シケタン

三澤洋史   

中高年のためのシケタンの使い方
 今、僕がいつもカバンに入れて覚えながら愛読している本って知ってるかい?それは、なんと「試験に出る英単語」(青春出版社)だ。かつて受験生のバイブルとして一世を風靡した本。僕の高校は高崎高校で群馬県一の進学校だったから、みんな持っていた。僕達は、それをシケタンと呼んでいた。
 ある時ふと思い出し、シケタンってまだあるのかなと思って本屋で探したら、あったあった!それも、立派な2色刷になっていた。CD付きのもある。著者の森一郎氏は、すでに1991年に亡くなっていて、次男の森基雄氏が、この2色刷デラックス版のためのデータ検証にあたっている。初版が1967年10月というから、1970年に高校1年生になった僕達の時代は、まさに大フィーバーの真っ盛りだったのだ。

 この本、今の自分が見ると実に面白い。冒頭の方で著者はこんなことを書いている。

われわれにとって最重要単語というのは、使用頻度の多いものではなくて、たとえ、そんなにもしばしば使用されないものであっても、その1語の意味を知らな いと、その文全体の意味が把握しにくくなるような知的・抽象的な単語である。
 僕は仕事柄よく外国人と話をする。それも、社交辞令だけではなくもう少し突っ込んだ内容の話をすることが多い。ドイツ人だとドイツ語で、イタリア人だとイタリア語で話すが、それ以外の国民とは、なんといっても英語だ。その場合に、まさに「試験に出る英単語」に載っているような「知的・抽象的な単語」が使えるのと使えないのとでは、話の幅が大きく違ってくるのだ。
intellect 知性 
conscience 良心 
tradition 伝統 
patriotism 愛国心 
instinct 本能 
tendency 傾向 
rational 合理的な 
coservative 保守的な 
radical 革新的な、急進的な 
flexible しなやかな、融通のきく 
arrogant 尊大な、傲慢な 
 どうです、みなさん、今僕のような年齢で僕のような立場にある人は、アッと思うのではないかな。これらの単語を日常的に使っているでしょう。極端な話、発音が悪くても、もっと日常的な社交辞令がスマートに言えなくても、そんなことはお構いなく、これらの単語が使えたら、一足飛びに欧米人と知的な会話に入っていけるでしょう。

 とはいえ、僕自身、高校生当時このシケタンを一生懸命勉強したわけではない。持ってはいたが、音大志望だったから、そんなに難しい長文を訳すような立場に追い込まれることはなかったのだ。
 それに僕は、受験英語に対してはずっと否定的であった。英語は好きだったし、英会話も必要だと思っていたのだが、一流大学の入試予想問題などを見て、
「こんなの訳すよりも、日常会話でいいから外国人と普通に話せるようにならないとダメじゃないか」
と思っていた。
 最近までその思いは変わらなかったのだが、今回「試験に出る英単語」を読み返してみて、「遠い将来を見据えて勉強をし続ける」という条件下でなら、受験英語もまるで無用なものではないのかなと思えるようになった。
 ただし、現実を見ると、大抵の大学生は、入学当時が一番英語力が高いという残念な状態にあることは否定出来ない。シケタンだって、大学卒業10年後に何人がしっかり覚えているのだろう。

 シケタンは、受験だけのために作られた単語集だから、問題点があるとすると、それはそのまま受験英語の問題点である。一読してまず感じる事は、別なもっと頻繁に使われている易しい言葉があるのに、何故この言葉を覚えなければいけないのか、ということだ。
 たとえばfatigue「疲労」などという単語がかなり上位にあげられている。このフランス語オリジンの単語を、僕はフランス語では形容詞fatigue「疲れている」としてしょっちゅう使うけれど、英会話においてわざわざ使ったことはないし、欧米人が僕に向かって言うのを聞いたことがない。たいていはbe tiredあるいはfeel tired という言い方で間に合わせてしまう。考えて見たら、日常会話では何語においても「疲労」と名詞で言うことって少ないのだよね。
 入試では、“自分から”積極的にこうした種類の単語を使っていく機会は決してない。むしろ、与えられた文章を辞書なしで訳す時に必要となるので、覚えておかなくてはいけないのだ。僕はフランス語で知っているから「へえっ」と思うが、こんな入試のためだけに必要な単語を覚えさせられる受験生も可哀想だなあ。
 あらためて辞書を引いてみたら、英語で「疲労」という名詞は確かにfatigueしかないのだね。ドイツ語ではmude 「疲れた」の名詞形はMüdigkeitと知っていたけど、使ったことないな。イタリア語はstancoに対してstanchezza・・・・ええと・・・最近使ったぞ。あっ、そうだ。「ランメルモールのルチア」冒頭の家臣の合唱に出てきた。
Come vinti da stanchezza,
Noi posammo.
疲労というものに勝利されてしまったように(とっても疲れて)、
我々は休息を取りました。
 まあ、こんな言い方は文学の中にしか出て来ない。僕がもしイタリア人に向かって言ったら、ロクにしゃべれないのに知ったかぶりしてと、かえって馬鹿にされてしまうのがオチだ。要するにシケタンで覚えた単語のある種のものは、その後も会話では使わないのだ。

