東京バロック・スコラーズ演奏会は目前!

 今週は、新国立劇場の仕事の合間に16日の演奏会の勉強に明け暮れた。僕のi-Podには数種類のト短調ミサ曲、モテット、ブランデンブルク協奏曲第三番、カンタータ102番と187番が入っていて、行き帰りの京王線は譜面なしで聴いて暗譜確認をしている。バスに乗っている間もかけていて、共通カードを運転席のところで通す時も足が音楽に合わせて踊っている。家の前まで来た時、同じテンポなのだがいきなり日本笛がメロディーを取り、曲調全体が祭り囃子に変わった。驚いてi-Podを止めると、家の向かいの公会堂で秋祭りに備えて笛と太鼓の練習をしていた。ああびっくりした。バッハと同じテンポでやらないでよ!

 ブランデンブルク協奏曲第三番って、本当に素晴らしい曲だ。3つのヴァイオリン、3つのヴィオラ、3つのチェロとコントラバスの一人一人が全てソリストで、ソロを取ったり合わさったり自由自在。i-Podで聴いていると、完全にお客様になってしまっている自分を発見する。って、ゆーか、奏者が優秀だったらそもそも指揮者なんていらないくらいだ。まあ、目障りかも知れないが、目の前で一人、自分で弾きもしないくせに楽しそうに踊るだけの人を、奏者のみなさん、許して下さい!

 メインのト短調ミサ曲は、バッハの短調の曲によく見られる独特な表情を持っている。初めてライプチヒを訪れた壁崩壊直前1989年の秋の、肌寒く哀愁に満ちた街の雰囲気が僕の胸にはいつも蘇ってくる。モーツァルトの短調のような深い憂愁の代わりに、ある種のすがすがしさの中に人生に対する諦念が感じられるのだ。それはまるでドイツ、ザクセン地方の秋空のよう。

 ここまでの原稿は、土曜日の夜に仕上げたが、今からは日曜日の夜。東京バロック・スコラーズのオケ練習から帰ってきて書いている。今の印象は・・・というと・・・。ウーン!荒い!なんとも荒削りだ。みんなバッハへの思いがほとばしりすぎて、美しくまとまってという感じにならない。面白いんだけど、めっちゃめちゃ面白いんだけど・・・もしこのままコンクールに出場したら、多分地区予選で落ちるだろう。まあ、僕自身がそうみんなにけしかけたというのが最大の原因だ。
 これでいいのだろうか?いや、いいのだ。ただこのままではいけない。ひとりよがりではなく万人に受け入れられるためにはあと一歩の努力が必要だ。

 東京バロック・スコラーズのメンバーに告ぐ!君たちは勝利の目前にいる。しかし、一歩間違えば地獄行きだ。15日の最終練習を覚悟せよ!もう、出来ないと、おしおきだわよお!

 

ワグネリアンって・・・
 どうしてワーグナーになると、みんなこういう風になるんだろう。9月6日木曜日、他のソリスト達に先取りする形で、合唱団だけの「タンホイザー」立ち稽古が始まった。演出家ハンス・ペーター・レーマン氏が、まずみんなに演出のコンセプト説明を行ったが、話している内にしだいに興奮してきて、しまいには絶叫形の演説になった。合唱団のみんなはあっけにとられていた。
 それからレーマン氏の紹介で、新国立劇場にも何度か来たことのある衣裳及び美術家のオラフ・ツォンベック氏が、舞台美術のコンセプトを説明し始めたが、彼もしだいに乗ってきて、きがついてみたら「タンホイザーにおけるヴェーヌスの存在」について熱っぽく語り出し、止まらなくなった。とうとうレーマン氏が笑いながら彼を制止した。こんな彼を見るのは初めてだった。いつもはきわめて冷静な人に見えていたのに。
 ツォンベック氏の舞台美術は、歌合戦の時に中央に置かれるクリスタルなハープの弦からインスピレーションをふくらませたもので、壁や柱が全部透明でクリスタルな感じになっている。これに様々な色の照明を当てると、それがヴェーヌスベルクになったり森になったりするというのだ。別の見方をすると「スペース・トゥーランドット」の氷の惑星をこのセットでやったらいいなと思う雰囲気なので、合唱団の中に何人かいる「スペース・トゥーランドット」出演者は皆目配せしながら、「ジェラート星・・・・。」と言っていた。でもとっても素敵だよ、この舞台。まだ絵だけだけど。

 さて、立ち稽古が始まった。レーマン氏は驚くことに全てのソリストの全てのパートを覚えていて、空で歌っている。しかもとても良い声なのだ。もういかにもワーグナーを愛しているというのがひしひしと伝わってくるので、立ち稽古のテンションはもの凄く高い。何回も繰り返して歌わせられる合唱団員に僕が、
「マルキーレン(表情はつけながらも声を抜いて歌うこと)していいよ。」
といっても、みんなもつい声を出してしまう。こんなことは滅多にないよ。

奇跡の作品「タンホイザー」
 これはレーマン氏の力に寄るところも大きいが、僕が思ったのは、「タンホイザー」という作品の持つ特別なパワー故だ。「タンホイザー」は驚くべき作品だ。これはワーグナーにしてみればまだ初期の作品で、後期の繊細かつ色彩的な管弦楽法やライト・モチーフを駆使した円熟した作曲技法はない。しかし「タンホイザー」では、何と言ったらいいのかな、彼自身の人生における問題提起や、彼が芸術という手段で訴えたかったことの全てが、もの凄いエネルギーを持って生のままぶちまけられている感じがするのだ。
 というより、この作品の持つテーマは、人類全てがかかえる終わりのない問題。パウロが「ローマ人への手紙」で語っているような、いわゆる霊肉の相克や、二つの異なった世界に自らを引き裂かれる近代的魂の葛藤なのだ。 この作品を重く真剣に受け取ってしまった者は、その後の人生を、この問題を考えずには生きていけなくなる。つまり「タンホイザー」がその人にとっては決して終わらないのだ。

