二人だけのクリスマス

 僕は12月24日には仕事をしない。普段忙しくて教会にも行けないので、この日くらいは朝から静かに過ごして、キリストの降誕を祝うのである。
 子供達が小さかった頃は、一年の内で一番大事な家族団欒の機会であった。たいてい午前中にみんなでわいわい紀伊国屋あたりに買い物に行き、料理を作って夕方に備える。
 夕方には教会のミサに出席。その後の信者パーティーであまり食べ過ぎないように気をつけながら家に帰り、家族でゆっくりと食事をする。この時、家長である僕は、この一年無事に過ごし、この日を家族全員で再び迎えられたことを神様に感謝し、また来年のクリスマス・イヴもみんな揃って迎えられるようにお祈りをする。この日は、一年の内で最もしあわせな日であった。

 ところが、今年は娘達二人はパリにいる。実は数年前から長女の志保は向こうでクリスマスを迎えることが多かったが、昨年までは少なくとも次女の杏奈がいたのである。
「さみしいね。今年のクリスマス・イヴ。」
と妻と話し合っていた。でも僕たち夫婦は、子供がいなくても同じように過ごそうと決めた。一緒にいなくても、お互い無事で今年のクリスマス・イヴを迎えられるのだから、同じように感謝とお祈りをするのである。

 一方、次女の杏奈は、早くから張り切ってパリの家をクリスマス風に飾り付けているようである。今朝の電話によると、僕たち夫婦がしたように、午前中買い物に行って、ブイヤベースとロースト・ビーフとサラダを作り、夕方にはノートルダム寺院のミサに出席するそうだ。
 娘達も、かつての一家団欒の温かい雰囲気が忘れられないようで、やはり同じように過ごす。それを聞いて僕も妻もあさからウルウルきてしまった。
「自分達がやってきたことは、子供達の心の中にしっかり根をおろしているんだね。こうして子供は離れていくけど、子供達と一緒に過ごした日々は決して無駄じゃなかったんだね。」
と二人で話していた。

 僕が子供の頃、群馬の両親はクリスチャンでもなんでもないので、クリスマス・イヴといっても教会に行ったりはしなかったが、僕と二人の姉が喜ぶので、とりあえず親父はケーキを買ってきて、
「メリー・クリスマス!」
と意味も分からずお祝いしていた。

 僕は、不思議とクリスマス・イヴに特別な感情を持っていて、クリスマス・イヴの晩にはなにか良い事が起こるのではないかと毎年胸をワクワクさせていた。しかしいつも別になにも起こらなかった。サンタクロースも来るわけでなく、親父がプレゼントを、
「ほらよ。」
と渡すので、夢も希望もない。
 それでも僕は失望や幻滅することはなかった。クリスマス・イヴはそういう日なんだ。なにか特別な日なんだとずっと思っていた。

 その後、教会に行くようになって、キリストを愛し尊敬し崇めるようになると、クリスマスの意味が自分にとってガラリと変わった。救い主がこの世に生まれた神秘的なかけがえのない日なのである。自分が小さい時から持っていた特別な感情とは、こうしてキリストと関わるようになる自分の予感だったのだと納得した。

 クリスマスが12月25日であるという根拠はなにもない。キリスト教がヨーロッパに伝わった後、北欧の冬至のお祭りと結びついたという節が最有力である。だからクリスマスにはもみの木やホワイト・クリスマスなど雪のイメージがつきまとうが、これは本来キリストの降誕とは何の関係もないのである。本当は羊飼い達が野原で野宿するほど温かい時だったようだからね。
 面白いのは、日本でもクリスマス前にはデパートなんかでもクリスマス・ツリーを飾るけれど、25日を過ぎると片付けてこんどは門松を飾るだろう。あれはおそらく同じルーツから来ていると思う。つまり常緑樹エヴァー・グリーンは、冬の最中に命の再生を祈る象徴なのである。北欧の風習と、日本の風習。先週話した標準搭載宗教でどうやらつながっているようだ。
 そうやって決められたクリスマスの日だけど、別にいいのである。この日が降誕祭だと決められたらそうなるのである。とにかくこの日は特別な日なのである。

