「ジークフリートの冒険」のDVD

 次女の杏奈が先日ウィーンに遊びに行ってきた。残念ながら、僕の編曲した子供オペラ「ジークフリートの冒険」は、その時ウィーン国立歌劇場では上演されていなかったのだが、その代わり、劇場でなんと「ジークフリートの冒険」のDVDを売っていたので、ひとつは自分の分、もうひとつは僕の分を買ってきた。そして僕の分を郵送してくれた。

 3月7日の金曜日、「アイーダ」のオケ付き舞台稽古の後、家に帰って来たらDVDが着いていた。この更新原稿を書き上げようと思っていたのだが、待ちきれなくて、わくわくしながら観た。
 ウィーン国立歌劇場とはいっても、子供オペラをやるのは小さい舞台空間で、新国立劇場の中劇場のようなわけにはいかない。でも、演出のマティアス・フォン・シュテークマンは、随所にその空間を最大限に使う工夫をしていて楽しく、自分の作品であることを忘れて終わりまで一気に観てしまった。

 一番気になっていたのは、なんといっても僕の書いた編曲だった。なにしろ、昨年夏に、死にそうな思いでスコアを書き上げて、パート譜と一緒に送って以来、どんな音が鳴っているのか一度も聞いたことがないのだから。
 あのワーグナーのめくるめくような大管弦楽の色彩感や量感は、わずか14名のアンサンブルに置き換えられるはずもないのだが、時間をかけて丁寧にイメージをふくらませながらなんとかアレンジしたのだ。
 通常編曲者というものは、本番を迎えるまで一緒に練習に立ち会い、出てくる音を聴きながら、必要に応じて細部を書き換えたりすることもある。でも、それも出来ないまま初日が来て、今もう半年も経っている。いったいどんなことになっているのだろうかとても心配だった。

 結果は・・・・ウィーン国立歌劇場管弦楽団セレクト・メンバーによる素晴らしいプレイヤーのお陰で、自分で言うのもなんだが、かなり良い音で響いているぜ!勿論編成ゆえの無理もあるが、オリジナルを知らなければ、これはこれで立派に成立している。
 キャストも国立歌劇場の本公演にも出演している歌手達だから、かなりレベルが高い。総監督のホーレンダー氏は、この作品を大変気に入っているようで、これから三年間はこれを手放すことなく、音楽祭などにも参加させようと意気込んでいるらしい。

 さあ、そうなると、本家本元の新国立劇場も負けてはいられない。今年の夏には、この「ジークフリートの冒険」ウィーン・ヴァージョンを中劇場で上演するので、それにむかっていろいろ準備を進めてゆくのだ。これからDVDを何度も聴いてバランスなどを研究し、もし必要ならば書き換えてもいい。今度こそは、日本のワグネリアンも馬鹿にしないで聴いてくれるかな。

 

ペンライト攻防を超えて
 ペンライト攻防とは言っても、指揮者のフリッツァは、僕にとって一緒により良い公演を作り上げていくかけがえのない仲間であり、この攻防には本来勝ちも負けもなかった。この原稿を書いている土曜日、無事にゲネプロ終了。
「なあんだ、つまらない。」
などと言わないで下さいね。

 とは言っても、月曜日から今日までの間に、事がすんなり運んだわけではない。ピアノ付き舞台稽古の3日目の凱旋行進の場面。僕とアシスタント達は、正面と両側の照明ポータル・タワーの三カ所からペンライトでフォローした。彼には前もって、
「必要なところはするからね。」
とは言っておいたので、裏切り行為などではない。するとそれに気付いたフリッツァがただちに劇場側に要求。
「明日のピアノ付き通し稽古では、正面も両側もペンライト一切なしで一度やらせていただきたい。それでどうなるか見させてもらいたい。それと、合唱指揮者の三澤氏には、自分の後ろにいて自分が言う駄目出しを聞いてもらいたい。」

