いよいよ6月

 6月の光の中、輝く緑が次々と目に飛び込んでくる。北関東の山々が僕に挨拶を送る。今、この原稿を僕は群馬から東京に向かう高崎線の電車の中で書いている。昨日(2日、土曜日)、新町歌劇団の練習のため群馬に行き、実家に泊まったが、僕の下の姉とその娘二人、さらに長女の夫(以前この欄でも書いた、軽井沢で結婚式を挙げた貴子の夫)が泊まりに来ていて、ワイワイガヤガヤでとても更新原稿を書くどころではなかったのだ。
 今日は「薔薇の騎士」のゲネプロが2時からなので、本当はのんびり群馬を出てくれば良かったが、僕は早々と実家を抜け出して8時台の特急に乗り、ここでやっと落ち着いて原稿を書いているというわけである。

 それにしても僕の姉というのは、昔からおしゃべりだったが、もう話し出すと止まらないのだ。よく次から次へとたいした話題でもないんだけど出てくるなと感心して聞いていた。

 昨日は朝から東京バロック・スコラーズの集中練習。お昼をはさんで午後までやった。お昼休みに副指揮者の初谷敬史君を誘って近くのイタリア料理屋に行く。
「ロクダンの連中ってさあ、こんな時にワインとか飲んじゃうんだよな。信じられないよな。」
とか話していたら、なんだか急にワインが飲みたくなってしまった。
「あのさあ、そんな話していたらワインが飲みたくなっちゃたぜ。」
と言ったら、初谷君。
「ええ?せ、先生、それはいけませんよう!」
「おごるからグラスに一杯だけ飲もう。」
「それは・・・いけないけど・・・いいですね。」
と赤ワインを注文して飲んでいたら、別の団員達に見つかってしまった。
「ああ、先生。ずるい!」
というので、午後練習場に戻ったら、なんだかみんながニヤニヤして僕の方を見ていた。

 群馬の新町歌劇団では、僕のオリジナルの曲を練習している。これは、昨年アッシジに行った時にインスピレーションを受けて作曲したソプラノと合唱のための組曲「アッシジの風」。伴奏はピアノとエレクトーン。
 第一曲目は、僕の自由詩による合唱曲「プレリュード」。そして第二曲目以降はイタリア語に曲をつけた。第二曲目は、「天にまします・・・・」で有名な「主の祈り」のイタリア語訳によるソプラノのソロ曲。
 続く第三曲目は、ちょっとユニークな曲。合唱団は「求めよ、さらば与えられん。」というキリストの言葉をつぶやくように歌うが、それと交互にナレーションが入る。ナレーションはニューヨークの同時多発テロ、及びイラク戦争について述べ、世界が依然として平和から遠いことを訴えているが、そこに同時進行でDONA NOBIS PACEM(我らに平和を与えたまえ)というラテン語が、合唱団によってか細く歌われる。
 終曲は「聖フランシスコの平和の祈り」をテキストに使用している。ソプラノと合唱、そこにイタリアというよりはややスパニッシュなアコーデオンの響きがからんで来て、最後は絶叫に近い形で平和への願いを訴える。
 これにさらにプロジェクターによる映像を加えようと思っている。聖フランシスコの願い、アッシジの街の信じられないのどかさ、平和への道がまだまだ遠い世界の情勢、それでもなお平和を求める僕の想い。それをなんとか形にしてみたい、伝えたい!そう思ってこの作品を書いた。

 練習場に行ったら、驚いたことに合唱団の女性団員達はみんな暗譜して歌っていた。練習が終わる直前に事務局長のバス団員Sさんが突然、
「先生、演奏会は暗譜で歌わなければいけませんか?」
と予防線を張って言うので、
「いや、今回はミュージカルではないのでコンサートだから、演技やダンスを付けるわけではないので・・・・女性達はみんな覚えているみたいだけど・・・・僕とすれば・・・・別に譜面を持ってもいいんだけど・・・・。」
と言いかけたら、副事務局長のアルト団員で、実は事務局長の奥さんが、
「先生、私達は最近は暗譜以外で舞台に立ったことがありません。暗譜しないと先生の棒に集中できないし、もう女性はみんな覚えているので、先生、この際ですから男性の意見は無視して暗譜を徹底させて下さい!」
と言う。おっとっとっと。夫婦で意見が違う。どうすんべ。
「じゃあ、こうしましょう。男性諸君もこれから暗譜をトライしたらどうですか。出来るだけ暗譜ということで・・・・。で、ギリギリになってどうしても無理だと分かったらまた考えましょう。」
ということでその場は切り抜けた。それにしてもみんな気合いが入っているなあ。

