軍人たち

 連休は、新国立劇場の「軍人たち」公演の準備に追われていた。僕のホームページに訪れてくれる人達にとっては、僕が「軍人たち」についてどのようなコメントをするだろうかと楽しみだろう。
 なにせ「演奏不可能」と言われている「20世紀における『ヴォツェック』以来の最大傑作オペラ」に、開場10周年を迎えた新国立劇場が総力をあげて取り組んだのだから。その苦労話や内輪話も聞きたいところだろう。

 確かに、昨年の10月終わりから音楽稽古をやって、「これをいつの日か上演できる日が来るのだろうか?」と思いつつ稽古を重ねて、ここまで辿り着いたことを考えれば、感慨深いものがあるし、音楽スタッフや歌手達の涙ぐましい努力には本当に頭が下がる。
 演出補のフンメルさんは、
「いろんな劇場でこれをやったけれど、こんなに周到に音楽の準備がなされていて、立ち稽古の飲み込みが早く、全てを確実にこなした劇場は、世界広しといえど、ここしかない!」
と絶賛してくれた。
 新国立劇場がこの作品を、今このタイミングで上演する意義はあったと思うし、その成果は期待以上のものが得られた。僕はそれを心から喜んでいる。このプロダクションに関わった全ての人達にも、他の公演では得られない達成感がもたらされたと思う。

 にもかかわらず・・・・・この作品自体について僕は多くを語りたくない。ここから先は、新国立劇場音楽スタッフとしてではなく、自分で台本を書き、作曲もするひとりの芸術家として語ることを心にとめておいて欲しい。
 理由は簡単である。僕はこの作品が嫌いだ。僕はこれまでに自作ミュージカルを三つほど作っているが、こうした僕の創作活動が、まさに「軍人たち」のような、20世紀におけるある種の現代音楽に対するアンチテーゼとしての意味を持っているのだ。

 言っておくが、僕は確かに「現代音楽好き」ではないが、全ての現代音楽が嫌いなのではない。バルトークやストラヴィンスキーはむしろ大好きだ。自分の作品の中にもその技法を好んで取り入れている。その他にもメシアンや武満徹など、好きな作曲家も少なくない。
 シェーンベルクは微妙だが、十二音技法に辿り着くまでの無調を含む作品はどれも好きだ。その表出性がいい。「月に憑かれたピエロ」は大好きだし、「モーゼとアロン」は、ベルリン国立歌劇場の来日公演を見た後で、どうにかして新国立劇場合唱団でやりたいなと強く願っているほどなのだ。
 例外はあるが、シェーンベルク以外の十二音技法の曲は基本的に好きではない。何故なら、音の必然性を決めるのが、自分の感覚でなくて理論だから。十一まで音を書いたら、十二個目の音を自分の感性で選べないなんて嫌だ。バッハも理論的だが、バッハが偉大なのは、完璧な理論を展開したからではなく、“良い曲”を書いたからなのだよ。こうしたことを放棄している全ての曲は嫌いだ。

 「軍人たち」が嫌いな理由の筆頭には、台本がある。現代オペラは、現代音楽の性質上、どうしても題材が限られてくる。つまり無機的な音楽に合うドラマは、同じく無機的な題材だ。主人公マリーが兵士達の間で弄ばれ、転落していく物語。そこには救いや癒しはない。
 僕はこういう殺伐とした題材がまず嫌いだ。原作を書いた劇作家ヤーコプ・M・R・レンツは精神分裂病が悪化して悲惨な最期を遂げ、作曲したB・A・ツィンマーマンも自殺した。
「虚無的な音楽に虚無的な内容、それが現代オペラだ!」
と言われれば、
「だから、それで何が言いたいのだ?」
と答える。まあ、カミュの「異邦人」や、太宰治の「人間失格」の文学的価値は認めるけれど、個人的には嫌いだというのと似ている。

 僕は自作ミュージカル「おにころ」で自己犠牲の愛を表現し、「ナディーヌ」では「かけがえのない出逢い」を、そして今度の夏に公演する「愛はてしなく」では、人が人を“許す”ということはどういうことなのか、というテーマを追求した。
 人間の魂というものは、愛の元で燃え、同時に究極の安らぎを得る。僕は、音楽にもドラマにも人間性を取り戻したいと思っているのだ。この無機的な世の中だからこそ、全人格的に生き、愛を訴えたい・・・・・。
 笑われたっていいのだ。僕は、自分の作品を持って、現代が抱える虚無の中に光を掲げながら挑戦したい。そんな価値観を持つ僕に、この作品が合うわけはないだろう。

