フリードリヒ、B級グルメに驚喜!

BSのある生活
 なんだか世界が鮮明で目が疲れる。というより正確に言うと頭が疲れる。理由のひとつは、最近メガネが新しくなったので、今まで読めなかった字まで読めてしまったり、今まで気がつかなくてもいいことまで気がついてしまうようになったことだ。
 もうひとつは、我が家のテレビがデジタルになって、画像が画期的に鮮明になったこと。とにかく目を通して脳に入ってくる情報量がもの凄く増えたため、頭が疲れるのである。

 先週「今日この頃」に書いたアンテナの件は、結局、工事のおじさんに来てもらって、今あるアンテナの確認とBSアンテナの取り付けを行ってもらった。BSアンテナは、屋根の上の前からあるアンテナの心棒についた。
 何故最初からデジタル放送が見えていたかというと、アナログ放送をひろっていたアンテナは、そもそもデジタルの電波もひろえるUHFアンテナで、アナログ放送中継所のある多摩の方を向いているのだが、それに東京タワーから発信するデジタル放送の「流れ電波」が入って、地デジが見えているそうなのだ。
 本当は二本のアンテナが必要なのだが、このままでデジタル放送の電波を計ってみたら80以上の値が出ている。僕の家は高台にあるので、東京タワーから家までほとんど遮断物がないのだろう。
「このままで充分大丈夫ですよ。何かで電波が悪くなったらアナログに切り替えて同じ放送を見て下さい。あと半年もしない内に多摩にもデジタルの中継が入るようになります。そしたらもっと良くなります。」
と言っておじさんは帰って行った。
 確かにたまにTBSだけは電波が悪くなることがある。でもそんな時はアナログ放送のTBSに切り替えれば充分。

 で、肝心の衛星放送はというと、どの局も鮮明そのもの。特にハイビジョンは鮮明すぎて目がくらくらするよ。妻は途中からだけど10日間に渡るフランス・ブルゴーニュ特集が見れて大ゴキゲン。でも、僕は相変わらず、朝ドラと報道ステーションかNews23しか観ない。

 

フリードリヒと感動の再会
「おお、ヒロ!元気だったか?」
フリードリヒは、ドイツ人達がよくやるように僕の肩をハグハグしてきた。
「エバハルト、変わらないなあ!」
彼の奥さんのキャロリンも一緒だ。
「日本へようこそ!」

 その日、ベルリン国立歌劇場は、横浜の神奈川県民ホールで「トリスタンとイゾルデ」公演日。「トリスタン」の合唱は第一幕だけなので、合唱団は公演中に「モーゼとアロン」の練習をし、それでも「トリスタン」公演よりずっと早く終わってホテルに帰ってきたのだ。
 僕達はホテル近くの指定されたレストランに向かった。なんと僕達を招待してくれる京都のワグネリアンK氏は、まだ横浜にいて「トリスタン」第三幕を観ている。
「わたしに構わず始めといてくれなはれ。終わり次第かけつけるさかいに。」
と言ってくれている。なんという寛大な措置!

フランス料理とよもやま話
 レストランに着くと、もう話は伝わっており、
「最初にシャンパンをお出しするよう言われております。本日はシェフのお薦めメニューということで、早速始めさせていただきます。」
ということで、はやくも冷たい前菜と温かい前菜とが出てきた。
 フリードリヒは、いつも通り気さくで全く偉ぶったところがない。
「バイロイト祝祭合唱団指揮者とベルリン国立歌劇場合唱指揮者を長年やってるから、もっと偉そうになってきたかと思ったよ。」
「なあに、人間そんなに変わるもんじゃない。それより、バイロイトにはまた来年も来られないのかい?」
「残念ながら無理だね。遊びに行く事は出来るかも知れないけど、前のように二ヶ月半日本を空ける事は、どう考えても出来そうもない。」
「ヒロ、それでも今年もまた招聘依頼は出すからね。」
「出してくれても行かないってば!」
「そうじゃないんだ。聞いてくれよ。これは僕からのお前へのRespektの印だと思ってくれ。僕はお前にこれからも毎年招聘依頼を出し続けるよ。お前が来ても来なくても。お前にとってバイロイトとはそういうところだということをお前に分かっておいてもらうためだ。お前さえその気になれば、バイロイトはいつもお前を歓迎しているというわけだ。」
「エバハルト、嬉しいよ。ありがとう。」

