素晴らしきかな、級友

何事もなかったように
 浜松バッハ研究会の「マタイ受難曲」演奏会の次の日は、再び「マイスタージンガー」公演だった。東京に戻ってきてみると全てが何事もなかったかのように進んでいる。前の日に堂々とイエスを歌ってくれた長谷川顕さんも、すずしい顔でマイスターの一人、オルテル役で出ている。

長谷川さん
 長谷川さんて不思議な人なんだ。二期会合唱団にいた当時、長谷川さんは、あんな素晴らしい声を持っているくせに引っ込み思案で、僕が「イドメネオ」なんかでソリストに選ぼうとすると、
「いや、自分はあまりそういうの向いてないから。」
といって辞退するんだ。
 
 ある時、筑紫哲也さんのNEWS23という番組から、年末なので生放送で第九をやって下さいという依頼が二期会合唱団に来た。指揮は僕がすることになり、ソリストは誰にしようという話になったので、僕はすかさず、
「長谷川顕さんにしたい。」
と言った。長谷川さんの奥さんの光栄さんも合唱団の団員なので、ご主人はソロ、奥さんは合唱でテレビに出ていいじゃない、と思っていたら、
「自分は、家内がテレビに出ているのを炬燵でみかん食べながら見ていたい。」
と言うではないか。な、なんと無欲な!
でもその引っ込み思案のお陰で、年齢が進んでも声が守られているんだなあと思う。

 NEWS23では、スタジオ内の電磁波が作用してか、ON AIR になる度に、僕の髪の毛がまるでゲゲゲの鬼太郎のように3本くらいピンと立ってしまうので、草野満代さんが笑いをこらえていて、CMに入る度にためていた笑いを吐き出していた。それも随分昔の話。

妻も八百徳
 「マタイ受難曲」の演奏会には自治会で来られないと言っていた妻も、結局日曜の朝やることをやってから浜松まで駆けつけた。土曜日に一生懸命働いたので、村八分にはならないで済んだらしい。
 ちょうどゲネプロが終わった頃に浜松駅に着いたので、八百徳に連れて行って“お櫃うなぎ茶漬け”を食べさせた。僕は前の日に初鹿野君達と食べているので二日続けてだ。
 彼女は一口食べるなり、
「うなぎがおいし過ぎて、お茶漬けにするのがもったいない!」
と言ったが、僕が強引に薦めたのでお茶漬けにすると、今度は昆布茶のお陰で臭みの全くないうなぎ茶漬けにかなり感動していた。東京に帰ってからもしばらく言っていた。
 バッハ研究会の合唱団員や楽屋を訪れたお客様達は、みんな妻を見ると、
「自治会は大丈夫なんですか?」
と聞いていた。へえ、このホームページ、みんな見てるんだ!

演奏会後はふぬけ
 僕は、大きい本番が終わった後というのは、いつもふぬけになってしまってドジをやらかす。月曜日、「マイスタージンガー」公演のために初台に来る途中、京王線の網棚に衣裳ケースを置き忘れてしまった。いつもなら衣裳は、公演の間、劇場に起きっぱなしにするのだが、「マタイ受難曲」公演の為に靴とか使うので家に持って帰っていたのだ。

 気がついたのは初台に着いた時。明大前で特急を降りたときに置いてきたらしい。ボーッとしていたんだな。急いで初台駅の駅員に訪ねると、駅員はこう言った。
「特急はもう新宿を発車していますね。途中の駅では停車時間が短いので探せませんなあ。次の終点の高尾山口なら探せます。」
「高尾山口で見つかった場合・・・・。」
「高尾山口まで取りに行ってもらうことになります。明日以降でよければ、着払いの宅急便でお宅に届けるという手もあります。」
「それは困ります。今日の公演終了時にその服を着て出なければならないのです。」
「うーん・・・・・。」

