4月5日〜ある土曜日の場合

 この原稿を高崎線特急あかぎ号の中で書いている。今日は朝から忙しかった。10時から東京バロック・スコラーズの練習。14時からは新国立劇場「魔弾の射手」のオーケストラ付き舞台稽古だった。舞台稽古は20時30分くらいまで続いた。

 マティアス・フォン・シュテークマンのことだから「狼谷」の場面の演出はきっと面白くなるだろうと思っていたが、期待を裏切らず、高級なお化け屋敷という感じでとても楽しい。火の車が舞台中空を駆け抜けていくし、助演達が蜘蛛や芋虫やナメクジに扮して舞台を覆い尽くす。あまりの不気味さに小さい子供達が見たら、泣いてしまうかも知れない。
 「ウフーイ!」と歌う合唱団の声は、客席の4隅に仕込んだスピーカーによって、昔4チャンネル・ステレオが売り出された時のデモンストレーションよろしくグルグル音を回した。その際に、僕のアイデアによってエコーではなくディレイをつけてみた。「ウフーイ・・・ウィ・・・ウィ・・・!」という感じになって、マティアスも指揮者のダン・エッティンガーも大喜びだ。
 この場面の一番最後には、舞台の奥の奥でザミエルに扮する池田直樹さんが、小林幸子か美川憲一という感じの舞台セットとも衣裳ともつかないいでたちで、気絶しているマックスとカスパールを蔑むように見ている。それが、まさに闇の帝王という雰囲気でなんともカッコ良い。

 今回「魔弾の射手」をやって気付いたことは、ワーグナーの初期の作品、特に「さまよえるオランダ人」の闇の世界を、この作品は先取りしているということだ。カスパールが、「ザミエル!ザミエル!」
と呼ぶところの弦楽器のトレモロとティンパニーの不気味な音楽は、ウェーバーがベートーヴェン的な書法を踏襲していながらも、まさにロマン派的な世界に足を踏み入れていく瞬間を見るようだ。
 非日常的なもの、幻想的なもの、奇怪で異常でデフォルメされた世界。それがロマン派芸術の扉を開いた。そしてワーグナーを通って深層心理の世界に行き着く。そこではエロス(性)とタナトス(死)が対比しながら癒合するが、ウェーバーはまだそこまでは行っていない。
 「魔弾の射手」のドラマは、オリジナルでは絵に描いたような勧善懲悪の芝居だ。当然のごとくマティアスはそこにメスを入れる。リアリストであるマティアスには、人間存在はそんな簡単なものとは映っていない。マティアスの感性は「魔弾の射手」から飛翔する。そして、その先は・・・・。

 まだ若いダン・エッティンガーは、見る度に成長を遂げていく。自分のサウンドを持っていて、表現したいものが揺るぎない。それでいて独りよがりではなく、協調性も柔軟性もある。
 彼は来年から始まる「トーキョー・リング」(キース・ウォーナー演出のニーベルングの指輪)の指揮者でもあるので楽しみだ。ダンもマティアスと同じに、ウェーバーの中にワーグナーを見ようとしている。あるいは、ワーグナーへと至る道を見出そうとしていると言うべきか。

 電車は暗闇の中を弾丸のように走る。今日は高崎市新町の実家に行って泊まるだけ。お袋はビールとつまみをもって待っていてくれるのだろうが、僕は今胃がもたれている。お昼に食べた「ビックリ・カレー」のせいだ。
 東京バロック・スコラーズの練習場から移動して新国立劇場に着いたら、もうあまり時間がなかったので、食堂で一番速いカレーを頼んだ。その時、「ビックリ・カレー」というのがメニューにあったので、面白そうだから頼んで5分くらいで飲み込むように食べた。
 「ビックリ・カレー」にはカレーの上に3種類のフライが乗っている。コロッケとメンチカツとアジフライだった。頼んでから後悔した。まさにびっくりするくらいの量で、しかもカレーにアジフライというのは究極のミスマッチだった。カレーによってアジの生臭さが物凄く際だつのだ。食べ終わったら気持ち悪くなってしまった。で、そのままアジが胃に残っているらしい。もう二度と食べない、アジフライとカレーのコンビネーション。