 「軍人たち」というオペラは、新しいのだろうか?僕はそうは思わない。そればかりか、むしろ古さばかりを感じる。それはちょうど50年前のファッションには新鮮さを感じるけれど、3年前のファッションに古さを感じるのと一緒の感覚だ。僕にとっては「軍人たち」よりもバッハの音楽の中にむしろはるかに現代性を感じるのだ。

 シェーンベルクは十二音技法を開発した時に、
「これでドイツ音楽のこれから百年の優位は保証された。」
などとうそぶいていたが、ドイツ音楽の優位どころか、お陰で現代音楽が民衆から完全に見棄てられてしまったではないか。
 いいかい、現代音楽が難解だからみんながついて来れないんじゃないよ!現代音楽について行っても意味がないことが分かったから、聴衆が見棄てたんだ。そこんとこを勘違いしてはいけない。世の中にはいまだに、あと五十年もすればみんながウェーベルンの音楽を歌謡曲のように聴く時代が来るなんて信じている作曲家がいるんだ。よほどおめでたいよ。
 戦後の、ビートルズをはじめとしたポップス音楽の台頭や、ミュージカルという新しい劇場作品の興隆は、民衆の現代音楽からの乖離と表裏一体だ。ちょうど時期が重なっているのだ。それが、まさにこの「軍人たち」の初演された時代。
 「軍人たち」公演プログラムの「初演の時代」というページを開くと、このオペラが初演された1965年という時代の雰囲気が書いてある。2年前にはケネディ大統領が暗殺され、1年前に東京オリンピックが開催された。このオペラの初演の8日前、アメリカはベトナム戦争を開始した。この年、デビュー5年目を迎えたビートルズは、エリザベス女王からMBE勲章を授与された。そして翌年日本にやって来て、グループ・サウンド時代のきっかけを作ったのだ。つまりはエレキサウンドが目新しかった時代だ。

 スピーカーから出てくるコラージュされた叫び声、効果音、ジャズのサウンドなど、「軍人たち」で取り入れられた様々な要素は、全てその時代の最先端のものだった。でも、それ故に現代の耳で聞くと、それらは逆にとてもレトロに感じられる。
 それに、オペラの終幕を、あのように大音響のPA音に委ねたのも気にくわない。当時はそれだけで聴衆の度肝を抜いたのだろうが、現代では、映画館に行けばドルビー・デジタルでもっと良い音で音がぐるぐる回っているし、ディスコだってロック・コンサートだってある。それより、必然的な音をひとつひとつ選び取っていく作曲家としての仕事を放棄しているように感じられて嫌なのだ。

 それでも僕は、「軍人たち」をその頃の音楽の中で最高傑作であったことは認める。というか、残ったのが「軍人たち」でよかったなあとすら思う。ひとつくらいだったら、この時代を象徴するようなこういう作品があっても、まあいいかなとも思う。
「難解だと聞いていたけど、結構面白かったでないか。」
とか、
「だんだん耳が慣れてきて、抵抗感がなくなった。」
とか聴衆が言ってくれたのは嬉しいが、かと言って、
「それでは、こういう作品もこういう作品もありますよ。」
と言って、現代音楽を啓蒙する道案内をつとめる気はない。もうこの一作で充分だろう。

 本当のことを言おう。劇場内にいて聴衆よりもずっと作品と深く関わっている僕は、霊的体質ということもあって、作品からいろいろ受けてしまうのだ。
 今回、舞台稽古になって、この作品にどっぷり漬かるようになると、僕は虚無の中にスーッと足を取られていくような恐ろしい感覚を味わった。夜中に変な夢を見て起き、たまらない不安感に襲われるなど、普段の僕にはあり得ないことが起きた。それをさせているのは・・・・もしかしたら自殺したツィンマーマンの霊の強烈な虚無感かも知れない。あるいはマリーの自暴自棄な生き方と、破滅的な運命に共鳴した、沢山の浮かばれない霊達かも知れない。
 劇場というのはね、実はドラマの内容に呼応するように、様々な霊の飛び交っている恐ろしい世界なのだよ。まあ、信じない人は信じなくていいだろうけれど。こういうのは分からない方が幸せだ。

 そこで僕は、
「内容に入り込み過ぎないで、音楽作品としてクールに関わろう。」
と決心したのだ。その時から、僕はこの作品とはある意味距離を置いて関わった。体調はすぐ戻ってきた。東京バロック・スコラーズ演奏会の為の勉強を始め、バッハの音楽に意識を集中することも、僕の精神をかなり助けてくれた。
 バッハはやはり素晴らしい作曲家だ。聴くものに生への確信を与えてくれる。心の闇を、その強烈な光で照らしてくれる。そして人々を明日への希望に導いてくれる。こういう音楽こそは、人類が決して失ってはいけない究極の世界遺産だ。