 サンタクロース(Santa Claus)に関しても、クリスチャンになってからその存在の意味を初めて知った。特にドイツに留学した時、Sankt Nikolausの祝日が12月6日なので、ドイツではサンタさんは12月6日に来ると知って驚いた。
12月6日、子供達が街で歌っていた。

  Lustig,lustig tra la la la la---,
  Heut' ist Nilolaus-abend da,
  Heut' ist Nikolaus-abend da.
  楽しいな、楽しいな、ラララララ−
  今日はニコラウスの夜なんだ
  今日はニコラウスの夜なんだ
「このニコラウスって人、一体何者?」
そう思った僕はいろいろ調べてみた。

  聖ニコラウスは、4世紀頃、東ローマ帝国小アジアの司教である。
  ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、娘を身売りしなければならない家の存在を知った。
  そこで彼は真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。この時暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていた。この金貨のお陰で娘の身売りを避けられたといわれる。
  教会では聖人として列聖されているため、聖ニコラウスという呼称が使われている。これをオランダ語にすると、Sinterklaasジンタ・クロースと発音される。
  17世紀、アメリカに植民したオランダ人がサンタクロースSanta Clausと伝え、その発音がアメリカ経由で日本に伝わったようである。
  (資料は、インターネット、フリー百科事典Wikipediaより)

 だからサンタさんというと聖さんと言っているに等しいんだね。フィンランドのラップランド県の県都ロヴァニエミRovaniemiは、サンタクロースの故郷と言われ、サンタクロース村があって、申し込むとここからクリスマスカードが届くという。
 次女の杏奈は、今年のクリスマスにこのサンタクロース村に行きたいと言っていた。でも僕は、
「やめとき。そこでサンタさんの服を着た嘘サンタさんなんか見たら、夢壊れるから。それより、いつか家族全員でオーロラを見るツアーをして、そこでクリスマス・イヴを迎えようよ。」
と言って止めさせた。実はいろいろ調べていたんだ。そこでは時間になるとサンタさんが現れ、一緒に記念写真を撮ってくれるという。撮影した写真は、その場でプリントアウトされるという。ね、どうみても嘘くさいでしょう。トナカイの沢山いるラップランドとサンタさんの組み合わせは、ムード満点だけれど、そこではトナカイ肉の缶詰なども販売しているそうだ。きっと行ってみると、ムードに浮かれて来た日本人ばっかりって気がするな。

「エリア」演奏会無事終了
 メンデルスゾーンのエリアは良い曲だ。会場中を温かい雰囲気が支配していて、指揮しながらとても幸せな気分だった。志木第九の会と一緒に演奏会をやるのも久し振り。新国立劇場合唱団の指揮者になってからというもの、なかなか行けなくて残念だったけれど、今回は、その新国立劇場からソリスト達も連れてきた。なにせ8人もソリストがいる曲だから大変だ。合唱もソリストもみんなよく頑張っていたよ。

 特にエリア役を歌った初鹿野剛君は、ドイツ語の発音とドイツ語的表現に大きな進歩が見られた。ドイツに留学しているし、いろいろなコンクールにもチャレンジしているから当然かも知れないが、本人もとても努力しているのが分かる。僕がこの作品で最も重要に考えている第二部の「もう十分です」のアリアも、気持ちを込めて歌ってくれた。

 オーケストラのニューシティー管弦楽団も、ここのところ随分上手になっていたのが嬉しい。特に金管楽器が安定していて良かった。練習も、とてもよい信頼関係の中で進めることが出来た。
 エリアのプログラム原稿を一緒に予稿集にアップします。それから、二、三日後には、志木第九の会で行ったエリア講演会の原稿に多少手を加え、アップすると思います。

 今年の本番はこれでおしまい。なお、年末年始には、普段出来ないことを集中してやるため、一週間今日この頃をお休みします。次の更新は1月8日になります。みなさん、よいお年を!!

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