新国立劇場の手前味噌

 

泣ける大村さん
 「蝶々夫人」の本公演と平行して高校生の為の鑑賞教室の練習が進んでいる。本公演の方は大村博美さんの蝶々夫人が大人気だ。美人で可憐で一途で切なくて、今これ以上の蝶々夫人は日本では望めないのではないかとまで思わせる。声だけで言えば、もっと強い声の人はいるだろうが、やっぱりオペラは総合芸術だからね。

練習ピアニスト達
 自分が指揮者として練習台に立っていると、新国立劇場の音楽スタッフのレベルの高さを再認識する。ほぼ常駐に近い二人のピアニスト、大藤玲子さんと小埜寺美樹さんの二人は、我が国最高のオペラ・ピアニストと言い切っても差し支えない。テクニックがあって音楽的に弾くだけじゃない。僕の棒から様々なニュアンスを汲み取って、オケになったらこんな風になるんじゃないかな、とシュミレーションして出してくれる。ピアノからは不思議と「オケの音」が出ているんだ。
 こうしたことが出来るようになるまでには長い経験が必要だ。指揮者もそうだけれど、オペラは才能だけでは駄目なんだ。あまりにいろいろなことに配慮しなければならないので熟成のための長い年月が要求されるのだ。

 ヨーロッパでは、指揮者とピアニストとの境界線が曖昧で、指揮者はピアノを弾きながら歌手達の音取りから付き合い、稽古場でもピアノを弾く。ノヴォラツスキー芸術監督就任に先立って、彼が要求したのはまさにそうしたコレペティトールを3人常駐させようということだった。音楽ヘッド・コーチの岡本和之君や副指揮者の城谷正博君などはそうしたことが出来るし、僕も昨年度はコレペティトールとしての練習を、自分でピアノを弾きながら歌手達に施した。一方、大藤さんや小埜寺さんも指揮者なしでコレペティ稽古は出来る。にもかかわらず僕が芸術監督に言ったのは、
「日本では、指揮はしないけれど優秀な稽古ピアニストがいて、そうした人達の伴奏で立ち稽古をすることに慣れているから、立ち稽古用のピアニストは別に考えて欲しい。」
ということだった。
 コレペティ稽古をつけるのと、立ち稽古の伴奏は分けて考えた方がいい。指揮者の立場から見ると、いかに立ち稽古で演技を伴って作り上げた音楽を、そのまま本番まで持って行くかが勝負である。その時に、オーケストラ伴奏への橋渡しが出来るか出来ないかは、ひとえにピアニストにかかっているのだ。

才能の結集
 僕が胸を張って言えることは、現在新国立劇場は、文句なしに我が国最高の才能が結集している場であるということだ。劇場の体制は、まさに世界のどこに出しても恥ずかしくないレベルを誇っている。今だったらバイロイト祝祭劇場にさえも負けないと思う。

音楽ヘッド・コーチ岡本君
 音楽ヘッド・コーチ岡本君は、この一年間の内に素晴らしい成果を挙げた。劇場内で起こる全ての音楽的問題は、岡本君の手の内にある。彼は練習計画を立て、ピアニストを配分し、練習の足りてない歌手は呼び出して、自分で稽古をつける。立ち稽古に立ち会って流れをつぶさに見て、必要に応じて次のアンサンブル稽古を設定する。
 練習をつけてくれと何度も言ってくるけど、もうとっくに出来ている心配性で神経質な歌手。そうかと思うと、まわり中みんな心配しているのに、本人だけ覚えていないのにケロッとしている呑気な歌手。いろんな人がいる。その人達を束ねて、ときにはなだめ、時には強要して従わせる。僕も一年間だけやったけど、音楽ヘッド・コーチは本当に大変な仕事だ。でも音楽ヘッド・コーチこそ劇場の顔なんだ。これがノヴォラツスキー芸術監督の時代まで、新国立劇場にはいなかったんだからね。つまりは責任の所在のない劇場だったわけだ。つつがなく公演が行われていたのが不思議なくらいだ。

城谷君
 読譜力、耳の良さ、音楽的才能では副指揮者城谷君は若手ナンバー・ワンだろう。ピアノも上手だし、なんでもよく出来る。僕なんかよりずっと。あまりよく出来るので嫉妬する気も起きやしない。彼はドイツものではプロンプターもやるんだ。歌手達にアインザッツも全部出しながらね。

矢澤君
 一方、フット・ワークが素晴らしいのは矢澤定明君だ。彼は元トランペット奏者で、昔いろいろ仕事を頼んでいたのだが、途中で指揮に転向した。オペラがやりたいというので、何度かレッスンもしてあげたので、つまりは僕の弟子というところなんだが、この先生、忙しくて定期的なレッスンなんてとても出来ないので放っておいたら、あきれて自分で勉強して立派になった。だから矢澤君は僕の「なんちゃって弟子」。
 元々オケマンだったから、舞台裏のオケ、つまりバンダ関係は彼に任せておけば間違いなし。トーキョー・リングの時は、N響のホルン奏者M氏が、ジークフリートのホルンを舞台袖から吹くのに神経質になっていて、怖くて誰も近づけなかった。そんな時は矢澤君しかいない。本番前のオケマンの心理を読み取り、舞台上のジークフリートの演技に合わせてアインザッツを出す。ジークフリートが突然吹き出すこともあれば、フェイントをくれて吹く真似だけすることもある。横で見ていてもハラハラさせられっぱなしだが、矢澤君はM氏のご機嫌を損ねないように配慮しながらも完璧にこなしたね。その業績は今でも語りぐさになっている。

