秋の日に

 朝、愛犬タンタンを連れて散歩に出ると、一歩一歩秋が深まっていくのを肌で感じる。日本の秋はいいなあ!しだいに葉が落ちて、たわわになった赤い実だけがむき出しになっていく柿の木の風情。黄色に輝くように紅葉していく銀杏の木は、真っ青に晴れ渡った天に向かって垂直にそびえる。野や街の色彩が様々に変化していく様を見ていると、季節の移り変わりは、それ自体が、それを味わう感性を持っている人達に与えられた神様の最高の恵みなのだと思える。
 今年は例年に比べて暖かいので、先日やっと石油ストーブを天井のロフトから出した。居間で使うものは大好きなアラジンだが、僕が今パソコンで原稿を書いているこの部屋のストーブは、なんと僕が大学一年生の時から使っているものだ。毎年家内に「今年限りだからね。」と言われる。娘達は「なんとなく石油の匂いがして頭が痛くなりそう。」と昔から敬遠していた。でも、とりあえず壊れないし(芯は一度取り替えた)、なんとなく愛着があるので処分出来ない。石油の匂いだって僕にとっては冬が来たって感じで悪くないしね。

 日本ワーグナー協会が年に一度出している「ワーグナー・フォーラム」という研究発表誌から投稿を依頼されている。締め切りは来年一月末。まだまだ時間があるように思えるけれど、いろいろ仕事をこなしながらなので、そろそろ準備を始めなければと資料集めに取りかかった。
 テーマは「ワーグナーの響き」。僕は声楽の方に焦点を絞って書く。最初は軽く考えていた。合唱を含めてワーグナーの声楽部分がどんな響きを持ち、それが初期から後期にかけてどのように移り変わっていくかについて述べたり、あるいは実際にワーグナーの合唱の響きをどのように作っていくかについて述べたりすれば事足りると考えていた。僕がバイロイトで経験した様々なことを思い出しさえすれば、何も資料を紐解かなくても楽に書けるとも考えていた。
 しかしリブレットを取り出して、「さまよえるオランダ人」から最後の作品「パルジファル」まで、音楽とは無関係に台本を声に出して読んでみると、あることに気がついた。
 リングを境にワーグナーのテキストの書き方が一変する。一般的に言われているのは脚韻に対して頭韻を用いるという事くらいだが、事はそんな簡単ではない。ある点に留意しさえすれば、そのことでワーグナーの声楽的書法や響きの変遷の秘密がするするっと解けるように思う。その「ある点」とは・・・・うふふ、秘密。というか、僕もこれからいろいろ調べなければ、今の時点でうっかりなことは言えません。
 来年夏に出る「ワーグナー・フォーラム」2005年号を楽しみにして下さいね。でも、もしかすると、さんざん試行錯誤したあげく、原稿としてはボツになる可能性もあるな。その時は、このホームページに論文コーナーでも設けて掲載しよう。

 とうとう恐れていたことになってしまった。「ダ・ヴィンチ・コード」を読み始めてしまったのだ。なんだそんな事か、と皆さんは思うでしょうが、僕とするといろいろ仕事をしながらだからね。数日間他のことをほっぽり出して趣味に夢中になるのは危険きわまりないのだ。案の定、読み始めたら他のことを忘れそうになるほど面白い。

ルーヴル美術館の高名な館長、七十六歳のジャック・ソニエールが、グランド・ギャラリーのアーチ形通路をもつれる足で進んでいた。

 この書き出しにふと違和感を覚える。通常「ジャック・ソニエールが」ではなくて「ジャック・ソニエールは」ではないか?でも、その後を読み進む内に「が」でいいのだと納得出来た。文法的にはほとんど同じ。原書を読んでいないので分からないが、多分英語にはそのニュアンスの違いはないのではないか。
 訳者が「が」を使ったのには二つの理由がある。ひとつは、僕が感じたような違和感を読者に与えること。もうひとつは、それによって尋常でない切迫感を表現すること。
 これが映画だったらこうだ。乱れた足音が聞こえる。暗闇に光がちらつく。「はあ、はあ!」という息の音が聞こえる。そんな緊張感が「が」というひとことで表現出来るのだ。
 この訳者、なかなかの人です。訳というのは原語に精通しているのと同じくらい、いやそれ以上に日本語の文学的要素が必要なのだ。

 訳といえば、こんなことがあった。先日僕は、高校時代からの大親友であるスキーヤー角皆優人君がドイツ語の原書を訳すのを手伝った。彼はプロ・スキーヤーのくせに昔から文才に長けていて、いろんなところに投稿している。僕とは音楽のみならず文学でもつながっていて、青春を共有した仲だ。僕達は、ベートーヴェンを生き、ヘルマン・ヘッセを共に生きていた。http://pws.prserv.net/Freestyler (角皆優人君のホームページ)
 先日は、僕がとりあえず直訳を送って、彼がこなれた日本語にし、出版社に送った。僕は、自分の訳を、直訳とはいうものの結構このままでもいけるんじゃないか、と思いながら送ったのだけれど、彼が清書してきたものを見て驚いた。
 彼はかなり意訳していた。僕がひとつひとつこだわっていた前置詞などをバッサリ切り捨てていたが、出来上がったものは文章の持つ内面をすっきりと的確に伝えていた。僕の文章など彼の足下にも及ばなかった。
「畜生!嫉妬を覚えるほどいいよ。」
と僕は彼にメールで書いた。まあ、彼は僕ほどドイツ語が分からないから「盲目蛇に怖じず」という面もあるな、と僕は自分を慰めている。

 「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台は嬉しいことにパリ。先日志保とお散歩したチュイルリー庭園のあたりで主人公達が司法警察と追いかけっこしている。小説の中の地理関係が手に取るように分かる。こうなったら早く読んでしまって、また元の生活に戻らなければ・・・・。

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