受胎告知を見てきました!

「ダ・ヴィンチ展が6月17日までなんだけど、どこかで行ける日ない?」
と妻が突然聞いてきた。
「ええ?もうすぐじゃないの。」
と言っていたら、火曜日の「ファルスタッフ」の立ち稽古の合唱団入り時間が3時半になった。
「よし、明日行こう!」
というわけで妻と二人で出掛けた。

上野公園
 上野は久しぶりだなあ。公園口を降りると、平日なのにこのあたりはいつもなんだか休日のようなポワーンといった平和な空気に包まれている。
 僕はつい数年前まで東京芸術大学の非常勤講師として週三回通っていた。一年生から三年生まで180人もの声楽科合唱とオペラ科の授業を担当していたんだ。あの当時、のんびり上野公園を歩いていると後ろから、
「三澤先生!」
と呼び止められ、振り向くと演出家の実相寺昭雄先生がニコニコ笑っていたっけ。その実相寺さんもすでにこの世の人ではない。

ホームレス達の生態
 動物園の右横を通り抜けていくと、鳩に代わってカラスとホームレス達がいる地域となる。このホームレス達を観察していると面白いんだ。ある人はとてもまめに自分のテントの周りを掃除している。落ち葉を箒でていねいに掃いて、歩道からテントまで一本のまっすぐな道を作っている。そんなにまめなら働けばいいのに・・・・。
 公園内には沢山銀杏の木がある。あるホームレスは銀杏の実を水道で洗っていた。あたりに「うっ!」というような臭いがただよっていた。数日経って通りかかってみると、そのホームレスったら、すました顔をして洗って干した銀杏を沢山ビニールに入れて段ボールの台の上に置き、一袋500円で売っていたのだ!動物園帰りの客が結構買って行く。確かにスーパーで買うより全然安いからね。僕も買おうかなと思ったけどやめといた。

強制撤去
「月曜日だってよう。」
と言う声に振り向くと、仲間同士で話し合っている。何のことかなと気になっていたが、その理由は次の月曜日、第二限目の声楽科合唱の授業に向かう途中に分かった。
 その日の朝になってみたら、あれほど点在していたテントは影も形もなかった。その場所を歩いていたのは制服を着た人達。つまり、テントを撤去するお巡りさん達の群れだ。ここでは定期的にホームレス強制撤去の手入れが入るというわけだ。

 でもその後が傑作だ。同じ日の午後遅く、オペラ科の授業を終わって上野駅に向かうと、またテントが並んでいるのだ。同じところに同じように、何事もなかったかのように・・・。
 
 これは大きな声では言えないが、建前としては彼等を撤去しなければいけないのだが、本当にそれをやってしまうと彼等の行くところがなくなるので、うまく計らってやっているということではないかな。月曜日が“抜き打ちの”決行日だという情報がどこからか漏れてくるっていうのも微笑ましい限りだ。もしかしたら警察が自分で・・・・・・?

「受胎告知」歩きながら見ました!
 閑話休題。「ダ・ヴィンチ展」の本当の名前は「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像」。まるで僕のやる国立のコンサートのタイトルのようだね。こっちは「素顔のモーツァルト」って言うんだけどね。同じように天才の実像に迫ります。あ、また話が横道にそれた!
 動物園前の噴水をまっすぐ行った東京国立博物館には、平日なのに沢山の人が群がっていた。第一会場と第二会場があるが、第一会場には、なんと今回の目玉商品である名画「受胎告知」のみが展示されているのだ。
「ただいま20分待ちです!四列にてお並び下さい!」
と叫んでいる。おいおい、これではまるでディズニーランドだね。
受胎告知
出典 Wikipedia

 予告の通り20分くらいかかってやっと絵のそばに辿り着く。でも人がうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃ・・・・うるさーい!落ち着いて鑑賞させてーな!
「止まらないで下さい!」
と言われ、人の言うことを素直に聞いてしまう僕達夫婦は、あっという間に通り過ぎてしもうた。
「あれっ?」
 しかも名画はガラス張りになっており、絵の具の感触を確かめるどころか、ほとんど絵の形が写真と同じだったねと確認するだけで終わってしまった。おーい、それはないだろう・・・・。

 かつて1974年に「モナリザ」が来日した時は150万人もの人が殺到し、こんなものではなかったと聞くが、ルーブル美術館に行けば「モナリザ」だって一時間でも半日でも好きなだけ見られることを知っているだけに、こんなんで名画を鑑賞したと言えるか、という怒りとも空しさともいった感情を持ちながら第一会場を後にした。

それでは飛ばないだろう・・・
 しかし、あまり期待していなかったけれど面白かったのはむしろ第二会場。ダ・ヴィンチの発明の数々がここでは展示されている。彼があの時代にここまで考えていたのかという事は驚いたし、やはり天才だと思った発明もあったが、むしろ僕は彼の驚くべき楽天性に笑わされた方が多かった。
例えば、第二会場の入り口近くに飾ってあるほぼ実物大の人力飛行機。この模型を見て誰しもが思うことは、
「これでは飛ばないだろう。」
ということだ。

