ノロウィルスからの生還

一年の計は元旦にあり
 一年の計は元旦にありといいましょうが、ではこんな元旦を迎えた僕の一年というのは一体どんなものになるのでしょう?

年の瀬の日々
12月25日(月)
 “蕎麦さかい”の酒井さんのところに蕎麦打ちの修行に行く。僕の家では、毎年元日の朝になるとお袋が手打ち蕎麦を打ち、それを神棚などに供えてからみんなでおせち料理の後に蕎麦を食べる習慣がある。寄る年波でお袋の姿を見ているのも気の毒になった僕は、今度の正月は息子である自分が蕎麦を打ってお袋を少しでも楽にさせてあげようと思って一念発起。酒井さんに弟子入りすることにした。
 蕎麦はうどんやパンと違って寝かせたりしなくてよいので、打ち始めてから一時間くらいで出来る。手つきはなかなか酒井さんのようなわけにはいかないけれど、まあなんとかまがりなりにも自分で出来そうな感触を抱いて帰ってきた。

12月26日(火)
 妻の車で府中にある卸売りセンターに行く。いろいろな店があって見ているだけでも楽しい。年の瀬なので数の子や蛸を買う人などでごったがえしていた。僕は何をしに行ったかというと、昨晩酒井さんのところから持ち帰った蕎麦を食べた妻が、僕に蕎麦を打つ道具を買ってもいいよと言ってくれたのである。
 色々店を回ったあげく、結構立派なこね鉢とめん棒二本とを買ってきた。お昼はそこで海鮮丼を食べる。ネタが新鮮でおいしかった。
 
 夜は川崎ミューザで東響第九のオケ合わせ。僕は合唱指揮者として参加。秋山和慶氏と東京交響楽団との結びつきは強いなあ。弦楽器も落ち着いてのびのびと音を出しているので、オケがよく鳴っている。合唱団はいいつけをよく守りながら、同時に楽しく歌えるようになってきたのが嬉しい。ようやく一皮むけてきた感じ。

12月27日(水)
 またまた川崎ミューザで行われる夜の東響コーラスのオケ合わせ(今日の指揮者は大友直人氏)の前に、川崎の映画館で「硫黄島からの手紙」を観た。少しでも時間のロスを少なくするために川崎で午後遅めの上映時間を選んだのだ。

 感動して随所で泣いた。二部作のうちのもうひとつの「父親達の星条旗」では徹底して「顔のない不気味な集団」として描かれていた日本兵が、ここでは悩み苦しみながら、祖国に残してきた愛する者を守るために戦っていた。そして同時にその愛する者たちに逢いたい気持ちとも戦っていた。
 制作にあたったスピルバーグや監督のクリント・イーストウッド達は必死で、日本人の決して降伏しない奇妙な戦い方の向こう側にあるものを理解しようとしていた。それは自爆テロを繰り返すイラク人のメンタリティをアメリカ人が理解したくないように、彼等にとって本当は最も目を向けたくないことだったに違いない。
 その手がかりを、彼等は硫黄島の総指揮官であった栗林忠道中将に求めていた。栗林中将はアメリカにも住んでいたことがあり、アメリカと日本との国力の差も知っていれば、当時の日本人が持っていなかった国際感覚も持っていた。その上に立って柔軟な判断力を持っていたのである。
 
 この栗林中将は、調べれば調べるほど素晴らしい人物だ。しかも誰よりも留守中の妻を想い子供達を想う暖かい愛情に溢れた人間でもある。彼に興味のある人は、梯久美子(かけはし くみこ)著の「散るぞ悲しき」(新潮社)を読んでみるといい。これは、映画で栗林中将を演じた渡辺謙氏が撮影中決して手放すことがなかった本として有名だ。いや、それだけでなくかなりの名著である。渡辺謙は、言いようのない渋い演技と深い表情を映画で出しているが、そのためにもこの本は一役買っているのであろう。