 きたな、と思った。で、ピアノ付き舞台稽古最終日。僕はフリッツァの後ろに座った。駄目出しは彼がする前にむしろ僕の方がした。
「あっ、今ずれた。」
彼は即座に後ろを向いて、
「今のは俺の振り方がはっきりしてなかったんだ。」
 そして彼は大きくはっきり振る。そうすると第一幕の男声合唱は、まあ、いつもほど精妙ではないが、合っている。まずいな、これでは説得できない。でも、彼がこれほどはっきり振ってくれるのなら、まあペンライト・フォローはなくても合わなくはないか。
 それにしても、男声合唱団の連中、お互いに、
「戦え、戦え、やっつけろ!」
と歌うはずなのに、みんなマエストロをガン見して、
「やっつけろ!」
と歌ってるよ。これはこれで結構笑える。

 そして有名な凱旋行進曲の場面が来た。ゼッフィレッリ演出の「アイーダ」は全ての幕で紗幕を使っている。そのため、マエストロの姿やモニター・テレビがとても見づらくなっている。そこにもってきて頼るべき赤いペンライトを禁じられてしまった。
 フリッツァはこれ以上高くは振れないほど、腕を上げて振っているが、所詮オケピットの中で、舞台の床面よりずっと低いマエストロを見ることが出来るのは、おびただしい群衆合唱の前列の者達のみ。合唱団は、その過酷な条件の中で健気にも一生懸命合わせようと歌っている。
 正直言って僕は、自分の合唱団がここまで成長していようとは思っても見なかった。こんな状態でも、なんとかタイミングが合うだけでなく、音楽的にもきちんと歌おうとしている。それは涙ぐましい努力だった。確かにあからさまにはズレなかった。でも歌い出しや、歌い終わりはモヤモヤって感じになってしまう。なによりも、怖くて踏み込んで歌えないものだから、音量は彼等の持てる力の6,7割くらいしか出ていない。

 僕は悲しかった。これでは、音楽練習の間に積み上げたあのサウンドはどうなる?それからマエストロに渡し、マエストロ音楽稽古やオーケストラ合わせで彼と作り上げた音楽はどうなる?すべてを舞台に来てここで失うのか?それは耐えられない。でも僕は密かに期待したんだ。これを聴いたらフリッツァだってきっと、やっぱりフォローがあった方がいいなと思ってくれるのを・・・・。

 ところが彼は、第二幕第二場グランド・フィナーレを振り終わってオケ・ピットから上がってきた時、僕に向かって晴れ晴れとした顔をして、
「とってもいいね。」
と言った。

そこで僕はキレた・・・・。

「本当にそう思っているのかい?」
「とってもいいよ。何故?」
「本当にあなたはそれでハッピーなの?」
「何が言いたい?」
「僕は全然ハッピーじゃない!」
「なんだって?」
「あなたがもし本気で、昨日より今日の合唱の方が客観的に良いと思っているのだったら、僕はあなたの指揮者としての良識を疑うね。」
「なにい?」
「あなたはいいよ。自分から見える合唱団員達が全員自分をガン見してくれて、みんな自分に向かって歌ってくれているのだからね。でもあなたには、自分から見えていない、すなわちあなたという指揮者を見ようとしても見ることが出来ない約半分の合唱団員が、どんな気持ちで疎外感を感じ歌い出せないでいるのか分からないし、分かろうともしない。それにみんなが疑心暗鬼で歌うものだから、合唱の音量が昨日の半分くらいしか出ていないのに気がつかないのかい?これまで一緒に作り上げた合唱団が、その力を出し切ることなく不完全燃焼していても、あなたは自分さえ気持ちが良ければそれでいいのかい?」

 僕は一気にまくしたてた。さあ、これから彼の反撃だ。僕は身構えた。しかしその時、彼の顔にあったのは、いつもの横柄な表情ではなく、驚きの表情だった。いつもはおだやかな僕から、そんな言葉が出てくるとは思っても見なかったに違いない。そして彼から出てきたのは、力のないひとことだけだった。
「お前が今日の出来を良くないと、俺に批判するのなら、この後お前が自分の好きなように振ればいいだろう。俺は帰る!」
そして彼は本当に帰ってしまった。
 あっけにとられたのは僕の方だった。あのくらい僕に言われただけで、彼は練習を途中で放棄して帰ってしまったのだ。何の議論もなかった。でも彼がそんなにめちゃくちゃな奴でない証拠には、帰る前に劇場側にこう言い残していたのだ。
「今日は帰るが、明日のオケ付き舞台稽古には来る。その練習前に、一度合唱指揮者とじっくり話し合いたい。」
それを後から聞いて、僕は、
「ああ、これでやっと対話の糸口がつかめた。」
と思った。

