臭いチーズ 

 臭いチーズと赤ワインが、娘を伴ってやって来た。あ、反対か。下の娘の杏奈が、僕の好きなものをおみやげに持ってパリから帰ってきた。
 クラリネットを勉強している彼女は、この春高校を卒業してからパリに渡り、フローラン・エオ(Florent HEAU)という有名な先生についていた。夏に一時帰国したがそそくさと帰っていたのも彼の講習会に出るためだった。
 そして先日、彼が教えているパリ郊外のマルメゾンというところのリュエイル・マルメゾン地方国立音楽院(Conservatoire National de Region de Rueil-Malmaison)の入試に無事合格したので、ビザを取得するために一時帰国したのである。

 昨晩(8日土曜日)は志木第九の会の練習だったけど、僕はチーズをおいしく食べたかったので、志木駅の改札を出た向かいのパン屋でバケットを買い、練習に持って行った。 ところが練習が終わってカバンだけ持って帰ろうとした。
「これ、もしかして先生のじゃないですかあ?」
という団員さんの声に振り向くと、あらやだ、バケットがあるじゃないの!
 ああ、駄目だね。最近アルツ君がだいぶ進行しているね。そのお陰でバケットを買った理由をみんなに説明しなくてはならなくなった。

「赤ワインとチーズですって?で、バケットねえ・・・・いいですねえ。」
と、指導に来ている美人ソプラノ歌手Fさんは即座に瞳をキラリンと輝かした。彼女は、自分の携帯アドレスに「.nom」すなわち「どっと呑む」を使っているくらいその道には思い入れがあるので、瞳の奥では、
「隠したりしないで、あたしにも頂戴よ。」
と語っているような色が見えた。

 「Chomeショーム」というナチュラル・チーズは僕のお気に入り。かなり臭いんだが、これをバケットと一緒に食べてると、
「ああ、生きててよかった!」
と思う。オーバーかな? 
 ショームは、日本でも紀伊国屋なんかの輸入系スーパーでは時々出ている。でも日本で買うととても高い。臭いはどちらかというと「うんち系」。分かってもらえるかどうか分からないけど、ショームとバケットとのコンビは、古漬けでご飯を食べてる感覚。あるいは納豆ご飯と言ってもいい。ショームと赤ワインのコンビは、くさやで焼酎呑んでる感覚なんだ。

 昨晩は、ショームだけではなく、上の娘がフランクフルトのスーパーマーケットで買ってきたというBratwurst焼きソーセージを食べた。以前娘達がパリで酒盛りしていたアレである。もっと落ち着いてから食べようと思ったのだが、見ると賞味期限が迫っている。
 ドイツの賞味期限は、日本と違って恐ろしいのだ。大体賞味期限まで持たないと思った方がいい。ドイツ人は、野菜でも肉類でも、早くかびたり腐ったりすることにはとても鷹揚である。つまり、ものは長く置いておいたら傷むのが自然で、早く傷むということは、それだけ添加物とか混じっていなくて安全だと考える。だから賞味期限より早く傷んでも誰もクレームをつけに行かない。元来彼らはスーパーよりも市で買い物をし、その日か次の日くらいまでに食べるのが原則だからね。さもなければ大量に買い込んで大きな冷蔵庫で冷凍するんだ。その中間はない。
 そんなわけなので、これもひょっとしたらもう腐ってるかも知れないと思って急いで食べた。
「うー、うまい!ドイツの焼きソーセージ!」
 今、丁度僕の家には、西国分寺近くのディスカウントの酒屋で買ってきた、バイロイトから北へ50キロくらい行ったKulmbachという町のビールがあるんだ。EKUというビール。Echte Kulmbach(真のクルムバッハ)の略だそうで、日本では「芳醇物語」というパッケージで売っている。
ドイツの焼きソーセージをEKUを飲みながら食べ、フランスパンにショームのチーズという国籍不明の組み合わせが展開した。もう、なんでもいいや!ウメー!でも体に悪そう・・・・。血糖値上がるな。

 

マイスタージンガーの報道
 ミュンヘンのメルクールという新聞に、新国立劇場の「マイスタージンガー」の事が大々的に出ていた。特にシュテファンの音楽作りと、オケと合唱については絶賛で、
「これと同じレベルを求めたかったら、あとはバイロイトの緑の丘に行くしかない。」
と結んでいた。
 メルクールは、南ドイツ新聞などと共に、同じ時期に「マイスタージンガ」公演をぶつけてきたバイエルン国立歌劇場の招待で日本に来たのに、「二つのマイスタージンガー」というタイトルを掲げたものの、自分の出資元については大いにけなして、新国立劇場の事を誉め讃えたのは痛快だった。
 でもドイツって凄いな。日本の報道だったら絶対、自分達をお金払って招いてくれた団体の事を悪くは書かないだろう。真実を追究するジャーナリズムのあり方について考えさせられた一件でもあった。