 ワーグナー自身にとっても「タンホイザー」は終わらなかった。彼は、有名なパリ版だけでなく、この作品に何度も加筆をしたが、それでも満足出来なかった。ベニスで亡くなる直前にも、
「自分はまだタンホイザーについてやり残していることがある。」
と言っていたと、妻コジマは日記に記している。
 ワーグナーは、「タンホイザー」の後にだって、もっと円熟した素晴らしい作品の数々を作っているのに、はるか若い頃の稚拙な作品にそんなにまでこだわっているなんて普通じゃないと思うよね。そうなんだ。「タンホイザー」とはそういう作品なのだよ。だからレーマン氏もツォンベック氏も、まるで何かに取り憑かれたように語り出したら止まらなくなるのだ。

 木曜、金曜、土曜の三日間で合唱の場面は全て「立ち」がついた。勿論ディテールはまだだが、レーマン氏に乗せられて、合唱団員もまるで熱に浮かされたようになって、夢中で動いた。レーマン氏は、僕の尊敬するバイロイト合唱指揮者ノルベルト・バラッチの前任者である伝説的な合唱指揮者ウィルヘルム・ピッツの時代からバイロイトにいる演出家だ。ヴィーラント・ワーグナーのアシスタントをしていたと自分で言っていた。だからバイロイトの合唱団のこともよく知っている。
 僕が美しい弱音で音楽作りをしたのに、テノールあたりが興奮して何となく大きく歌ってしまうと、すかさずそれを見抜いて、僕が言う前に合唱団に言ってくれる。また、たとえばドイツ人がThüringenと発音する時、Tをもの凄く強く言わなければならないのに、何度か歌っている内になんとなくゆるくなると、発音指導までしてくれる。
僕が、
「何度もみんなに言っているんですけどね、日本人の場合すぐ戻ってしまうのですよ。だからあなたのようなドイツ人が直接言ってくれると助かります。」
と言うと、かれは冗談交じりに、
「お父さんが百回言うのより、時には叔父さんが言う一回の方が効くのさ。」
と言う。
 その彼が、
「本当に凄いな。この合唱団は!」
と言ってくれるので、僕も悪い気はしない。まあ、8月の後半から「ジークフリートの冒険」の編曲でフラフラになりながらも、一人ずつ歌わせたりしながらシゴキまくって作り上げた甲斐があったというものだ。合唱団員達もよく頑張って暗譜してくれたよ。

感動的な終幕
 終幕の稽古は感動的だった。タンホイザーが、
「聖なるエリーザベトよ、僕のために祈って下さい。」
と言いながらこときれる。するとその瞬間、ローマから若い巡礼者達がやって来て、
「奇跡だ!奇跡が起こりました!教皇様の杖に新緑が芽生えたのです!」
と告げる。
 ここの女声合唱は合わせるのが簡単ではない。にもかかわらず、レーマン氏は女性達に全速力で走り込みながら歌わせる。予想通り最初はアンサンブルがぐちゃぐちゃになった。
レーマン氏は僕に向かって言う。
「合わせづらいのは分かるんだが、ここを単なる有名な『いわゆるタンホイザーの終幕』として終わらせたくないのだ。」
こんな時常識的な合唱指揮者だったら、
「そんなことは音楽上出来ません!ほら合わないじゃないですか。」
と声を荒立てて言うだろうが、残念でした!僕は自分でも演出するし、作品も書くので、もっと遠くまで見渡せるのだ。
 僕も勿論合わないのは分かったし、この状態で合わせるのが至難の業なのは分かっている。しかし同時に僕にもレーマン氏の意図するものが見え、確信したのだ。うまくいけば、きっとこの終幕は動きのある素晴らしい舞台になるであろう・・・と。
「やってみましょう。何度も繰り返してやればきっと出来ます。」
と僕は答えた。

 レーマン氏の言葉に力が入る。
「Hoch über aller Welt ist Gottという歌詞こそ皆さんが全世界に向けて言わなければならないメッセージだ。我々は全て罪深いけれど、神によって救済され得るんだという事実。それを皆さんは聴衆に向かって高らかに告げるのだ。ひざまずき、両手を挙げて神をたたえるのだ!」
なんかこう聞くだけでウルウルくるものがあるよ。ちなみにさっきのドイツ語の歌詞の意味は、「世の全てのものを超えて神がいる」ということだけれど、こういう時のbe動詞はいつもの補助的な役割を離れて、「歴然と存在する」という力強い意味となるのだ。第九のAhnest du den Schöpfer,Welt !「世よ!神の臨在を感じるか?」と同じで、最もシンプルかつ最も感動的な啓示だ。

「タンホイザー」の立ち稽古はまだまだ始まったばかり。これからソリストが入り本格的な練習になるが、その前触れの三日間があまりに素晴らしかったので、ついいっぱい書いてしまった。また続報が入り次第書くつもりだ。

ということでいよいよ「バッハとパロディ」
 ここのところ僕の大好きなワーグナーとバッハに浸かりきりの毎日を送っているので、体は疲れているのだが、幸せいっぱいだ。やっぱりじっくり聴き、語り合うならドイツ音楽でしょう。僕は早くレクチャー原稿を仕上げなければならない。これがまた言いたいことが沢山あり過ぎて困るのだが、退館時間があるので先日の国立のように伸びることは許されない。要領よく、聴衆がもっともっとバッハを好きになってくれるように、楽しいお話しにまとめようと思っている。

★東京バロック・スコラーズは、すでに満席が予想されています。演奏会当日は皆様お早めに。

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