 それから今年の「マイスタージンガー」のプリミエの話になった。ヴォルフガング・ワーグナー氏の娘カタリナ・ワーグナー演出で物議を醸し出したものだ。カタリナは10年前新国立劇場の開場記念公演「ローエングリン」で演出家のワーグナー氏と一緒に来日した時はまだ十代後半のキャピキャピ娘だった。だから現在でもまだ二十代。いかに作曲家ワーグナーのひ孫娘とはいえども、そんな世界的音楽祭の演出なんて大それた事出来るんかいなと思っていたが、フリードリヒは意外にも評価していた。

「目の付け所は良かったよ。ワルターは最初自由奔放な革命的芸術家として現れたが、ザックスからいろいろ規則を学んでいく内にすっかりただの平凡な芸術家になってきてしまった。ザックスはワルターに新しいものを見出したのだが、それをどう扱っていいか分からなかったので、意図的にではないけれど、ワルターの独創性を慣例と規則でつぶしにかかったんだ。逆にベックメッサーがどんどん革新的になってきてTシャツとジーンズになってくるんだ。ベックメッサーはワルターを見て、
『おお、ああいう風に自由に出来るものなのだ。』
と悟るのだが、結局その自由の上に構築出来るものを持たないので、彼も成功はしないのだけどね。」

 なるほど、ワルターのマイスター修行を逆に芸術家としての退行と捉えるのか。なかなか考えたなあ、カタリナ。そういう視点は、もしかしたら小さい頃から嫌というほど「マイスタージンガー」を見続けてきた人でないと気がつかないことかも知れないなあと思った。

 そんな話をしていたらK氏が知り合いのワグネリアン夫婦を連れて現れた。
「済みません、もう勝手にやっております。」
「いいえ、かましまへん、どうぞどうぞ。好きなワイン飲みなはれ。」
「そうですか、では遠慮なく。」
「ところで三澤さん、フリードリヒさんに訊いて欲しいんですけどね。今日観た『トリスタン』の演出で使われた翼の意味がよう分からんのですわ。」
フリードリヒ曰く、
「あれは天使の羽根です。天使というのはね、ドイツでは守護の天使という意味合いが強くて、人が苦しんだり悲しんだりしていると、その人の上に翼を広げてその悲しみを包み込んでくれると考えられているのです。逆に天使の翼の上に乗ると、その人間は飛翔する事が出来る。そういう意味で『トリスタン』の悲劇を包み込むアイテムとして演出家は翼を使ったのだと思います。」
通訳しながら僕は、
「ちぇっ、僕も『トリスタン』観たかったなあ。」
と思った。

ベルリン国立歌劇場合唱団の音色
 東京文化会館で「モーゼとアロン」のオケ付舞台稽古を観た。その細かい一部始終を語りたいのだが、これは招聘者にとっては企業秘密に触れることなので、敬意を表してやめておこう。
 しかしこのことくらいは書いても差し支えないだろう。僕が驚いたのはベルリン国立歌劇場合唱団の響きだ。さっきまで新国立劇場にいて新国立劇場合唱団の響きを聴いていただけに、その違いがはっきり感じられた。ああ、ドイツ人の合唱団ってこういう響きしていたなと思い出したが、厳密に言うとたとえばそれはバイロイト祝祭合唱団の響きとも違っている。具体的に言うと、独特の翳りがあるのだ。つまり暗くて深い響き。イタリアのベルカントとは全く違う。

 「モーゼとアロン」では随所にSprech Stimme(半分語り風の歌唱)があるが、それを語る発音は素晴らしい。勿論ドイツ人だから当然と言えば当然だが、日本人がどんなに努力しても越えられない壁があるのを感じた。何故なら、彼等のドイツ語は、ドイツ人の骨格からそのまま出てくる感じがするからだ。
 以前バイロイトで、ドミンゴがジームムントを歌っていた時、そばで聴きながら僕は、よくここまでドイツ語を明瞭に発音し、そのニュアンスに踏み込んだ表現をしたなと感心していた。でもドイツ人に言わせると、それでもドミンゴはまだドイツの国境を越えていないという。
 かつてドイツ人の歌手は、ヘフリガーのような暗さを持ち、ベルカントとは全く相容れない発声法で歌っていたが、ヴンダーリッヒやシュライヤーを始めとしてインターナショナルな響きを持つ歌手達がその後どんどん出て来て、かなり国境自体がなくなった気がしていた。

でも国境は歴然と存在しているのだ!