 明日の朝10時から、新町歌劇団「愛はてしなく」の練習に出る。以前強風で電車が遅れて大変な思いをした時のパターン。その後、新幹線で帰ってきて、また14時から新国立劇場で「魔弾の射手」の舞台稽古なんだけど、今度は周りに心配かけないで間に合うだろうな。

 そんなわけで今晩は国立の家に帰らない。そんな時、何が淋しいかって・・・・妻に会えないほど淋しいものはない・・・・と言っておこう。いや、嘘ではない。ホント、ホント。
 それとタンタンだ!あの短い茶色のスムースヘアの生暖かい胴体を抱っこしたり、肉球の中に指を突っ込んだり、唇やホッペをベロベロ舐めてくるのでその辺がグチョグチョになるのを我慢したり、紙のように薄い耳をさわってひっくり返してみたり出来ないのが何とも辛い。うーっ、タンタンに会いたいよう!

 実家に帰ると、お袋がつまみを作って待っていてくれた。うどの煮付けや、ホタルイカの煮付け、刺身などを見たら急に食欲が出て、ビールを飲んで、今はほろ酔い状態で原稿を書いている。
 子供の頃から、国立音大に入って玉川上水に下宿するまで、ずっと住み続けていた故郷の家。結婚しても、ベルリンに留学に行っても、いつも心はこの家を離れたことがなかった。それに、何歳になっても、お袋の前では僕はいつまでも息子だ。全く、毎回いいからねって言うのに、八十を過ぎたお袋は、53歳の僕の布団を敷いてくれている。東京に帰る朝は、四つ辻から僕の姿が見えなくなるまで見送ってくれる。なんだろね、お袋って。

音楽と社会〜バレンボイムという現象
 ピアニストであり指揮者のダニエル・バレンボイムがエドワード・W・サイードと対談した本「音楽と社会」(原題はParallels and Paradoxes、みすず書房)は、とても知的に刺激的で、興味深かった。

 バレンボイムの家系はロシア系ユダヤ人で、祖父母の代にブエノスアイレスに移民してきた。やがて彼は両親と共に新生国家イスラエルへと移民した。音楽家としてのキャリアが始まると、彼はロンドン、パリ、エルサレム、シカゴ、ベルリンなど、世界のさまざまなところに住んできた。

 すでにユダヤ人として、あの忌まわしいナチズムの象徴であるワーグナーをレパートリーの中心に据え、バイロイト音楽祭にも常連のように登場していたバレンボイムは、それだけでユダヤ人達から非難の的になっていた。
 2001年7月、彼はベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いてイスラエルを訪れ、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を上演するはずだった。ところがフェスティバルの責任者が、曲目を変更するよう彼に要請した。
 そこで彼はシューマンとストラヴィンスキーに変更したが、アンコールの時になって彼は聴衆に向かってこう言った。
「これからアンコールに『トリスタンとイゾルデ』からの抜粋を演奏しようと思うが、それを不快に思う人たちは退席してもらってかまわない。」
 実際、何人かは席を立ったが、演奏は2800人の聴衆を魅了したという。ところが事はそれだけで終わらなかった。彼に対するイスラエル文化大臣や有名人を初めとする悪意に満ちた執拗な攻撃が始まったのだ。

 このようにバレンボイムという芸術家を取り巻く環境というものは、とても特異なものである。世界中のどこにでも住み、何カ国語を流暢にあやつる彼のアイデンティティは一体どこにあるのか?そこに自分がユダヤ人であるということが、どう結びついてくるのか?ユダヤ人にとっては決して切り離して考えることの出来ない、ナチズムとホロコーストの国ドイツの首都ベルリンに住み、ベルリン国立歌劇場音楽監督の地位にいることは彼にとってどういう意味を持つのか?とりわけワーグナーについてはどのように感じているのか?この本の中にはそれに対する答えが書いてある。