 結局、妻に高尾山口まで取りに行ってもらった。実は、今日は第三幕が始まる頃に、元々彼女は新国立劇場に来ることにはなっていたんだ。「マイスタージンガー」の指揮者シュテファン・アントン・レックがもし公演後調子が良かったら、三人で食事をしに行こうという約束になっていたのである。
 しかし彼女は、府中から新宿までの倍以上の距離を、反対方向の高尾山口に行ってから、再び府中を通り越して新国立劇場に来なければならなかった。予定よりずっと早く家を出て、やっと辿り着いた妻は、僕に会うなり、
「遠かったわよ!」
と言った。でも彼女は、僕が大きい本番の後はボーッとしていてドジぶっこくのを何度も見ているから、怒りはしなかった。こんな時奥さんというのはありがたいものだね。

重要なひとこと
 「お前、覚えてる?お前が卒業試験でベルリン交響楽団でもってチャイコフスキーの交響曲第五番を振った時ね、その前曲で俺はリストのピアノ協奏曲を振ったんだ。」
とヒルトン・ホテルのレストランでシュテファンが真顔で言う。
「あ、そうだったっけ。」
「その時、振り終わった俺に、お前は何か言ったんだ。ね、覚えてる?」
「ううん、全く覚えてない。」
「ええ、覚えてないの?」
「ワリいけど全然覚えてないよ。何言ったんだ僕?」
「なんだよ、覚えてないのかよ。俺はね、お前のその言葉、片時も忘れたときはなかったんだぜ。」
「ゲ、何か変なこと言ったのか?すまんすまん・・・・。」
「そうじゃないよ、もうお前ったら、変な事じゃないんだよ。お前はね、俺の顔をしっかり見てこういったんだ。『シュテファン、僕は断言するけど君は良い指揮者だ。』ってね。あの頃僕はまだベルリン芸大に入って一年目だったし、まだ何も分からないのにお前は授業で春の祭典なんかを暗譜で振っていたろう。俺にとっては夢のような先輩だった。その先輩が自分のことそんな風に言ってくれたんだ。お互い、ライバル意識こそあれ、お世辞を言ったりする義務も何もないのに、お前はそう言ってくれたんだよ。その一言がどんなに自分に勇気を与えてくれたか、お前に分かるかい?」
「・・・・・・。」
「俺はその後一年も経たないう内にトスカニーニ・コンクールで一位になってしまった。それが良かったのか悪かったのか今でもってよく分からない。それで機関銃のようにいろんな仕事が舞い込んできたんだ。本当は自分はまだなんにも分かっていないのに、それらをこなさなくてはならなかった。辛かったんだよ。俺には荷が重すぎた。それで・・・・。」「それで・・・・?」
「俺は病気になった。もう終わりだと思った。2年間くらい全ての活動をストップした。」
「・・・・。」
「そんな時でもね、俺はお前の言葉が支えだった。お前の言葉を俺は片時も忘れたことはなかったんだ。」
「・・・・。」
「それから俺は、35歳にもなってから、アッバードのアシスタントとなった。どこかの劇場の指揮者になるわけでもなく、30代半ばにして一から出直しだった。そうして俺はここにいる。そしてお前と二人で一緒に舞台を作り上げた。俺がどんなに嬉しいか分かるかい?」
「聖地ルルドで偶然出会った時は?」
「あの時は一番苦しい時代だった。父親がパーキンソン氏病で、その治癒も兼ねて来ていた。自分の将来に対する不安もあって聖地を訪ねた。そこでお前に会ったんだ。あれは偶然なんかじゃないね。その時も、俺は即座にお前のあの時の言葉を思い出したんだよ。」

 人の言葉というのは重いんだね。僕の言葉が彼にとってそんなに心の支えになっていたとは知らなかった。僕は覚えてはいなかったけれど、当時他の同僚にそんなこと言った覚えもないから、その時は本当にそう思ったに違いない。彼としても、僕が本気で言ったと感じたからこそ、心に刻み込んでいたのだろう。そうした人への影響力を考えると、いつも真実に感じ、真実に語り、真実に生きていくべきなんだなと、身を引き締めた。

