三澤家の暑い夏

うー!あったま痛てー!
 昨晩の焼酎が効いた。打ち上げで芋焼酎をロックで随分飲んだような気がする。本当は帰ってきてからこの更新原稿を書き上げようと思っていたが、もう地球が回っていたのでそれどころではなくなった。だから更新が遅れてしまいました。皆様ごめんなさい!

 コンシェルジュは月曜日になると帰省してしまうという。だから日曜日中になにがなんでも原稿を書き上げなければと思っていたんだ。ところが打ちあげで焼酎が体に回り出し、「ヤバイぜ。この状態では原稿を書いてもシッチャカメッチャカになるのがオチ。」
と思っていたら、隣にいたコンシェルジュの奥さんがやさしく、
「あたしはもう『おにころ』で休暇を全部使ってしまったから、帰省しないで家に残ってます。だから更新は明日あたしがしますよ。そのかわり夜になりますけどね。今晩はゆっくりおやすみください。」
と言ってくれるではないか。その瞬間コンシェルジュ妻が天使のように見えたよ。
 それにしても休暇を全部使ってしまったために、夫婦揃って関西人なのに妻だけ帰省出来ないなんて、も・・・申し訳ない!!まあ、公演が20日だったんだもの。その前一週間は毎日練習・・・ということは、コンシェルジュ妻だけでなく、関係者は誰もお盆どころではなかったということなんだ。

 その後かなりヤバい状態で家に帰ったが、タンタンのお散歩をしなければならない。長女志保に、
「パパと一緒にタンタンのお散歩に行こうね。」
と言うと、
「とても一人にしておけないから行くよ。」
とついてきた。酔っぱらった勢いも手伝ってタンタンと一緒に走る走る。
「待ってえ〜!」
と志保が追いかける。
 すると一気に地球がぐるぐる回り始めた。うわあ、おもしれえぜ!ぐるぐるぐるぐる・・・・。
「パパあ、ほとんどぐちゃぐちゃだこりゃあ!ころばないでよ!」
ぐるぐるぐるぐる・・・・ぐるぐる・・・・あはははは・・・・ぐるぐるぐるぐる・・・・・っとくりゃあ・・・・・。

 「おにころ」国立公演が終わった。三澤家の長い夏もそろそろ終わりを告げる。娘二人と共演すること自体は、二年前のナディーヌの時にもうやっているのだが、今回は特別なのだ。というのは、この二人の娘達は、これまで「おにころ」をずっと見てきたのである。「おにころ」初演は1991年。長女志保は小学校に上がったばかり。次女杏奈はまだ幼稚園児だった。その後、新町公民館では、「おにころ教室」と称して、小学生を対象としたワークショップを行った。テーマソングの「愛をとりもどせ」などを歌い、振り付けをつけて踊って、「おにころ」を体験してみようという企画である。
この「おにころ教室」にも二人の娘達は参加した。それから度重なる再演も、娘達はずっと見てきたのだ。
 でも今回、ピアノとクラリネットで初めて演奏者として参加してみると、外側から見ていたのと全く違う印象を受けたという。
志保は、
「おにころが川に入っていくシーンでは、涙と鼻水が出てきて止まらなくなったんだけど、ピアノ弾いているので両手ふさがっているでしょう。もう出しっぱなしで弾いていたよ。」
と言っていたし、杏奈は、
「おにころは傑作だね。」
と言ってくれた。
「おにころ」の歴史は、三澤家の歴史でもあるのだ。

 22日に一日だけ休みがとれたので、娘達が相次いでパリに帰ってしまう前に家族4人で一泊だけ伊香保温泉に行く。赤城山(あかぎやま)、榛名山(はるなさん)、妙義山(みょうぎさん)という上毛の三山の真ん中、榛名山の中腹にある伊香保温泉で、つかの間だけれど「スペース・トゥーランドット」「おにころ」と続いた暑い夏の疲れを癒してこようと思っている。それからまた秋に向かっていろいろあるから、再び活動を開始するんだ。

言葉の重み
 ひとつ気付いたことがある。「おにころ」を僕が書いたのは34歳から35歳にかけて。初めての大作だったわけだが、それだけにそれまでの自分の思想や人生観を全て投入した感がある。台本の随所には、意味のある訴えたい言葉がちりばめられている。でも、それらの言葉が、僕には昔よりずっと自然に聴衆に伝わっていった気がするのである。

 言葉は言葉自身の生命を持っているので、人から発せられると、同じように聴衆に伝わるものだとは思うのだ。ましてや、それを発しているのは僕自身ではなく、各キャスト達だ。にもかかわらず伝播していく言葉の真実みが明らかに昔とは違う。
 僕の印象ではこうなのだ。その言葉を紡ぎ出した本人(つまり僕)の人格が、若さ故にかつては言葉自身の持つメッセージ性に追いついていなかったような気がするのだ。それが年齢を重ねていくことで、同じ「愛」という言葉を語るのにも、34年の重みと51年の重みには違いが出てくるのではないかな。

