ああ、日本サッカーよ、どこへいく!

 昨晩はのんびり更新原稿を書こうと思っていたが、サッカーのアジア・カップ三位決定戦を見始めてしまったら止められなくなって、とうとう最後まで見てしまった。延長戦でも決着が付かず、PK戦にまで持ち込まれてしまったので、深夜を過ぎてもテレビを切るに切れず、原稿も書くに書けず、しかも日本が負けてしまったので、ますますやる気が失せて、とうとうそのまま寝てしまったのだ。
 今日は29日の日曜日。「スペース・トゥーランドット」2日目の公演を終えて帰宅し、愛犬タンタンの散歩をしてからこうしてパソコンに向かっている。都心の午後も雷がなっていたが、夜になって再びどしゃぶりの雨が降ってきた。タンタンはよいタイミングでお散歩に行けた。

 三位決定戦とは、先日のサウジアラビア戦で優勝を逃したオシム・ジャパンが韓国と対決した試合。夕方コンビニに並んだスポーツ新聞の見出しを見ると、「日本情けねえ〜」だの、「オシム、弱!」だの言いたい放題だ。サウジアラビア戦以来、オシム監督に批判の声が集まっているようだが、僕には別に日本サッカーが以前より悪くなったとは思えない。ボールをかなり前に進めるようにはなっただけ進歩しているとは思う。ただやっぱり「勝とうとする執念」が究極のところで希薄なんだな。

 今回の対韓国戦は、両国の特徴が如実に表れていてとても面白かった。韓国の姜敏寿選手がレッドカードをもらって退場した後、人数的に明らかに不利なはずの韓国選手の方がなんだか燃えている。しかも抗議して退場させられた韓国側コーチが、休憩時間の選手の円陣の中に審判の警告を無視してやってきて激励している。このコーチはきっとその後処分を受けるだろうが、そんなことは覚悟の上といった“捨て身の姿勢”が韓国選手の心の琴線に触れ、彼等のモチベーションがめちゃめちゃ高まっている。
 もうその時点で日本選手は負けているような気がしていたよ。日本人だったら、退場されたコーチがこうして掟を破って来やしないだろう。むしろそんなコーチがいたら批判の的になるのではないか。ところがそれこそが韓流浪花節の世界なんだ。
「くー!コーチ!そこまでして俺たちのことを・・・・!」
「俺のことはいい。ただお前達に勝って欲しいのだ!」
「ううう・・・コーチ!」
なんてね。

 もう10年以上も前になるが、ソウルにオペラを指揮に行った時、南大門とか名洞の街を見て驚いた。もの凄い活気とエネルギーに満ちているんだ。もう世界中のすべてのものに対し「追いつけ追い越せ」という感じで、僕は、
「うー、負けそー!」
と思った。日本は、そうした韓国に比べると、もう発展もピークに達しているかわりに、全てにおいてとても冷めていると感じた。その時と同じものを昨晩の試合でも感じたのだ。
日本にはもう浪花節はない。でも韓国は熱いんだ。

 冷静に見る限り、技術的には日本の方がやや高いように思える。でも韓国選手が日本選手に対して完全に勝っている点は、何といっても勝とうとするモチベーションの高さだ。 それは、マイナス面では試合中のファウルの多さとなって現れてもいる。かなり荒っぽく暴力的なので、かえって煽られた日本選手の方が不必要なファウルを仕掛けてしまったりもする。
 足の速さも韓国選手の特徴。普通ならば追いつかれないところで追いつかれ、ボールを取られている。つまり決してスマートではないけれど、がむしゃらで捨て身で恥も外聞もないのが韓国サッカーだ。

 一方、日本選手は、チームワークや試合運びの緻密さでは韓国よりはるかに勝っている。これは昔からそう。その代わり、たとえば一人の選手がドリブルで相手をかわし速攻でシュートまで持って行くなどというシーンに決してお目にかかれないのも日本選手の大きな特徴。
 何故か?日本選手がチームワークを大事にすると言うと聞こえが良いが、逆から言えば、チームワークを無視して個人芸に走り、万が一失敗した時の批判を恐れる気持ちが、他の国の選手に比べて強いんだ。監督やコーチの指示を無視して突っ走っても、結果が良ければオーライという社会ではないからね。確かにそれで失敗すればボコボコにされる。でもそのボコボコがなんだ、という奴が一人もいないっていうのも淋しい限りだ。
 つまりね、みんな良い子のお坊ちゃまなのだよ。“おばか”がいないのだよ。かつて中田選手がちょっとそうだったけど、ある意味浮いていたからねえ。それに中田なりの遠慮もあったからねえ。

 “失敗を恐れる”、あるいは“失敗した時の批判を恐れる”というのが、日本社会最大の弱点。何かを新しく計画するだろう。それにリスクが伴うことに気づく。するとリスクを誰が負うかというところで話が止まってしまう。たまにワンマンな社長の会社があって、
「よっしゃ、俺にまかせとき。リスクは俺が全部背負ってやる。」
という場合はいいんだろうが、大抵はもっと無難な道を選択するか、その計画自体をやめてしまうかする。
 その結果、そんなリスクなんかへっちゃらさと思っている才能のある若いバリバリ社員はつまらなくなって、上司とぶつかって会社をやめるか、あるいはやめなくてもモチベーションが低くなって、会社は適当にその場しのぎで働いて、その代わり趣味の世界に生きるかして、とどのつまりは才能があってもそれを生かし切れない社会が生まれるのだ。それが日本社会。