 今回の演奏会はソプラノの中村恵里さんをゲストに迎えて、基本的には彼女のリサイタルなのだ。その最後に中村さんと合唱団で新曲を披露するというわけである。現在、新国立劇場では「ファルスタッフ」の稽古が始まっていて、中村さんはナンネッタの役で出ているけれど、発声的にも音楽的にも絶好調。現在日本で最も輝いている前途有望若手ソプラノだ。
 「おにころ」の桃花役をやってくれたのが縁で今回も来てくれるけれど、新町近隣の皆さん、これからはもう頼んだって来てくれない人になるからね。今の内に聞いておくに限ります。

スープ・ド・ポワソン続報
 旅行ガイドを何気なく読んでいたら、地中海料理の話が載っていた。ブイヤベースをレストランで頼むと、まずそのスープの部分だけが来て、それからいわゆる具が来るが、おいしいのはむしろスープの部分で、具はダシの搾り取られた出がらしのようで味にしまりがないそうだ。ブイヤベースとして注文すると決して安くないので、それならいっそのことそのスープの部分のみをスープ・ド・ポワソン(魚のスープ)と言って注文したらリーズナブルでいいと書いてある。
 
 あれえ、スープ・ド・ポワソンってブイヤベースの一部かい?でもね、ブイヤベースが置いていない所でスープ・ド・ポワソンのみが置いてある場合もあるから、一概にそうとも言えないな。ただブイヤベースがあるレストランでは、そのスープだけをスープ・ド・ポワソンと言って注文することが出来るということだけは分かった。

 ということはあれだな。僕達家族はニースの海辺のレストランでは一番良い選択をしたわけだ。つまりスープ・ド・ポワソンを最初に頼み、それから魚のミックスグリルを注文した。これで旨味の部分はスープで飲んだし、魚の肉の部分はグリルでよりおいしく食べたというわけさ。志保がスープ・ド・ポワソンという言葉をニースに着いた時から連発していたお陰だ。志保もよく分かっていなかったと思うが、
「こっちの人はブイヤベースよりもスープ・ド・ポワソンを好んで食べるのだ。」
と主張していたのは、あながち見当外れではなかったようだな。

 

「薔薇の騎士」開幕前夜
 今日は、これから「薔薇の騎士」のゲネプロ。先日オケ付舞台稽古の衣裳付通しで、第一幕の幕切れを見ていて涙が出た。元帥夫人の悲観的な言葉に当惑したオクタヴィアンは、彼女にキスもせずに出て行ってしまう。ぽつんと一人になった寝室で元帥夫人が窓辺にたたずむ。窓の外では雨が降っている。元帥夫人は煙草に火をつける。そして窓の外をぼんやりと見つめながらゆっくりと煙草をふかす。アンニュイな空間。そして静かに幕。

 ただでさえ無常観の漂うこの幕切れにおけるジョナサン・ミラーの処理には舌を巻く。後ろ側に回ってみると幻滅するだろうが、窓の向こう側では上からホースで水を降らせている。よほど上手に座らなければ窓辺に降る雨自体はよく見えないが、窓の外から部屋の中に当たっている照明が、雨を反対側の壁に映している。この場面はオーケストラで聞くと特に胸に染み入る。
 
 休憩に入って僕の前を通りかかったミラー氏に、
「幕切れの演出は本当に素晴らしいですね!」
と言うと、彼は老人顔の中からいたずらっぽい瞳をきらりとさせて答えた。
「雨と煙草・・・・。」
「ぐっときますよ。」

 それから彼はしわくちゃな顔をもっとしわくちゃにして微笑みながら、
「私はね、このオペラの時代設定を、シュトラウスがこの作品を書いた時代に近い1912年に設定したんだ。それはフランスではベル・エポックと呼ばれていた古き良き時代。この幕切れで私が表現したかったのはね、元帥夫人のオクタヴィアンとの関係の終わりへの予感にとどまらないんだよ。同時にこの良き時代の終焉の予感でもあるんだ。その後すぐに世界は不穏な動きに包まれ、第一次世界大戦が勃発する。いや、もうその不穏な動きは、社会に陰のようにあちらこちらで見出されるんだ。そうした動きを感じながらも、現実からわざと目を背けて、むしろ平和の最後の香りをかいでいたい・・・・そんな名残惜しさの雰囲気を感じ取ってくれればいいね。」