 硫黄島にはもうひとり国際感覚に溢れた人物がいた。それは1932年ロサンジェルス・オリンピックの馬術競技金メダリストのバロン西こと西竹一だった。西は硫黄島でもラジオから聞こえてくるジャズに耳を傾けていたという。
 映画では、この西が戦闘の最中に仲間の止めるのも聞かず傷ついた米兵を助ける。瀕死の若い米兵のポケットには手紙が入っている。彼はそれを仲間達に訳して読んで聞かせる。手紙はアメリカ本土にいる母親からのものだった。
「かあさんは、お前が生きて帰ってくることだけを楽しみにしています。」
一同驚く。それまでただの「敵」でしかなかった米兵に、みんなが自分たちと同じひとりの“人間”を見出す瞬間である。こうした展開は、無意識に「日本映画」だと思って鑑賞していた我々をハッとさせる。ああ、外国人監督の作品なんだなとあらためて気付かされる。
 価値のある行為だと思うのは、この映画が日本で上映されているだけでなく、まさにアメリカ本土で上映されているという事実だ。これこそ世界平和への架け橋ではないかと僕は思う。敵も味方もないんだよ。本来。みんなみんな愛する者がいて、みんなみんな喜んだり苦しんだりしているんだ。世界中どの民族だって。

12月30日(土)
 東京交響楽団第九演奏会の後の忘年会では、バリトン歌手アイケ・ヴィルム・シュルテ氏と話がはずんでいた。多分1990年だと思うが、日生劇場で「トリスタンとイゾルデ」をやった時、僕はペーター・シュナイダー氏のアシスタント、シュルテ氏はクルヴェナールの役で一緒だった。その時にも、
「世の中にはこんなに完璧な発声法を身につけている人がいるんだなあ。」
と驚いたものだったが、今回十数年ぶりに東響第九で一緒になり、あらためて聴いてみて、それが少しも衰えていないのが嬉しくて、いろいろ話をしていたのである。

 運命は皮肉なもので、完全無欠な美人や演技が完璧な女優が必ずしも超有名女優となるとは限らないように、シュルテ氏の知名度は彼の実力に対して決して報われているとは言い難い。しかし一昨年、新国立劇場が「マイスタージンガー」を公演しているのと時を同じくしてミュンヘン国立歌劇場が引っ越し公演して行った「マイスタージンガー」ではベックメッサー役を演じているし、当然のごとくにニューヨーク・メトロポリタン歌劇場をはじめとして世界中の一流歌劇場に出演している。だから実力が評価されていないわけではない。
 シュルテ氏は、話してみると本当に「ただのおじさん」っていうか、普通の善良な人なんだ。奥さんもとても気さくないい人。「私が私が」という自己顕示欲の強い人ばかりで溢れているこの世界で生きていくのは大変だったろうなとかえって心配してしまうくらい。この辺が彼の実力と名声とのギャップの原因だろうな。
 でもこういう人こそが決してつぶれることなく息長く活躍していくのだ。自分の技にはどこまでも妥協しないで貫き通す一方で、決して無理しないからね。

「群馬の田舎に帰りますので、これで失礼します。みなさん、良いお年を!」
と東響コーラスのみなさんに別れを告げて、僕は気持ちよくパーティー会場を後にした。携帯電話を見るとメールが入っている。妻からだ。
「義父と義母がノロウィルスでダウンしています。早く帰ってきてください。」

 後から考えてみると、僕はこの時点で群馬に帰るのをやめて国立の家に逃げ帰れば、あの恐ろしい思いをしないで済んだのだ。だが、不思議と全くそんな風には思い至らなかった。ただ、僕の両親に大変なことが起こっている、一刻も早く帰らねば、という気持ちだけが支配していて、まさに飛ぶように群馬に向かっていった。

