桜を求めて

3月28日(火)井上邸
 「運命の力」の指揮者、井上道義さんが、オペラのキャストや音楽スタッフ達を招待して、井上さんの自宅でパーティーを行った。しかし音楽スタッフ達はみんなそれぞれ練習が入っていたりして集まれない。結局僕と音楽ヘッド・コーチの岡本君、それと後から遅れで入る副指揮者の矢澤君の三人が代表で行くような形になった。

 井上さんの家は、外人キャスト達が来てもちっとも恥ずかしくないくらい広く、しかもソファーなどがゆったりと置いてある洋風の内装。今日のために専用のコックさんを雇い、第一級のシャンパンやワインなども振る舞われ、およそプライベートなパーティーの雰囲気ではない。
「凄いね、井上さん。」
「だろう。どんどん遠慮しないでやってくれ。」
マエストロは大ゴキゲン!

 オードブルに生の白アスパラが出た時はびっくりしたなあ。アルヴァーロ役のロバート・ディーン・スミスや、グァルディアーノ神父役のユルキ・コルホーネンなんかは、叫び声をあげて飛びついていたよ。一番売れたのはいなり寿司。外国人達は結構いなり寿司が好きで、みんなよく食べていた。それから豚肉のショウガ焼き、チキンの香味焼き、ステーキなど、よりどりみどり・・・・。

ユルキのこと
 僕はバイロイト以来旧知の仲であるユルキとしゃべった。彼はフィンランド人のバス。フィンランド人というのは、普通のヨーロッパ人とちょっと違っていて、柔和で穏やか。なんとなく僕とは気が合うんだ。
 ユルキは、バイロイト音楽祭で今年から始まるクリスティアン・ティーレマン指揮の「リング」プロジェクトでは、「ラインの黄金」と「ジークフリート」でファフナーを歌い、「パルジファル」ではティトゥレルを歌うことになっている。

 昔、二期会が、故三谷礼二氏演出の「蝶々夫人」と三木稔氏作曲の「春琴抄」を持ってフィンランドのサボンリンナ音楽祭に参加した時、僕も副指揮者として同行した。その時、ヘルシンキ歌劇場を中心として結成された音楽祭歌劇団による「さまよえるオランダ人」を見てど肝を抜かれた思い出がある。
 何にど肝を抜かれたかというと合唱だ。さすが北欧。ゼンタのバラードの中の女声合唱のなんという美しさ!厳密に言うとオペラチックではなく、スエーデン放送合唱団にも通ずる透明なサウンド。でもワーグナーをこのようなピュアーな響きで聴いた衝撃は大きかった。その時、実はユルキは合唱団のメンバーとして参加していたというんだ。こんな奴がいた合唱団ってどういう合唱団よ!
 ユルキのミドルネームはタピオ。だからフルネームは、ユルキ・タピオ・コルホーネン。タピオはフィンランド神話では森の神だそうだ。シベリウスの交響詩にタピオラというのがあるが、タピオラとはタピオのいるところ、タピオはどこの森にもいるから、すなわちタピオラとは森のことだとユルキは言う。それとは別にヘルシンキの近くにはタピオラという地名があるので混同しやすいんだって。
 こんな風にミドルネームにフィンランド神話の神の名前をつける人って、フィンランド人には沢山いるという。ユルキのお母さんは、タピオの娘の名前をミドルネームに持っている。あれっ?お母さんが娘で、息子のユルキがお父さんで・・・???
 ユルキは、図体は大きいのだが、可愛い顔していてムーミンみたい。そういえばフィンランドはムーミンのふるさとなんだよ。僕はこれから彼のことをタピオって呼ぶことにした。彼も悪い気はしなさそう。

大植さんのこと
 その後、ロバート・ディーン・スミスと話をした。彼はバイロイトでは僕の家の前にある電気屋さんの二階に住んでいたので、よく会っていた。
「今年もまたあそこに住むの?」
「ああ、劇場から近いし、居心地良いんだ。」

 ボブ(ロバートの愛称)の発声は理想的で、どんなに歌っても決して無理をしない。
「バイロイトで『マイスタージンガー』を歌った次の日の朝にヴォルフガング・ワーグナーさんから電話がかかってきて、ローエングリン役が降りたから今日歌える?って言ってきた時はあせったよな。」
あせったよなくらいで歌えちゃうんだ、ボブって。ヴァルター役を一晩歌っても、喉に何の損傷もないどころか、次の日に「ローエングリン」を(僕も聴いてたけど)あんなに立派に歌えてしまうボブの声楽テクニックと記憶力は凄い!