エリア・ゼミナール
 今週は、金曜日に志木第九の会のレクチャーがあったので、その準備に追われた。12月にある「エリア」公演の為のエリア・ゼミナールだ。エリアという人物は、旧約聖書の中に出てくる預言者で、一般の人にはなじみが少ないし、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」も、ヘンデルの「メサイア」やモーツァルトの「レクィエム」などのようには有名ではないので、なかなか物語にみんなが入っていきにくい。そのため、一度練習とは違った時間を設けてじっくりとストーリーと音楽の流れを追ったり、このストーリーが現代の我々に語りかける意味について考えてみようと、団と相談してレクチャーすることに決めた。その背景には、ドイツ・レクィエム・ゼミナールに志木第九の会から何人かのメンバーが参加し、自分達もと思った事実がある。

 勿論、レクチャーを聞いたからといって、即座に歌が上手になることを期待してはいけない。しかし、次の日に練習にいって、僕はみんなの歌に明らかな違いが生まれているのを感じた。うまくなったわけではない。しかし歌の「質」が変わったのだ。これはとても大切なことなのだ。同時に、こうしたアプローチこそ、これまで日本人に最も欠けていた要素だとも強く感じた。我々は、ともするとクォリティーの高さのみを要求され、こうした「意味を考える」ということは、あまり問われなかったのだ。
 これから、自分が指揮する演奏会に向けては、団員向けに、あるいは一般向けにゼミナールを開催することを定着させようかな、と思っている。それは、もしかしたら僕の使命かも知れない。新しいバッハの合唱団、東京バロック・スコラーズでは、2年毎の大曲公演の間に必ずレクチャー・コンサートを2度くらい開くことを歌っているけれど、大曲のためのゼミナールも考えてみようかな。

 僕は、オラトリオ「エリア」の焦点を、第二部のエリアの落胆と絶望におきたいと思っている。
 エリアは、かつて450人ものバアル預言者を相手に戦って勝利し、さらに恵みの雨を降らせて、エホバの神こそ正しい神であると証明して見せたのに、それでも彼は報われるどころか、反対にアハブ王の妃によって命をねらわれている。
彼は荒れ野に逃れ、神に訴える。
「主よ、もう充分です。私の命を取ってください。」

 これをエリアの弱さといって笑うなかれ。いいかい、皆さん。この世で弱くない人間なんていないのだ。もしいるとすれば、それは自分の弱さを見つめることを拒否している人間だけだ。人間はみな弱いのだ。しかし、大切なことは、エリアはその弱さをそのまま素直に神の前に投げ出したということなのだ。
 キリストもそうだ。十字架に架かる前の晩、ゲッセマネの園で、
「この杯を取り除いてください。」
と祈っている。
 弱さを神の前にさらけ出した人間には、神からの助けが来る。エリアの強さはここに由来する。すなわち、エリアは常に神と共にあることによって力を授かっているということなのである。

 メンデルスゾーンの作曲技法は本当に優れている。にもかかわらず彼が同時代の作曲家のように評価されないのには理由がある。彼の音楽は、ある意味ハイドンの音楽に似ている。オーケストレーションなど、ハイドンは完璧だ。ベートーヴェンなど、それに比べるとアラだらけだ。ただ、モーツァルトやベートーヴェンにあってハイドンにないもの、あるいはシューマン、ブラームスにあってメンデルスゾーンに欠けているもの。それは・・・・メランコリーだ。生命の深淵から響いてくるような深い憂愁の色が、歴史の頂点に立つ人々の作品にはあるのだ。
 しかし、このメンデルスゾーンの最晩年の作品には、珍しくメランコリーがある。その典型的な例が第26番エリアのアリア「もう充分です」なのである。
エリアの弱さの中に、僕には人の生きる道のヒントが隠されているように思える。

孝行息子
 群馬のお袋が、最近パソコンをやり始めた。きっかけは、もう半年くらい前にさかのぼる。僕の親父は大工で、僕が中学の時に独立して以来、個人企業の建設業を営んでいる。10年前に心臓の手術をしてからは、さすがに自ら現場に出てカンナと金槌をもってということはしなくなったが、それでも町営住宅や、県営住宅を役所から任されている。
 しかし最近、建設業にもITの波が押し寄せてきた。ある時、役所の書類をパソコンで作る講習会が開かれるというので、両親は何も知らないままノコノコと出掛けていき、当然のごとく打ちのめされて帰ってきた。