外来単語集
 fatigueもそうだけれど、僕が今シケタンを興味深いと思う理由のひとつに、この単語集が“外来単語集”であるという点が挙げられる。英語という言語は、元来ゲルマン語であるが、1066年、英国がフランス北部にいたノルマン人に征服されると(ノルマン・コンクエスト)、支配階級のフランス人が英国に移住し、大量のフランス語がこの国に流入してきた。それ以来今日に至るまで、フランス語経由のラテン語の語彙が英語の中に大量に見られる。
 だから、英語とは二つの国語が混じり合った言語なのである。たとえば牛はcowであるが、食べる時にはbeefと呼ぶ。ノルマン人に支配された当時、牛を飼育するのはイギリス農民であり、食べるのは支配階級であるフランス人だったからである。オーバーに言えば、英語には、他の国の言葉に対して2倍語彙があるのだ。
 我々日本人も、たとえば「やさしいひと」という大和言葉より、「柔和な人物」と言ったり、「とってもおなかがすいた」と言うより、「大変空腹である」と漢語的表現で言う方が、なんとなく知的な感じがするだろう。漢字も、日本に入ってきた当時は、知識人を中心に広まっていった歴史があるから、やまとことばより意識的でお高い言葉なのだ。同じように、イギリス人だけでなく、今日のヨーロッパ人にとっても、母国語で言うより、ラテン語ギリシャ語オリジンの言葉で言った方が、よりフォーマルで知的な感じがする。

intention 意向 
interpretation 解釈 
evolution 進化、発展 
revolution 革命 
solution 解決 

phenomenon 現象 
physical 物理的な、物質の、肉体の 
psychological 心理学的な(たいていは“心理的に”という意味で使う)
hypocrisy 偽善 
hypothesis 仮説 
catastrophe 破局、悲劇的結末 
 ちなみに、tionで終わる単語は全てラテン語オリジン。一方、ph、phy、psy、hyなどを見たらギリシャ語オリジンだと思えばいい。yはイタリア語でi-grecoあるいはi-grecaと言い、ギリシャのiという意味。kyrie eleisonもそうだけど、yが入っている単語はギリシャ語オリジンを疑った方がいい。古代ギリシャは哲学の国なので、philosophy「哲学」をはじめとして、哲学的用語はあまねくヨーロッパ全体に広がっている。ラテン語も、古代ローマ帝国の遺産として各国語に溶け込んでいるのだ。

 僕はこのような単語をどこで覚えたのかというと、勿論シケタンではなく、実はドイツ語としてドイツで覚えたのだ。しかも、ドイツにしばらく住んで、いろいろ他の学生達と議論をしなければならなくなって必死で覚えたのである。これらの言葉は一度覚えると便利である。つまり欧米ではこれらの単語に国境がないのだ。知的な人達は、何処の国の人であっても、みんなこれらの単語を共有して使っているから、それぞれの国語風に当てずっぽうでも良いから発音して言ってみれば通じるのだ。
 たとえば、intentionをインテンションと発音すれば英語だけれど、インテンツィオーンとかなり子音をきつく発音するとドイツ語になる。また、アンタンスィオンと気分を出して言ってみれば、もう立派なフランス語だ。さらに、インテンツィオーネとoを高く言ってneに向かって下方のポルタメントをかけて発音したらイタリア語になる。いやいや冗談ではなく本当なんだってば。で、それぞれ、

I have intention of 動詞+ing
Ich habe Intention zu 動詞不定形
J'ai l'intention de 動詞不定形
Ho intenzione di 動詞不定形
と言えば、「私は~する意向がある」となって、「僕~したい」よりお上品な言い方になるわけだ。

 こんな風にして、僕はミラノにいた時、まだロクにイタリア語をしゃべれないくせに、何の苦もなくイタリア人達とこのような単語を使って、ドイツ人相手にしていたのと同じような知的議論が出来ちゃったわけである。だから、日常会話にいつまでもこだわっているよりも、シケタンの単語を活用した方が結果的には便利なのである。