ノロウィルスの館
 群馬宅では、まず12月28日に親父が発病し、それからまさに30日の今日、お袋が発病したという。とにかく嘔吐と下痢が尋常でないのだ。
「気をつけて!お父さん達のものにうっかり触ったらうつるわよ。」
おっと、そうだった。とにかく感染力が強いらしいな。
 妻はいろいろ親父の面倒を見ている。親父はもう治りかかっているので、居間でごろごろしている。同じ空間にいるとどうやってもうつりそうなので、早く寝室に引き揚げてくれないかななんて思うのだが、僕達が来たのにお袋が今発病の真っ最中なので相手できないのを可哀想に思ってか、なかなか寝ない。
その内に、
「喉乾いたな。」
と言って、何気なく僕が飲もうと思って買ってきたミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばそうとする。
「ああああーっ!ストップ!」
「なんだ!」
「触っちゃ駄目!そのまま、そのまま。動かないでね。」
「・・・・。」
「いい?じっとしているんだよ。どうっ・・どうっ・・どーうっ・・。」
「水飲むだけだよ。」
「お水が欲しいんだったらついであげるから、そこにコップを置いて!」
「もう治っているよ。」
「駄目駄目。本人治っても、保菌している期間が長いんだって。」

 分かっていても自分が伝染病患者扱いされるのはあまり嬉しいものではないらしい。親父はそれから間もなく、なんとなく不機嫌で床に入った。
 ふと気がついてみると、この家のどこもかしこもノロウィルスに冒されていて、天井から降り注いでくるかと思えば、畳から湧き上がってくるようにも思える。柱にも壁にもタンスにもノロウィルスは溢れていて、僕達二人をあざ笑いながらしだいに包囲網を狭めてきているような気がする。
「はっはっは。この家に入ったが最後、お前達はのがれることは決して出来ない。」
なんて不気味なノロウィルスの館!

 そんな中でただひとり、タンタンだけが嘘のように元気だ。
「犬にはうつらないのかな。」
「聞いたことないわ。」
妻はお袋がトイレから帰っていく度に消毒液を振りかけて拭き取っている。でも、僕にはもうそんなことしても無駄なような気がしてきた。

大晦日
 一夜明けて31日の朝。お袋が寝床から叫ぶ。
「千春、ちょっと手伝っておくれ。ふとんをちょっと汚してしまったから、外に出して新しいのと取り替えておくれ。それからお風呂を沸かしておくれ。」
 妻はお袋の側に行って面倒を見ている。嫁だからね。あーあ、昨夜あんなにまめに消毒したって、感染している張本人の身の回りを世話するんじゃ何にもならない。これじゃあもううつるもうつらないもないわ。
「千春が来てくれて本当に助かったよ。今回ほど頼もしく思えたことはない。」
と、お袋は妻に感謝している。そうでしょう、そうでしょう。こういうのを滅私奉公と言うんだ。身を粉にーして一生懸命働いてーまーすー!(おにころの一節)
というわけで、もう大晦日の31日には僕は半分あきらめモードになっていた。
 ところが妻は意外と、
「でもねえ、一緒にいてもかからない人もいるのよ。大丈夫じゃない?」
と呑気なことを言い始めた。女っていう動物はやはり素晴らしいなあ。生きるということにおいて、その心配性と楽観性のバランスが絶妙だ。

 晩に備えて僕達夫婦は買い物に出た。新町で一番進んでいるマルシェというスーパーで、普段の大晦日には決して食べないオリーブやローストビーフなどを買い込んだ。どうせ両親はまだ食べてもお粥くらいだからな。食事は二人分でいいのだ。僕達の好きなものを買っちゃえ!
 群馬だからね。みんなめちゃ安なんだ。イタリア赤ワインの銘柄キャンティも買い、ドイツの貴腐ワインも信じられないくらい安く売っているので二本買った。それから魚勝(新町で最も新鮮なお魚屋さん)で二人分の刺身盛り合わせとカニを買って帰ってきた。

 紅白歌合戦はつまらないので見るような見ないような感じ。食事の後、僕は「西部の娘」のイタリア語の歌詞を辞書を引いたりして調べながら、不真面目に過ごしていた。
 でも一曲だけ惹きつけられたのは、みんなもよく知っている曲だろうけれど、今井美樹の歌う「プライド」。当たり前のメロディーに当たり前の和声進行。そして当たり前の楽曲形式なのになんでこんなにいいんだろう。どうして名曲とそうでないものがあるんだろう。自然でさりげなくて、それでいてなんとなく胸ときめいて素敵なんだ。
「わたしはいまー!」
ただのソドレミファミなのにな。

