲を・・・・。」

 裏から戦いを告げる合唱が聞こえてくる中、二人の二重唱は続きます。この最後の音楽は、先ほどの「勝ちて帰れ」の最後と一緒です。

第三幕
 身分を隠しているエチオピアの国王アモナズロは、娘のアイーダに向かってラダメスからエジプト軍がどの道を通っていくか聞き出せと命令します。

アイーダ、アモナズロの二重唱
「我々の民は再び戦いの準備をしている。だがひとつだけ問題がある。敵がどの道を通るかだ・・・。」
そこへラダメスが現れます。

アイーダ、ラダメスの二重唱
 「今度の戦いに勝ったら国王にきちんと言ってお前と一緒になりたい。」
と言うラダメスに向かって、アイーダは、
「一緒に逃げましょう。」
と言います。躊躇するラダメス。アイーダはさらに、
「ではあたしを愛していないのね。」
と言ってラダメスを拒絶します。ラダメスは決心して、
「分かった。一緒に逃げよう。」
と言います。

アイーダ、ラダメス、アモナズロ、アムネリスの重唱
 そしてアイーダはラダメスからエジプト軍がいない道を聞き出します。
その時、アイーダの父親アモナズロが現れ、自分の身分を名乗ります。
ラダメスは、機密情報を敵国に漏洩した罪で死刑を宣告されることになります。

第四幕
 「アイーダ」と通俗性について語ってきましたが、私はこの終幕だけは通俗的ではなく、むしろヴェルディの芸術が辿り着いたひとつの終着点のように思います。若い頃のヴェルディのオペラの終幕は、だいたい主人公の死と共にドラマチックにあわただしく終わっていますが、「運命の力」の消え入るような静かな終幕を見て分かる通り、年を取ってくるに従って終幕の描き方がしだいに変わってきました。「ドン・カルロ」の終わり方自体は穏やかというわけではありませんが、第四幕全体を支配している無常観や諦念の感情は、それまでのヴェルディには決して見られなかったものです。

 ヴェルディは「アイーダ」の終幕のために自身で舞台セットを考えました。それは上下ふたつに分かれた舞台で、上部にはヴルカン神殿、下部が、ラダメス達が幽閉された地下牢です。
 ラダメスは亡国の罪で地下牢に生き埋めになっています。なおもアイーダのことを想っていると、そこにあろうことかアイーダがいるのです。彼女はラダメスの死刑判決を知り、運命を共にしようと思って地下牢に潜んでいたのです。二人は、現世では結ばれなかったけれど天上で結ばれようと誓い合います。

 神殿からは祭司達やアムネリスの祈りが聞こえてくる中、アイーダは力尽きてラダメスの腕の中で息絶えるのです。
終幕

アイーダは通俗的か?
 ヴェルディは、「アイーダ」を書き上げた後、次の「オテロ」まで15年間も新作オペラを書きませんでした。
 「アイーダ」が予想通りに大成功を収め、ヴェルディとしては自分の人生でもうやるべきものは全てやったという気持ちで彼は田舎にこもり、悠々自適な老後の生活に入ってしまいました。各地での「アイーダ」上演のしらせを聞いても、興味を引かなかったと見えて、出掛けて行きませんでした。
 「アイーダ」を書き上げたヴェルディは、もうオペラを作曲するつもりはなかったのかもしれません、いやそれ以前に「アイーダ」を書いている最中、もしかしたら彼の心の中では、これが自分の最後の作品となると思っていたかも知れません。
 彼は「アイーダ」では、確かに革新的なことはやらず、必ず成功する確信のある手法だけを使いましたが、それは“前作と比べて”新しいことをやらなかっただけであって、実はヴェルディのオペラ作曲の歴史は、彼の密かな革新の歴史でもあり、「アイーダ」はその総決算なのです。

 「アイーダ」の前の作品「ドン・カルロ」で人々はワーグナーの影響を指摘し、大騒ぎしましたが、次の「アイーダ」で、ヴェルディがそれを一歩進める形で使っても、人はもうそのことに関して何もとがめなくなるのです。それどころか、なにか別の要素で前作にはない新しさがないと、今度は保守的であると言い出す始末です。

 ヴェルディは、ワーグナーほどには聴衆の三歩先を行く革新派ではなかったかも知れませんが、それでも常に一歩先には行っていました。彼も、彼なりに新作を発表するごとに、斬新な要素を少しずつ混ぜていったのです。
 たとえば、ベッリーニ、ドニゼッティーのベルカント・オペラでは主流になっていたコロラトゥーラを駆使したアジリタ唱法を、彼は「椿姫」などでは使っていますが、しだいに影を潜め、より長い旋律を持ったもっとドラマチックな歌唱を要求するようになります。
 ヴェルディが求めたのは、どちらかというと暗めで太い声です。こうした歌手への要求が新しいタイプの歌手の養成につながり、次のヴェリズモ・オペラの唱法と作曲法を準備するのです。

 また、番号付オペラは捨てなかったかも知れませんが、後期になるに従って、レチタティーボとアリア、あるいは重唱との区別がしだいにつかなくなり、ドラマの流れに沿って管弦楽が雄弁に語るようになります。ヴェルディ自身も「勝ちて帰れ」のようにアリアではなくあえてシェーナと名付けたりして、容器そのものは変えずとも中身を変えているのです。
 このようにヴェルディは長い間かけて周到に聴衆を教育していったので、聴衆もあまり抵抗感を持ちませんでした。それでも「ドン・カルロ」のように、ちょっとでも革新的な部分が目立つと、思ったような成功が得られないなど、ヴェルディはヴェルディなりにその報いは受けていました。

 ヴェルディにおいては、個人の幸福とそれを阻む社会や権力との対立がいつもテーマになっていました。しかし晩年になるに従って、そこにある種の諦念という要素が加わってきます。これはとても新しいことなのですが、「アイーダ」で表現されたこうした要素は、その前に「運命の力」や「ドン・カルロ」で小出しにされていたために、とりたてて斬新という感じでは受け取られなかったのです。

 ヴェルディのオペラは、中期の作品以降、しだいに華やかで大規模なグランド・オペラ的作風になっていきました。これが彼に批判的な人達をして、大衆迎合、あるいは「通俗性」と言わしめたわけです。そのひとつの終着点が「アイーダ」です。

 しかし私はこう結論づけます。ヴェルディは、「アイーダ」においては、大衆受けするところはとことん大衆受けするように割り切って作り、登場人物やストーリー展開をなるべく分かり易くしながら、彼が追求し続けた「個人と社会の対立」というテーマを最も深めたのであると。そしてその先には、老い、死、現世への諦念と来世への希望があるのだと・・・・。
 「アイーダ」すぐ後に書かれたレクィエムも同じ延長線上にあります。この時期ヴェルディは自分の作品の中に最も「死への親近感」というものを表現しました。人々は信じ始めました。このままヴェルディの創作は終わり、彼は死に向かっているのだと・・・。

 しかしそれから15年経って彼は再び創作意欲を燃やし、あらゆる面で革新的な「オテロ」を書きます。さらに80歳になった彼は喜劇「ファルスタッフ」を発表するのです。
 「オテロ」には「アイーダ」で見せたような厭世観や諦念はなく、かえって若々しいエネルギーに満ちています。「ファルスタッフ」に至っては、「人生皆道化」と、全てを笑い飛ばす恐ろしいバイタリティーが支配しています。

なんというエネルギー!やはり彼はただものではありません。

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