僕とテレビ

 僕は普段あまりテレビを見ない。というより忙しくて見る暇がないと言った方がいいだろう。でも全く見ないわけではない。夜、練習から帰ってきて、ビールを飲みながら食事をする時、早ければ「報道ステーション」、遅い時は「筑紫哲也NEWS23」を見る。大きな事件が起こった時は両方見る時もあるが、たいていは食事が終わって番組がスポーツの話題に変わる頃、テレビを消す。それからパソコンをつけてメールをチェックしたり、原稿を書いたり、残っている仕事をするのである。
 たまに早く帰っても「報道ステーション」が見れない時がある。妻がドラマを見ている時だ。別の部屋で食事をとる理由もないので一緒に見る。最近では毎週木曜日に「恋におちたら」という番組を見ているので、仕方なく見始めたが、これが結構面白い。

恋におちたら
 草g剛の扮する鈴木島男はIT産業のフロンティア社に入社する。そこにはお金こそ全てと思い、上り詰める事だけを考える高柳社長(堤真一)がいた。島男は高柳の生き方に疑問を抱きつつも、全力をつくして働く。
 島男の“ひととのつながりをとことん大切にする”仕事の仕方は、業績こそ全てという厳しい業界の中で、不思議とまわりに受け入れられていく。島男は出世する。しかしそれにつれて島男も変わっていく。そしてある時、ある策略に知らずに乗ってしまい、島男は高柳をフロンティア社から追い出して、自ら社長になってしまう。
 周囲は、人を人とも思わなくなってしまった島男にとまどいを感じるが、所詮島男も策略のカモに過ぎなかった。彼も、かつての高柳のように社長の座を追われてしまう。
 島男は生き甲斐を失い廃人のようになってしまったが、ある時高柳と会う。高柳も島男に追い出され希望を失っていた。高柳は島男に言う。
「お金よりも大切なものが、今ではあると思う。」
二人は恩讐を越え、二人で新しい会社を興そうと手を結ぶ。

 草g剛が本当に良い演技をしている。癒し系の役を何作も手がけてきた彼だが、冷たい性格を描くときの彼は本当に憎たらしい。いつも全身でぶつかっている草g君には、とても好感を覚える。
 それと、
「高柳を助けてあげて。」
と島男に頼みにくる和久井映見は、僕の好きな女優だ。美人というのじゃないんだけれど、一途な瞳が光っていてシビれるなあ。
 ところでこのドラマ、「恋におちたら」というタイトルは全然ふさわしくないんじゃないか。松下奈緒の扮する香織との間に淡い恋心はあるが、話題の中心はIT業界とその中で翻弄されていく人々の姿であったり、人生で何が大切か、といったハードなテーマだ。

 フロンティア社は、六本木ヒルズの中にある。この番組では、六本木ヒルズの写し方が素晴らしい。堂々とそびえ立つその姿は、時には大都会にひときわ輝く遠景として、時には下から威圧感を持って描き出されている。現代社会のシンボルというわけだ。
 それに加えて、ドラマの中で、「会社とは、社員が大切なのか?それとも株主なのか?」などという会話がかわされているのを聞いていると、思わず微笑んでしまう。最近話題になった「ホリエモン事件」を皮肉っているのかと思えてしまうのは、おそらく僕だけではないだろう。だってフジテレビだもん。そういう意味でも今最もトレンディーな番組。あ、そうか!こういうのをトレンディー番組と言うんだ!
 「恋におちたら」は今度の木曜日が最終回だって。残念。暇な人は見てね。夜10時からフジテレビです。別に僕はフジテレビの回し者でもなんでもありません。

ファイト
 朝食の時は仕方なくNHK朝の連続ドラマ「ファイト」を見ている。仕方なくというのは、台本があまりにも稚拙でストーリー展開がつまらないから。
 どうして主人公のお父さんが新聞に、「取引先の会社が、自分の工場のバネを使っていると偽って、実は他の会社のバネを使っていた。」ということを訴えただけで、それまで繁盛していたバネ工場に、突然“ひとつも”注文が来なくなるんだよう?誰か教えて!
 それに、工場が閉鎖に追い込まれて、一家が高崎と四万温泉とで別れて暮らさなければならなくなった時に、あれほど、
「これでも工場を売らないの?あなたのプライドにあたしたち振り回されているってわけ?」
と怒っていた奥さんが、今度は、ご主人が工場を売って再び家族四人で暮らそうと決心したら、
「あなたのプライドはなんだったの?」
ってどうして怒るわけ?それに対して、
「おめー、言ってること矛盾してるじゃん。」
って、どーしてご主人怒らない?誰かおせーて、おせーて!