 尾高忠明さんの指揮する東フィルが、エルガー作曲の威風堂々でカウント・ダウンを行い、見事にドンピシャリで最後の音を終えると2007年があっけなくやってきた。親たちがみんな寝てしまっているので代わりに神棚の水を取り替えていると携帯が鳴った。見るとディスプレイに映った最初の数字が33だ。
「パパおめれとー!」
「おう、志保か。おめでとう!」
「ストラスブールにいまーす。」
「なにい?まだそっちは2006年だろ。」
「四時でーす。」
「杏奈は?」
「パリで自分の友達とジルベスターするって。」

 いいねえ、まったく。うらやましいよ。こっちはノロウィルスの館に幽閉されているっていうのによ。
さあて、明日の朝はいよいよ蕎麦を打つのだ。早く寝なければ。ということで、いつもはなんとなくぐずぐず起きているのだが、電話が終わると早々と床に入った。
虚空蔵様と浅間山



嵐の前の蕎麦打ち虚空蔵様の元旦
 元日の朝。さっそうと起きてタンタンを連れて散歩に飛び出す。きんとした爽やかな空気だ。お正月というのはいつも良い天気だな。すぐ近くの土手に行くと虚空蔵様のところに人が沢山群がっている。ここに元日にお参りすると甘酒とみかんをくれるんだ。でも今日はタンタンを連れているので外から見物。土手の上からは浅間山、榛名山、妙義山などが鮮やかに見える。毎年元旦にこの山を見ると一年頑張ろうという気になるんだ。

蕎麦打ち開始 帰ってきて、さあ、蕎麦を打つぞう!酒井さんのところで習ったことがきちんと出来るかな?ドキドキ。まずお粉を計ってふるい、こね鉢に入れる。蕎麦粉8に対し中力粉2。それから水を混ぜて一気に攪乱!おおっ!あの日の記憶が蘇ってきた。それからだんだん力を入れてダマを大きくしていって・・・・。ひとつのかたまりになると、上から力を入れてこね始める。うんしょ、うんしょ・・・・。
 という具合にやっていった。僕の場合こねるまでは完璧。でもそこから先がいけない。どうものし棒で蕎麦を伸ばす時に、思うような形にならないのだ。つまり酒井さんのようにきれいな四角形になってくれないのである。まあ、薄く伸ばすこと自体はヘタじゃないので、味には直接影響はしないんだけどね。
こねてこねて それと、切るのもヘタ。どうしても不揃いだし幅広くなってしまう。まだまだ修行が足りないなあ。ということで伸ばすとき以降の写真は掲載しません。もちっと修行を積んでから見せるからね。
 ともあれ、出来た出来た!おつゆは、インターネットで調べた作り方で昆布と鰹節の両方を使って昨日作っておいたのを使う。群馬宅にはカンナのついた鰹節削り器があるので、おいしい鰹節が手に入るのだ。
 お正月なので、神棚と仏壇と床の間とお勝手と氏神様にこのお蕎麦を供えた。いつもはお袋が打った蕎麦を供えるのだが、今年は長男の手作りだい!えっへん!
 それからみんなで食べた。とは言っても、親父もお袋もまだ病み上がりなのでほとんど食べられない。僕達夫婦が食べるだけ。でも、自分で言うのもなんだけど、なかなかおいしかったよ!

そして・・・
 蕎麦を食べた後、妻の実家に行く前になんだか疲れたので三十分ばかり布団の中で横になることにした。ところが横になったら起きられない。なにもしないうちに一時間経ってしまった。これは蕎麦打ちの疲れなどとは断じて違う。それにだんだん気持ちも悪くなってきた。妻はもう実家に帰りたくてそわそわしているんだろうなあ、悪いなあと思っていたら、急に隣に彼女が来て、布団の中に身を横たえた。
「なんだか気持ちが悪いわ。ノロウィルスにかかったみたい。」
「ええ?」
「実家には今日行けないかも知れない。」
そう言って彼女は早々と自分の母親に携帯から電話をかけた。それから間もなく、あの魔の瞬間がやってきた・・・・。

