僕の尊敬する人

 僕が尊敬する人達の中にリヒャルト・トリムボルン氏とノルベルト・バラッチ氏の二人がいる。トリムボルン氏は長い間ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場でStudienleiter(日本風に言えば音楽ヘッドコーチ)をしていてサヴァリッシュの片腕として活躍した人だ。
 彼は二期会や新国立劇場などでドイツ・オペラをやる時によく呼ばれて来日し、歌手達に自分でピアノを弾きながら練習をつけていた。非常に教養のある人で、ヨーロッパ文化の歴史、特に宗教史にとても詳しく、ストーリーの背後に潜む様々な意味を僕たち相手に解き明かしてくれた。
 たとえば、「ローエングリン」をやった時はこんな事を教えてくれた。キリスト教はローマ帝国のおかげでヨーロッパにもたらされたが、北ヨーロッパにはかなり遅れてから伝わった。特に今のオランダのあたりはフリースランドと呼ばれ、迷信、妖術、占いなどのさかんな邪教の地とされ、最後までキリスト教を受け入れなかったことで有名である。ローエングリンの敵役となるオルトルートはこの地の出身である。これによって「ローエングリン」という劇は宗教の相克のドラマとしての性格を持つのである。ただし、この相克はどちらが正しくてどちらが間違っているというものではない。オルトルートはエルザへの復讐を誓う時、ヴォータンやフライアなどの北方神話の神々に祈るわけだが、ワーグナーは後にこの北方神話を題材に「ニーベルングの指環」を作るのだ。
 「ローエングリン」でも「タンホイザー」でも、表向きはキリスト教的な清らかな世界が勝利するが、こうしたトリムボルン氏の話を聞くと、ワーグナーの世界の持つ思想的な奥深さが感じられる。彼のような人が、ヨーロッパでは劇場の中心にいてみんなを仕切っているのだ。
 トリムボルン氏はドイツ人であるから勿論ドイツ語の発音には相当うるさいが、それよりもドイツ語的表現を懇切丁寧に教えてくれた。日本人が発音は良くできてもなんとなくドイツ語的でない時は、表現方法がドイツ語的でないのだ。それに歌手のブレスにも熟知していて、フレーズの作り方、ブレスをとる位置、ドラマに応じた息の吸い方など、本当に全て適切で、僕などはただただ口を開けて見ているしかなかった。
 彼は時々歌手に教えながら、
 「これはサヴァリッシュは多分知らないことだと思うけど・・・。」
と少し得意になって言う。それは音楽ヘッドコーチに分かってて、指揮者が知らないことだってあるんだ、という意味にもとれたし、マンツーマンで歌手と向かい合って指導する時には、こんな細かいことまで気を配らないといけないよ、と僕たちに忠告しているようにも聞こえた。
 彼はいつも発想がポジティブで、どんな気難しい歌手を相手にしても根気よく接し、良いところを最大限に伸ばしてあげようと努力する。その姿に僕は胸を打たれる。
 僕は、指揮者として表舞台で大勢の聴衆から喝采を受けたいという気持ちも勿論あるけど、一方でトリムボルン氏のような「縁の下の力持ち」の人生にも惹かれる。オペラ劇場は、実はこういう人達によって支えられているんだ。

 一方、バイロイトに28年間君臨した名合唱指揮者ノルベルト・バラッチは、僕にとっては神様みたいな人だ。僕がどうバラッチと接していたかと言うことについては、「バイロイト日記」にいろいろ書いてあるが、初めてバイロイトに行った1999年の前と後とで、もし僕の合唱指導の仕方が変わっていたなら、それはひとえにバラッチの影響だと思う。
 彼は本当に妥協しない人で、まず「こうしたいんだ!」というイメージをはっきり示し、そしてなんとしてでも団員をそこに向かわせる。三小節を二十分くらいかけて何度も何度も繰り返し、挙げ句の果てに「ここだけに、こんだけかかっているじゃねえか!何やってるんだお前ら!」とくる。合唱団員達みんな彼をとても怖がっていたけど、同時に尊敬もしていた。指揮者や演出家ともしょっちゅうぶつかっていた。あのヴォルフガング・ワーグナー氏でさえ、「やれやれバラッチにかかっちゃしょうがねえな。」と言うくらいだから、彼は本当に強い。
 僕がバラッチから教わったのは、本当に一流になりたいんだったら戦う人であれ!ということだ。出来の悪いのを相手のせいにして逃げる者は卑怯者だ。良いものを作るために出来る限りのことをすること。常に真摯な態度で相手に向かい合うこと。出来上がりに対しては全て自分で責任を持つこと。僕は今でもそれを毎日肝に銘じて仕事に向かっている。

 「出逢いは、いつも不思議な奇跡のようなもの」とは、僕のミュージカルのセリフだが、この二人は現在の僕が形成されるためにはなくてはならぬ人だった。全く性格的に正反対な二人だけれど両方とも僕にないものを持ち、僕が歩んで行かなくてはならない道のはるか先を歩いている。彼らと出会えたことを、僕は神様に感謝している。そして彼らに少しでも近づきたいと日々努力しているのだ。

 さて、今日は9月11日。三年前のあの日から、なにか世界の歯車が噛み合わなくなってしまったようだ。世の中は一体どこに向かっていくのだろうか?平和はどこに?世界の片隅で愛を失った子供達が叫んでいるのが、今日も僕の耳に聞こえてくる。 
 みんなが、みんながしあわせになれなければ、僕の心も晴れない。こっちの神様を信じている人と、あっちの神様を信じている人とが殺し合いをしているとしたら、それはどっちの人の信仰も間違っているよ。キリスト教を信じている人だって、その上にあぐらをかいていてはいけない!平和を作り出せない人はキリスト教徒ではないよ。命がけで愛を守り、平和を守る人のみがキリスト者と呼ばれるのだ。いや、キリスト者などと呼ばなくてもいい。もう古いんだ。そんな世界観は。人類という種族がこのままでは自然淘汰されてしまう。そうした瀬戸際に我々がいることに、もうそろそろみんな気づかなくてはいけない!!
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