ノイズ・キャンセリング
 パリに行った時、次女杏奈のヘッドフォンが壊れているというので、僕がi-Podを聴く時にいつも使っていたオーディオ・テクニカ製折りたたみ式ヘッドフォンを取られてしまった。このままでは不便なので新しいのを買った。
 前から気になっていたのは、ノイズ・キャンセリングのついているヘッドフォンだった。これはどういうものかというと、外部に流れる雑音の反対の波形の音を出すことによって、雑音をプラスマイナス・ゼロという感じで打ち消し、静かな状態でヘッドフォンから出る音が聴けるという仕組みなのである。

 ノイズ・キャンセリングのヘッドフォンといえば、JALのスカイショップで売っている二万円程度のものやBOSEの四万円くらいのものが有名だ。初鹿野君が確かJALを持ってたな。だが、たかがi-Podで聴くのに何万円も出すのはちょっとね、と思うし、もしかしたら音が不自然に感じて一日で放り出す可能性もあった。そこでソニーのMDR-NC6というやつを恐る恐る買ってみた。値段は五千八百円くらい。MDRという名前がいいでしょ。

 結果はどうかというと、このノイズ・キャンセリングはかなり使える。ヘッドフォンを頭に乗せてスイッチを入れると、雑音がスーッと遠のいて自分の空間があたりに広がるのを感ずる。かといって、まわりの音が全く聞こえなくなるようなことは勿論ない。この爽快感はなかなか味わえない。音楽を聴かなくても、地下鉄などに乗る時にはしたくなるんだ。そして音楽を流すと、同じ音量でもダイナミックが一段と増したように感じる。これまでクラシック音楽を電車の中などで聴くと、ピアノの箇所などはほとんど聞こえなかったのだが、ノイズ・キャンセリングをかけるときちんと聞こえてくるんだ!それに低音や中音域なども消されることなくバランス良く聞き取れるので、なにより電車の中でクラシック音楽を聴こうという気になってきた。

 しかし欠点がないわけではない。ノイズ・キャンセリングをかけた時の音は、予想した通り、どこか人工的な焦点のぼやけた音になっていることは否定できないし、ノイズ・キャンセリングをかけないで静かなところで聴いた時は、逆に通常のヘッドフォンとしてのクォリティがたいしたことない。娘に取られたずっと安いオーディオ・テクニカに負けている。
 だからヘッドフォンをひとつだけ買って、家でもアウトドアでも両用に使用する人にはあまりお勧めできない。僕は、家には気に入ったオーディオ・テクニカの大きいヘッドフォンがあるし、逆にi-Podを聴くのは、ほとんど電車の中だけなので、多少の音質の厳密さよりも雑音が軽減される便利さの方をとる。ただしこれ以上の値段のものを購入しなくてよかったとも思っている。
 
 意外と便利なのは、次の仕事場に着く前に喫茶店などでちょっとこれから練習する曲を聴いておきたいと思う時。喫茶店にはよくBGMがかかっているが、ノイズ・キャンセリングをかけると、スーッと音楽が遠のくので、BGMがあっても構わずに、快適に自分の聴きたい音楽だけを聴くことが出来る。ある意味、BGMは単なる雑音よりもずっと邪魔でわずらわしいものだからね。

i-Pod Actuelle 更新のプレ・トーク
 今、僕のi-Podにはマイルス・デイビスのCD三枚分が入っている。i-Pod Actuelleのコーナーを早く更新したいのだが、残念ながら書く時間が全くとれない。ジョン・コルトレーンをはじめとしていろんなプレイヤーを渡り歩くのだが、やはり僕はいつもマイルスに戻ってきてしまう。とどのつまりはジャズが聴きたいんじゃないんだ。クリエイティブな音楽を求めているのだ。

 「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」というアルバムでは、バラードの途中、マイルスが突然のハイトーンを出したかと思うと、ドラムスのトニー・ウィリアムスが即座にトップ・シンバルをパシーンと叩き、ハービー・ハンコックのピアノがすかさず、しかもソッとバッキングの和音を入れて反応する。そうして音楽は、誰もなんにも約束もしていないのに別の方向へと静かに動き始める。
「うわあ!」
と、何度聴いてもびっくりしてしまう。どうしてまるで打ち合わせをしたみたいにあんな芸当が出来るの。みなさんテレパシーでも持っているの?と思う。だって一瞬先に何が起こるのか全員が知っているんだもの。こんな創造の火花は、クラシックの世界ではめったに散らない。駄目だな、クラシックって。
 僕はいつも自分が音楽をする時、クリエイティブという点においてマイルスの世界を目標にしている。あんな巨人は、もう二度と出てこないに違いない。

 マイルスの音楽はしばしば難解で、きちんとした手引きがないと、なにやってるかさっぱり分からないで終わってしまうかも知れない。だからi-PodActuelleでマイルス入門をやりたいのだ。まあ、そのうち時間が出来たらやります。ジャズに興味がない人でも、マイルスだけは知っておいた方がいいよ。