ダンに聞いてみました
 ところで、「魔弾の射手」の指揮者、ダン・エッティンガーは、イスラエル生まれで、バレンボイムによってベルリン国立歌劇場に呼ばれてカペルマイスターをやっている。つまりバレンボイムの後を歩んでいる指揮者だ。
 そこで僕はダンに聞いてみた。彼はなんと2001年の事件の時、その演奏会に居合わせていたそうだ。おお、なんということ!
「自分にとっては、いかに忌まわしい過去があったからといって、音楽史の中からワーグナーという作曲家を抹殺してしまう気はない。カール・オルフは、ナチの集会のためにカルミナ・ブラーナを書いたが、この作品はイスラエルにおいて何の疑問もなく演奏されているよ。一方で、ワーグナーはナチのために何も作曲しはしなかった。ナチがワーグナーの音楽を使ったのだ。イスラエル人がすべてのドイツ音楽を憎んでいるわけではないんだ。ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスはみんなに愛されている。ただワーグナーだけが特別なのだ。それはおかしいと思うし、バレンボイムのやったことは全面的に正しいと僕は思うよ。」
とダンは語った。
 僕がバレンボイムのアイデンティティはどこにあるのかと聞くと、彼は、
「アイデンティティねえ、確かにバレンボイムは『音楽ができれば、どこでも我が家』と言っているけれど、旅行する時はいつもイスラエル人のパスポートを使っているよ。」
「ふうん、すると彼のアイデンティティはイスラエル人ということに結びついているわけ。」
「そうだよ。」
何のてらいもなくダンは答えた。

バレンボイムと愛国心
 さて、バレンボイムに話をもどそう。アイデンティティに関して、彼はドイツ大統領ヨハネス・ラウの演説を引用している。
「愛国心は、人種差別主義やナショナリズムがけっして容赦されないところにだけ、栄えることができるのです。愛国心をナショナリズムととり違えてはなりません。愛国心とは自分の祖国を愛する人です。ナショナリズムとは他の人々の祖国を軽蔑する人です。」

これはよく理解できるが、これをバレンボイム自身にあてはめると、事はもう少し複雑になる、というのは、バレンボイムがイスラエルを祖国と呼び、イスラエルへの愛国心を表明する時、それは彼が物心ついたときに周りに存在していた山や川への素朴なアニミズムをさすのではない。
 イスラエルという国家は、ある時に、パレスチナ人を排除して人工的に作られた国家であり、彼はその新生国家に移住してきた。だからイスラエル人の愛国心は、何世代にも渡って住み着いている土着の愛国心の対極にある。むしろそれまで土着の愛国心を持っていたのは、追い出されたパレスチナ人の方なのだから。
 バレンボイムにとって、その問題を乗り越えるためには、彼自身がコスモポリタンな人間となることが不可欠であったのかも知れない。もうひとつ意地悪く言うと、コスモポリタンであるということは、逆に言うと、どの地にあってもよそ者だということでもある。だから彼が国際的に活躍すればするほど、彼は自分自身の中に究極的なアイデンティティを持ちたいと思った。そこで、それを国家や国土ではなく、「民族としてのイスラエル人」というところに求めたと考えたら、果たして全く的外れなのであろうか。

 これはとても複雑でデリケートな問題だ。でも、この本の対話の相手であり、バレンボイムとは民族的に敵対するはずのパレスチナ人評論家のサイードは、この本の中で臆することなくこう語る。
「シオニズムは非ユダヤ人を除外しようとしてきたが、わたしたちときたら、『イスラエル』という名前すら許さないという無差別ボイコットによって、現実には彼らの計画を妨げるどころか、幇助してきたのだ。・・・・人生は先に進まなければならず、過去に凍結されていてはならない。・・・・・無知や逃避は、現在のための適切な指針ではありえない。」