 飛行というものはな、鳥のように翼を上下させれば飛ぶというような甘いもんやおまへんで!今、トヨタなどが二本足で歩行するロボット作ってるじゃないの。「人が歩く」という本当に簡単なことさえ、そのメカニズムを探ってみると、もの凄く複雑な行動をしているんだ。重心がどう動いて、どの瞬間にどういう角度で片足が全体を支えているか、それがどう次の足に移るか、まさにコンピューターで制御しなければ出来ないような事を、僕達人間はほぼ無意識にやって歩行している。その点については、ダ・ヴィンチ自身も分かっていて、人間が運動する時の重心の研究を徹底的にやっている。
 でも、そこまで分かっているのにどうして・・・・って感じで、飛行に関しては超楽天的と言わざるを得ない。つまり、鳥がどう翼を動かして風を操り、あのように空を飛ぶかというメカニズムの複雑さは、とても歩行の比ではないのだ。ダ・ヴィンチが設計したようなナイーブな機械では、どう考えてもちょっと手に負えないね。

 翼が大きく下に動いて風を起こし、その勢いで飛び上がるとするだろ。次の瞬間にはその翼がまた上に戻らなければ次の行動を起こせないわけだけど、そのままでは上行する翼が起こす風によって本体が逆に下に降りてしまうではないの。それに本来重力もあるしさ。だから永久に飛び上がれないんだ。
 一方、本物の鳥はどうやっているかというと、その翼を微妙にねじらせて風を起こさないように翼をすっと上げて、また今度は風をめいっぱい起こすべく翼を大きく広げて最速で降ろす。凄いね。鳥って!彼等、力学とか航空工学とか全く縁がないのに・・・・。

 何よりも笑えるのは、人力飛行機というくらいだから人間が手と足を使って翼を動かすわけだけど、どのように歯車を噛み合わせようとも、空を飛べるほどの動力を確保するためには、きっと考えられないくらいの怪力か歯車を回す速度が必要で、それが人力で達成出来るとはとても考えられないのだ。だって目にも止まらぬ速さでやらなければ重力で落ちてきてしまうだろ。おそらく重力がないところだったら飛ぶだろう。でも重力がないところだったなら、そもそもどうやったって飛ぶのさ。チャン、チャン!

 こんなわけで、意外にお間抜けなダ・ヴィンチの姿を見て、僕は微笑ましくなったな。人類は飛行機を作るのに、結局翼を動かすことを断念して、固定した翼と昇降舵に頼った。いや、地上を走る道具だってそうだ。人間の歩行をまねるのではなく、車輪に頼って二輪車や四輪の自動車を作った。つまり単純化することによって目的を達成出来たのである。

 人間や鳥の運動の複雑さは、結局有機体でしか達成出来ないレベルにある。自分で思考し、感覚を享受する自我を持つバイオ・コンピューターへの道が遠いように、有機体とはそれこそ科学的な人間の思考と技術が到達する最後の究極的なレベルなのだ。
 自分で傷を治す肉体。遺伝という形で自分の情報を子孫に伝えていく生物体。自分の頭で人生を考え、自殺する自我。それらは、とうてい簡単な科学では解明出来ないまさに神の領域と言っていいのかも知れない。

永久機関は何故出来ない?
 でも永久機関というやつには心を奪われた。僕も結構ダ・ヴィンチに似ているのかも知れない。永久機関というのは、つまり外側から何の動力を加えなくても、自分から永久に動き続ける機械なのだ。

 車輪のような輪の外周におもりが付いていて、そのおもりの重力で輪を動かす。しかしおもりは輪の反対側に回ってしまう。そこで、反対側に行ったら、今度はおもりがなるべく外周から離れて中心点に近く来るように細工してあるのだ。てこの原理で考えると、この機械は外周近くのおもりの力で永久に動きそうじゃないの。でもダ・ヴィンチはある時、これが不可能であることに気づいて、この研究を断念したらしい。何故だろう?
 ひとつ分かるのは、どうやったって基本的に、輪の軸を中心にしてその両側のおもりの合計の重さは同じだと言うことだ。それだけ考えると確かに回らないだろうという気はする。でも、そこにてこの原理が関わってくると・・・重力のバランスが崩れて回るような気もするんだが・・・・やっぱり駄目かねえ・・・。誰か理科系の人、教えて!