 あの嘔吐と下痢の嵐の真っ直中で不思議と冷静かつ自嘲的に思ったのは、まるで硫黄島の闘いのようだなあということ。度重なる爆撃と艦砲射撃の直後の上陸。昼も夜も片時も休みなく戦闘は続くのだ。
 嘔吐の後は体力の消耗及び腹筋などの疲労が激しく、布団の中にほうほうの体で倒れ込むのだが、そこをまた突き刺すような腹痛やけいれんと下痢が襲う。嘔吐と下痢が同時に訪れる時は、どっちを向いてトイレに入ったらいいか分からない。
 まるで体中から水分という水分を奪ってもまだ足りないのだと言わんばかりに、どんどん水分を上から下から体外に出して出して出し尽くす。このウィルスには完全に“人類という種”に対する悪意がある。それが証拠にすぐ隣でタンタンはすずしい顔をして居眠りをしている。こいつにとってはノロウィルスなどどこ吹く風だ。

 僕は嘔吐が度重なってきて出るものがなくなってくると、吐く直前にわざと大量の水を飲む。それから飛び跳ね、体を揺すって胃の中に残っている食べ物とよく混ぜる。こうすると次に吐いたときに楽なのだ。
「なんだか楽しそうだね。」
と隣でお袋が呑気に言うが、水分がないのに胃をよじって中身を出す苦しさからかなり逃れられるんだ。
 このやり方で一度胃の中の残り物を全て道連れにして吐いた後、次に備えてまた水を飲んで待っていたら。何故か突然嘔吐が止まった。吐き気も止まった。しめた!
 
 下痢は相変わらず続いている。唇はからからに乾いている。しかし水分を採ると五分後くらいに便意をもよおし、飲んだのと同じくらいの水分となって出る。てやんでえ。こうなったら根比べだい!
 面白いのでいろいろ試してみたが、水よりゆっくり飲む白湯の方が出る割合が少ない。ということは、多少なりとも吸収されているということだ。一番良いのはポカリスエットだった。これは素早い間に半分くらい吸収されているよ。さすがだね。ポカリスエット!やーい、やーい、ノロウィルスのウスノロマ!ざまあカンカン!

 妻は、僕と違ってノロウィルスを相手に不真面目に戦ったりしないので嘔吐が止まらず、1月2日の朝になったらいよいよヤバイ状態になってきた。そこで自分の母親を呼んで正月の当番医に連れて行ってもらうことにした。医者に行くと、脱水症状を起こしていると診断され、二時間半くらいかけて点滴を受けて帰ってきた。
 
 こうして戦闘はまる二日間、すなわち約48時間続いた。最後の下痢は1月3日のお昼頃。これも不思議と突然終わるのだ。3日の朝からはお粥を口に入れ始めた。過ぎ去ってみると、そりゃあたかが二日間かも知れない。でも本当に激しい闘いだったんだ。水分を必死で採らなかったら「これは本当に死ぬな。」って思ったもの。
 それにしても、せっかく初めて打った蕎麦をすぐ出してしまったのは惜しかったな。結局、今年の正月の蕎麦はあまり報われなかった。くすん・・・。

 1月4日。妻の車でふらふらしながら超安全運転で東京に帰ってきて、家の体重計で測ったら、なんと3,2Kgも痩せていた。3,2Kgだよ、みなさま!「ためしてガッテン」で血糖値を減らすために食事療法をして二週間辛い思いをした時だってそんなに減らなかった。それがわずか三日間で3,2Kgだなんて!これは新しいダイエット法。ノロウィルス・ダイエットだなんてね。
 うんにゃ!冗談言ってる場合ではありませんよ。みなさん!この恐ろしいノロウィルスには決して感染してはいけません。そこからやっと生還したワタクシが声を大にして言います。

究極的ノロウィルス撃退法
 ノロウィルスがあなたの家を訪れたら、呪いの言葉を口ずさみながらあなたが居るのがバレないように居留守を使って、ノロウィルスが通り過ぎるのを静かに待つに限ります。

呪う居留守

なんちゃって!すんません・・・・おじんギャグでした。

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