夏は小野リサ

 夏だ!夏だ!夏がやってきた!「蝶々夫人」鑑賞教室の6回の公演が終わり、くにたち市民芸術小ホールの「僕はただ僕の愛について語りたい」が終わった今、僕には初めて夏が来た気がする。
 といっても、週末にはひとつ演奏会があり、来週の週末は「ジークフリートの冒険」がある。一週間別荘に行ってのんびりと、なんていう生活は望みべくもないけれど、それでも最も多忙な日々は過ぎ去った。
 僕の夏は小野リサと共にやってきた。夏に向けてRomance Latino というCDが発売されたが(東芝EMI  TOCT-25701)これがゴキゲンなんだ。いつものスマートなボサノバとは違って、コンガなんかが入ったどちらかと言えば古くさくて野暮ったいラテン音楽。でもこれが臭くていいんだ。
 小野リサは、一体どこからこうした感覚を手に入れたんだろう?日本人にありがちな、上手だけど無味無臭というのとは全然違って、“土着の”という言葉がぴったりな微妙なテンポの揺れ、声のかすれ。彼女の声は、まるでビオラのようにふくよかで心に染み入ってくる。今の開放感溢れる僕には、お気楽なラテンがぴったりだ。

 

オケ・ピットから
 オペラを指揮していると、まず無事故で公演を終わることはあり得ない。オペラとはそういうものである。舞台上で演技をしながら歌っている歌手は、なにかの具合で微妙にテンポがずれたり、タイミングが早かったり遅れたりする。アリアになると、指揮者の権限なんか何処へやら。歌手はその日の声の調子によって高音が伸びたり伸びなかったり。あるいは伸びると思って歌い始めたが突然やっぱりやめた、なんてしょっちゅう。我が儘と言ってしまえばそれまでだが、それもオペラの楽しみの内のひとつだからね。つまりそんな風に絶えず小さいアクシデントが起こっている。
 そんな時、指揮者は決して動揺してはいけない。そしてその瞬間に、歌手に合わせるべきか、そのままいくべきか判断しなければならない。若い時は、なんでも歌手に合わせようとして、よくオケを崩壊させてしまったものだ。でも最近は、たとえ歌手がずれても、オケがきちんとした音楽を演奏し続けるならば、また歌手もそこに戻ることが出来ると分かるようになった。
 指揮者のことをフランス語では、Chef d'orchestre (オーケストラのシェフ)と言うけれど、オペラの指揮者とは、ピットに入ったら、基本はオーケストラできちんとドラマのある良い音楽を作り、そこに歌手を乗せてあげるものなのである。しかし、そう悟るまでには年期が要るね。
 完成度の高い音楽が期待できるコンサートの指揮と違って、オペラを指揮するということは、まるでゲームをする感覚に似ている。
「おっとっとっと、そうきたか。ではこう攻めるぞ!」
アクシデントは起こるものと決めて、むしろそれをエンジョイし、どう即座に対処していくか、柔軟な感性と勇気と包容力がないとオペラ指揮者は務まらない。
 
 僕は6日間毎日「蝶々夫人」を指揮してみて、オペラって本当に面白いと思った。こんなエキサイティングな感覚は、オペラを指揮する以外にはなかなか味わえない。6日間の間に、だんだん東フィルも僕の音楽に自然になじんできて、僕の演奏中の汗の量も日に日に少なくなった。
 僕の音楽がオケや舞台に反映され、それが定着していく一方で、歌手のコンディション、オケの楽員のコンディション、いろんな要因が重なって、仕上がった 音楽は毎日全く違うものになる。それはどちらが良いとか悪いとかいうのとは全然違う次元での話しである。その一回こっきりのかけがえのない偶然性が本当に楽しい。
 