 うーん、ミラー氏の言葉は深いなあ。そういえば、このオペラにはやたら、
「もう終わったのだ。」
とかいう文句が出てくる。シュトラウス自身もその時代の中に生きながら、ひとつの時代の終焉を予感していたのか。ロマン派の終わり。調性音楽の終わり。精神主義の終わり。平和の終わり。

 終幕でも泣ける。これまで愛人関係を続けていた元帥夫人と、出遭ったばかりのゾフィーとにはさまれて困惑するオクタヴィアン。そんな彼に対して、
「そんなにも早く、あなたはあの子を好きになってしまったのね。」
と元帥夫人はちょっと意地悪に言ってみるが、彼女の若い二人を見つめる瞳はあくまでやさしさに満ちている。そして彼女は静かに去っていく。
 ここの部分の音楽はなんと表現していいか分からない。このような華麗さの中に込めた無常観の表出は、R・シュトラウスよりも後にも先にも誰も表現出来はしなかった。かのモーツァルトでさえも・・・。ワーグナーの管弦楽は色彩豊かだが、艶麗というのとは少し違うし、退廃的ではないし、無常観とはちょっと遠い。
 先週も言ったが、やはりシュトラウスは「薔薇の騎士」を書くために生まれてきたんだ。「薔薇の騎士」をもってシュトラウスは全ての偉大な作曲家の山脈の峰に名を連ねた。
「薔薇の騎士」は、いよいよ今週6月6日(水)に初日を迎える。

ジークフリートの冒険の編曲
 いろいろな用事で中断されるのであまり進んではいないのだが、ウィーン国立歌劇場子供オペラ「ジークフリートの冒険」の編曲をやっている。新国立劇場ではエレクトーンを使用したが、ウィーン・ヴァージョンでは、弦5部と木管楽器一本ずつ、それにホルン、トランペット、トロンボーン、ハープ、ティンパニーの14名という編成でやる。でも、編曲している内に、これはこれでなかなかいい音がするのではないかという確信を持ってきた。

 終曲の「愛こそすべて」は大幅に変更した。「ジークフリート牧歌」をベーシックに進めていくのは同じだが、「神々の黄昏」の終幕を加え、ポップスっぽい感じはなくなって、よりおしゃれに終わるようになった。というより、ほぼ「神々の黄昏」オリジナルに近い終わり方。派手なポップスに慣れた日本の子供達には物足りないかも知れないが、ウィーンの子供達にはこちらの方がきっと良いに違いない。

 この後、「スペース・トゥーランドット」にも変更が予想されるし、鑑賞教室「蝶々夫人」の勉強や、夏にあるいくつかの演奏会のプロジェクター資料作りも平行しながらしていくので、再度の中断が予測される。ま、気長にやろうと思っている。ただし9月3日までにウィーンに届かないと罰金だからね。うー、今からドキドキするよ。交通事故に遭ったり、大病をしたり決してしないように今から気をつけて生活します。

 一方で、この編曲を早く終わらせないと、10月から始まる国立の芸術小ホールのミュージカル・ワークショップの為の譜面作りにかかれない。国立では、今度は僕が「おにころ」のすぐ後に書いたマグダラのマリアを主人公とした「愛はてしなく」というミュージカルをやるんだ。
 これは女性の半分は娼婦になったり、ベッド・シーンが出てきたりする一方でキリストも出てくるという作品。キリストは初谷敬史君にやらせようと思っている。マグダラのマリアを横恋慕するローマの司令官には、「おにころ」で庄屋さんをやった大森一英にやってもらおうと思って声だけはかけてある。まあ、これはまだ計画の話だから話半分に聞いてね。新町歌劇団でも来年に上演を計画している。ダ・ヴィンチ・コードでマグダラのマリアへの関心が高まっただけに、興味深い公演になること間違いないと思います。また近くになったらいろいろ情報出しますからね。

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