佐藤正浩君
 一時は音楽ヘッド・コーチの候補にもなったのだが、日本で完全に縛られるのを好まず、フリーで参加してもらっているパリ在住の佐藤正浩君も優秀な指揮者だ。ジュリアード音楽院の伴奏科を出ている彼はピアノも素晴らしくうまく、よくリサイタルの伴奏などもしている。人柄温厚。みんなに慕われている。

栄光の合唱団
 そしてさらに強調しておきたいのは合唱団だ。新国立劇場合唱団については、毎年あるオーディションの是非が問われてもいるが、間違いなく言えることは、毎年新シーズンが始まる毎に、明らかにレベルアップしたのが聴衆にも感じられるということだ。そして手前味噌まくりだが、オペラ合唱団としては真のエリート集団となりつつある。
 我々の職業が、人の出来ないことをする、いわゆる「夢を売る」職業だとするならば、妥協をしないで最高の人達によって最高のものを作り出すのが、血税を使っている我々の使命であると思う。
 とにかく新国立劇場合唱団は歌って素晴らしいだけではないんだよ。よく立ち稽古の最初の頃、練習を見ている偉い人達が、
「あんな風に演出家に後ろ向いたり不自然な動きをさせられて、合唱指揮者としてはいいの?」
と僕に聞いてきたりするが、僕は、
「様子を見ましょう。」
と言うのみだ。

 僕の主義は、とにかくまず演出家の意向を100%汲んで、やりたいことをやらせてみる。実際合唱団員達は本当になんでも厭わずにやる。踊りながら歌うと思えば、走って退場しながら歌う。でも最終的にはどんな風になってもピタッと合わせて歌わせられる自信が僕にはある。そう合唱団に仕込んでもあるし、副指揮者達にも協力してもらっている。そこで大抵演出家は驚く。こんな集団は見たことがない、と驚嘆の声をあげる。演出がおかしければ、合唱団員が一生懸命やればやるほど自ずと変な感じは舞台に現れてくるものだ。そこで僕は演出家にやんわりと言う。
「あまり美しくないですね。変えましょうよ。」
それで納得。
 僕は自分でミュージカルも作るし演出もするから、何はやらせるべきで何が不自然かというのが手に取るように分かるんだ。最初から否定してしまったら、新たな発見の芽も摘まれてしまう。合唱団員もよくいろんな局面で文句は言うが、その何が正当な要求で、どこからは我が儘の範疇に入るのかというのを見極めて、時にはYES、時にはNOと言うのを判断するのも僕の仕事だ。オペラは音楽だけでなく全てが連動しているから、総合的に判断しなければね。
 とにかく新国立劇場合唱団は世界のどこに出しても恥ずかしくない集団です。

てつ・ともコンビ
 また、音楽スタッフではないんだけど、演出部の田尾下哲君と菅尾君の「てつ・とも」コンビの素晴らしさにも触れたい。最近パパになったばかりの若い田尾下君については以前の旧MDRでも触れたが、それに菅尾君というやはり若いアシスタントが加わって、ここでも最強のコンビが組まれている。両者とも語学堪能で、威圧的ではないんだけど、やることは完璧にこなしている。さりげなく凄いんだ。

荒木さん
 最後にライブラリアンの荒木さんの活躍についてひとこと触れたい。髪を茶髪に染め、めちゃめちゃスタイリストの荒木さんに隠れた女性ファンも多い。でも彼はいつもひとりで黙々と仕事をする。切り貼りまくりの「ホフマン物語」や「ジークフリートの冒険」の楽譜制作を初めとして、目立たないながらも本当にプロフェッショナルな仕事をしている荒木さんを、僕はとても尊敬している。

今日はスタッフ納会
 うー、今日は自慢しまくり、手前味噌まくりの「今日この頃」だけど、僕は誇張ではなく事実を淡々と述べているだけです。ノヴォラツスキー芸術監督の時代になって2シーズンが終わろうとする今、僕は劇場の内部がここまで充実して来たことを本当に誇りに思っている。
 実は今日7月3日(日)の「蝶々夫人」公演後は、劇場スタッフのシーズン納会なのだ。今日紹介したみんなが来て、まだ厳密にはシーズンは終わってはいないけれど、お疲れ会をするのです。それに先駆けて僕なりにみんなの功績を評価したってわけです。今晩みんなに、
「ホーム・ページにみんなの事書いたから見てね。」
と言うんだ。すると、またこのホーム・ページのビジターが増えるという訳です。
 って、ゆーか、そんな原稿書いている暇があったら、これらの素晴らしいスタッフに囲まれていながら、恥ずかしくないように鑑賞教室の「蝶々夫人」が指揮できるように勉強しなさい、という声もちらほら聞こえるので、もうやめにしてスコアを見ます。内緒だけど、まだ薄いところがあるんだ。勉強、勉強!

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