別離と再会

 あまりに楽しい二週間だっただけに、別れはことのほか淋しかった。空港に来ていざ搭乗ゲートに入ろうとすると、妻と二人の娘という三人の女性達はみんな目に涙をためている。
次女の杏奈がとうとうためていた感情を吹き出し、泣き出し始めたので、
「泣くな!」
と強く言った。
こう言わないと僕までヤバかった。女性というのはいいな。泣いても可愛いもの。泣きながら笑っている。笑いながら泣いている。いじらしいな。

「もう行け!見送るなよ。」
僕は気持ちを振り切って言った。手荷物検査の間、人混みの隙間から見送らせるのも嫌だし、
「まだ見えるかな?あれっ?もう帰っちゃったのか?」
なんて思うのもわずらわしいし見苦しいじゃないか。
しかし、そう自分で言ったくせに、
「あれ?言った通りとっとと帰りやがったな、あいつら。」
なんて次の瞬間は思っているんだから、自分でもわけわかんねー。

 こうして僕たち夫婦は二週間に渡る旅行から日本に帰ってきた。日本では、妻の母親のもとにあずけられていた愛犬タンタンが、しっぽをちぎれるほど振って出迎えてくれた。あまりの興奮に声も出ない。僕と妻との間を何往復もして、白い腹を上にしたり、顔を激しく舐めまわしたかと思うと、今度は自分の顔をすりつけてきたり、しばらく繰り返した後、やっと、
「わん、わん、わん!」
と今度は吠え始め、止まらなくなった。もの凄い感情の奔流だ。二週間ほったらかしたから無理もない。
「お姉ちゃん達がタンタンに会いたがっていたよ。タンタンによろしくって言ってたよ。」
そんなこと言ったって分かりっこないが、このタンタンがいてくれたおかげで、娘達との別れの淋しさがかなり癒された。

 タンタンのいる僕たちはまだいい。自分たちの住んでいるところからただ去られて、また日常に引き戻された娘達は、僕たちよりもっともっと淋しいのだろうな。
 あまり楽しすぎることを経験すると、人間は淋しさに対する抵抗力が劣る。ではそんな楽しさはぬか喜びなので、楽しくない方がいいかというと、もちろんそうではない。たとえ、楽しさはたまゆらのごとくに消え去ろうとも、再び親子の間で築かれたかけがえのない絆は残る。宇宙のどこかに必ずや刻まれる。これはナディーヌの思想。自分で自分の作品に教えられるなんて!

静かなパリの街

ドイツでは、赤信号で、どこからも車が来ないので渡ろうとすると、
「こらこら!見えないのかい?赤信号だよ。」
と後ろから見知らぬおばあさんに呼び止められる。

フランスでは、赤信号で車が来ない場合、止まっている者など誰もいない。

イタリアでは、青信号でも車がどんどん来るので危なくて渡れない。まごまごしていると他の歩行者はどんどん渡っている。自分も勇気出して渡ってみる。すると車は自分の前でキーッと止まる。要するに信号はあってないようなものなのだ。


 だから、そんなイタリアの国から帰ってきてパリの街角に出ると、なんて静かで上品な街なんだと本気で思った。いつもドイツや日本とばかり比べていたので、こんなことは初めてだ。それほどイタリアの街は雑然としていてやかましかった。
 大体イタリア人というのは声がでかいのだ。そのまま発音するだけでベルカントになるイタリア語は、歌に最も適した言語である。息を流し始めて一フレーズ終わるまで、息を止めなければならない言葉に当たらない。つまりずっと喉を開いたまま発音し終わることが出来るのである。モンマルトルのバーゲン
 それに比べて、鼻母音やあいまい母音の多いフランス語は、言葉にニュアンスや色彩感がある一方で、大きい声を出すのが難しい言語だ。だからパリの街角から聞こえてくるサウンドは静かでエレガント。

