失われた夏休み

 まだまだ厳しい残暑が続きますねえ。皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は?ええ、まあ、なんとか生きてます。先週あたり死にそうになりましたけどねえ。

 というのは、例のウィーン国立歌劇場の子供オペラ「ジークフリートの冒険」の編曲が思いの外手間取り、最初の計画ではお盆明けくらいに仕上がって、残りの時間で論文を二つほど書こうと思っていたけれど、とてもとてもそれどころではなかったのだ。

 今回ほどワーグナーの恐ろしさと向かい合った時はなかった。「ジークフリートの冒険」初演時は、既成のスコアとパート譜をつなぎ合わせたものをそのまま使用し、エレクトーン奏者の伊藤佳苗さんと塚瀬万起子さんの二人は、スコアを見ながらそのまま弾いてくれたので、肝心の僕はかなり楽ちんな想いをしていたのだ。
 ところが今回のように電子楽器が使えない環境で14名の奏者のためにあらためて編曲してみると、ワーグナーのスコアの独創性、斬新さとモロにぶつかり合い、天才のオーラのまばゆさに目がくらみ、すっかり怖じけてしまった。
 ワーグナーのスコアは凄いぜ!「ワルキューレの騎行」のオーケストレーションだけでもぶったまげてしまって手も足も出ない。16分音符でトリルのように動く木管楽器。激しく下降するヴァイオリン達の音型。騎行のメロディーを高らかに奏でる金管楽器。このめくるめく世界を一体どうやってわずか14人の編成に直せるというのかよ。これはもう冒涜以外の何物でもないだろう。そう思いながら筆を進めていた。
 「スペース・トゥーランドット」は最初から新しくアレンジしたので、それと同じくらいの日数や労力で出来るだろうと甘く考えていたのだが、結果的に言うと倍以上かかった。 まずワーグナーは物理的に音符の数が多い。ブリュンヒルデが眠らせられるところの弦楽器の32分音符だけでも大変な数だ。そこにもってきてワーグナーの場合、音符だけが書いてあることがむしろ稀で、各種のスタッカート記号、各種のアクセント記号、頻繁なクレッシェンド、ディミヌエンドなど音符に付随する記号の多いこと!
 面白いのは、この人、一度フォルテと書いても、また次の小節にもフォルテと書くんだ。あるいは音符毎に全部いちいちフォルテと書いてある。ベートーヴェンもそういう書き方する人だけど、ベートーヴェンを尊敬しているワーグナーもそれに習ったのかな。
 つまりそれだけ一つ一つの音符に対する思い入れが強いんだ。その思い入れがね、編曲しているとひしひしと伝わってくるのだよ。ある意味、指揮者として演奏するためにスコアを読むよりも、もっと突っ込んだスコアとの関わり方をするものだから、今回ほどワーグナーを身近に感じたこともなかった。幸せといえばこの上なく幸せだったとも言えるし、反対にこの上なく辛かったともいえる。

 そうこうしている内に、8月12日には国立の芸術小ホールの演奏会を迎えた。我らが東京バロック・スコラーズも参加し、三澤家は一家総動員でこれに当たった。妻もプロジェクターの操作を担当した。僕はぎりぎりまで「ジークフリートの冒険」をやっていたが、演奏会の3日前になってやっと観念し、プレゼンテーション・ソフトのAGREEを立ち上げて、妻の操作する字幕及び画像を編集した。
 しかし今回はスピーチの原稿を作る時間がどうやっても取れなかったので、空でしゃべることに決めた。といっても、僕の場合話せなくて困ることはないんだ。逆に、モーツァルト好きな僕には、話したいことが山ほどあるので、話し過ぎて困るのである。案の定、演奏会は予定を20分もオーバーして、まるでワーグナーの楽劇を上演しているかのような長さになってしまった。まあ、来てくれたお客様達は皆喜んでくれたようで(まさか本人の前でしゃべり過ぎで冗談じゃねえなんて言えないだろうけど)、僕のモーツァルトに対する思いだけは伝わったようだ。

 長女の志保は、今年の夏はパリ国立地方音楽院伴奏科の卒業試験があったので、まずはそれに集中し、なんとかプリミエ・プリ(一等賞)が取れた。これでピアノ科と合わせて二つのプリを持っていることになる。その直後帰国し、「スペース・トゥーランドット」に練習から本番までかかり切り。それから、金沢と名古屋である演奏会の伴奏の仕事があって、それが終わってから国立の演奏会になったので、正直言ってややオーバー・ワークだった。勿論やるべきことはこなしていたのだが、ひとつひとつの曲への思い入れと完成度をもっと深く掘り下げるべきだった。
 プロは、どんなに時間がなかったり忙しかったり大変でも、聴いている人に納得してもらうものを届けなければならない。自分も若い時はそうだったのかも知れないとも思うが、演奏会を終わって彼女に少々厳しいことを言った。クラリネットの杏奈も、一人前の演奏家としてはまだまだ。僕の目から見れば二人ともまだスタートラインに立ったばかりのヒヨコだ。しかし、こういう親を持つと辛いだろうね。なかなか誉めてもらえないんだから。

 演奏会の翌日から群馬の実家に行った。僕の姉や甥、姪達が来ていたが、僕はかつて母親に作ってやった自作パソコンでひたすら「ジークフリートの冒険」の編曲。このパソコン、結局自分のために作ったようなもんだね。
 15日(水)の夜には、東京バロック・スコラーズの練習に出て、そのまま東京宅に帰ったが、練習後、本来僕を囲んでの暑気払いパーティーのはずだったのだが、編曲が間に合わないのでと勘弁してもらい、帰宅して夜中まで仕事した。