 話題は、昨年バイロイトで「トリスタンとイゾルデ」を指揮した大植さんのことに触れた。ボブはその時のトリスタン役だ。彼は大植さんの音楽は最大限に評価している。
「持ってるものはとてもいいよ。ただ、オペラでキャリアを充分積んだ者でもやりづらいバイロイトの劇場で、ほとんどオペラ経験のない彼が突然登場したのは、気の毒と言ってもいい。彼の良さを生かしきれなかったと思うよ。」
ボブって本当に良い奴なんだ。近々また来日して大植さんとコンサート・ツアーをするんだそうだ。
 それからレオノーラ役のアンナ・シャファジンスカヤが話しかけてきて・・・・・こんな風にして井上邸の夜は更けていった。

3月30日「運命の力」千秋楽
「元気でね。また合おうね。」
オペラの千秋楽はいつも淋しい。一ヶ月半も前から一緒にオペラを作り上げてきた仲間が、みんなまた何事もなかったようにそれぞれの国に帰って行ったり、次の仕事場に飛んでいったり・・・・。みんなとさよならをして劇場を出るとヒューッと風が駆け抜けていった。
 井上さんとのプロジェクトもまたしばらくないと思うと淋しいな。結構楽しかったから。僕は井上さんて人、音楽家としても人間としても大好きだよ。あんな純粋で、自分に正直に生きてきた人はいない。

3月31日(金)降って湧いた休日
 「運命の力」の千秋楽の日に、次の日(31日)の「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」の合唱立ち稽古がオフになったと聞いた。オペラの練習では、進行状況がどうなるか分からないので、拘束は最大限に取ってある。そうしておきながら、もし演出家が、
「明日は合唱中心の稽古をしたいな。」
と思えば、ソリストが休みになるし、その反対で合唱の練習がなくなることもある。目の覚めるような青空と桜

 そんなわけで思いがけなく休日が舞い込んできた。巷では桜が満開。今年は冬が寒かったので、梅が遅く、桜と梅とが一緒にやってきた感じだ。で、あれよあれよという間にもう満開だ。桜って本当にはかない。

 先週の「今日この頃」で紹介した藤原正彦氏の「国家の品格」でも書いてあったな。

桜の花は、ご存じのように本当に綺麗なのはたったの三、四日です。(中略)日本人はたった三、四日のために、あの木偶の坊のような木を日本中に植えているのです。(中略)日本人はたったの三、四日のために命をかけて潔く散っていく桜の花に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでしたのです。


 「たったの三、四日」が何回も出てくるが、確かに本当にたったの三、四日だものね。諸行無常の代名詞のようだし、朽ちてもまだしがみついている薔薇の花なんかと違って、満開になったら惜しまれつつさっさと散っていくその潔さが人の心を打つんだな。

 せっかく休みになったんだから花見をしなくてはと思っていたら、妻は今日はいろいろ忙しくて、日中は家にいない。
「構えなくてごめんね。」
 僕はとりあえず淋しそうな顔をしたが、実は全然平気(あ、これ妻も読んでいるんだ)。たまには一人で無駄遣いするように過ごす休日って最高!

桜を求めて
国立駅南口の大学通りに直角に交わる桜通り お昼過ぎまで家でいろいろ仕事をし、それから自転車で国立の街に出た。僕の家はちょうど国立と府中の真ん中あたりに位置するが、こんな時行こうと思うのは迷わず国立の街だね。ええと、府中の住民がいたらごめんなさい!府中もとても良い街です。

 国立駅南口から真っ直ぐ伸びている大学通りの桜も見事だが、それと直角に交わる桜通りの桜は、名前の通り素晴らしい。桜通りという名前にもう気合いが感じられるものな。
 霞か雲か・・・・本当にそうだよ。桜は一本でも美しいが、通りを埋め尽くす桜並木は夢のように幻想的。こうした世界に浸っていると、日本人で良かったと誇らしい気持ちになる。歩道橋の上から国立駅方向を見た両側桜の景色

 街の景観をめぐる訴訟で問題になっているマンションの近くに設けられた歩道橋の上から国立駅に向かってデジカメで写真を撮った。ここは絶好の撮影場所なので、みんなで場所の取り合いだ。