絵画に至るまで
 ダ・ヴィンチが関心を持っていたのは、我々が住んでいるこの三次元宇宙の中で、全ての物がどのような幾何学的原理に基づいて形を作り出し、どのような物理的法則に従って運動し、機能しているかということなんだ。
 また、目という器官がどのように空間を捉えているかという興味から、遠近法や光、影、色などを研究し、さらに解剖などを通して体の動きを研究し、それを絵画というものに結集させたわけだ。こうして考えてみると、ダ・ヴィンチは単なる画家であることをはるかに超えて、驚くべき広い視点から絵画という芸術に向かい合っていたことが分かる。

 ダ・ヴィンチが完成させた絵画は、67年に渡る長い彼の生涯でたったの十数点。その全てが傑作だけどね。気が向かなければ滅多に作らない。でも作ってみると傑作なんて、その辺にいたらとてもヤな奴だろうね。
 「受胎告知」は20歳そこそこ、「最後の晩餐」は46歳、「モナリザ」は50代前半の作品と言われている。何故未完成の作品が多いかというと、きっと画家だけでないから、作ってる最中に飽きちゃったか、もう分かったと思って他の物に興味が移ってしまったんだろうな。

 例の「受胎告知」は、家に帰ってきてWebのフリー百科事典Wikipediaから画像ファイルをダウンロードして繰り返し見ているけど、構図といい細部の描写といい本当に素晴らしい。畜生!こんなディスプレイで鑑賞している自分が間抜けに思えて仕方がない。実物をもっとゆっくり見たかったよ!

ダン・エッティンガーの成長
 指揮者のダン・エッティンガーが一回り大きくなって新国立劇場に帰ってきた。実際、体もやや太って一回り大きくなった。彼は初回の「ファルスタッフ」が、オペラのひとつのプロダクションを任された生まれて初めての舞台だった。ノヴォラツスキー芸術監督が彼を発掘してきて、全く経験のない彼に賭けたのだ。

 あれから三年経った。その間にダンは新国立劇場では「コジ・ファン・トゥッテ」を振っているが、こうして同じ作品に向かい合うと、彼の成長ぶりがよく分かる。
ダンは、彼を引き立ててくれたバレンボイムをとても尊敬しており、その指揮ぶりもよく似ている。弟子が先生に似る場合、その癖ばかり真似るものだが、ダンの場合はバレンボイムの長所ばかり真似ている。
 以前でもこの欄で書いたが、バレンボイムの指揮はスマートとは言えないものの、そのストレートなラインの描き方がオケのメンバーに明解さを感じさせるので、僕も実はかなり盗んでいる。オケがバラけそうな時には彼の方法を使うとピタッと合うのだ。

 ダンは若いのでエネルギーに溢れているが、その割りに無駄な動きは極端に少ない。オケ合わせに行って驚いたことに、弦楽器がとても揃って良い音で鳴っている。ダイナミックの設定はやや極端だが、「ファルスタッフ」という曲の性格を考えると十分納得出来るものがある。
 なにより、彼の全身から音楽に対する自信が漲ってきて、安定したオーラを発している。若いのにマエストロの貫禄を身につけ始めている。僕は断言するが、ダンは将来間違いなく第一級のマエストロとして大成する。ダンの指揮する「ファルスタッフ」の初日は、6月13日の水曜日。

紫陽花(あじさい)を持って
 新国立劇場の初代芸術監督である畑中良輔(はたなか りょうすけ)氏の奥さんである畑中更了(はたなか こうよ)さんから電話があり、たまにはお昼を食べにいらっしゃいと言われて、9日土曜日の「薔薇の騎士」本番前に、急に荻窪の自宅に遊びに行くことになった。
 こう書くと、僕が畑中良輔氏経由で更了さんと知り合ったと皆さんお思いだろうが、良輔氏とは仕事場でよくお会いするものの、それとは全く別に、熱心なカトリック信者である更了さんが、ある時教会でたまたま僕の妻と知り合い、当時まだ小学生だった僕の二人の娘も巻き込んで、全くのプライベートな付き合いから始まったのだ。僕は一番最後に知り合ったのだよ。

 妻は、今回は残念ながら教会の用事でどうしても伺えないので、代わりに僕におみやげを持たせた。最近フラワー・アレンジメントの教室に通い始めた彼女は、家に咲いている紫陽花(あじさい)を取って花籠を作った。紫陽花の咲く家っていいでしょ。あじさい
 6月に入るとあっちこっちで見かけるけど、僕の家の紫陽花は薄いピンクで気品があっていい。そこから作った花籠もなんとなく素敵だったので、ちょっと写真に撮ってみた。

 更了さんは、僕が花籠を出した途端、
「うわあ!」
と言って喜んでくれた。
 彼女は、少女がそのまま大人になったような人で、もう八十・ん・歳になってると言うが、いつまでもお若い。仕事につながる話もあって僕を呼んだのだが、それよりも互いの近況を伝え合った。更了さんが可愛がっていた次女の杏奈がもう二十歳になったと聞いて目を丸くしていた。着物を着て撮った写真を見せたら、目を細めて喜んでくれた。

その丸くした目も細めた目も、更了さんを知る人なら、
「ああ、あの顔ね。」
と言うほど彼女らしいんだ。

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