 そのような単語はどんどん覚えてもらっていいのであるが、その反面、受験生にとって可哀想だと思うのは、たとえば次のような単語。
moderate 適度の、中くらいの 
tranquil 静かな  
similar 類似の 
sole 唯一の 
 これって、要するにイタリア語じゃん。これらはイタリア語を習う時に覚えればいいんであって、いくら外来語が多い英語といっても、こういう言葉ばかりを“英語として”出題する入試問題ってどうよ。
 まあ、英語というのがそういう言語であるので、最初に英語をやっておけば、後で何語に行っても楽ですよ、と言いたいのであれば、あえて反対はしないけどね。一方、イタリア語には、逆に外来語がとても少ないので、同じ意味の単語を何種類も覚えなくていいんだ。

画期的な語源情報
 こうした功罪がいろいろある中で、今回新たに気付いたシケタンの圧倒的に優れている点を挙げよう。この本の中には、各単語に対して、接頭語や語幹の語源が詳しく書いてあるのだ。これは画期的である!
 著者は、これを手がかりにして単語を覚えてもらいたくて列挙しているのだろうが、ラテン語、イタリア語を勉強した今となっては、僕はこれらの語源にとても親しんでいるので、そのうんちくをここで見出すとは思えなかった。

 たとえばindividual(名)「個人」(形)「個人の、個人的な」では、in=not, divid=分割する, ual=形・名・尾「もうこれ以上分割できないもの」という注釈が載っている。イタリア語では、dividereは「分ける」という意味で普通に使われているし、音楽でも、divisi(パート内で分かれる)は、dividereの過去分詞divisoの複数形だ。それで、ある時、イタリア人がindividualeと言った時、僕は、
「あ、そうか」
とラテン語が組み合わさって出来上がっている事が突然理解出来た。それがシケタンに書いてあるのだ。うーん、受験生にはもったいないくらいだ。

 alarmアラームもそう。(他)「びっくりさせる」(名)「驚き、警報」とあり、その説明として、To the arms!「(武器を取れ)の意から」と書いてあって驚いた。これも元来はラテン語オリジンarma。現代イタリア語では、「武器を取れ!」はAll'armi!。ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」など、オペラの戦闘シーンでよく出てくる歌詞だ。これとアラームが結びつくとは気が付かなかった。
 さらに、接頭語、語幹、接尾語などがアルファベット順に並んでいる項目があり、これを眺めているだけで興味は尽きない。もう至れり尽くせりで、こんな親切な本は見たことがないほどである。森一郎氏を僕はとても尊敬する。


1単語1訳語
 1単語1訳語というコンセプトも潔くて良い。たとえば、issueという単語について、著者は書いている。この単語をどの辞書あるいは単語集で調べても、名詞として「発出、はけ口、発行、結果、版、論争、問題」、動詞として「発行する、出てくる、由来する」と沢山出ている。でも著者は、過去20年近くの大学入試問題を調べて、この単語がpolitical issue(政治問題)のように、「問題」という意味以外に用いられた例がほとんどないと気付き、もうissueは「問題」とだけ覚えておけばよいという結論を出した。
 するとある観光会社の外国向け宣伝部に勤めている人から、
「私の知っている限りでは、issueは“発行する”という意味以外に用いられないはずである」
という批難の投書をもらったという。
 実は、僕もこのissueという単語を扱いかねていた。だって、辞書引いたっていっぱい出ているからね。でも、この文章を読んではっきり分かった。要するに、issueは「問題」と「発行する」とだけ覚えておけばよいのだ。それで分からなかったら、初めて辞書を引いて、当てはまる意味を探せばいいのだ。

 ちょっと脱線するが、いろんな国の言葉を習って、どの国語でも一番難しいのが「問題」という日本語を当てはめることだ。つまり、一番「問題」なのは、日本語の「問題」という単語なのだ。
 問題というとみんなquestionを思い浮かべるかも知れないが、実際にquestionとして使うことは、練習問題やテストをする時以外にはほとんどない。ではproblemかというと、problemを使う時は、何か困った「問題」に限られる。たいていは、会話する時の“話題”程度の意味なので、さっき出てきたissueであったり、subjectであったり、themeだったりtopicだったりするのだ。

 1単語1訳語はいいのだけれど、たとえばinstrumentには「器具、手段」としか出ておらず、僕が聞いて当然真っ先に思い浮かべる「楽器」がないのは淋しい限りであるが、まあ東大入試問題にinstrumentが出た場合、楽器という意味で使うことはあまりないだろうから仕方がない。論文の中であえて使う時には、musical instrumentと書くだろうしね。

 こんな風に「試験に出る英単語」では、実にいろんな事を考えさせられる。とても刺激的な本だ。中高年のみなさん、是非この本を読み直し、気に入ったらいつもカバンに入れて持ち歩いて下さい!受験生用なので千円もしないんだよ!


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