 というわけで、今は終わってホッとしている。くれぐれも言っておくけど、作品の価値を僕は否定はしないからね。ただ僕だって人間だから、作品の世界に共鳴出来ない時だってあるさ。
 そんな時でも、内部の人達みんな分かってくれていると思うけれど、僕は自分の領域で精一杯働いたし、公演を成功に導くために最大限の努力を惜しまなかったつもりだ。それがプロとしてのプライドだ。

 でもね・・・でもね・・・もう一度言わせて下さい。
「僕はこの作品が大嫌いだーーーあ!」
ああ、せいせいした。

カラヤン帝国興亡史
 今年はカラヤン生誕100年、来年は没後20年ということで、テレビなどでもいろいろな番組が組まれているようだが、忙しくてなかなか見ることが出来ない。白状するけど、僕は、一時期カラヤンに徹底的にかぶれた。
 学生時代、二度ほどベルリン・フィルの来日公演を聴きにNHKホールと普門館に行ったが、カラヤンの指揮は、僕が習った指揮法とあまりにもかけ離れていて、見ていても何をやっているのか全く分からなかった。それが悔しくて、その秘密を解明しようとやっきになってベルリンまで行ってしまったほどのめり込んだ。
 ベルリン芸術大学留学中は、当然のごとくベルリン・フィル定期演奏会の常連で、しかも一般の客からみれば最もバランスの悪い、オケの後ろの席(それは合唱用のポディウムと言われる席だが)に陣取って、カラヤンの指揮ぶりを一瞬たりとものがすまいと息を凝らして見ていたのだ。

 カラヤンの音楽についてはいろいろ言われているが、少なくとも僕がかぶりつきで見ていて分かったことは、彼は普通の指揮者とまるで違うことを考えていて、それをオケと一緒に実現しようとしていたことだ。では、彼がやろうとしていたことは何か?それは指揮の極意とも言うべきもので、ある意味、合気道や気功などに通じるものだった。
 彼は精神を集中し、最小の動きでいかにオーケストラから緊張感のある爆発的なフォルテを引き出すか、いかに艶やかなサウンドを“気”でもって導き出すか、そんなことをやっていたのである。それに気がついた僕は、これはもう誰もかなうはずはないなと思ってショックを受けたのだ。

 中川右介(なかがわ ゆうすけ)著の『カラヤン帝国興亡史』(幻冬舎新書)を読んでみると、僕が留学していた頃1981〜1984は、カラヤンとベルリン・フィルとの仲が最悪だった時期だということが分かった。女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーの団員受け入れを楽員達が拒否したことや、それに対してカラヤンが激怒したことなどは、まさにその時期現地にいた僕の元にもリアルタイムで情報が伝わってきていたのだが、それでも、この本を読むまで、カラヤンと楽団が、ベルリン市をも巻き込んでこれほど熾烈なやりとりをしていたなど想像もしていなかった。

 給料制のベルリン・フィル楽員は、カラヤンが持ってくる、録音や、ザルツブルク音楽祭、演奏旅行の仕事によって給料以外の稼ぎでかなり潤っていた。へそが曲がったカラヤンは、これを逆手にとって、次々とそれらをキャンセルし、よりによってベルリン・フィル団員にとって最も渡したくないライバル、すなわちウィーン・フィルに乗り換えていたのだという。
 1984年6月のザルツブルク聖霊降臨音楽祭では、直前にベルリン・フィルのコンサートをキャンセルし、内密に約束していたウィーン・フィルと共に平然とコンサートを続行したという。

 それにしても、いやはや、指揮者というものはとても普通の人間ではつとまらないね。あれ?僕も指揮者か・・・・でも、ずいぶん違うなあ。
 その昔カラヤンは、ベルリン・フィル、ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭という三つのポストを得る時に、それぞれに対し、
「他にも自分を必要としているところはあるのだ。」
と駆け引きをし、値段を吊り上げ、一番高値で取引を出来ると思ったタイミングで、ほぼ三つ同時に契約を結んだという。こういうのを読むと、カラヤンという人間を嫌いになってしまうが、それでも僕は、カラヤンの芸術と彼の人間性とは分けて考えないといけないと思うよ。
 そんなこと言ったら、カラヤンが嫌いで、
「あいつだけはここに入れるな!」
と邪魔しまくったフルトヴェングラーも似たようなものだからね。芸術家に聖人君主を期待してはいけない。でも同時に、凡人の常識を押しつけて評価しようとするのも危険だ。変な人でも、普通の人に見えていないものが見えているのだから。

 カラヤンが亡くなった時、僕はとても悲しかった。これでもうカラヤン時代の豊饒なベルリン・フィルのサウンドは聴くことは出来ないのだ、と思うと涙が出た。そして事実、そのサウンドはもう二度とベルリン・フィルから聴かれることはなかった。
 その二年後の1991年8月、僕の指揮の恩師で、最も尊敬していた山田一雄先生がこの世を去った。そして9月に入ると、かけがえのないマイルス・デイビスが亡くなった。
「僕にはもう師はいないのだ。今や、僕は一人で生きていかなければならないのだ。」
と、当時の僕は心に誓ったものだった。