 でも舞台が群馬で、高崎や先日行った四万温泉も出てくるし、主題曲が友人の高関健ちゃんの指揮する群馬交響楽団だったり、主人公の本仮屋ユイカの笑顔がメチャメチャ可愛いし、なんと言ってもサイゴー・ジョンコという馬が、馬面のタンタンに似ていて可愛いから、ちょうど朝食時の慰みに見ているんだ。
 これを見終わって8時半のニュースを5分間だけ見て、タンタンのお散歩に出かけるというわけ。僕は、前の晩どんなに遅くとも、よほど体の具合が悪いとき以外は8時に起きるんだ。早寝早起きのよい子です。それで、お散歩に行ってくると、頭も体もすっかり目覚めてきて、午前中の自宅での勉強はとてもはかどるのです。
 夜中に勉強する人もいるけど、僕は夜は駄目だな。酔っぱらってしまうし、思考が遅くなっているので、細かいことは決して夜はやらないって決めているんだ。

テレビの将来
 ホリエモンは、いずれテレビ文化というものがIT産業に吸収されて衰退していくと言っていたけれど、僕は必ずしもそうは思わない。忙しい中で、「あの番組がどうしても見たい。」と思う人にとっては、DVDレコーダーに採ってCMを飛ばして見るという使い方が成り立つだろうけれど、そんな人ばかりではない。むしろ大部分の人は、テレビに対しもっとだらしないつきあい方をしているのではないか。
 ホリエモンの勘違いは、みんながパソコンと関わるように積極的にテレビとも関わっている、あるいは将来的に関わっていくようになると思いこんでいるところにあるんじゃないかな。僕の家ではしていないけれど、たとえば一日中なんとなくテレビをつけていて、見るような見ないような、聞いているような聞いていないような関わり方をしている人は少なくない。そんな人達にとっては、たまたま目に入ってきたCMに影響されてその製品を買うことだってある。だからテレビ番組のスポンサーになる会社だってまだまだなくならないと思う。
 パソコンに向かう時の自分は、常に意識的かつアクティブだけれど、だからといって、インターネットやメールを通して飛び込んでくる宣伝の方が、テレビのCMより効果があるとも思えない。パリにいる娘は、日本の情報をホームページを通して得ることも多いらしいが、僕は少なくともニュースをホームページを通して知る必要性はまだ感じない。

 こうしたメディアのあり方を語る時、必ず話題に上るのが、情報のフィルターである。フィルターにかけられることで情報は操作される。テレビが一体何を基準にどういう権利でこうした選択をするのか、と怒りたくなる時もないではない。大きな事件や事故が起きると、みんなどの放送局も示し合わせたように、同じ論調で同じ人達を同じように攻撃する。こうしたことが目に余ることは確かにある。
 しかし、インターネットをやっていると、逆にあまりにいいかげんな情報が氾濫していてうんざりする。しかも本当に権威のある正しい情報と、ただの思いこみや押しつけ情報が隣り合わせになっている。玉石混淆の情報の洪水の中から、自力で真実の情報を選び出す労力とその間の時間の浪費は果てしない。そんなことしている間に疲れてしまい、最初の意欲すら失せてしまう。そういう意味では、まだテレビの方が速く真実に到達できる気がする。

自由
 僕はたぶん、将来どんなにインターネットやディスプレイが発達しても、読みたい本は本屋でぶらぶらしながら手にとって探すだろうし、好きな小説は紙の本で読む。他の人はどうであれ、僕のそうしたい自由は奪われたくないと思う。
 どんなにi-Podのような音楽機器が発達し、音楽ファイルがダウンロード出来ても、CDをお店で買うという状態はなくならないだろうし、さらに、本当は生の演奏会に勝るものはないと信じている。みんなにだって、生活の中で生の演奏に触れることを求めて欲しいと強く思っている。たとえそれがPAをふんだんに使ったロック・コンサートであっても、生は生だ。
 パソコンに向かう僕が、妻に付き合わされて何かを見させられる事は決してないが、見るつもりもないトレンディ・ドラマを、なんとなくビールを飲みながら見てしまう自由も(それを自由と言えるかどうかは別として)僕は享受し続けたい。つまんねえなあと思いながら、惰性ともなんともつかない状態で朝ドラを見るのも、テレビならではの関わり方だ。
 いろんなものといろんな関わり方があっていい。そのどれもなくなって欲しくない。テレビって確かに変な媒体だけれど、永久にあって欲しいな。

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