 もうひとつの原因は、たとえば喜助の役を演じた田中誠君だって、初演の時には30代だった。それが自然におにころの育て役を演じる歳になって、なんともいいようのない男のやさしさがにじみ出ている。そうした人から発せられる言葉の重みというのは違うんだろうな。
 考えてみると、初演の時はキャストがみんな当時の僕の年齢に近かった。おにころの松本進さんより、その育ての親の喜助さんの方が若かったし、桃花の蒲原史子さんより、父親の庄屋追分基君の方が若かった、という風に、年齢的に無理なキャスト構成だったんだな。
 若い頃は、自分達の仲間感覚で作るから、どうしても同じ世代にかたまってしまうのだろう。だってその頃50歳の人にお願いするといったら、自分の先生の世代だろう。とても気を遣うことになってしまい、自由に動かすことなんて出来ないじゃないか。
 まあ、こういうことが年齢ゆえのメリットなんだな。人生長く生きた方が得なことがいっぱいあるな。

「ものがたり説明会」
 8月26日土曜日には、新国立劇場で「ドン・カルロ」のオペラトークがある。かつて五十嵐喜芳芸術監督の時代は、オペラ公演の始まる30分前に芸術監督自らマイクを持ってオーケストラピットの前に立ち、オペラのあらすじや聴き所について説明していたが、ノヴォラツスキー芸術監督になってからは、日を別に定めて、芸術監督の他に演出家、指揮者などが登場して新プロダクションのコンセプト説明などを行う“オペラトーク”という形になった。
 聴衆にとって特に魅力的なのは、時折歌手達が登場し、曲のさわりの部分を歌ったりすることだ。また指揮者が自分自身でピアノを弾きながら曲の構造を分析したり、自分の思い入れを説明したりすることもある。

 そのオペラトークの前に30分間だけ、僕が初心者向けに「ものがたり説明会」を行うことになった。その日は、本当は東京バロック・スコラーズ(TBS)の練習が入っていたのだが、急遽出れなくなってしまった。TBSのみなさん、ごめんなさい!
 
 僕はヴェルディのオペラの中で何が一番好きか?と聞かれたら、迷わず「ドン・カルロ」と答える。しかし「ドン・カルロ」は長いし、物語も複雑なので、必ずしもオペラ初心者向きとは言えないかも知れない。だから僕の「ものがたり説明会」は、ある意味責任重大だ。
 僕は「おにころ」の練習に明け暮れていた最中、平行して地味に「ものがたり説明会」の原稿作りに励んでいた。

 いろいろ考えたんだが、まず一見関係ないが、ベートーヴェンの第九交響曲の歌詞、「幾百万の人々よ、互いに抱き合おう」を読み上げ、そこからシラーの思想に入っていこうと僕は思っている。
 シラーが第九の歌詞になっている「歓喜に寄す」を書いたのが1785年。戯曲「ドン・カルロス」を書いたのは1787年。ともにフランス革命前夜であり、この頃の作品には至る所、自由、平等へのあこがれ、兄弟愛や近代的精神が描かれているのだ。

 一方ヴェルディは、若い時からシラーの戯曲に注目していた。彼の初期の作品「群盗」「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」「ルイザ・ミラー」は、いずれもシラーの原作に基づくものである。でもこれらの作品は決して成功したとは言い難い。
 何故なら、この頃のヴェルディは、まだ決定的な成功を手にしておらず、従来の慣習に従ってオペラ化したために、原作とはかけ離れた安っぽいメロドラマとなってしまったのである。ヴェルディがシラーと対峙するためには、まだまだ長い時間を必要としたのだ。

 その後ヴェルディは、出世作「リゴレット」で、初めてその独創性を発揮する。ヴェルディの独創性とはこうである。ヴェルディにおいては、全てこれ以降の作品のタイトルを「運命の力」と名付けてしまって差し支えないのだ。すなわち拮抗する二つの価値観や世界観が、ヴェルディのオペラにおいては全体を支配する。それが運命となって主人公達の行く手を阻んでいくのだ。
 プッチーニのように恋愛がメインになるのではなく、恋愛も対立する価値観や運命のドラマの中の一要素として組み込まれる。だからヴェルディのオペラでは、叙情に流れることなく一本筋の通った緊張感で満たされているのだ。
 ヴェルディは、「リゴレット」に引き続き、「トロヴァトーレ」「椿姫」「仮面舞踏会」「運命の力」などの独創的な傑作を次々と生み出していく。そしていよいよ機が熟して、ヴェルディが再びシラーと向かい合う運命の時がやってきた。その時、歴史が動いた・・・・。

 ここから先を聞きたい人は26日土曜日に新国立劇場のホワイエに11時に来てね。僕のお話は11時から11時半までの30分間。無料だよ。
 この後、11時半から13時までトーマス・ノヴォラツスキー芸術監督、演出家マルコ・アルトゥーロ・マレッリ氏、指揮者ミゲル・ゴメス・マルティネス氏を迎えてのオペラトークとなる。こちらは五百円。
 だから僕のお話だけ聞きに来るのもアリなのです。分かったあ?それではみなさん、ホワイエで会いましょう。

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