やっと日常が・・・

 5月16日(水曜日)、妻とタンタンがようやく帰ってきた。妻は15日には日本に着いていたのだが、そのまま空港近くに預けてあった車で群馬に直行、僕達の留守中タンタンの面倒を見てくれていた妻の母親のところで一晩泊まって、タンタンと一緒に帰ってきたというわけである。
 16日は、新国立劇場の合唱の練習はお休み。夜の東京バロック・スコラーズの練習だけだったので、朝から首を長くしてタンタン(と妻)の帰りを待ちわびていたが、もう着くかなと思ったお昼頃になってから妻から電話。
「時差ぼけで今頃起きたので、これから出発するから。」
 あれれ、調子が狂った。タンタンは時差ぼけなんかないのに、単独ではどうやったって来られないので、妻の時差ぼけに付き合うしかないのだ。

 3時過ぎ、タンタン到着。おや?なんだか一回り大きくなっている。
「太ったね。」
「そうでしょう。母さんがご飯を沢山あげすぎたから。」

 やっと日常生活が戻ってきて、僕も精神的に落ち着いてきた。i-Podからは名古屋の演奏会やモナコ公演の曲目は全部消えて、その代わり、浜松バッハ研究会で今度やるバッハのイ長調ミサ曲やコルトレーンやマイルス・デヴィスが幅をきかしている。その中にシャンソン曲集も入っている。僕はフランス語の響きが好きだから、フランスものはよくi-Podに登場している。
 
 妻が僕の好きな臭いチーズとブルゴーニュ・ワインを買ってきた。僕の場合、もし飛行サン・ミッシェル界隈機が遅れたら、そのまま新国立劇場に直行して昼夜の練習に出なければならなかったので、浮かれて免税店でいろいろなものを買い込む気が起きず、結局おみやげらしいものは何も買わなかった。だから一週間遅れのヨーロッパの風が嬉しかった。

杏奈の引っ越し
 モナコ演奏会の終わった直後のパリでは、次女杏奈が丁度引っ越しの時で、妻がいたのがとても役に立ったらしい。長女志保が今年の夏で卒業するので、今二人の娘が住んでいる16区ヴィクトル・ユゴー広場近くの二部屋のアパルトマンは、夏までに返さなければならない。
IKEA近く 一方杏奈は、もう少し小さくて安い一人用のアパルトマンを探していたが、リヨン駅のすぐ近くに良い物件を見つけた。本当は今の16区の契約が終わる7月からとしたいところだが、住宅難のパリのこと、そうこちらの都合の良いようにいかないので、2ヶ月間二重払いになってしまうが、契約をしてしまったのだ。椅子を組み立てる
 今二人が住んでいるところは家具付きだったので便利だった。でもこういう局面になると、今度は最低限必要な家具を新たにそろえなければならない。でも杏奈にとってみると初めての自分だけの城。しかも昼間お姉ちゃんに邪魔されることなくクラリネットの練習が出来る環境が整ったのだ。昼間は新住居にいて心ゆくまで練習。もう嬉しくて仕方ないようだ。
 僕達夫婦がベルリンに住んでいる時にもお世話になったIKEAという家具の大型スーパーがシャルル・ド・ゴール空港の近くにある。そこに妻と杏奈は行って、テーブルや椅子を買い、可愛いカーテンをつけたりしたそうだ。
カーテンも付きご満悦 写真はIKEAで家具を買って有頂天でいる杏奈の姿や、椅子を自分で組み立てる姿。さらにカーテンも付いてご満悦の杏奈。見る度に結構笑える。

薔薇の騎士
 「薔薇の騎士」の合唱音楽練習には毎回ノヴォラツスキー芸術監督が出席した。本当はこちらのペースで進めたかったのだが、なにせ彼はウィーン生まれのウィーン育ち。彼の任期最後の新制作ということもあって、一人でめちゃめちゃ気合いが入っている。
 ウィーンの匂いのプンプンするこの作品の方言指導のスペシャリストとして、彼は日本人歌手達みんなもつかまえて自ら指導にあたった。ウィーン訛りでは、たとえばBlut(血)をブルートではなくブルアトと発音させたり、machenをマッヘンではなくモッヘンと言わせたりする。

 ノヴォちゃんは、
「これで指揮者のペーター・シュナイダーが来たらきっと驚くぞ!」
と一人で悦に入っている。
ところがシュナイダーが来てみたら、
「そこの発音は違う!」
と言うではないか。
僕は、
「いえ、これはウィーン人のノヴォラツスキー監督が直々に指導したもので・・・・。」と反論するが、シュナイダーは、
「自分もウィーン人だが、これは違う。きっとノヴォラツスキーはウィーンはウィーンでも街の外れか郊外の田舎町で育ったんだ。」
と言ってきかない。
そこで次にノヴォちゃんに会った時に、
「シュナイダーに直されたよ。それにノヴォちゃんのことを街のはずれか郊外の田舎町だと言っていたよ。」
と言いつけたら、彼曰く、
「残念でした。シュナイダーの家より俺の家の方がウィーンの中心街に近いのさ。ははは、勝った!」
だってさ。
「あのう、どっちでもいいんだけどさ。合唱団員が混乱するのでどっちかに決めてよ。」
と言ったら、
「しょうがねえなあ。本当はこっちが正当派ウィーン訛りなんだけど、相手が指揮者じゃシュナイダーに従っていいよ。」
ということで一件落着した。

