僕の一週間

ギリギリだった講演会の準備
 今回の「オテロ」講演会ほど準備が直前まで進まなかったことはなかった。先週の金曜、土曜と、今週の月曜、火曜には、新国立劇場合唱団の次のシーズン契約のためのオーディションがあり、新規申込者と現行メンバーを合わせて二百人近い人達の歌を聴いた。そのため、毎日家に帰ってくるとグタッとしてしまい、とても講演の準備をするエネルギーは残っていなかった。

 まとまった時間が取れたのは、12日の日曜日17:00からの「運命の力」ゲネプロまでの時間と、15日水曜日16:00の新国立劇場での打ち合わせまでの時間だけ。
 日曜日の午前中でCDをじっくり聴き、水曜日には原稿をまとめた。しかし講演で使う音資料を話の順序に沿ってCDにまとめる時間と、今回の講演で弾こうと思っているピアノの練習する時間がとれない。

当日まで・・・・
 結局その作業は講演会の当日、すなわち16日木曜日の朝に持ち越された。午後の新幹線で京都に向かわなくてはならない。あせった。その朝は、いつものタンタンの散歩も妻に行ってもらい、秒単位の無駄も許されなかった。
 お昼近く、やっと仕上がった。妻の運転する車で国立駅に急ぐ。ふうっ!

 昨晩は遅かったのですっかり寝不足になっていた。中央線では座りたかったけれど混んでいたのでそれも叶わなかった。だから新幹線では寝ていこうと思っていた。
 しかし三鷹を過ぎたあたりでふと考えた。原稿を書いたは良いけれど、まだそれが頭に入っていない。きちんと読み返し、内容を頭にたたき込まねば、ただ棒読みするだけのつまらない講演会になってしまう。
 それとピアノを弾きながら歌う箇所のイタリア語の意味がはっきりしない。対訳は楽譜に書き込んであるが、もう一度辞書で単語の意味を調べなくては・・・・。まあ、ここまでしなくっても別に良いのかも知れない。でもやりかけたら気が済むまでやらないとおさまらない性格。自分で納得した状態で講演会に臨まないと嫌なんだ。

 新幹線から右手にびわ湖が見える頃、ハッと気がついたら、寝るどころか夢中で最後のあがきをしていた。いつしか窓の外では雨が降っていた。

 

作品に入れ込んで
 こんな風にしてギリギリの状態で行った講演会だったが、自分で言うのもなんだけど結構良い出来となった。原因は「オテロ」という作品が素晴らしく、僕が準備の過程でかなりこの作品に入れ込んでいたことにあった。
 これまで僕は、ヴェルディの作品で一番“振りたい”(指揮したい)作品といったら迷わず「ドン・カルロ」だったが、この準備の間に「オテロ」に塗り替えられた。「オテロ」は、真に独創的な作品だ!

 雨が激しく降っていたので開演は五分ほど遅れた。客の入りが心配だったが沢山来てくれた。
 ピアノは随分ごまかして弾いたけれど、僕は歌い、モチーフの説明や、和音の独創性について語った。そして、シェークスピアの「オセロ」がどうやってヴォーイトの台本を通してヴェルディの「オテロ」になっていったかをたどっていった。

 僕は、話しながら作品の魅力にますます引き込まれていく自分を感じていた。途中からは原稿を見ることはほとんどなくなった。僕は原稿から完全に自由になり、言いたいことを言い、訴えたいことを訴えた。

 最後は、「オテロ」という作品が、「オペラ」というジャンルの表現の限界にまで近づいたことに触れた。「オテロ」で拡大されたオペラの表現の可能性は、そのままオペラの限界を物語っている。それを見抜いていたワーグナーは、早くから自分の作品を「オペラ」と呼ばせることを捨て、新しく「楽劇MusikDrama」という用語を創り出した。でも、その話を始めたら、また長くなってしまうので、今日はこの変で・・・・と、僕は断ち切るように講演を終えた。

イゾルデ
 打ち上げはいつもの通り、レストラン「イゾルデ」で行われた。「イゾルデ」は、京都ヴェルディ協会代表である錦職(きんしょく)さんの奥さんがやっている店で、地下鉄烏丸御池(からすまおいけ)駅と市役所前の間の三条通りにある。
 錦職さんは、ヴェルディ協会を立ち上げて運営しているけれど、実は大のワグネリアンで、バイロイト音楽祭にもほとんど毎年行っている。僕ともバイロイトで知り合ったのだ。店の中にはワーグナーのレコード、CDが所狭しと並んでいて、この近辺のワグネリアンの巣窟となっている。