東京バロック・スコラーズ合宿
 今回は親善を深めるための合宿。別名遊び合宿。だって土曜日の練習は六時前に終わって、それから夜中まで食べるだけ、飲むだけ、語るだけ。次の日は正午までで解散。でも予想以上に実りはあった。
 まず発声に続いて、二手に分かれて小アンサンブルによる練習。第一曲目のキリエと、サンクトゥスのオザンナを使ってやったが、僕の方に当たった組は、五声を五人ずつ、八声を八人ずつ歌わせられて、さらに僕が一人一人にアドヴァイスを与えたりしたものだから、合唱しかやったことがなく一人で歌うことに慣れていない人にとっては胃が痛くなる思いだったのかも知れない。しかしこの合唱団に入ったが最後、こうした状態に慣れてもらわねばならないんだ。この合唱団は、いつひとりずつ歌わされても平気な人達によって構成されなければならない。アマチュアといえども真のエリート集団を作るのだから。
 日曜日の午前中はバッハのロ短調ミサ曲の全曲通しとダメ出し。パート内の響きを揃えるということがどういうことなのか説明し、テーマの正しいフレージングを確認し合う。 オーディションはもう閉め切ったから、このメンバーで11月の演奏会までいくのだ。だからメンバーが「共通の言語」をしゃべってくれないと困るのである。共通の言語とはつまり共通の美学であり共通の認識のことだ。
 上手だからって自惚れていて、本番近くにひょこっとやってきて図々しく本番だけ歌うなんていうのは、僕は絶対に許さないからね。音楽というのはみんなで一歩一歩築いていくものだから。そしてテクニックの問題が全て解決し、楽譜の諸問題から解放された時、初めて演奏家は自由を獲得するのだ。この自由さにまで到達できないと、音楽のもつほんとうの旨味を知らないで終わってしまう。
 規律正しいだけでは駄目なんだ。やはり、さっきの話に戻るけど、音楽はクリエイティブでないといけないんだ。でもクリエイティブであるためには、日頃の努力が必要。どうどうめぐりみたいだけど、音楽に決して近道はない。

 

こうもりの復讐
 喜歌劇「こうもり」が、全てに退屈している若きプリンス、オルロフスキー公爵を笑わせるためにファルケが仕組んだ復讐劇であることを知らない人は意外と多いのではないだろうか。あるいは途中までそれを知っていたけれど、話が進行する間になんとなくうやむやになってしまって、結局その根幹のところがうまく伝わらなかったということは充分にあり得ることだ。
 しかし、新国立劇場の「こうもり」では、「フィガロの結婚」のケルビーノや「カルメン」などで見事な演技を見せてくれたエレナ・ツィトコーワがこのオルロフスキー公爵を演じていて、このドラマの基本をしっかり押さえていてくれるのが嬉しい。

 エレナは不思議な魅力を持っている。時々しみじみ見とれてしまうのだが、彼女は、ギリシャやローマの彫刻を思わせる完璧な美形の顔を持っていて、しかもそれは中性的なのだ。ロシアの大富豪オルロフスキー公爵の役は、もともと男性の役なので男性が演じることもあるが、この育ちきらないボンボンの不思議なキャラクターを男性が演じてしまうと当たり前過ぎてつまらない。でも反対に少しでも女性的なものを匂わしてしまう女性が演じてもだいなしだ。とても難しい役だが、僕はエレナほど見事にこの役にハマッた歌手を知らない。 
 エレナは、オルロフスキー公爵に代表される世紀末のアンニュイさを醸し出している。これこそが、健康そうな曲想の影に隠れているヨハン・シュトラウスの音楽の持つ退廃なのだ。

 第二幕の最後、あわてて舞踏会から刑務所に走っていくアイゼンシュタインと刑務所長フランクの二人を見送りながら、オルロフスキー公爵は舞踏会の客達の真ん中で腹を抱えて笑い転げる。そこで幕。再び幕が開いて、もう一度舞台の終景を見せることをタブロー(フランス語で絵という意味)と我々は呼んでいるが、本来ストップ・モーションのタブローのはずが、ここではみんなが笑い合っている状態のままタブローとなる。

「オルロフスキーが笑った!」
という、ある種の“あり得ない事件”を強調する演出を手がけたのは、かつて「ニーベルングの指輪」のローゲなどで一世を風靡したキャラクター・テノールのハインツ・ツェドニックだ。カラヤンをはじめとして大指揮者達の寵愛を受けていたハインツは、芝居の裏まで知り尽くしている。

 ヴォルフガング・ブレンデルも、いい加減なアイゼンシュタインを良く演じているが、おかしいのはなんといっても、これまで「アンドレア・シェニエ」のジェラールなどでシリアスな役しか演じてこなかったセルゲイ・レイフェルクスのフランクだろう。レイフェルクスにここまで喜劇役者としての才能があるとは知らなかった。

 合唱団の女性達は大騒ぎで喜んでいる。何故なら、彼女たちの衣裳は、世紀末の画家クリムトの絵の中の衣裳を現実に再現したものなのだ。まるで絵の中から抜け出てきたよう!
 衣裳制作のお姉さん達はめちゃめちゃ気合いが入っている。鑑賞するみなさんは、誰がどの絵のどこから出てきたのか当ててみるのも楽しいだろう。舞台セットもクリムトの絵の世界そのもの。特に、第二幕後半で後ろの舞台が開くと、金色の破片がちりばめられたその美しさにハッとするに違いない。

 「こうもり」は、6月14日、水曜日に初日。28日までの間に六回公演。
僕はこの仕事に携わりながら、平行して、まるで永久に続くかと思われる「スペース・トゥーランドット」のスコア作成の日々をひたすら送るのである。

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