驚異的な速さで進む稽古
 ジョナサン・ミラー演出の「薔薇の騎士」立ち稽古は、オックス男爵のペーター・ローゼを始めとする外人勢が何度もこの作品をやっていて完全に頭に入っているので、放っておいても自分でどんどん動き、練習がどんどん進む。しかし日本人の脇役勢はなんといっても初めてなので、立ち稽古初日から、
「ヤバイ!」
という雰囲気が漲っている。

「ここはもうみんな分かっているだろうから次に進もう。」
とミラー氏が言うのだが、ちょっと待ったあ!日本人は何度もやってもらわないと困るのだ。まだ頭では分かっても体に入っていない。
「薔薇の騎士」なんて、ウィーンと違って日常的にやる作品ではないもの。経験者なんていないんだ。

 シュナイダーはシュナイダーで、練習の合間に、
「第三幕冒頭の給仕達が出てくるところで、オックスが、『このカブトムシたちは何者だ?』と聞いた後、給仕達が『あなたに仕える者です。』というところでは、ウィーンでは給仕と一緒に空いているオーケストラの楽員達が全員で歌うのだ。それがウィーン歌劇場の伝統になっている。」
なんて言っている。
僕は、
「ちょっと東京のオケでは無理だと思います。」
と言った。だってこの作品は難しいんだもの。何度も上演して余裕が出てこなければとてもそんなおふざけをオケに強要するわけにはいかない。

 こういう作品は、一番日本人には難しいな。まだワーグナーなどのシリアスな作品の方が日本人には向いている。ウィーン風の軽妙な振る舞いとか方言のニュアンスとかいう要素が入ってくると、そうした文化を背景に持っていない日本人はお手上げだ。こういうのが異文化の異文化たるものなのだ。日本人が日本人だけの手でどこまで出来るか、なんてのが通じないのはこういう作品に向かい合った時。
 でも今回は、芸術監督も指揮者もウィーン人なので、この練習期間中にいろいろ教われば、もしかしたらこれまでの日本人には決して出来なかったウィーンの香りのする舞台が出来上がるかも知れない。もう少し様子を見てみよう。

メシアン「われらの主、イエス・キリストの変容」
 この作品は、メシアンが1969年に作曲し、リスボンで開かれたフェスティバルでセルジュ・ボドの指揮の下、初演された、100人の合唱を伴う大規模な作品だ。ジャンルを自ら名乗ってないのだが、いわゆるオケと合唱によるオラトリオだ。
 合唱は基本的に十人ずつの十声に分かれている。前半の第一部が七つの章に分かれ、後半もやはり七つの章に分かれている。上演時間は第一部が約30分、第二部がそれの倍の一時間。読売日響では6月28日に若杉弘氏の棒で日本初演をする。

 最初は、いつか出来る日が来るのだろうかと本気で思った。音も難しいし、リズムも難しい。でも何度か練習していく内に、だんだん形になってきたぞう!この作品はきれいなところはとてもきれいなので、合唱団員達もだんだん曲の意味が分かってくるにつれて惹きつけられてくるのが分かる。
「結構良い曲ですね。」
と休み時間に僕に言ってくる人の数が増えてきた。
 でも18日(金曜日)の練習が終わったら、これから「薔薇の騎士」と「ファルスタッフ」が佳境に入ってくるので、しばらくお休みなんだ。その間にみんな忘れてしまわないかどうか心配。本番はまだまだ遠い先なんだけど・・・。

ジークフリートの冒険、ウィーンに羽ばたく・・・・だが。
 ジークフリートの冒険のウィーン国立歌劇場ヴァージョンのアレンジを始めた。今回はエレクトーンなしで、その代わり、弦楽5部、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、ハープの14人編成となった。編曲者としては、あの色彩感溢れるワーグナーの音楽を、この編成でどこまで再現出来るか、別の意味でエキサイティングな試みだ。
 
 先日ウィーンの契約書にサインをした。いよいよ本当にウィーンでこの作品が上演されるのだ。台本と演出を担当するマティアスは、先日もうウィーンの方にドイツ語訳の入ったヴォーカル・スコアを提出したそうだ。今度はフル・スコアを書く僕の番だ。
 それにしてもウィーンの契約とは恐ろしくて、もし僕が万が一契約の9月3日までにスコアが間に合わず、ウィーンに提出出来なかった場合、僕は罰金として六千ユーロ支払わなければならないんだ。そしてさらに楽譜も提出しなければならない。それを知った僕は恐ろしくなって早速編曲を始めたところだ。
 みなさーん!これから夏までは、お願いだから僕の創作活動の邪魔はしないでくれたまえ。僕はひたすら編曲にいそしみます。六千ユーロだけはご勘弁を・・・・。

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