 錦職さんは、
「わし、今日の講演にはほんま感動しましたわ。新しいこといっぱい発見させてもろたし。」
と言ってくれた。他の人達も、
「いやあ、先生の話はほんま面白い。時間があっという間に経ちますなあ。」
と口々に言ってくれる。

 そこで出してくれた白アスパラとローストビーフがおいしかった!僕は、バイロイトの地ビールMeiselsWeisseを特別注文して久し振りに飲んだ。その他にワインもしこたま飲んでいたのでかなり酔っぱらった。

零戦でまたまた寝不足
 ホテルに帰って来て早く寝れば良かったんだが、興奮していてベットに入っても寝付けない。なんとなくテレビをつけたら、NHKの番組「その時歴史が動いた」をやっていた。テーマは「零戦」。うわあ、僕の好きな話じゃないの!
で、しっかり見てしまった。

 日本人の技術の素晴らしさに感嘆する反面、そうした素晴らしい技術者を全く生かせなかった当時の旧日本軍上層部の無能さに腹が立った。そんな体質は、現代の日本でも全く変わっていないような気がする。日本人は、有能な人の才能をつぶそうとするDNAを持っているのではないかとすら思ってしまう。
 それでいながら、的はずれなナンバー・ワン指向。日本一、東洋一、世界一が好きなのはいいけれど、本当に大切なところで一番にならなければ、見かけだけの一番では意味がない。

 零戦の設計は、スピード世界一という名誉が欲しいために、全ての犠牲を強いられた。まず乗り心地は最悪。確かに素晴らしいエンジンを搭載していたが、設計者の反対を押し切って、機体はギリギリまで軽くさせられた。無線機も積めなかったんだ。そんなんで世界一のスピードになってどうすると思うんだけどな。
 機体の金属を極端に薄くし過ぎた結果、ある時テスト飛行で急降下中、空中分解を起こして犠牲者を出してしまった。そこで根本的な見直しをすればよかったんだが、変更したのは機体の金属を一ミリだけ厚くしたこと。
 ところが技術者達はその時大変なことに気がついていたのである。この構造では、ある一定のスピード以上での急降下が出来ない。しかし上層部はその見解を無視した。
 また燃料タンクが外にむき出しになっていて、敵にねらわれやすいと設計者が再三訴えても、
「日本男児たるもの、守ることばかり考えるんじゃない。攻撃第一。大和魂で乗り切れ!」
と言われ、全ての防御策は却下された。

 そうした構造上の欠陥は、ある時アメリカ軍の知るところとなる。不時着した零戦をアメリカが手に入れ、これを分解してくまなく調べ尽くしたのである。その結果、零戦の全ての欠点は敵の知るところとなり、もはや零戦は「まっすぐ飛行するのが世界一であるのみ」という、実践ではなんの役に立たないしろものに成り下がっていたのである。

「そしてその時がやってきた。」
松平定知アナウンサーは待ってましたとばかり声のトーンを上げる。

 昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦。零戦は、米軍戦闘機グラマンとの空中戦において壊滅的敗北を被る。グラマンは、零戦をあざ笑うかのように目の前で急降下して見せ、零戦に追わせた。うまく追えない零戦を尻目に、今度は急上昇して再び上から急降下攻撃。性能の差はどこから見ても歴然だった。
 あるいは、下方からむきだしになっている零戦の燃料タンクをねらい打ち。零戦は面白いようにバッタバッタと落ちていったそうだ。そんな事態を引き起こしたのに、どこからも責任追及の声は挙がらなかった。

 勿論、最後にはどうしたって負けたであろう太平洋戦争。でもだからといって、愛する者から離れて国のために一生懸命戦った兵士達に、こんな無意味な犬死を強いることはないだろう。全く、太平洋戦争の歴史を紐解いてみると、こんなことばっかりだ。
僕は番組を見ながら何度も、
「バッカじゃないのお!」
と独り言で叫んでいた。隣の部屋に聞こえていたかな?