一番の犠牲者は?
 シュテファンはその晩上機嫌で、遅くまで赤ワインをしこたま飲んでいた。僕達夫婦も、前の日「マタイ受難曲」の本番で疲れ切っていたが、昔話に花が咲き、ホテルを出たのが零時過ぎていた。
 一番可哀想だったのは愛犬タンタンだった。前の晩も、浜松の打ち上げに出てから夫婦で深夜に帰宅したし、その晩も家に着いたのが一時過ぎ。二晩ともたった一人(いっぴき)で寂しい夜を過ごしたんだ。
 それから二日間くらい、トイレじゃないところにわざとおしっこしたり、行動が変だった。寂しかったんだね。タンタン!ごめんね。

恩師に電話
 29日の本番の後、新国立劇場からシュテファンと二人で、指揮科クラスのラーベンシュタイン教授とオペラ・コレペティ法及びスコア・リーディングのヴォルフ教授に電話した。新国立劇場では10時過ぎ、ドイツでは午後3時過ぎで、一番外出していそうな時間なのに、二人とも偶然に家にいた。
 
 ヴォルフ教授は当時心臓が悪かったので、生徒達の誰もが、彼はもうあまり長くないと思いこんでいた。だから僕も、今となっては彼はもうとっくに他界していたと思っていた。
「とんでもない!ヴォルフは、あの後心臓の大手術をしてバイパスを作り、前よりいっそう元気になって、つい最近までドイツ国内だけでなくあっちこっち飛び回って指揮していた。それに彼は、俺が指揮するところはどこでも来てくれたんだ。ヴェネツィア歌劇場で指揮をした時だって、わざわざヴェネツィアまで来てくれたんだよ。」

 電話の向こうでヴォルフ氏は本当にびっくりしていた。
「もっと早く分かっていたら日本まで行ったんだが・・・・。」
嘘ばっかり!とも思ったが、シュテファンの話を聞く限り、あながち冗談とも言えなかった。
そのヴォルフ氏と、僕の直接の指揮の先生ラーベンシュタイン氏は、二人とも退官してからもとても仲良しなんだそうだ。

 僕とシュテファンの心は電話をしながら当時の学生に舞い戻っていた。ラーベンシュタイン氏もヴォルフ氏も物凄く喜んでくれた。二人とも、当時と全く同じ声で、全く同じしゃべり方なので、授業の様子が鮮やかに目の前に浮かんできた。若かりしあの頃。お金も将来の保証もなにもないけど、夢と希望に溢れていた僕の青春時代。ああ、なつかしいなあ!

ドイツ・レクィエムCDいよいよ発売間近
 ドイツ・レクィエムのCDは、10月中に出来るかと秘かに思っていたが、納品は11月10日に決まった。コロンビア・レコードから出る。今ジャケットや小冊子の中身の校正中。 ジャケットの写真にこだわったのでCD化が多少遅れた。当初はチラシで使った僕のアップ写真でという話もあったのだが、妻がそれだけはやめてというので(笑)、イエスが「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」という説教を行ったとされるガリラヤの花咲く丘の写真を表紙にした。裏面には「聖地の花」のアップの写真を使うことにした。
 写真提供は関谷神父。彼の写真は、「カトリック生活」などの雑誌の表紙を時々飾っている。コンタクトは教会の人脈に明るい妻が取ってくれた。僕たち夫婦は、四谷のドン・ボスコに訪ねていって、膨大な写真の中からこれはというものを選び出した。

 9月28日に、録音したテープのマスタリングが行われた。いよいよCDが製品化される。マスタリングを終えたデモCDを聴いてみた。最初にラフ・ミックスでもらったのとは比べものにならないほど素晴らしい音。こんなに違うものなんだ!
 みなさん、これは手前味噌ですが、かなり良いCDになります。発売したら是非買ってくださいね。

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