8月23日(火)

 札幌のホテルでインターネットにつなげなくて困ったので、家に帰ってからBIGLOBEのホームページでアクセスポイントの番号を確認した。ホテルや会社のゼロ発信電話の設定で、「00で始まる番号がつなげられない」場合に備えて、別の番号が提示してあった。
 旅行に出掛ける前に確認しておけばよかったと後悔した。でも、この番号で群馬の実家などから問題なくつなげていたので疑いもしなかった。
 パソコンやインターネットって、一度歯車がずれると、どこまでも噛み合わない。そのアクセスポイントの番号を知りさえすれば、なんなくインターネットにつなげたんだが、それを知るためには、どうしてもインターネットにつながなければならないんだ。あははは、なんだそりゃ!
 留守中に大事なメールもいくつか入っていたので、急いで返事を出した。
「札幌のホテルでインターネットにつなげなくて返事が遅れました。申し訳ありませんでした。」
と書いたら、2,3件の返信メールで、
「ホームページを拝見しました。本番で忙しかったのですね。」
というお返事をいただいた。みんな見ていてくれるんだね。ありがとう!

 先週言い忘れたが、今回の演奏会のメイン・プログラムだった、三枝成章氏の「天涯」という曲はいい曲だ。ソニー株式会社の創業者の一人であり、名誉会長だった故、盛田昭夫氏のご遺族からの委嘱で書かれたこの曲は、もうひとつのサエグサ・レクィエムだ。
 しかし、この曲の副題は「自由人の祈り」。現代人が宗派にとらわれずにいかに“命”というものに向き合い、“祈り”というものに向き合うのか、この曲はひとつの道を指し示している。

  ぼくは祈っていたんだよ。
  死んだ人があの世で退屈しないように。
  なぜ、地球が丸いか知っている?
  別れた人同士がまた何処かで出会えるように、
  神様が地球を丸くしたからだよ。
 島田雅彦氏のこの詩が終曲で何度も繰り返される。メロディーはちょっとポップス調で口当たりが良い。いいおじさん達が歌うにはちょっと恥ずかしい感じ。でもこれが果てしなく繰り返されると、一種の麻薬のような効果を産み、しだいにジーンと心に染み入り、最後にはウルウルさせる。そして突然中断。ハミングとボーイソプラノでもう一度ゆっくり「神様が地球を丸くしたからだよ。」の歌詞が歌われると、一気にコーダ。
 僕の頭の中では、丸一日経った今でも、まだこのメロディーが鳴り響いている。

8月25日(木)
 今日の合唱の立ち稽古はなくなって、ソリスト中心の稽古になった。僕にとっては降って湧いた突然の休日。よく考えてみたら、完全なOFFというのは実に何ヶ月ぶりだ。とにかく忙しかったものな。
 一日ボケーっと過ごそうかとも思ったが、それももったいないので、昨晩、インターネットで映画の検索をした。最近は本当に便利な世の中になったもので、映画の予告編がインターネット経由のストリーミングで見れるのだ。

 見たい映画は三つほどあった。「ヒットラー最期の20日間」、「奥様は魔女」、それに「マザー・テレサ」だった。「奥様は魔女」は、僕の好きなメグ・ライアンとトム・ハンクスとが共演した二つの素敵なラブ・ストーリー「めぐり逢えたら」と「ユー・ガット・メール」を手がけたノーラ・エフロン監督によるもので、予告編を見ただけで、かなりイケてる出来に仕上がっているのが分かった。僕ってラブ・ストーリー大好き人間なので、重要な映画は、必ずチェックしている。多分これに行くだろうと内心決めていた。
 しかし僕は、恥ずかしいことに、その直後に「マザー・テレサ」の予告編を見ただけで泣いてしまった。それで全てが決まった。一瞬にして「マザー・テレサ」を見ることが僕の貴重な休日の“運命”であり“使命”となった。僕は雨風の吹きすさぶ台風の最中、日比谷シャンテに向かった。

 マザー・テレサの足跡をたどるなら、ドキュメント番組を見ればいいかもしれない。でも、この映画には、ドキュメントでは表現できないものが表現されている。マザー・テレサを演じたオリビア・ハッセーは、変な言い方だが、本物のマザー・テレサよりも、映像の中にマザー・テレサの真実を映し出すことに成功したのである。
 オリビア・ハッセーって凄いな。「ロミオとジュリエット」でジュリエットを演じ、「ナザレのイエス」で聖母マリアを演じ、そしてマザー・テレサを演じたんだ。こんな女優いない。
 オリビア・ハッセーは老いた。あの可憐で純粋なジュリエットから35年以上も経っているから当然だ。でも女優というのは自らの老いをも武器とする。彼女の老いが、マザー・テレサを描くには不可欠であったのだ。マザーの、あのちょっと猫背でせかせか歩くたたずまいを、彼女は驚くほど的確につかんで表現している。マザーの一途な瞳や、うむを言わせない気迫や、強いオーラまでがこちらにグイグイ伝わってくる。こんな凄い女優が、何で布施明なんかと結婚したのかな? ま、それは置いといて・・・・・。

