あなたがたに奥義を告げよう!

明日からどうやって・・・・
 2005年5月1日なんて、最初は果てしない未来に感じられた。でもいつしかだんだん近づいてきて、ついに「その時」がやってくる。そして去っていく。
 バトンを振り下ろす自分。低弦とホルン、オルガンが鳴り始める瞬間。合唱がSelig sindと歌い出す瞬間。それから無心に振り続ける自分。果てしなく長く続くようでいながら、同時にまるで電車の窓から景色がどんどん移り変わっていくのを見ているような凝縮された時間の流れ。そして最後の管楽器の和音を切る自分。中空に止まる腕。わずかな沈黙。そして拍手の嵐・・・・。

 打ち上げが終わって帰りの車の中、
「明日からどうやって生きていこうかな・・・。」
と言ったら、運転している妻が笑った。
「いつもそう言うわね。」
昔からこうだ。文化祭でもなんでも大きな行事をやる時は、気持ちを入れ込んで全てそれに捧げて、そして終わると気が抜けてふぬけになってしまう。何年生きていても、何回本番をやっても変わらない。

すでに「降りていた」!
 昨日は不思議だった。いつもは、演奏している最中にスッと何かが降りてくるのだが、今回は僕が舞台に出ていくともう会場中を包み込むようにある暖かさが支配していた。僕に降りるというよりも会場全体に「降りていた」。
 それはきっとこういうことなのだと思った。会場の一番良いところには、僕が指導に行っているいくつかの合唱団の人達が数百人いる。彼等は、僕が普段何を大切にして音楽に向かっているかを知っている。そういう人達が、演奏の始まる前からすでに精神的な下地を作っておいてくれたのではないか。
 サポーターという言葉があるが、今回は彼等が本当に「霊的に」サポートしてくれたのだと思う。

演奏の内容
 第一楽章。Selig sindとコーラスが出た瞬間、「よし!」と思った。静かだけれど小さすぎず、暖かくなつかしく透明な響き。望んでいた通りの出だしだ。これでほとんど決まったようなものだ。その後のア・カペラも修道院の中のような響き。ディミヌエンドの仕方とテノールの繋留音の残り方も決まった。

 第二楽章はいつもよりちょっとゆったりめのテンポで出た。合唱の出だしで、言葉を立てるように指示した僕がすごい顔していたので、きっとP席にいたお客さんは笑ったろうな。
「しかし、主の言葉はとこしえに残る」で、合唱団員の顔が全員パッと明るくなった。嬉しかった。

 第三楽章。河野さんが世の無常を不安な表情を伴って歌い出すと、合唱団がそれに続く。お客さんが入って適当に響きが吸われたお陰で言葉がはっきり立っている。いいぞ!その調子。
 「私の望みはあなたにあります」の表情の変化が素晴らしかったので、次のフーガのテンポ設定に微妙に影響した。すなわち、ちょっと落ち着いたテンポでフーガに突入した。
 このフーガはオーケストラが合唱と別なことをやっていて、しかもオーケストレーションが厚い。最も難しいバランスの箇所だ。ゲネプロでは少しオルガンが大きかった。でも僕は、ここのD音のオルゲルプンクト(保持低音)は、サントリーホール全体を、音というよりも超低音の持つ振動で包み込むように響かせたかったので、オルガニストの新山さんに頼んで、ペダルはそのままで手鍵盤の方を抑えてもらった。
 新山さんは、新国立劇場のオペラ公演でオルガンを使う時によく来てくれる優秀なオルガニストだ。僕はオルガンの音色にはうるさいのでいつもいろいろ注文を出すが、嫌な顔ひとつせず答えてくれる。今回も僕の事を先読みしていろいろ音色に工夫を凝らしてくれた。と言っても、オルガン・コンサートではないので、一般の人にはそれほど分からないと思うが、僕には分かった。
 本番では、合唱とオケのバランスも良し、オルガンも出過ぎずに、それでいて聴衆は超低音を体感出来たのではないかと思っている。