 16日(木)から新国立劇場では「タンホイザー」などの合唱練習が始まった。18日(土)と19日(日)は、埼玉県合唱連盟主催の合唱コンクール審査員としてまる二日間編曲が中断。この時期が一番辛かった。
 合唱コンクールでは、特に一般団体のレベルの高さに驚いた。審査するのに差が付かなくて大変だったが、最終的に合唱として整っているということだけではなくて、音楽になんともいえない香りというか味わいの出ている団体を僕は上位に選び出した。
 審査結果は多少審査員によってばらつきが出た。でも僕は他の審査員達が何を考えてそれぞれの団体を選出しているのか分かる。つまりこうなってくると審査されているのはむしろ我々の側で、なにをもってよしとするかという価値観が問われるのだ。だから僕は、僕の意見だけが全てとは思わないし、このばらけ方と、それを総合した最終的な順位には満足している。でも僕としては決してあいまいではないし、僕自身の意見には揺るぎないものがある。ちなみに、結構僕と礒山雅(いそやま ただし)氏の価値観は近いところにあった。
 一度だけ礒山氏と意見がばらけたことがある。それは、とても難しい現代曲をやったある中学校合唱部への評価だ。最近もメシアンの合唱曲をとても大変な思いをしてやった僕は、あそこまでピッチを完璧にし、曲を仕上げるのには相当の努力がいるだろうと思い、最高点をつけた。音取りをきちんとやっただけではなく、表現も納得のいくものだったし、なにより発声法が良かったからだ。しかし礒山氏の意見は厳しかった。日本語の表現がまだまだだし、リズムがきちっと立っていないという。確かにそうだ。礒山氏にとっては、曲が難しかろうが発声が良かろうが関係ないという立場に立ってものを言っている。つまり僕達演奏家の近視眼的見解ではなく、もうひとつ突き放した観客の代表者として語っている。だからこそ、こういう視点の違った複数の眼というのは必要なんだと思った。
 審査員というのは楽ではないが、こういう玉石混淆の中から良いものとそうでないものとを丁寧に選び分けていくということは必要なことだと思った。だからこそ、作曲家だって選び分けられて今日まで価値のある作品が残っているのだから。バッハの頃にはむしろテレマンの方がずっと評価されていたし、モーツァルトの頃はサリエリの方がもてはやされていたのに、現在残っているのはこうした真の天才の作品だ。

 19日の発表と表彰式が午後9時前に終了する頃、さいたま市文化センター前に黒塗りのレクサスが乗り込んできた。僕を乗せて奥志賀高原までいくためだ。
20日(月)は奥志賀高原で一日六本木男声合唱団倶楽部の合宿。みんなは土曜日からここにきて練習している。涼しいし、とてもいいところなんだけど、僕の休憩時間は全て「ジークフリートの冒険」の譜面作りにあてられた。つまりパソコンとキーボードをここまで持ってきたんだ。
 21日(火)は、軽井沢の大賀ホールで16:00から演奏会。その後新幹線で帰ってきてまた夜中まで仕事。

 実は23日(木)の昼までにスコアもパート譜も全て仕上げて、プリント・アウトして製本に渡さないと間に合わないのだ。編曲自体は奥志賀でほぼ仕上がっていたが、それからパート譜の作成に取りかかった。パート譜もパソコン・ソフトの場合、スイッチひとつでスコアから起こせるのだが、やはりレイアウトを行わなければならない。
 22日の夜は娘達にアルバイトをさせて、妻のパソコンからパート譜のプリント・アウトをやってもらった。僕は同時進行して、最後まで残っていた仕事をやっていた。それは、スコアに入れる歌の声部とドイツ語の歌詞だった。結局、深夜過ぎまでかかってお互いその作業をやった。
 23日の午前中は志保にスコアの印刷をさせて、僕は表紙作り。それから印刷終了したスコアを見直す。いくつか修正ペンが必要だった。そうして23日12時10分前に全ての行程が終了。いやあ、ギリギリだね。
 23日午後は新国立劇場合唱団の練習。21時に練習が終わるとまっすく帰り、シャンパンを空けて家族でささやかなお祝いをした。僕の仕事の大変さを目の当たりに見ていた家族達にとっては、もはや人ごとではなくなっていたのだ。それから久しぶりに11時前に床に入り、ぐっすりと寝た。朝も、これまでずっと6時半に起きてタンタンの散歩に行き、7時から仕事にかかっていたけど、24日の朝は8時まで寝たよ。いやあ、充分に寝られるってなんていいんでしょ。

 製本は月曜日の午前中に上がるので、月曜日中にDHLでウィーンに向けて送る。2,3日で行くので来週中には着くだろう。勿論月曜日中にウィーン歌劇場に「送りました。」とFAXを入れるつもりだ。この原稿を書いている時には、まだ製本を待っているだけの状態だが、なんとか罰金だけは免れそうだ。

 ふうっ!なんという夏!夏休みが全くなかった。論文も何も書けなかった。奥志賀高原に行っても、散歩も出来なかった。でも、自分で言うのもなんだけど、僕のスコア、かなり良い音がするはず。ひとつのことを成し遂げた達成感。これは何にも代え難いな。まあ、それでよしとするか。因果な商売だよ全く!

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