モンマルトルのクレープ
 とはいえ、パリはパリならでの都会の雑然さを持っている。なつかしいモンマルトルの丘に行ってみた。モンマルトルMontmartreとは訳すと殉教者の山という意味。このあたりは、実はパリの中で最も怪しい地区である。特に、有名な観光スポットであるナイトクラブのムーラン・ルージュ界隈は、ポルノ・ショップなどのいかがわしい店が建ち並んでいるし、昼間からおねえさんが街角に立っている。地下鉄二番線のクリシー広場から東側からは、乗り込んでくる人達の雰囲気がガラリと変わる。

 二番線アンヴェール駅で降りると、狭い路地の隙間からもうサクレ・クール寺院がかいま見える。あるお店のバーゲンに群がるおばさん達と、そのおばさん達が過ぎ去った後の無惨な品物台を撮影してみた。これは見る度に笑える。
モンマルトルはいつも満員。おびただしい数のおのぼりさんで満ちている。ナディーヌとピエールの別れってこんなかなという写真を志保が撮った。ちょっとモデルが悪いが、雰囲気は伝わるだろうか?
 丘を降りてからクレープリーでクレープを買って歩き食いした。買う時、シンプルなやつが欲しいなと言ったら、志保が、
「それならパパ、砂糖とバターだけのやつにしなよ。」モンマルトル
というので言われる通りにしたら、バターの香りがしてなんともいえない味。これまで食べたクレープの中で最もおいしい味だった。

モンパルナスのクレープ(ガレット)
 パリの北の丘陵地帯を支配するモンマルトルに対し、セーヌ河をはさんで反対側すなわち南側に位置するモンパルナスは、パルナッソス山すなわち楽園の山という意味。このモンパルナスにはモンパルナスタワーと呼ばれる超高層ビルとモンパルナス・ビヤン・ヴニュ Montparnasse Bienvenue (モンパルナスにようこそ!というふざけた名前)の地下鉄駅がある。こんな命名はフランス人以外決してしない。デニーズじゃないんだからもう!
 この地下鉄駅は四本もの線が交差し、さらにブルターニュ方面行きの列車が出る長距離用の駅に隣接している。だから「ようこそ」なのである。
 駅の近くのモンパルナス通りRue de Montparnasse にはブルターニュの人々が好んで食べるガレットと呼ばれるそば粉クレープの店が並んでいる。そのうちの最も人気のある店(名前は忘れたが、一番駅側の右側)に妻と行ってみた。ここは立ち食いではなく、ちきんと食事としてクレープを食べさせる店。常にお客が満員近く入っており、僕たちも何分か並んだ。

 アラカルトも勿論あるが、定食Menuがある。ハム、チーズ、卵のガレットにデザート(デザート・クレープかアイスクリーム)がつき、さらにシードルと呼ばれるリンゴ酒が4分の1リットルついて10ユーロ。かなりお得。写真を見れば分かるが、クレープのはじっこの方はかりかりしていて結構おいしい。シードルもリンゴを搾って醗酵させただけの素朴な味。このそば粉とリンゴ酒のコンビネーションがブルターニュの田舎の味なのである。そば粉クレープとリンゴ酒
 でも、普通の小麦粉と比べて、そば粉はお腹にもたれ易いのと、単調な味なので、最後の方はやや飽きる。食べる前は、
「よし、デザートにもデザート・クレープを食べるぞ!」
と張り切っていたけれど、アイスクリームに切り替えた。するとアイスクリームが三つも乗っかってきた。なんという気前の良さ。お昼はクレープでさっぱり食べ、痩せようと思っていたのに、全然逆効果だ。

ルーヴル美術館の狭き門
 今回は、パリでは観光はあまりせず、教会巡りと美術館巡りに的を絞った。教会巡りに関しては、別稿で「フランスのカトリシズム」というやや堅い文章にまとめたので、興味のある方はお読みになって下さい。
 美術館は、ギュスターヴ・モロー美術館と、クリュニー美術館、それと大御所ルーヴル美術館を訪ねた。本当はオルセー美術館にも行きたかったのだが、事情 で行けなかった。その理由はこれから話す。

