すがすがしい死

 人の亡くなるのを見送るのは悲しい。新町歌劇団の団長だった福田惇さんが癌で亡くなった。僕のミュージカル「ナディーヌ」群馬公演を見に来てくれた人は、あの芝居達者な「お花屋さん」と言えば、思い出さない人はいないだろう。
 福田さんは、新町駅の近くにアサヒ薬局を営んでいながら、町会議員としても活躍していた。議員さんには珍しく、裏表なくとても心のきれいな人で、僕の作品の中にある「愛」「夢」「やさしさ」などの精神を誰よりもよく理解してくれていた。
 実は、昨年の「ナディーヌ」公演の時は、すでに癌がかなり進行していた。彼はそれでも、他の場所を歌ったり踊ったりするのは無理だけど、「お花屋さん」だけならと言って、練習に通い、本番でも素晴らしく演じた。彼の芝居は本当に玄人のようで、しかも彼ならではの独特の味わいがあるので、共演したメイン・キャストの人たちは、東京に帰ってきても折あるごとに彼の真似をしていたくらいだ。

 そんな彼でも病魔には勝てなかった。容体がおもわしくないという知らせを受けて、二週間ほど前にお見舞いに行った時は、もう癌の末期症状であることが誰の目にも明らかだった。脳にも転移していて、意識がある時とない時があるというので心配したが、僕が行った時はしっかりしていて、きちんとお話が出来たのは何より幸運だった。

 「歌劇団のおかげでいい人生を送れました。もう思い残すことはありません。」
薬剤師でもある彼は、自分の病気の進行をよく知っていた。普通の人だったらここで、
「何を言っているんですか。また直って一緒にやりましょうよ。」
と言うところだが、そんな気休めやごまかしは彼には通用しないし、彼も信仰を持っているので、僕はこう言った。
「人生になにも無駄な事はありませんよ。福田さんの苦しみも神様はずっと見ていて受け止めて下さっていますよ。僕たちみんな神様の国から生まれ出て、神様の国へ帰っていくのです。何も心配することはありませんよ。」
一般的に考えると、なんちゅうこと言うねん、というところだが、
「ありがとうございます。本当にその通りです。そう信じられます。」
と福田さんはじっと僕の目を見つめながら晴れやかな顔で言った。
 それから、
「先生、いつも練習で怒られてばかりで、迷惑かけました。僕はねえ、リズム感がないんだよ。だからなかなかついていけない・・・・。」
とくやしそうな顔をする。横から奥様が、
「元気のいい時には、大きな声で歌っているんですよ。そんな時は練習中のつもりになっているんです。それで、こんな状態じゃ三澤先生に聞かせられねえ、なんて真剣に言っています。もう歌劇団と先生のことばかり言っています。」
と涙をこらえながらおっしゃった。

「福田さん、次の『おにころ』にもし福田さんが出られなかったら、作蔵という役名は他の人には使わせませんよ。作蔵は世界でたったひとり福田さんのためにとっておきます。」
僕がこう言ったら、後で事務局長の佐藤さんが、
「先生、あのひとことで救われました。本当にありがとうございました。」
と言ってくれた。「おにころ」では、佐藤さんは福田さんと一緒に伝平、作蔵のデコボコ・コンビで毎回客席を沸かしていたのだ。
 それにしても、まだ意識のある福田さんを目の前にしながら、この人がもうすぐこの世からいなくなってしまうという事実を、僕はどうしても受け入れることが出来なかった。それどころか、受け入れなければならないのかと思っただけで、辛くて涙が溢れてきた。

 それから10日くらいして福田さんは亡くなった。受け入れるも受け入れないもなかった。事実になってしまったのだから。不思議と涙は出なかった。
 今、この原稿を群馬から東京に向かう高崎線の中で書いている。新しいEPSONのノート・パソコンENDEAVORによるモバイル・ライフの醍醐味を最初に味わうのがこの原稿とは、なんとも皮肉なことだ。
 6月3日(金)の夜に通夜、4日(土)の12時から葬儀。そのどちらにも出席できない僕は、今日3日、新国立劇場の昼の練習をキャンセルして、弔問に行ってきたのである。
 福田さんの死に顔は安らかだった。顔や頭の至る所に腫瘍の最後のあがきの跡が見えたが、彼の表情の平和だけは、決して奪うことは出来なかった。イエス・キリストと同じで、肉体は死によって敗北したかに見えるが、今こそ魂はすべての苦悩から解放され、勝利を得たのだ。