寝不足の目に富士山が・・・
 帰りの新幹線から見えた富士山の鮮やかさに目を見張った。東京に着いたら物凄い突風が吹き荒れていた。せっかく京都に行ったってとんぼ返り。そのまま新国立劇場に直行。僕の生活はこんな風だ。普通の人が見たらなんてつまんない人生。でもね、僕の内面は充実している。これでいいんだ。

TBSに賭けてみようか
 寝不足が充分に解消されないまま、土曜日の午前中は東京バロック・スコラーズの練習に行った。この団体は、オーディションを行った結果、どんどん優秀なメンバーが入ってきて、団員は70名を越えた。おっとっとっと、眠いなんて言ってる場合ではないぞ!真面目に練習しなければ。

 でもバッハって不思議だな。どんなに疲れていても、練習すると逆に元気になってくるんだ。きっとバッハのリズムが、体を活性化し、エネルギーを与えてくれるんだ。こう感じるのは、あまたの作曲家の中でバッハのみ。

 興行的に見れば、ロ短調ミサ曲のような大規模な曲をやる時には、ある程度の団員がいてくれた方が良いので、東京バロック・スコラーズの団員が増えるのはありがたい。しかしバッハの音楽では、ブラームスと違って量感は必ずしも必要ない。つまり人数の多さは必ずしもプラスに働かないということだ。それどころか、バッハの対位法で要求される線の透明感にとっては、反対に障害になると言いきってしまっても良い。だから人数が多くなればなるほど厳しい練習をしなければ、理想的バッハ演奏は成し得ない。

 自慢じゃないが、僕はバッハの対位法音楽を、スコアを見ただけで、あるいは暗譜で頭の中で完全に鳴らすことが出来る。僕のイメージの中では、いつも100パーセントクリアーな線と線の音楽が鳴っている。だから僕の奏でるバッハで濁った対位法はあり得ないのだ!・・・・と言っても本当のことを言えば・・・まあ・・・これまでにもあったな。もしこれまであったとすれば、全てそれは妥協の産物。若気の至り。勇気の欠如・・・などなど・・・。

 僕は、この合唱団を発声から作り直して、我が国で最もバッハをやるのにふさわしい団体に成長させるつもりだ。たぶん何年もかかると思う。道は遠いし、僕の理想は高い。でも今のメンバーを見ていると、僕にどこまでも食らいついてきそうな意気込みとエネルギーを感じる。

この団体に僕の残りの人生を賭けてもいいかな・・・・。

母の愛〜宇宙の愛
 19日の日曜日は、くにたち市民芸術小ホールでのスタジオ・コンサート。僕のおはなしで、「母の愛〜宇宙の愛」という壮大なテーマに触れながら、僕の自作ミュージカルの紹介をしていった。

 わずか70席の地下のスタジオで行われたコンサートだったが、来てくれたお客さん達は満足してくれたようだった。昨年の十月から練習を積んでいるミュージカル・ワークショップの皆さんも、とても楽しそうに歌って、僕も嬉しかった。

 休憩なしで一気に75分で終わってしまったので、芸小ホールを出た時はまだ真昼の日差しだった。家に帰ると、タンタンが意外そうな顔をした。
「どーしたの?」
と首をかしげて聞いているようだった。

 時間が余ったので久し振りに美容院に行った。僕の行きつけの国立駅近くのFEELという店。僕の髪は、ずっと自分でカットしていたのだが、ある時FEELに行ってみたら、あまりに自然な仕上がりにしてくれたので、それ以来もう自分で切るつもりが失せて定期的に行っている。

 その後、妻と待ち合わせして、やはり駅前の「ぶんじ」という居酒屋に行った。今日は二人で静かに食事をしたかったんだ。
 「ぶんじ」は南口を降りてロータリーの左側の3階。ここはね、お奨めですよ、みなさん!名物は三時間かけて焼いた岩魚。これがうまいぜ!ここの味付けは食材の味を生かした素朴なもので、最初に口にしたときちょっと物足りない気もするが、いつまで経っても飽きないのだ。そこでビールと焼酎のお湯割りを飲んで帰ってきて、こうして原稿を書いている。

忙しいわけだ!
 それにしても、今週だけ見ても、オペラ合唱指揮者としてオーディションの審査をし、オペラ公演の幕を開け、講師として講演台に立ち、バッハを奏で、自作ミュージカルをやる僕って普通じゃないね。なんて支離滅裂な活動!
 同じことで忙しいのだったらいいのだけれど、分野が違うから心の配り方がみんな違うんだ。忙しいわけだよ。つまり、立体的に忙しいんだな。
 でもFEELと「ぶんじ」のお陰でリフレッシュ出来たよ。明日からまた新しい週が始まる。

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