4月27日(木)、午前中僕と妻の二人は勇んでルーヴルに出かけた。さあ、今日は、これまで見逃した絵画を見るぞ!足りなかったら2日でも3日でも来るぞ!と燃えていた。
ダ・ヴィンチ・コードのラストシーンで有名なさかさピラミッドの前で何枚か写真を撮り、途中の店でガイドブックを買ってうきうきしながらチケット売り場に並んだ。
「オッ!そんなに混んではいない。ラッキー!」

 あとちょっとでチケットの自動販売機にたどり着くというという時にその事件は起こった。突然周り中から同じような格好をした沢山の人達がどこからともなく集まってきた。彼らはあれよあれよという間にたちまち全ての切符売り場を占拠した。自動販売機のお金を入れるところにはガムテープがバシバシ貼られた。何が何だかつかめないお客に対してなにか紙切れを配っている。
 僕ももらった。難しい単語をいっぱい使ってある。あいにく辞書を持ち合わせていないので完全には分からなかったが、知らない単語を飛ばして読んだ感じだと、どうやら「考古学者達のデモ」らしい。日々何万という遺跡がショベルカーで破壊され、考古学が危機に瀕している一方で、国の考古学に対する予算が大幅に削減され、ここ数年考古学者は解雇されても新規採用はひとりもいないという状態が続いているというのである。

 だけど、だからといってなにも今日ルーヴルを占拠しなくてもいいだろう。見ていると日本をはじめとする各地からのツアーの群れが途方に暮れている。きっと彼らは他の予定もあるだろうから、今日ルーヴルが閉鎖されてしまったらここには二度と入れないだろう。気の毒だな。
 しかし驚くべきことに、日本だったら抗議する人やキレる人が当然出てくるだろうに、ここフランスでは、
「あっ、そう。グレーヴ(ストライキのこと)なんだ。それじゃ仕方がない。」
という感じで、みんな冷静かつあきらめるのが早いのである。信じられない国だな。
 グレーヴと言えば、かつて僕もパリの空港のストに当たってバイロイト行きが一日遅れて、バイロイト祝祭合唱団の練習初日に遅刻したことがあった。その時も合唱団の事務局の人が、
「あ、パリのストね。それじゃあどうしようもないね。」
と、まるで当然のように答えたのが印象的だ。電車を乗り継いでも来い、とでも言われるかと覚悟していた僕には、かなり肩すかしをくった印象だった。。

 これも民主主義か。抗議する自由。ストライキする自由。民衆が民衆として自分たちの権利を主張する自由。そのために一時的に人に迷惑をかけるが、民主主義を守るためにその迷惑も受け入れる心の準備が、この国にはあるってことか。どこの国よりも先に民衆による大革命を成し遂げた国だものな。それが国としての成熟ということか。

 あきらめてルーヴルを後にした僕たちは、オルセー美術館に向かった。しかしみんな考えることは同じなんだ。ルーヴルに振られたお客がオルセーに殺到したと見えて、オルセー前の長蛇の列は信じられないほど長い。ずっと美術館から離れた道路まで続いている。とりあえず最後列を探して並んでみたが、
「だめだこりぁ!」
とあきらめた。その日は、結局ノートルダムに行ったり、中途半端な観光で終わってしまった。

ルーヴル鑑賞記
 次の日、再びルーヴルに向かう。今日はなんなく入った。ダ・ヴィンチ・コードで盛り上がっているせいか、レオナルド・ダ・ヴィンチのあたりの群衆はいつもに増して多かったように思えたが、今回の僕の目的は、これまで見られなかったレンブラント、ルーベンスやフェルメールといったオランダを中心とした北方絵画の鑑賞に時間を割くことだった。
 イタリア美術の華やかな構図や色調と違って、オランダの風景画や静物画、風俗画は、くすんだ色調を持っているが、僕はこうした落ち着いた絵が好きだな。宗教的な題材はほとんど姿を消し、自然な生活感の中から鮮やかに浮かび上がってくる当時の人々の暮らしぶり。

