主よ、人の望みのよろこびよ

メガネ!
 またメガネを作った。前に作ったものはよく見えるのだが、ずっとかけていたら疲れてしまって頭が痛くなるわ肩がバリバリに張るわで体調を崩してしまったので、今度はそれ以前からかけていたメガネと同じ度数のものにした。
「これだと0.6にしかなりませんが・・・。」
とお店の人に言われた。だったら以前のやつをそのまま使っていればよさそうなものだが、もう古くてコーティングがはがれてしまって、拭いても拭いてもきれいにならないのだ。
 さて、この新しくて弱いメガネ。レンズが新しいので、同じ度数と言ってもよく見えるのだ。しかも度数は以前のやつと同じなので全く疲れない!やっと巡り逢えたよ。理想的なメガネ!体調もやっと直ってきた。さあ、芸術の秋だ!

主よ、人の望みのよろこびよ
 11月10日土曜日は、浜松バッハ研究会演奏会。曲目はカンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」、小ミサ曲イ長調、そしてカンタータ147番「心と口と行いと生命」。

 この中で二つのカンタータは、バッハの数あるカンタータの中でも最も有名な曲だ。第140番第4曲目のテノールのコラールは、同じ題名のオルガン曲にもなっているし、第147番で二度に渡って出てくるコラールは、「主よ、人の望みのよろこびよ」というタイトルでピアノ曲に編曲されている。これは「G線上のアリア」とならんでバッハの全ての作品の中でも最も有名な曲。もしかしてこれをピアノ曲だと思っている人、結構多いかも。

 この二つはコラール幻想曲という形式で書かれている。それはコラールのメロディーを伴奏する音楽が限りなく拡大した楽曲で、その伴奏音楽で始まり、それがひとしきり演奏されると、その音楽に乗ってコラールのメロディーがひとフレーズずつ現れる。それと伴奏音楽とが絡み合いながら進行していく。
 バッハの場合、この伴奏部分があまりに素晴らしいので、もうコラールがなくても差し支えないと思えるほどだ。でもよく見てみると、名曲はやはりコラール自体が優れているのだ。
 コラールは、バッハよりずっと以前から教会で歌い継がれているので、当然バッハの作曲ではない。いわゆる賛美歌って感じの単純な曲なのだが、出来不出来はあるのだ。
 「主よ、人の望みのよろこびよ」が何故名曲になっているのかという理由も、コラールの素晴らしさがある。例えば、このコラールは、「マタイ受難曲」の中で重要な箇所で使われている。

ペテロが捕らえられたイエスを追って官邸の中庭に入っていく。すると、そこにいた人が彼にたずねる。
「あなたはあのイエスの弟子でしょう?」
ペテロは激しく否定して、
「いや、違う。私はあんな人など知らない。」
彼が三度目にイエスを否認した時、鶏が鳴いた。ペテロは、最後の晩餐でイエスが彼に、
「お前は今夜私を三度知らないと言うだろう。」
と言った言葉を思い出し、外に出て行って激しく泣いた。


 このくだりの後、「マタイ受難曲」では有名なアルトのアリア「わたしを憐れんで下さい」が来る。そしてそれを包み込むような癒し系コラール「わたしはあなたを避けてしまいましたが、再び御前に現れます。」が続けて歌われる。このコラールこそ、「主よ、人の望みのよろこびよ」のコラールである。
 ペテロの人間としての弱さを、アルト歌手が涙にむせびながら受け、さらに会衆が「しかし、あなたの憐れみの心は我々の罪よりもはるかに大きいのです。」と歌い進む内に、我々は弱さと挫折感から次第に癒されてくるのを感じる。まさにこのコラール自体がそうした癒しの力を持っているのだ。

 このコラールのミファソソファミレというメロディーは、なんとなく第九のメロディーとも似ている。第九は声楽部分では激しく歌われてしまうのだが、声楽が出てくる前に演奏されるオーケストラだけの部分では癒し系の音楽が聴かれるではないか。ベートーヴェンがこのコラールを意識して第九のメロディーを作曲したかどうかは分からないが、本当は癒し系のコラールを作ろうとしていたように僕には思われる。でも粗野なベートーヴェンのこと。結果はああなってしまったんだなあ。つくづく不器用な奴だなあ。

 さて、バッハは、そのコラールのキャラクターをもっとはっきり打ち出すために、あの有名なドレミソファファラソ、ソドシドソミドレミというメロディーを考え、コラールのメロディーとからめたのだ。その洗練された手法の見事さよ!
 今回の演奏会でカンタータ第147番をプログラムの最後に持ってきたのは、トランペットがあって編成が大きいという事もあったのだが、お客様にこのコラールを最後に聴いてもらって癒されて帰っていただこうと思ったからだ。その効果のほどは分からないが、浜松バッハ研究会のメンバーは心を込めて温かい歌を歌ってくれた。

シャーマン・ソプラノ飯田みち代
 さて、今回の演奏会でソプラノ・ソロを歌った飯田みち代さんは不思議な歌手だ。彼女の事を初めて知ったのは、名古屋の芸術文化センター地下のリハーサル室。よく覚えていないけど、もう10年くらい前の話。
 モーツァルト200合唱団のオケ合わせをやっていたのだが、隣のリハ室でたまたま「セヴィリアの理髪師」の立ち稽古が行われていた。僕が愛知県立芸術大学に行っていた時の教え子、小山洋二郎君が出ていたので、休み時間にのぞきに行った。そこで僕は驚くべき体験をしたのだ。
 そこにいたのはロジーナだった。ロジーナを演じているソプラノ歌手ではなくて、ロジーナそのものだったのだ。僕は即座に、
「あれはなんていう人?」
と尋ねた。
「飯田さんというソプラノです。」
「来年のモーツァルト200演奏会ね、あの人を使おう。」
「ええっ?」
何の予備知識もないまま、僕はどうしてもこの人と一緒に音楽をやりたいと思ったのだ。
 こうして次の年、僕は飯田さんと一緒に芸術文化センター・コンサートホールの舞台に立つ事になる。彼女は予想通りの人だった。