更科甚五郎
更科甚五郎のお店の前 お昼は更科甚五郎で食べようと決めていたが、大学通りは物凄い人だかりで、甚五郎も沢山待っていて時間がかかりそうなのでやめた(写真は帰りに撮った)。ここはお奨め蕎麦屋。大学通りを国立駅からまっすぐ行って5分くらい。左側にある。
 海老が二本も入っている谷保天そばや、揚げ餅入りの冷やし甚五郎そば、またボリューム満点のかき揚げたぬきそばなど、どれをとってもおいしい。残念、今日はパス。

イタリア小僧
 仕方がないので、駅の近くのイタリア小僧に行った。ここは僕が学生時代からやっているスパゲティー専門店。イタリア風スパゲッティーとわざわざ看板に書いてあるのがダサいし、店内は薄暗く、外から見たら営業しているのかどうかも分からないくらいだが、味は抜群!というか、飽きがこない味で、しばらく行かないとなんかなつかしくなってつい行ってしまう店なんだ。イタリア小僧の店頭
 トマト味、にんにく味、しょうゆ味と三つのカテゴリーに分かれている。その三つの味付けがそれぞれトッピングを持っていて、たとえば今日僕が食べたのは、にんにく味のしいたけ・いか・ほたてという具合だ。陶器に入っている特製粉チーズが香りがあっておいしい。これをたっぷりめにかけて食べると、気分は学生時代に戻ってしまう。場所は、国立駅南口から斜め左に出ている旭通りから最初の道を右に曲がってすぐ左側。

ノイ・フランク 
ノイ・フランクの奥さんとソーセージ 駅の近くでデジカメを撮りまくり、ケンタッキーの横のドトールに入る。前もこのホームページで書いたけれど、ここの三階の窓から見える桜は絶景。で、みなさんにお見せしようと写真を撮ってみたんだけれど、室内は暗いし、桜も肉眼で見たほどきれいには撮れなかったので没!やっぱりプロのカメラマンは偉大だなあ。ここでゆっくり本を読みながらコーヒーを飲んで時間をつぶす。ああ、休日って最高!

 それからお馴染みのソーセージ屋さん、ノイ・フランクへ行った。今日は僕が夕食を作ると妻に宣言した。といってもSauerkraut(酢漬けのキャベツを煮たもの)とソーセージくらいだもの、料理のうちには入らない。
 店にはいると店主の奥さんがニコニコしながら出迎えてくれた。
「いつもホームページ読んでますよ。お忙しそうですね。大変ですね。でも今度あちらに行かれるのですってね。」
あらら、みんなバレバレでんな。

 買ったのはまずミュンヘン風Weiss Wurst白ソーセージ。これを食べるとバイロイトを思い出す。僕はよくこれをタマネギやにんじんと一緒に煮てからそれぞれ取り出し、鰹節と醤油かけてご飯と一緒に食べてたな。勿論邪道だけどさ。このソーセージは淡泊で日本食っぽいんだ。今は日本にいるのでそんなことはしないけど。
 話は横道にそれるけど、ソプラノの天羽明恵さんはヨーロッパにいて豆腐が食べたくなると、モッツァレラ・チーズをわさび醤油で食べて、豆腐だ豆腐だと自分に言い聞かせていたという話だ。んー、ちょっと苦しいかもな・・・・。でも気持ちは分かる。みんな胃袋からホーム・シックが始まるからね。

 それとBrat Wurst焼きソーセージとペッパーサラミ。ふと見ると「め」の字のパンのブレッツェルを売ってたのでみんな買い占めた・・・などなど。気がついてみたら全部で二千四百円も買ってしまったよ。これだから男の買い物は女性に馬鹿にされるんだよな。

レ・ザントルメ・ドゥ・クニタチの店頭発音違う?「レ・アントルメ」
 そして最後に寄ったのは、お菓子屋さんのLes entremets de Kunitachi。この店は日本語で「レ・アントルメ」と読ませているけど、正しくは「レ・ザントルメ」と読まないといけないんだけどなあ。いつか言おうと思っているんだけれど、勇気がないんだ。ちなみにentremetsはデザートの意味。メインディッシュの前に箸休めに出すシャーベットのようなものという意味もある。
ここのシュークリームがおいしいんだ。みなさんも一度食べてみてよ。たかがシュークリーム、されどシュークリーム!

 こうして僕の国立散策の一日は終わった。帰ってきてまず妻とシュークリームでお茶。それから料理に取りかかった。そしてこうして原稿を書いている内に、僕の休日はあっという間に終わってしまいました。

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