 人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。しかし死にゆく者にもさらに希望があるならば、人生に怖いものはなにもなくなる。耐え難き苦しみに耐える時、そしてそれが治癒に向かうのではなく、その先にただ死のみが待っている時、それでもポジティブな気持ちを失わないで生きるためには、死の向こう側にあるもうひとつの生を信じる信仰が必要だ。福田さんのすがすがしい死に触れて、僕はもっともっと強い信仰を持ちたいと思った。

 

パルンボの素晴らしい「蝶々夫人」
 そうして群馬から新国立劇場に戻った僕は、3日金曜日の夜、「蝶々夫人」の指揮者レナート・パルンボを迎えた。「蝶々夫人」はもうすでに立ち稽古が始まっているが、パルンボだけ来日が遅れていた。それでこの晩は、彼の音楽稽古が組まれたのである。
 今回は本公演をパルンボの指揮でやった後、引き続き「高校生の為のオペラ鑑賞教室」を僕が指揮することになっている。
 僕は指揮者として勿論自分のイズムを追求して構わないのだが、オケは一緒だし、本公演の合間にAB組とも一日ずつのオケ付き舞台稽古のみで僕の本番に突入するので、あまりパルンボと大きな差をつけるのは得策ではない。だからパルンボの音楽的方向や振り数を伺った上で、自分の戦略を立てようと思っていたのだ。
ところが彼のテンポは冒頭からびっくりするほど速い。
「う、困ったな。」
と思った。自分の音楽とどう折り合いをつけていけばいいか悩んでしまう。
 パルンボのテンポ設定は全体的に速いし、場所によってはかなり極端に揺らすが、彼の音楽は、それはそれでつじつまが合っている。加えて、彼の表情付けや主人公達のキャラクター設定は、かなり的を得たもので、同業者としても、
「うーん!」
とうなるほど素晴らしいものであった。
 しかし感心している場合ではない。ある意味ライバルなんだから、なんとかしないといけない。テンポにしても表現にしても中途半端に取り入れようものなら、バランスが崩れ、変なものに仕上がってしまうのだ。そうするとますます、
「パルンボは良かったが三澤の音楽は変だ。」
となってしまう。
音楽稽古が終わった瞬間、歌手達から、
「ブラヴォー!」
という声が挙がった。こうした、よいものを即座に評価し、態度に表していく芸術家の世界って好きだな。こんな時、僕にはあまり闘争心がないから、自分の立場を忘れて素直に喜んでしまう。パルンボ凄いぞ!

 ピンカートンは、当時のヨーロッパから見たアメリカの姿だ。自信にあふれ、独善的で軽薄に描かれている。
「世界中どこに行っても、ヤンキーは危険をものともせずに、享楽し、取引をする。」
とピンカートンはうそぶく。
 そうした彼の言動を横から批判的に見、様々な忠告をする領事シャープレスはヨーロッパの本音だ。ヨーロッパはずっとアメリカをこんな風に見てきた。
 また、愚かなほど素朴で、人を簡単に信じる一途な蝶々さんは勿論日本を表している。このドラマはこのようにアメリカと日本の関係、それを見つめるヨーロッパといった三つの世界を表している。こう読み解くと「蝶々夫人」は意味深だ。なんとなく現代でも通用するテーマではないか。
 プッチーニがこのオペラを作曲した当時、開国して間もない日本から沢山のものが西洋に紹介された。ゴッホやモネは浮世絵を集め、その手法を自分の作品に投影していったし、「ミカド」「イリス」など日本を題材としたオペラもすでに生まれていた。つまりヨーロッパにはちょっとした日本ブームが生まれていたのだ。
 ものだけではなく、日本人的な考え方や行動の美学も西洋に紹介された。「ハラキリ」や恥の美学などだ。「蝶々夫人」では蝶々さんの父親に続いて蝶々さん自身も名誉を守るために自害する。
 オペラの前半では随所にアジア蔑視、日本蔑視ともとれる場面が見られるが、蝶々さんの死に至るまで自分の信念を曲げない生き方に、当時のヨーロッパ人は胸を打たれたに違いない。
 「蝶々夫人」は、「泣けるオペラNO1」と言われるけれど、ただかわいそうなだけではない。現代の日本人が失ってしまった毅然とした日本人の生き方がそこにある。
 まあ、見方を変えると、今でもよくいるけど、ただ外人だからといってつまらない男にひっかかって馬鹿を見る愚かな女と言えなくもない。でもそう言ってしまったら元も子もないので、僕たちは単純に物語にのめり込み、みんなで素直に泣きましょう。
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