 僕は泣き虫だから、最初にマザー・テレサが瀕死の人間に出逢い、
「私は乾く。」
という言葉を聞いた場面で、もう涙が溢れてきてしまった。この言葉によってマザー・テレサは自分の使命を悟っていく足がかりをつかむわけだが、この言葉こそ、十字架上でイエスが死ぬ間際に言った有名なセリフなのだ。

 マザー・テレサが言う。
「わたしは、神の持つペンに過ぎない。字を書くのは神なのです。」
マザー・テレサの信仰の強さ、無私無欲の生き方、純粋さ、ひたむきさ。それに触れただけでもう僕は駄目なんだ。最初から最後まで泣きっぱなし。僕は、マザー・テレサの向こうにイエスの視線や息吹を感じるんだ。
 同様にマザー・テレサに惹かれて、彼女を見つめ、支援していったエクセム神父やセラーノ神父の生き方の中にも、神の大きな御手を感じる。こんな人達のように僕も生きられたら・・・・。

  憎しみのあるところに愛を
  絶望のあるところに希望を
  闇に光りを
  慰められるよりは慰めることを
  愛されるよりは愛することを
 これは、アシジの聖フランシスコの平和の祈りの一節だ。この言葉を映画の最後の方で聞けたのは驚きだった。聖フランシスコは僕の洗礼名。清貧、貞潔、従順を旨とし、イエスに最も近い生き方をしたと言われる聖人。僕がこの世で最も尊敬し、傾倒している人間だ。
 聖フランシスコは、鳥と会話し、魚に説教し、
「兄弟なる太陽、姉妹なる月よ!」
と大自然に呼びかけ、晩年にはイエスが十字架で得た傷を自分も得たいと神に祈り、ついにその聖痕を身に帯びることを許されたと言われる。その聖フランシスコを、この映画でマザー・テレサとつなげてくれた配慮が僕にはたまらなく嬉しかった。

 浜松バッハ研究会の演奏会で“怒りのマタイ”を表現しようと思っていた僕は、映画を見ながら、自分に大きく欠けているものがあったことに気づいた。それは、イエスの愛をもっともっと自分の身に感じることだった。
 イエスは常に、娼婦、ハンセン病の人などの、いわゆる“見棄てられた者”、“虐げられた者”達と共にいた。それらの人々の生き方や罪を責めるわけでもなく、改宗を迫るわけでもなかった。ただありのままにそれらの人々を受け入れ、その痛みを分かち合っていた。
 イエスとはそんな人だったのだ。だから聖フランシスコもマザー・テレサも、そんなイエスを見つめ、そんなイエスに習った生き方をしているのである。最も低い者と共にあること。これがイエスの原点だ。これを忘れてはいけないんだ。

 「マタイ受難曲」の演奏会では、“怒り”の向こう側にイエスの愛の素晴らしさを伝えなければいけないんだ。どんなに自分一人で頑張ったって、どんなにクォリティの高い演奏会をやったって、どんなに批評家に絶賛されるような立派な演奏会をやったって、そんなもの無価値だ、無意味だ!僕はもういちど顔を洗って出直すことにするよ。

 僕はいつも思っている。いっそなにもかも捨てて、本当に厳しい生き方をしている人達の住むところに出掛けていって、自分に出来ることをしたい・・・・と。本気で思っているんだ。そして、それが出来ない自分を、心のどこかでいつも責めているのだ。
 でも今回は、なんとなく嬉しい。何故かというと、これだけ僕を感動させ、これだけ大切なものを気づかせてくれたものが、映画という芸術であることに気づいたから。
 勿論映画は映画でしかなくて、マザー・テレサそのものの生涯には遠く及ばないかも知れない。オリビア・ハッセーの演じるマザー・テレサは虚構であるとも言える。でも芸術だって捨てたものではない。そして芸術という分野に携わっている僕も、こんな映画を見ると、自分の生き方に少し誇りが持てるのである。

僕の生き方
 清貧、貞潔、従順。この三つはいつも僕の心の中にある。ところが実際の僕は、清貧とはほど遠い生活をしている。芸術家はハングリーでは生きられない部分があるから。でもせめて贅沢はあまりしないようには務めているんだ。僕が金に糸目をつけないグルメでなく、ブランド志向でなくむしろコスト・パフォーマンスを優先し、他の芸術家達より地味な生活を好むとしたら、こうした理由だ。
 上昇志向もあまりない。認められたら確かに嬉しい。でも人を押しのけて出世するなんて僕の性に合わない。イエスがその対極にいたから、僕も彼を見つめてこれまで生きてきた。僕のやっていることは、人に認めてもらえなくても、神様に分かってもらえればそれでいいのだ。
 音楽家としての僕は、たとえ聴衆が一人しかいなくても、自分の持てる力を100%出して心から演奏する。何故なら、僕の音楽は、人に向かっていると同時に、神に向かっているから。

Cafe MDR HOME  

当ホ−ムペ−ジに掲載された記事、写真、 イラスト等の無断転載を禁じます。
Copyright© HIROFUMI MISAWA  2005 All rights reserved.