 隣のシュリー翼フランス絵画コーナーに移り、僕の大好きな光の画家、ラ・トゥールをじっくり鑑賞しようと思っていたら、目の前を大勢の子ども達が行く。見ていたら、僕の一番見たい「大工の聖ヨセフ」の前に陣取って、先生の指導の元に写生を始めるではないか。しかもこの写生はかなりインチキで、もう紙の上に印刷で輪郭の線が引いてあって、足りないところを補ったり、色を塗ったりするだけなのだ。う、最低だな。近づけやしない。こんな名画でお勉強?
 大体絵画の鑑賞というものは、遠くから見ているだけでは写真集を見るのと変わらない。近くで筆の使い方を見るかと思えば、また目を離して、それが遠目にどう生かされているか見たりして、テクニックを味わうのだ。だから近くに行きたいのだが、このガキどもが・・・・。
 しかしなんだねえ。うらやましい限りだねえ。こんな小さい時からルーヴルの本物の名画をみながら勉強できるんだぜ。指揮者カラヤンは、9歳の時に楽劇「ワルキューレ」を見たのが指揮者を志したきっかけだというが、9歳で「ワルキューレ」を生で見れる環境が当たり前に与えられていたカラヤンの環境とこれは共通するな。
 この絵の左隣にあるのは、今何かと話題の「悔悛するマグダラのマリア」だ。ラ・トゥールの描くマグダラのマリアはすっきりとした北方美人。炎を見つめ、膝の上には髑髏を置いている。それぞれの芸術家が自分の好みでマグダラのマリアを描いている。僕は、この絵の前にしばらくいた。

 僕がルーブルで一番好きなものは何でしょう?それは、ドノン翼階段の踊り場にあるサモトラケのニケだ。この像は、かつてガレー船の軸先につけられていた勝利の女神だそうだが、どうりで躍動感があるわけだ。
 風を切って走っている天使の衣服の寄せられたしわと、それによって強調された体の線とがスピード感を表現している。翼の角度も良い。全く見事というしかないのだ。あまりに良かったので、帰りに像をおみやげに買おうかなと思ったが高いのでやめた。別の所で安い像が売っていたけど、今度は精巧度が低く、作品の躍動感がないのでやめた。やっぱりあそこに行って実物を見るしかないなあ。

スズランとともに帰国、そして今週は・・・・
 帰国の日は5月1日。メーデーのこの日はヨーロッパでは休日。そのため日本に買っていくチーズやワインなどは、土曜日のうちに仕入れておかなければならなかったため不便だった。飛行機は夜の便だったので、午前中、ホームページの新しい表紙写真を撮るため、僕は次女の杏奈をアシスタントにして街に繰り出した。凱旋門まで歩いて行き、そのままシャンゼリゼ通りのカフェを物色するが、なかなかこれはという店がない。結局、これまでの表紙写真の近く、すなわち地下鉄トロカデロ駅界隈のカフェで撮影した。
 途中至る所でスズランを売る出店が出ている。5月1日には街中がスズランで飾られるのである。うるわしの五月とスズラン。由来はよくわからないけど、さわやかな組み合わせだ。

 帰国した僕は2日の午後に日本に着いたが、3日の朝には帰省ラッシュの中を群馬まで来て、十時からミュージカル「おにころ」の練習。7日までずっと群馬。その後ひとまず東京に帰っていろいろ用をするが、また11日から群馬に入って、13日、14日の「おにころ」公演を迎える。
 今回の「おにころ」では、おにころ役に泉良平君を迎え、相手役の桃花は中村恵理さん。自画自賛だけれど、今度の「おにころ」は、かなりイケてますよ。メイン・キャスト達の検討ぶりは言葉に尽くし難いし、新町歌劇団も佐藤ひろみさんの新しい振り付けによくついていってノリノリ。
 クライマックスのおにころが川に入って石になる瞬間の仕掛けは、稽古するまでとても心配だったけれど、かなり効果的に仕上がってきた。うまくいけば、感動の嵐になること請け合いだ。どういう仕掛けかというと、口では言えないので公演に出掛けてください。

Cafe MDR HOME  

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