「もう若い人にはついて行けないよ。パソコン使えないと入札も出来ないんだ。もう店たたむしかないかなと話していたんだよ。」
「ちょっと待ってよ。電子入札の話は僕も聞いているけれど、まだ始まったばかりだろ。急にインターネット以外受け付けません、なんて状態には絶対にならないから。それにパソコンはね、やってみるとそんなに手の届かないものじゃないよ。」

 それで僕の古いWindows 98をMeにアップデートしたパソコンをあげて、僕が群馬に帰る度に使い方を教えてやった。僕は内心、やっぱり年寄りには難し過ぎるかなと思っていたが、どうしてどうして、お袋はなかなかしぶとくて、最近ではWORDを使って日記を書いては印刷している。町で開催しているパソコン教室にも通って免状をもらったと言って喜んでいる。

「何したの?」
と聞いたら、
「パソコン立ち上げて、WORDの書き方教えて、それからインターネットをやって町のホームページを見た。」
だって。そんな程度で免状もらえるのかい。まあ、それで年寄りがやる気になるんだったらいいのか。

 でもお袋に教えるために久し振りにWindows Meを使ってみたけど、98とかMeというのは、はっきり言って駄目だね。何かにつけて固まる。何も理由がないのにいきなりだよ。で、無慈悲に強制終了。思い出したが、昔はよくそんな思いをしたなあ。
 パソコンというのは、Windows XPになって初めて安定してきて使い物になってきたんだなとあらためて思った。とすると2000年前後にブームに乗って買った人たちは、飛んでもない不良品をつかまされていたわけだ。他の家電製品だったら考えられないことだよ。それでもパソコンに関してはそういうものだとみんなが思っていたのだ。不思議だね。

 それで僕はお袋に言った。
「このパソコン古くて使いもんにならねえや。固まってばかりで腹立つ。」
「不良品かい?」
「この時代のパソコンはみんな不良品だい!僕が新しいの作ってやるよ。最新式の素晴らしいの!」
 それで、またSofmapに通って部品を調達し、すんばらしいのを作ってやったんだ。二晩ばかり寝不足になったけどね。

 なんて親孝行な息子と思うでしょう。ところがお金はちゃんと取るんだからちゃっかりした息子さ。駄目だよ。今、娘が二人共パリで勉強しているんだから。いくら取ったって右から左に消えていくんだから。まだお袋にプレゼントするほど余裕がない。
 なるべく無駄な出費にならないように、値段と性能のバランスを計りながら、市販のものだったら二十万は下らないものを作ってやった。そしたら、
「ねえ、パソコン教室の先生はね、五、六万からあるって言うんだけど、本当かい?お前、まさかあたしがなんにも知らないと思って騙しちゃいないだろうね?」
「な、なんちゅうこと言うの!これが自分の母親だと思うと情けなくて涙が出るわ。人がせっかく足出しながら超素晴らしいパソコン作ってやってるというのに、その辺のCD-ROMしかついてなかったり、メモリーが128MBしかなかったりするケチなパソコンと一緒にされてたまるかい。こっちはね、メモリー512MBもあるんだぞ。本当は1GBとも思ったんだが、ケチったけどさ・・・。ディスプレイだって年寄りの目に優しい高級フィルター付きの三菱製17インチだし、なんと言ってもグラフィック・ボード付きだぜ。どうだ、まいったか!」
「そんなこと言われたって何のことか分からないよ。」
「あんまり素晴らしさを追求しすぎて足が出てるんだよ。足が・・・・分かる?騙すなんて飛んでもない。お袋に素晴らしいものをあげようと思ってつい足が出ちまったんだ。ま、その分は親孝行だと思って・・・・。」
「そのくらいであんまり恩に着せないでおくれよ。」

 実はその三菱製17インチのことだけど、それはこれまで僕が使っていたものなんだ。昨年自作した時には、人気ナンバーワンのディスプレイで高かったんだけど、今はその値段で19インチが楽に買える。お袋には17で充分だし、僕は総譜をパソコンで作る時に大きい方が良いので、僕は秘かに19インチを買って自分のものにし、お袋の所には17インチをあげることにした。それでもね、かつての17インチの値段より安いんだぜ。悔しいったらありゃしない。だから別に詐欺ではないよ。

 お袋のニュー・パソコンには、Office2003に始まって、一太郎2005やオセロや特打や将棋やコイコイなどいろんなものを手当たり次第ぶち込んであげた。これで老後は死ぬまで退屈しないわ。なんて親孝行な息子でしょう。
 ついでに自分が田舎に帰った時にも使わしてもらえるようシーケンス・ソフトなども満載している。あれ?やっぱり・・・ジ・・ブ・・ン・・ノ・・タ・・メ・・・????

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