 飯田さんは普通の人にはないものを持っている。それはまさに天性のもので、ガラスの仮面の主人公北島マヤのようなのだ。話に聞くと、彼女は役にのめりこむと食べ物の好みまで変わってくるそうだ。
「一種の憑依現象ですなあ。」
浜松演奏会の前の日、練習終了後の鉄板焼きの店でソリスト達と食事しながら、僕はこう言った。彼女の場合、こう演技しているという意識的な部分が全くないのだ。つまり役そのものの人格が彼女に入り込み、自然に振る舞っているとしか思えない。
「あたし、音楽をやっている時だけ霊感が強くなるのです。」
「ふうん。」
「三澤先生が指揮している時、いつも先生を包み込む光の柱が立っているのご存じですか?」
「ええ?そうなの?温かいものに包まれているのは感じるけれど・・・・。」
「銀色の柱です。ずうっと高いところまで続いています。指揮者にはよくあるのですが、こんなにはっきりと見えるのは三澤先生だけです。あたし本当はモーツァルトとかバッハとか好きなのに、ちっともそういうお仕事が来なくて、『ルル』とかいう魔性の女の役ばかり来るのです。でも先生はそういうことに全く囚われなくて、モーツアルトを歌わせていただいたし、今度は初めてバッハを歌いました。本当に感謝しています。」
「だって、絶対にモーツァルトとかバッハの声だと思ったからね。バッハは、本当に声楽的テクニックがないと歌えない。特にアクート(高音域を歌うための特別なテクニック)を持っていない人には絶対無理だからね。音楽を奏でるところまでいかないのだよ。これからどんどんバッハをやったらいい。歌い方は僕が教えてあげる。」

 演奏会では、カンタータ140番の塩入功司君とのデュエットが白眉だった。塩入君も新国立劇場合唱団のメンバーだが、僕が昨年東京バロック・スコラーズのロ短調ミサ曲で無理矢理バッハの世界に引きずり込んだのだ。いわばバッハにおいてはまだ初心者マークのついているキャリアの二人だが、どうしてどうして、これ以上の演奏はなかなか望めないのではというとても高いレベルだった。アリアでは、イ長調ミサ曲のフルート二本を伴った曲が夢見るように美しかった。とても音が高くて難しい曲だけど、ブレスも安定しているので安心して聴けた。飯田さんは、来年5月25日、東京バロック・スコラーズ演奏会「若き日のバッハ」に出演する。

 僕は職業柄いろんな声種のいろんなタイプの声楽家と接していて、それぞれ評価しているけれど、個人的な好みを言うと、飯田さんのような細めで線がくっきりしていて、それでいて柔らかく暖かみのあるソプラノの声が最も好きなんだ。飯田さんの他には、たとえば中村恵理の声が僕の好みにぴったりだ。

ロシア語!
 新国立劇場合唱団では、先週はずっと昼間が「カルメン」立ち稽古、夜はNHK音楽祭のための練習だった。ネッロ・サンティ指揮、NHK交響楽団で11月26日月曜日に行われるこの演奏会のテーマは「アジア・アフリカ」。日本を題材にしたマスカーニ作曲「イリス」冒頭の曲や、「蝶々夫人」のハミング・コーラスから間奏曲の終わりまで、中国の「トゥーランドット」、アフリカに関係ある「オテロ」や「アイーダ」、そして「ダッタン人の踊り」などだ。

 合唱は結構歌いっぱなしの感じなので、
「これ全部真面目に歌ったら、声がヘロヘロになるね。」
とみんな言っている。

 「トゥーランドット」では、第一幕の謎解きに失敗したペルシャの王子が月の出と共に斬首される場面の合唱が歌われるが、休み時間に「スペース・トゥーランドット」に出演していた団員達が、
「どうしてもスペトゥーの歌詞が出てきてしまいますよ。どうにかしてくださいよ。」
と言ってくる。
「どうーなってるんだ。まるで木の葉のようにユラユラと。WA〜WA〜WA〜WA〜!」

 「ダッタン人の踊り」はロシア語だ。初日はロシア語の言語指導の先生がどうしても都合が付かなかったので、とりあえず音取りだけしようと、ヴォカリーズで歌わせた。これがけっこう美しくて、僕は、
「なんかこのままでもいいね。下手に発音悪い歌詞で無理矢理歌うよりもいいかもよ。」
とみんなに言ったが、次の回から言語指導の先生が来て、ロシア語がついてみると、おおーっ!って感じで、急に音楽に情緒が加わってくる。
「素晴らしいよ、みんな、ロシア語って感じがして、聴いていたら急にボルシチが食べたくなってきたよ。」
と言ったら、一同爆笑。

 帰り際に団員達が僕に向かって口々に、
「ボルシチもいいけど、やっぱりピロシキでしょう。」
なんて言ってくる。
「あのカレーパンのようなやつね。」
「壺焼きのスープもいいわ。」
「おお、みんなでロシア料理屋に行くか。」
僕も含めてなんて単純な人達!

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