さりげなく忙しく

 今週は、さりげなく忙しく、さりとて何をしたかと聞かれると、これといって答えようがない中途半端な週だった。でも、こんな週こそ大切なのだ。

チェンバロ
 まず、映画「マザー・テレサ」を見て元気が出た僕は、浜松「マタイ受難曲」の勉強を始めた。福音史家のレシタティーヴォだけでなく、いくつかのアリアもチェンバロで弾こうと思っているので、その練習から始めた。いや、正確に言うと、練習と言うより「音決め」と言った方がいい。
 バッハのスコアには、通奏低音の一員である鍵盤奏者の右手の音譜は書かれていない。チェロやコントラバス用の低音の譜面の上に数字が書いてあって、鍵盤楽器奏者は、その数字を見ながら右手は即興演奏をする。それはちょうどポピュラー音楽のピアニストがコード・ネームを見ながらアドリブで演奏するのと同じである。とは言え、本当に行き当たりばったりだと、一回しかない本番で変な風になっても嫌なので、秘かに作戦を練るのだ。 僕は数字でもいいのだけれど、コード・ネームの方が慣れているので、僕のスコアにはよくコード・ネームが書いてある。バッハだけではない。ワーグナーでもブラームスでもコード・ネームの方が便利だ。

 いろいろ弾きながら、
「こんなことやってみようかな。」
と思って試行錯誤する。和音だけではつまらないので、メロディーも弾いてみる。
「お、この低音の上に結構いいメロディーが出来た!」
しかし気がついてみると、そこでは歌もきれいなメロディーを歌っている。
「ちぇっ!いっそのこと歌なんてなければいいのに。」

 プレイヤーの陥りやすい点として、どうしても自分の立場からものを見がちになる。その為に指揮者という存在が必要なのだ。だから指揮者がチェンバロを弾くことによって、大局的に物事を見ることを失ってしまったら、本末転倒である。
 あれもこれもチェンバロで弾きたいのだけれど、やっぱり指揮者として、自分が指揮をした方がいい曲についてはオルガンに任せなければならない。オルガニストの花井さんからは、
「どっちでもいいけど、どの曲をやるかは早く決めてね。」
と言われている。もうタイム・リミットだ。

 合唱のコラールを伴ったテノールのアリアも、チェンバロで弾きたい。でも、それでは合唱のアインザッツがうまく出せない。第二部の合唱付きのアルトのアリアもチェンバロで弾きたい。一度、自分の手で音楽を紡ぎたいと思うと、その欲望はとどめを知らない。
「指揮者って自分で音を出さなくて楽な商売ね。」
と言われるけれど、自分で音が出せないことがどんなにもどかしいか、分かってくれる人は少ないなあ。音楽家としてはね、一音一音自分で音を紡ぎ出す快感に勝るものはないのだよ。
 でもプレイヤーが一音一音の音にこだわるからこそ、逆に指揮者は「怒りのマタイ」というようなコンセプトを提示することが必要なんだ。プレイヤーに見えていることを見るだけでなく、プレイヤーの見えないものを見るからこそ指揮者とは存在価値がある。そう考えてくると、こんな大編成の大曲を弾きながら指揮するなんて、もしかして大それた事?なんてやっと気付き始めた。

 

回文の天才!峰茂樹
 今週は「マイスター・ジンガー」の練習に明け暮れた。曲が長くて待ち時間が多いので、バス歌手の峰茂樹さんは、練習の合間に楽屋前の廊下で回文を作ってはホワイトボードに書き付けている。回文とは上から読んでも下から読んでも同じ文章。峰さんの作る回文の素晴らしいところは、その中に物語がある点だ。その中から傑作をいくつか。

  軽い機敏な子猫何匹いるか?(かるいきびんなこねこなんびきいるか)
鶏と小鳥とワニ(にわとりとことりとわに)
父さん小鳥とコンサート(とーさんことりとこんさーと)
ロダン(っ)てさっきの喫茶店だろ?(ろだんてさっきのきっさてんだろ)
今、荷が着いたが、タイツが二枚(いまにがついたがたいつがにまい)
いつ気がついたか、タイツがきつい(いつきがついたかたいつがきつい)
昼飯の楽しめる日(ひるめしのたのしめるひ)
品川に今住む住まい、庭がなし(しながわにいますむすまいにわがなし)
けだるいまま、ママいるだけ(けだるいままままいるだけ)
指圧待つ足(しあつまつあし)