 今回の敗退をオシムのせいだけにして、外人を追い出せば事は解決すると考えるのは簡単だ。僕にはよく分からないが、もしかしたら本当にオシムの能力不足もあるのかも知れない。でも、一方でどんな良い指揮者がいてもオーケストラが下手だったら良い演奏は出来ないというのも事実だ。そして良くないオーケストラというのは、しばしば腕が良くないだけでなくて判断力もないので、良いものを良くないと思ったり、良くないものを良いと勘違いしたりもする。
 勿論、良い監督がいれば日本人でもいい。でも冷静な判断力だけは失って欲しくはない。今は、外人を排除して日本人だけで、という精神的鎖国をしている時代ではないのだ。

 うーん。前にも同じようなことを書いたけれど、サッカーを見ていると、どうしても日本社会批判になってしまうな。でも、それだけサッカーの仕方というものが、その国あるいは民族の性格を映し出しているということだ。
 イタリアのサッカーはとてもイタリアらしいし、ドイツのサッカーもドイツらしいものな。そうした中で、僕は別に日本のサッカーに日本的であることをやめろと言っているのではない。そうではなくて、日本の長所すなわちチームワークの良さとかを生かしながら、これが日本サッカーだい!と威張れるようなものを打ち出せるようになって欲しいんだ。 世界的に活躍している芸術家がみんなそうであるように、ある種の日本的なるものから一皮むけた時に、はじめて“世界に通用する”日本的なるものに到達出来るような気がする。頑張って欲しいんだよ。日本サッカー!

 

「スペース・トゥーランドット」快調に二年目
 リピーターのほぼ全員から、昨年よりパワー・アップしていると言われている。そのパワー・アップの意味は、本編の終わりに銀のテープの花火がドカーンと上がる新兵器が登場したことだけではなく、むしろ内容の充実度が上がったということだろう。
 画期的なことをしているわけではないのだが、たとえば、ここはもう少し芝居で埋められるのではないかなとか、ここはこうした方がリアリティがあるのではないかなという些細な事を詰めていった結果、そうしたことが寄り集まってドラマが繋がってきて、より作品のメッセージが的確に伝わるようになってきたのだ。それが証拠に、昨年よりも感動しました。泣きましたと言ってくれている人が増えている。これが一番嬉しい!

 何といっても昨年は全て手探りで、出来上がるまでは本当のところどんなものに仕上がるのか誰も分からなかった。それが今年は最初から完成図が見えていて、そこから練習初日が始まった。オーケストラに関しても、まず僕の中にこのスコアが実際にどう鳴ったかというイメージがあるから、サウンド作りがとても楽だった。
 でもそれに楽観視してあぐらをかかないで、最後まで懐疑的に、もっと良くなる部分があるのではないかと追求し続けた。それは楽しいけれど、一方でとてもしんどい“産みの苦しみ”だ。でもこれを通らないと良いものは決して作れない。努力しても駄作が生まれてしまうことはある。でも努力しないでたまたま傑作が生まれてしまうことは絶対にない。良いものは、必ずそれを作るに値する努力の結果生まれるものだ。

国立にいらっしゃい!
 超多忙の夏もあと一日で一段落つく。その後は夏休みだ。でも遊ぶというのとも違うんだけどな。やることは山ほどある。しかしながら気分的に違うんだ。何時に何処で練習開始という義務から解放されるだけでかなり違う。

 そうした中で8月12日の演奏会だけは特別。これは「素顔のモーツァルト」というタイトルのレクチャー・コンサートだ。場所はくにたち市民芸術小ホール。詳しくは演奏会案内を見てね。
 モーツァルトは、映画「アマデウス」などでも知られている通り、音楽的には真の天才だが、その性格や生き様はハチャメチャで、彼の音楽の賛美者でもそのギャップに悩まされる。学校教育では最も扱いづらい作曲家だ。特に彼は「うんち、おしっこ」などのスカトロジー、いわゆる「下ネタ」が大好きで、そうした下品な歌詞に曲をつけたりして喜んでいる。

 コンサートは、彼が「下ネタ」歌詞の上に作った美しいカノンから始まる。演奏するのは、僕が昨年立ち上げたバッハの合唱団である東京バロック・スコラーズ
 僕の話は、まさにこうした聖濁のギャップの中にこそモーツァルトの天才性の鍵が隠されているという見解から、彼の創作の秘密に切り込んでいく。さらに独唱、重唱、ピアノ独奏、クラリネット独奏などを通して、様々な角度から天才の創作の原点に迫る。最後は「モーツァルトの死の秘密」に触れる。モーツァルト・ファンには決して逃せない新しい発見満載のコンサートだ。絶対面白いから、騙されたと思って来てください。

Auf Wiedersehen !
さて、それではみなさんお元気でお過ごし下さい。次の更新は8月26日になると思います。その間に多分掲示板には気が向いた時にカキコしますので、ブログっぽくなるかもね。

バイバイ、タム!

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