バッハ三昧
 東京バロック・スコラーズのための勉強を始めた。25日の「若き日のバッハ」で演奏する曲目は、どれもかつてやったことがある。でも、どんな曲でも僕は全く新しい気持ちで取り組む。
 いやあ、バッハは凄い!特に今回の若い時代のカンタータは、どれもコラールの扱いが秀逸だ。131番第二曲目の、オーボエのオブリガートを伴ったバス独唱とソプラノ合唱のコラール幻想曲などは、暗譜して頭の中で音を響かせるだけで、もうどうにかなってしまいそうに素晴らしい。第四曲目テノール独唱とアルト合唱によるコラール幻想曲も、スコアではなんとわずか3声部で書かれているのだ。でも、その組み合わせの妙よ!
 あまり興奮したので、ひとつひとつアナリーゼしてこの欄で見せてあげようと思ってやりかけたが、譜例を挿入するのも楽ではないし、第一そこまでしても読む方にうまく伝わる自信がないのでやめた。それにしても、こんな曲をわずか22歳くらいで書いていたのかよ。まったく頭にくるぜ!

 カンタータ4番第五曲目、「驚くべき戦いが起こり、死と命が闘った」の合唱曲などは、ホ短調で書かれた曲のまっただ中に、アルト声部のコラールがなんと五度上のロ短調で歌われる。こんなことをしたら、普通コラールが鳴る度に変に聞こえてしかるべきなのに、そう感じさせないのが不思議だ。ハレルーヤ!とシの音で終わるのに、その後の後奏であれよあれよという間にホ短調の終止形に無理矢理持って行き、ピカルディ三度でホ長調で終止だってよ。ふざけんなって言いたいほどだよ。
 
 モテットの第4番「恐れるな」は、若き日の作品というわけでもないのだが、このモテットの後半のコラール幻想曲もイカれてる。その半音階的進行には無調的響きすら感じられて、シェーンベルクもまっ青よ!バッハの半音階はまさに空間がねじ曲がったよう。

 こんな風に、スコアが頭の中で鳴り始めると、僕はヤバイのだ。最寄りの駅で降りるのを忘れてはるか遠くの駅まで行ってしまったり。頭がボーッとして、人の言うことをみんな忘れてしまったり・・・・・。これから僕に会う人は、僕が変な言動をしても大目に見てあげてください。頭の中にバッハが鳴り続いているのですから。
 
 i-Podも大活躍している。カンタータは、リヒターやリフキンなどに混じって、鈴木雅明さんのバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を好んで聴いている。悔しいけど、うまいね。それに録音がとても良い。

ロクダンの本番
 でも東京バロック・スコラーズ演奏会の前に、もうひとつのハードルを越えなければならない。一週間前の5月18日、サントリー・ホールでの六本木男声合唱団倶楽部の演奏会だ。これはメイン・プログラムがなんと男声合唱三百人による「第九」だから別の意味で凄いや。
 ソリストには勿論女性もいて、ソプラノは中丸三千繪(なかまる みちえ)さん、アルトは坂本朱(さかもと あけみ)さん、テノールは樋口達哉(ひぐち たつや)さん、バリトンは青戸知(あおと さとる)さんだ。みんな第九の前にそれぞれ得意なアリアを披露する。
 六本木男声合唱団をはじめとする全国から集まった男声合唱団の曲目は凄いよ。「タンホイザー」の「巡礼の合唱」だの、「さまよえるオランダ人」の水夫の合唱だの、「ナブッコ」の「想いよ、金色の翼に乗って飛んでいけ」だの、もう恐れ多いなあ全く!
 まあ、一言で言えば、ここは究極の「身の程知らず合唱団」なのだ。だけど、これが何故か本番になると、見違えるようによくなって、昨年もモナコで大成功してしまったのだからあなどれない。まあ、これはこれで楽しみだ。

 忙しいのはそれだけではない。その間を縫って、自作ミュージカル「愛はてしなく」のオーケスレーションは、たびたび中断しながらもはてしなく続いている。パソコンで作っているのだけれど、連休中にとうとう待ちに待ったWindows XPのサービス・パック3の正規版が出たので、即ダウンロードした。
 これでCore 2 Quadがガシガシ動作し、モーツァルト200合唱団の皆様に面目が立ったというものだが、肝心のパソコンはというと・・・・・心なしか処理速度が速くなったような気が・・・しないでもない・・・今日この頃ですが・・・・・何か?

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