 第四楽章はきれいに決まった。曲想に応じてかなりテンポを動かしたけれど、合唱団員が僕の音楽を完全に消化していてくれたから自然な流れで演奏出来た。

 そして第五楽章。釜洞さんに頼んで本当に良かった。今日本にこれ以上上手にこの曲を歌える人っていないんじゃないかな。やさしくて慈愛に満ちていて理想的だった。ありがとう、釜洞さん!
 合唱団もきれいだったよ。trösten(慰める)という言葉が効果的に響いていた。特に「母がその子を慰めるように」のピアニッシモが美しく決まった時は「ヤッター!」と思った。木管楽器を早く切って合唱の響きだけを残すやり方はわざとらしいと言えなくもないけど、美しかったからブラームスもきっと許してくれるでしょう。

 何と言っても楽しかったのは第六楽章。冒頭、河野さんのまるで預言者のような歌唱は圧巻だった。
「ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ」の3拍子に入ると、たちまち天から僕に降りてきたよ啓示が・・・。どう降りて来たかというと、
「行け〜!イッちゃえ〜!」
って感じ!あははははは。
 で、急に火がついた。いつもよりちょっと速く突っ込んで、あとは皆さんの知る通り。コーラスもノリノリ!さらにアッチェレランドをかけて、「主よ、あなたこそふさわしい」に突入。この瞬間が大好きなんだ。まさに究極のカタルシス!アルトのみなさーん!素晴らしかったよ。もう、愛してるよー!

 みんながあんまり素晴らしかったので、僕のベストのゴムの掛け金も思わずはずれちゃいました。僕も気がついたんだけど、「まあ、いいやっ!」て感じで、気にせずに最後までその状態で振った。でも後で聞いてみたら、合唱団員の中には、僕のズボンが落ちてくるんではないかと心配した人までいたらしい。まさかね。
 仮に曲の激しさで僕の服が次々と破壊され飛び散って、結果的にパンツ一丁になってしまっても、僕は平気で振り続けたと思うけど、それでも皆さん、心配掛けてごめんなさい。

 第六楽章が激しかったので、第七楽章は少しゆったりと始めた。でも合唱が出てくる直前にちょっと心配になった。
「みんなブレス続くかな?」
ところがそんな心配は無用だった。息の長い練習はしていたから、とうとうと流れる大河のような雰囲気をよくぞ掴んでくれました。もう東響コーラス大好き!

 そして第一楽章の主題が戻ってくる。長い旅の後、再び故郷へ回帰する感動的な瞬間。そこに響くsterben(死ぬ)という響き。そうなのだ。究極的な故郷とは「死」、あるいは彼岸の世界。最初のようにやさしさと暖かさに包まれながら、曲は余韻を残して静かに終わった。
 終わる直前、ふと、
「あ、終わっちゃう・・・。」
と思った。その瞬間、会場から音が消えた。

 最初の拍手がなり始めるまでの沈黙の中で、僕は、
「自分が死ぬ時もきっとこんなかな?」
と思っていた。あるいは、こんなだったらいいなという気持ちかも知れない。
 死が微笑んでいたように感じられた。その瞬間、拍手で僕は我に返った。僕に「降りていた」ものはフッと僕から離れた。僕は普通の僕に戻った。

MDRよさようなら
 こうして「三澤洋史のドイツ・レクィエム」の演奏会は終わった。MDRプロジェクトの使命も終わった。
 演奏会には、群馬、あるいは名古屋や関西までも含めた沢山の人達が遠方にもかかわらず駆けつけてくれた。本当に感謝の気持ちで一杯です。それからこの演奏会を支えてくれた全ての方達、本当にありがとうございました。
 そんなわけで、MDRとしてのこの原稿もこれが最後ですが、このページ自体はなくなりません。
僕はあなたがたに奥義を告げよう。
このページは装いを変えてラッパの響きと共に再びよみがえるのだ。そして決して朽ちることはないのである。 
 それまで少し待ってください。なお掲示板の書き込みは自由です。それでは、皆さん!ごきげんよう。さようなら。

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