 そして翌日、彼と話し合った。
「昨日は言い過ぎたかも知れない。ごめんなさい。」
と僕は切り出すと、彼はそれを遮って、
「いや、昨日は何も起きなかった。なにもなかったんだ。お互いこれからのことを考えよう。お前はどうしたいんだ?」
「第二幕第二場の凱旋行進の場だけは、どうしても両側の照明ポータル・タワーからのペンライト・フォローが欲しい。」
「ひとつだけ条件がある。俺の方を見ることが出来る者は、全員俺の方を見て欲しい。俺を見られない者達のフォローはしてもいいよ。」
「オッケー!ありがとう。」

 凱旋行進の場が来た。誤解しないでもらいたいのだが、ただタイミング的にピタッと合うだけが目的ではないのだ。合うことによって、言葉もずれないので、合唱団の発音が明瞭になり、表情が的確に出るのだ。先週も書いたが、そのことによってヴェルディが書いた様々な音楽表現が可能になる。
 今日の合唱団はまさに彼等の持てる力を発揮出来た。音量も充分。表現も柔軟。僕は嬉しくて休憩に入るとまっさきにフリッツァの元に飛んで言った。
Oggi anch'io son molto felice !「今日は僕もとてもハッピーだ!」

 すると彼は何をしたと思う?ニッコリ笑って僕のことを痛いくらいに抱きしめたんだ。こいつ、オーデコロンの臭いがくさくて、普段はそばに寄るのも嫌なんだけど、その時だけはあまり気にならなかったな。とにかく、彼は、僕がどんなにこの合唱団を大切に想っているか分かってくれたというわけだ。

 日本人は、対立やいさかいを嫌うけど、西洋人と仕事をする時、対立から対話や真の理解が生まれることも少なくない。それに、日本人が一度対立してしまうと、もう一生根に持って決裂したままになってしまったりするけれど、西洋人は、今回のように大げんかした後だって、意見が合えばハグハグしたりするのだ。いや、それよりも対立することによって、相手が何に対し、譲れないくらい大切に想っているのかを理解出来、そのことによってお互いをより分かり合うことが出来るのだ。
 もし僕がフリッツァの言うことを、
「ハイ、ハイ。」
と聞いて従っているだけだったら、彼は僕を認めてくれるどころか、守るべきものを何も持たないプライドのない合唱指揮者と見て、僕を限りなく下に見るだろう。
「ダメ元で要求してみたら、通っちゃったよ。」
と西洋人が言うのをよく聞いている。西洋人は、まずダメ元で要求することから始まる思考経路を持っているからね。
 西洋人の思考方法は、まず対立ありきなんだ。だから議会には与党と野党があるし、裁判には検事と弁護士がいる。日本では、今の国会を「ねじれ国会」などと呼んでいるが、本来国会はねじれているのが普通なのだ。むしろ福田さんのように、
「野党にも協力していただいて。」
などと言う方が甘い。アメリカを見るがいい。同じ民主党内でクリントンとオバマがあんな熾烈な争いをしているではないか。党内分裂どころじゃない。もうねじれまくりだあ。
 
 ええと、話がそれたが・・・・とにかく、僕はフリッツァととても仲良くやっているというわけだ。

「アイーダ」は月曜日から今月末まで7回本番。

カラマーゾフの兄弟
 亀山郁夫氏による新訳のカラマーゾフの兄弟を読み始めた。平易な表現が使われており、とても読みやすい良い訳だと思う。ドストエフスキーって本当に面白いなあ。いろんな人物が登場するのだけれど、みんなひと癖ふた癖あって、しかも善人ほどうさんくさく見えてくる。
 彼は人間の心理の裏の裏まで読み込んでいく。善意の陰の偽善や、信心に潜む淫蕩の心など。あらゆるものをあばきながら、人間の赤裸々な姿に踏みこんでいって、真実を見い出そうとするドストエフスキーは、やはり偉大だ。
 これも前の「ジャン・クリストフ」と同じように、ゆっくりと読むからね。また続報をいつか書きます。

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