 新国立劇場合唱団の響きはベルリンの人達から比べるとかなりラテン的で明るい。でも僕が別に意図して作っているわけではない。これはきっと日本人の骨格がイタリア人により近い事もあるし、発声の方向性も、よりイタリア・ベルカントを指向しているからだろう。
 一番違うのはテノールの発声。ベルリン国立歌劇場の場合、日本人よりもずっと下の方からすでにチェンジを始めている。チェンジとは何かというと、高いファとかソより上の音域を歌う時、胸声だけでは突っ張ってしまって出ないので、それより下の音域から頭声すなわち裏声(ファルセット)を混ぜながら、しだいに頭声に持っていくテクニックの事である。
 アマチュアでもプロでも、合唱の指導をしていてもいつも一番頭を悩ますのがテノールのチェンジの問題だ。たとえばフォルテでそのフレーズの最高音がファの場合、胸声で押し切ってしまう事もあれば、下の音域から始まっても、最高音がラでしかも弱音で歌う場合、フレーズの始まりからもう頭声を混ぜてギャップを最小限に抑えようとする。ちょうど弦楽器で弦を変えて弾き続ける時に音色が変わらないように気をつけるのと同じだ。音型によってどこからチェンジさせようかといろいろ試行錯誤するのである。

 しかしベルリンのテノールは、ほとんどそのギャップを感じさせない。大きな理由のひとつは、上の音域で日本人よりずっと頭声の割合が高いのだ。いわゆる裏声テノールというやつだ。バッハの福音史家などを歌うテノールのタイプの人が圧倒的に多い気がする。これはメソードの問題もあるけれど、やはり骨格というか生まれつきの問題かも知れない。

 新国立劇場合唱団の今回の「タンホイザー」でも、ドイツ語の発音に対しては、これでもかと思うほど厳しく指導してきたつもりだ。でもベルリンの人達のSprech Stimmeを聴いてしまった後では、ドイツ語発音に関してはなんだか絶望的にもなった。
 一方で僕は思った。無理矢理発声法を乱してドイツ国境を越えようとするよりも、これはこれで自分たちの明るい音色を武器にすることもひとつの方法だとね。だって、あの音色にはどうやったって決してならないし、日本人があの音色を無理に作ろうと思ったら、かなり不自然になってしまって何一つ良い結果は生まれない。

B級グルメに驚喜!
 そんないろいろな事を考えながら練習を観ていた。終わってフリードリヒが、
「さあ、ヒロ、ビール飲みにいこうぜ!」
と言ったので、フリードリヒ夫妻と僕の三人で上野の坂を降りて、アメ横を歩きながら店を探した。
上野よりも御徒町に近いところにちょうど座・和民があったので、
「ここに入ろう。今日は僕がおごるよ。」
と言って入った。
 
 先日の高級フランス料理とは打って変わって、チェーン店居酒屋はかなりお手頃価格。生ビールとB級グルメ三昧だった。申し訳ないなと思ったが、フリードリヒ夫妻は予想に反してめちゃめちゃ喜んでいる。
「こういうの食べたかったんだけど、外人の自分たちだけだと怖くてなかなか入れないし、メニューも注文出来なかったんだ。」
 まず堀炬燵のような足を伸ばせるテーブルに感動。それからお通しに出てきたレンコンにびっくり。
「これは何だ?」
「蓮だよ。」
「蓮だって!蓮を食べるのか?」
「まあ、食ってごらんよ。」
「うまい!」
 それからフリードリヒ夫妻が驚喜したメニューはというと、枝豆、コロッケ、焼き鳥盛り合わせ、だし巻き卵などだ。特に牡蠣フライには感動して、タルタルソースとソースをたっぷりからめながら、
「牡蠣をこんな風に食べるなんて最高!」
と絶賛の叫びを上げた。僕達にしてみると洋食のカテゴリーなんだけどね。
「生ビールも、ドイツ以外だったら日本が一番おいしいよ。」
だって。
「だけど冷たすぎるだろう。」
ドイツではあまりビールは冷やしすぎないのだ。味が分からなくなってしまうから。でも座・和民の生ビールのジョッキーときたらキンキンに凍っている。
「そうも思うけどね、ヒロ。日本で日本のおかずを食べながら飲むと、これが不思議と気にならないんだな。」
ほう、そういうもんかね。
こうして楽しい語らいは夜中近くまで続いた。

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