 僕はパルンボに比べて基本的に弦楽器を強調したので、オケの音像は弦を主体に管楽器が混じり合っていくドイツ的なものになっていたと思う。それが僕の好むサウンドだからだ。それとテンポについては、恣意的に何かを強調したりはせず、音楽、あるいはドラマの流れに沿って自然に演奏していった。ただキャストのキャラクターについてはいくつかこだわりがあった。
 その中で特筆すべきは、高橋淳扮するゴローと松本進扮するヤマドリとのやりとりだ。僕の設定では、大金持ちで何度も奥さんを取り替えているヤマドリは、蝶々さんに惚れているというよりも、慈善的な気持ちで上から蝶々さんを見ている。そこにつけ込んでヤマドリからガッポリ儲けようとゴローがいろいろ画策するのだが、ヤマドリは蝶々さんからきっぱり断られ、帰って行く時に腹いせにゴローを扇子でひっぱたく。この二人の芝居は、単なる受けねらいではない。ここで、ゴローの挫折感を出しておくと、その後で、
「蝶々さんの息子は誰の子か分からない。」
と近所に言いふらしているゴローの不可解な行動にモチベーションが与えられるのである。
 淳君と松本さんはそれを見事に演じてくれた。こうした脇役の演技がいかに大事か、気づき始めるとオペラの鑑賞に深みが生まれてくるのである。

 毎日日課のように「蝶々夫人」を全曲指揮して汗をかいたお陰でちょっと痩せたみたいだ。
「お疲れでしょう?」
とみんなに聞かれたが、どうしてどうして、とても健康的な毎日だった。これから逆に体がなまらないように、癖がついているうちにプールにでも通おうかなと思っている。

国立演奏会と三澤家の今日この頃
 群馬の本番が終わった後、
「やっぱりオペラは暗譜しよう。」
と誰ともなく言い始めた。なんとなくでも相手に演技をかけ始めると、手に持っている譜面が邪魔になってくるのである。いくつかの点でヴァージョン・アップを図って、くにたち市民芸術小ホールでの演奏会が終わった。

 演奏会は、家内工業の雰囲気を醸し出していた。僕は語りをし、指揮をすると、長女の志保は伴奏をした。「愛の歌」では二人で連弾をした。
 「愛の歌」の合わせ稽古の時、志保が言った。
「パパ、あたしのメロディーにちょっと彩りをそえるために、ここ少しだけペダル踏んでよ。」
「え?パパのとこスタッカートなのによ。分かったちょっとだけ踏んでやるよ。」
ペダルは低音部を弾いている僕が操作していたのだ。その会話を聞いていた他のソリスト達は、
「いいわねえ、親子でそんな会話出来るなんて。」
と冷やかし半分に言った。

 次女杏奈は、今回はお姉ちゃんの譜めくり。家内はスライドと字幕をプロジェクターで操作していた。でもこうした三澤家全員集合の時は、これから少なくなるだろう。
 杏奈は南仏で開かれる講習会に出るため28日にもうパリに戻る。秋には受験が控えているので今必死な時。志保も8月に入るといろいろあるので帰って行く。今年の夏は、彼女たちは一ヶ月も日本にはいない。国立宅は今や単なる寄港地という感じだ。でもこれも時の流れ。みんな勉強出来る時にしなくてはね。

 志保のピアノは、大きな音は出ないので豪快さはないけれど、繊細で魅力的な音色になってきた。ここにきてどうやら自分の語法を掴んできたようだ。杏奈のクラリネットは、まだまだ未知数。それでもわずか3ヶ月の渡仏の間にかなり音が前に出るようになった。
 僕は彼女たちの練習するのを聞いていても、もうあまり何も言わない。訪ねられたら感想は言うが、強要はしない。音楽は自分で感じ、自分で悩むもの。誰も助けてくれない。だからこそ世界中でたったひとつしかない自分だけのかけがえのない音楽が奏でられるのだからね。

 それにしても、こんな厳しくて孤独な“音楽”という道を、なんだってみんな選んでしまったんだろうね。でも、音楽という共通のものでもなければ、こんなおじさんと二十歳そこそこの娘との間には、世代の断絶のみが存在するだけで、会話の糸口さえ見つからないだろう。それを思うと、
「パパ、鼻毛が飛び出ているよ。」
と笑われても、まだ会話が成立しているだけしあわせかもしれないな。

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