ふぬけからの脱出

 「ナディーヌ」新町公演が終わったら何だか気が抜けてしまって、すっかり「ふぬけ」の状態。おまけに丁度次の日から気温も下がり、夏が突然終わったって感じだ。新国立劇場では、合唱の大活躍する「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」が舞台稽古に入り、まさに佳境にさしかかっている状態だというのに、合唱団員でオリー役をやった柴田さんと顔を合わせる度に、
 「ああ、楽しかったね。気が抜けちゃったね。」
と話し合ってる。だめだこりゃあ!
 今年の夏は死ぬほど忙しかった。そんな時って「これさえ終わったら楽になれる。」って思いながら毎日を過ごすわけだけれど、いざ終わると今度は虚脱感や空虚感が猛烈に襲ってくるのだ。
 でも音楽を生業にしている僕は、こんな思いを今までに何回も味わっている。高校の時、初めて学生指揮者として合唱部の定期演奏会を指揮した時。ベルリン芸術大学での卒業試験でチャイコフスキーの第五交響曲を指揮して一番の成績を獲得した時。その年のカラヤン・コンクールでベスト8に残り、これはひょっとして!と一人で盛り上がりながらファイナルであっけなく敗れた時。初めて「マタイ受難曲」を、ヘフリガーの福音史家で指揮した時。初めての自作ミュージカル「おにころ」を初演した時etc・・・・・。どの時もみな自分を奮い立たせ輝いていた。そしてその後は輝いた分だけの虚脱感に耐えていたのだ。

 仕方ないので気分をそらす為に別の事を始めた。Finaleで作った譜面のプレイバックの音をCDにして人にあげる際、もう少し良い音にならないかとかねてから思っていたので、持っているシーケンスソフトの攻略本を買ってきて、あらためて勉強し始めた。するとまた病気が始まってしまった・・・・気がついてみたらヨドバシカメラでローランド製の音源モジュールを手にしていた・・・・ 「あれれ?僕って何してるの?」
 音を選び直して新しい音源で鳴らしてみたり、リバーブをかけたりパンを振ったりしてみたら、確かに画期的に音は良くなったけれど、ヤバイっす!面白くなって来ちゃった。だめだよ!凝り性の僕の事、この道に足を踏み入れたら最後、次に気がついたらインターフェースやらコントローラーやらミキシング・マシンやらマイクやらなんやらかんやらドサッと買い込んで、部屋はすっかり録音スタジオ!ってことになり兼ねません。
 僕はこれまで「あくまでも生こそ全て」というスタンスを貫いてきた。家のステ レオだって、音質にはこだわっても過度に高いものを購入してリスニングルームを作って、なんて事はやってないし、勉強もほとんどウォークマンでやっている。だって、どんなに良い音を追求したって、僕が日々接している「生音」には絶対かなわないもの。そんな僕が安易にDTMに深入りするなんてもっての他なのです。でも、あれだねえ。今は素人でも簡単にプロの真似が出来る世の中なんだねえ。
 最近ある仕事でサウンド・シティという有名な録音スタジオに行ったけど、驚いた事に音響卓が一変していて、もう録音は全てハード・ディスクで行うようになってしまった。昔はオープンリールのテープをはさみで切ってつなぐところに職人芸を発揮、なんてやっていたし、つい最近までプロの録音はDATを使うのが定説になっていたのにね。将来は、世の中から「テープ」という概念自体が消滅していくんだろうなあ。
 と、とにかく僕はこれ以上深入りしないからね。宣言しておくからね。僕が暴走しそうになったら誰か止めて下さいね。お願いね。

 8月から、新国立劇場でこれまで僕が「合唱指揮」と兼務していた「音楽ヘッドコーチ」の役職に、レーゲンスブルク歌劇場で第一カペルマイスターをやっていた指揮者、岡本和之君がついた。おかげで僕はやっと人間らしい生活に戻れる。元々この二つの役職を一人でこなすなんて不可能だったので、ノヴォラツスキー芸術監督には「一年間だけ」という期限付きで引き受けたのだ。その間に僕は岡本君にアクセスし、彼に頼み込んで無理矢理帰国させたってわけ。
 彼とはバイロイト音楽祭でも一緒に仕事している。バイロイトの「パルジファル」で面白い話があるんだ。
 第1幕後半「聖堂の場面」では、合唱アシスタントの僕は僧侶達の入場を下手の照明塔からペンライト・フォローした後、ただちに舞台の真上にあるキャット・ウォークに上がって「天上の女声合唱」を振らなくてはならなかった。一方、副指揮者の岡本君は間奏曲の舞台裏トロンボーンをキャット・ウォークで振った後、ただちに僕がそれまで振っていた下手照明塔に降りてティトレルの裏歌を振らなくてはならない。二人とも短い間に移動しなくてはならないのでとても大変だ。舞台稽古で僕は岡本君と階段ですれ違った。二人ともふうふう言って階段を走りながら、「やあ!」と挨拶した。
 練習終了後二人で話し合う。
 「これってさあ、なんとかならないかな?」
で、提案した。つまり僕は僧侶達の合唱を振った後、そのまま下手照明塔に残り、本来岡本君の仕事であるティトレルの裏歌を振る。岡本君はトロンボーンを振った後、そのままキャット・ウォークで女声合唱を振る。こうすれば二人とも楽ちん楽ちんという感じで、僕達は手を取り合って喜んだ。こういう悪知恵はすぐ働く。
 しかしここは杓子定規のドイツの劇場。事はそう簡単にはいかなかった。勝手に仕事を交換してやってたら、誰かが言いつけて僕達は事務局に呼び出された。もうほとんど職員室に呼び出されたって雰囲気だ。
 「畜生!誰だ、チクッたのは?って、ゆーか、別にいいじゃん・・・・。」
 しかしドイツ人は、あくまでそれぞれの部署を守ろうとするし、守らせようとするんだな。移動が大変でも自分のテリトリーの中で仕事しなさい、と事務局は言う。それに僕が合唱以外の仕事をしたら、その為の手当を払わなければならないとも言っている。
 「三澤さんにも、岡本さんにも特別手当を二重に払わなければならないでしょう。」
 「でも、岡本君が僕の仕事をしている時は、僕は自分の仕事を放棄しているわけだから、差し引きゼロでいいじゃないですか。」
 「自分の仕事を放棄するのはいけませんね。職務怠慢です。」
 「・・・・。」
 「それに、岡本さんがもしあなたの仕事をやり損なった場合、それは一体誰の責任になるのかしらね。」
結局、二人がそれぞれお互いの責任を負う事で納得させたけど、いやはや、たかがこれくらいの事で大変な思いをしたよ。それよりも、そんな思いまでしても階段の上り下りをどうしても避けようとした僕達の友情(なまけもの連合)も半端なものではありません。
 というわけで、そんな岡本君と日本でまた一緒に仕事が出来るのはとても嬉しい。これで新国立劇場も、音楽ヘッドコーチと合唱指揮者をそれぞれ備えた正しい歌劇場としての体裁が整いました。でも僕達は、今後決してなまけもの連合を結ぶことなく、まじめに働く事を誓います!
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