新合唱団始動
 新合唱団立ち上げに向かって第一歩が踏み出された。旧東京バッハ・アンサンブルのオーディションが一般公募より先だって行われ始めたのだ。
「あ、ずるい。アン・フェアー!」
という声が聞こえてきそうだが、これを行って合格した人の中から初年度の幹事を決めないことには一般公募も出来ないのだ。
 立ち上げ演奏会の曲目は、バッハのロ短調ミサ曲。一年以上前なのでまだ会場も決めていないが、来年11月に予定している。新合唱団の正式名称は「東京バロック・スコラーズ」だ。
 オーディション会場をとることから始まり、音楽雑誌などにオーディションの告知をしたり、演奏会の会場取りや準備、予算のやりくりなど、まずは旧東京バッハ・アンサンブルの人を中心に行ってもらうが、幹事は新合唱団がしっかりと形を成してきたら、いずれ総会を行って決めようと思っている。
 一般公募のオーディションの曲目は、いずれ公示するが、パレストリーナ作曲「ミサ・ブレヴィス」のキリエとグローリアから、そしてバッハ作曲「モテット第一番」から第一曲目である。これをひとりずつ無伴奏で歌唱してもらう。
 歌う箇所はその時僕が指定し、歌う時間はひとり2分くらい。最初の音は勿論取るし、途中でも和音を薄く弾いてあげるが、誰でも受かるわけではないことは言っておきたい。

 かつて、東京バロック・スコーリアという合唱団を、自分で納得がいかないという理由で解散させた僕は、その後東京でバッハを演奏することに対して必要以上に慎重になっていたのかも知れない。その上、名古屋、浜松でバッハの合唱団を持って主要作品を何度となく演奏した末、いよいよ東京で立ち上げるとなれば、やはり中途半端なものは作りたくないのである。
 それでもチャレンジして見たい人、大歓迎です!今から課題曲練習しておいてね。いいかい、あの難しいコロラトゥーラをひとりづつ無伴奏で歌うんだよ。

おにころワークショップ
 10月3日(月)夜から、くにたち市民芸術小ホールでは、いよいよ「ミュージカルおにころ・ワークショップ」が始まる。それに合わせて譜面作成ソフトFINALEで、「おにころ」の楽譜を新しく作り直している。
 いろいろやりながらだからなかなか進まなくて、このままいくと、全曲きれいに仕上がって本にして初日にみんなに配ってというのはどう考えても無理そうだ。まあ、出来た分からコピーして始めるだろうな。

 僕の初めてのミュージカル「おにころ」を僕が作ったのは1989年から1990年にかけて。初演は1991年。当時はパソコンで譜面を書くなんて考えもしていなかった。でも作曲家の甲斐正人さんなんかは、その頃もうFINALEとMACで譜面作ってプレイバックしてたから、早い人はやっていたんだ。
 僕は甲斐さんに影響されて、当時最も新しいシンセサイザーを買って、「おにころ」で使ってみた。YAMAHAのDX7よりも一回りも二回りも上品な音がするROLANDのD-50を使用して得られた響きは、当時とすると本当に驚くような新しいサウンドだった。
 今聴いてみてもね、決して古くはないんだよ。それに自分で言うのもなんだが、この作品は「ナディーヌ」と同じように心を打つ。
 今回この作品は初めて新町歌劇団以外の団体によって上演されるんだ。新町は新町で、もう振り付けの稽古に入っていて、来年5月に上演を予定している。その時には新町は多野郡ではなくなって高崎市になっている。つまり合併するんだ。だから僕も「おにころ」をリニューアルし、新町だけに閉じこめておかないで、普遍性を持たせ、より長い存続の可能性を探ろうと思っているのである。
 でも国立の人達に言っておくけど、「おにころ」の本家は永久に新町歌劇団だからね。そのわけは・・・・作品を知れば分かります。この作品は新町が舞台となった作品で、この中に僕の郷土愛の全てが織り込まれているから。
 先日、芸小ホールから連絡があって、まだワークショップの申込者は少ないそうなので、みなさんどんどん申し込んでください。なお、主催が一年単位で動く行政なので、現在の所オフィシャルには何も言えないのですが、ワークショップは今年度だけで終わりではなくて、来年度も続き、さらに来年のどこかで本格的公演を行う予定なのですからね。内緒だけど、そのつもりでいてくださいね。

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