 この本を読んだ後で、僕は凄いなと思った。この二人は、対話や友情を培うどころか、その場で殴り合いや決闘をしても不思議はない敵対する民族同士なのだ。でも、こういう知識人たちが、自分の専門分野のみに従事していないで、社会と自分との結びつきについて真剣に考え、こうした対話の機会を持つのを厭わないのは特筆に値する。
 そうして彼等は言うだけでなく、実際に行動する。たとえ敵対する立場にあっても、言うべき事ははっきり言い、他人の意見をきちんと聞く。そして解決の道を見出す努力を怠らない。それは人間として当然のことかもしれないが、とても勇気が要ることなのだ。

音楽を語るバレンボイム
 それよりも、そうした深刻な問題だけでなく、バレンボイムが自然体で音楽について語っているのが面白い。たとえば指揮者と楽員との関係。
「音楽表現が音を通してのみなされるものであるとすれば、音楽は指揮者がつくり出すものではない。音はオーケストラのひとりひとりの音楽家によってつくり出されているのだ。」
「指揮者になろうと決めたその日から、人に好かれたいという自然な本能は捨てなければならない。何か個人の主張をしようとすればそのとたん、一部の人々とは調和するが、他の人たちとは不協和音を奏でることになるのは当然だ。物議をかもしだすことがないのは平凡な意見だけだと思う。」

 この二つの意見は矛盾しているようだが、僕にはよく分かる。技術だけあって何のイメージも持たず、ただ指揮者の命令だけに従って演奏するオーケストラは、決して最良の演奏に辿り着かないし、それを喜ぶ指揮者も決して一流の演奏家とは言えない。でも同時に指揮者は自分のイデーを持ち、反対を恐れず、それを追求しなければならない。その指揮者のイデーと演奏家のイデーとがぶつかりあうところに最良の演奏が存在するのだ。

 バレンボイムが彼の尊敬するフルトヴェングラーについて語った言葉。
「フルトヴェングラーは、テンポにゆらぎがあることは許されるばかりでなく必要なのだ、と暗黙のうちに信じていた。・・・・逆説的だけれども、形式(フォルム)という感覚を獲得して、隆盛と退潮を表現するためでもあった。そういうかすかなゆらぎが、フォルム的な構造の印象を獲得するために必要だったわけだ。・・・・音楽創造の大原則の一つは移行の技術だということだ。」

 ここまでフルトヴェングラーの本質を見事に言い得ている意見はない。僕は80年代からベルリンなどでバレンボイムの「トリスタンとイゾルデ」などを聴いてきた。彼の音楽作りにフルトヴェングラーの影響を見ることは何の困難も伴わなかったが、同時に僕は、バレンボイムは、フルトヴェングラーの哲学を自身の内に取り込みながらも、独自の道を歩んでいると思った。
 バイロイト音楽祭で間近で見た彼の印象は強烈だった。その鋭い眼光はまるで鷹のようだと思った。あんな大変な「トリスタンとイゾルデ」などを指揮しているのに、休憩時間になるとすぐに短パンとTシャツでカンティーネに現れ、まるで事務仕事の休憩のようにくつろぎ、再びピットに帰って行った。それだけで同じ指揮者としてとってもかなわないと思ったものだった。

バレンボイムはあらゆる意味で、現代において最も注目すべき芸術家だと思う。

対談講演「若き日のバッハ」間近
 加藤浩子さんとの準備は万全。とても楽しい対談講演になる予感がする。僕は、加藤さんの持ってきたバッハゆかりの地の写真と、自分が講演するカンタータ第106番のテキストと譜例を盛り込んでPower Pointファイルに仕上げている。
 講演会というと堅苦しい感じがすると敬遠している人がいたら、心配ご無用、バッハに馴染みのない人でも気軽にお越し下さい。

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