JAMAC演奏会無事終了

 JAMACって聞き慣れない名前だろう。それもそのはず、最近出来たばかりでまだ誰も知らない。正式名称はJapan Male Chorus League、つまり「日本男声コーラス連盟」。六本木男声合唱団倶楽部に呼応する形で、札幌、長岡、長野、名古屋のそれぞれの男声合唱団が、友情のゆるやかな連帯を組み成立したものだ。
 六本木男声合唱団倶楽部が呼びかけただけあって、札幌ススキーノをはじめとして、みんなある意味ロクダン的だ。そのロクダン的連合合唱団が、なんと三百人も集まってサントリーホールで演奏会をしたのだから、普通じゃない。

 今僕は、演奏家が終わって、打ち上げも終わって、家に帰ってきてこうして更新原稿を書いている。まだ興奮が体中に残っている。その興奮は、普通の合唱団と全く違う種類のものだ。うーん、なんだろうな、この感覚。なんだろうな、この合唱団!

 高崎高校グリークラブ出身の僕が、男声合唱に甘いことは以前にも書いた。僕は、男声合唱が好きと言うよりも、男声合唱こそが僕の音楽人生、特に合唱人生の原点なのだ。僕は姉二人いる三人兄弟の末っ子だったので、昔から男性といるよりも女性といる方が落ち着く性格だが、どういうわけか、合唱に関してはオトコのハーモニーにハマッている。

 ワーグナーの「さまよえるオランダ人」の「水夫の合唱」、「タンホイザー」の「巡礼の合唱」、グノーの「ファウスト」の「兵士の合唱」、ウエーバーの「魔弾の射手」の「狩人の合唱」などと続くと、もうたまんないね。その名曲集を新日本フィルハーモニー交響楽団に乗って歌った後、男声合唱版第九だもんな。オトコばっか三百人の第九だぜ。

 今回の演奏会の、もうひとつの楽しみは、第九のソリスト達が、それぞれ一曲づつ自分の得意のアリアを歌ってくれたこと。中丸三千繪さんは、「歌に生き、愛に生き」でいつも通り情感たっぷり聴かせてくれた。また、坂本朱さんの「サムソンとデリラ」の「私の心はあなたの声に開き」は絶品だったよ。僕はこの曲が大好きで、新国立劇場の試聴会でも誰かが歌ってくれないかなといつも思っている。オーケストレーションは懲りすぎていて、それぞれの声部が3部に分かれた弦楽器の16分音符が情けなく響きがちになり、うまく鳴らせるのがとても難しいのだが、後半の部分はそのいいようのない甘いメロディーに酔い痴れる。今日の坂本さんはカンタービレの極地。うーん、いつまでも続いて欲しい、この至福の時よ。
 樋口達哉君の「リゴレット」の「女心の歌」は、最後のHの音もビシッときまり、ブラボーの叫びが場内にこだました。カッコよかったよ。青戸知君の「タンホイザー」の「夕星の歌」は、心のヒダに迫り来るような丁寧な歌唱で、聴衆をうならせた。僕は、この曲を、国立音楽大学声楽科の発表会で歌ったことがあるので、これを歌う歌手の気持ちをよく知っている。ブレス配分がとても難しいのだ。テクニックがないとなかなか音楽的にならないし、アラはすぐめだつ。大向こうに映える曲でないので、よほどドイツものに造詣が深くないと、取り上げようという気にならないが、青戸君は、ドイツ語の発音もさることながら、その音楽作りに、彼の音楽家として、人間としての大きな成長を感じさせて、僕は本当に嬉しかった。そして4人揃って「リゴレット」の四重唱を演奏した。こういう曲を演奏していると、ヴェルディって大好きだなあと思う。

 さあ、そして第九だ。第九を男声合唱でやるなんて無茶だと思うでしょう?僕も最初は思ったよ。でもやってみると、第九という曲の精神は、ある意味、男声合唱の純粋な精神とつながるところがあるのだ。
「幾百万人の人々よ、抱きあえ!」がオトコばっかで高らかに絶叫されると、言いしれぬ感動が胸にこみ上げてくる。そう思う自分もヤバイのかなとも感じるが、聴衆達にもその感動は伝わっている実感がする。何か尋常でないことが起こっていることが誰の心にも明らかになっている。
 最後のプレスティッシモが嵐のように終わると、ブラボーが飛びかったのは、あながち身内のお世辞だけではない。オーケストラも緊張感のある素晴らしい演奏を繰り広げてくれた。

 とにかく演奏会は大成功。これでロクダンだけでなく、地方のロクダン的合唱団がみんな舞い上がってしまい、さらに全国的に広がって、日本中にロクダン的旋風が巻き起こりそうで怖い。現に、ロクダン団長でJAMAC議長の作曲家三枝成彰さんは、本気で、
「ようし、こうなったら日本全国から千人集めようぜ!」
といきまいている。

 ロクダン的とは何か?それは一言で言うと、熟年のおじさん達が調子に乗ることなのだ。おじさんたちはまだ力が余っている。僕がこの合唱団を面白いなと思う一番の原因は、それぞれの世界の第一線で活躍している団員達は、ただ音楽に関してのみ「しろうと」なのであって、人間として「しろうと」なのではない。むしろ人間としては、かなり高級なのだ。だから演奏会というゴールが与えられた時、「音楽的にどうしなければならないのか」については全く知らないが、演奏会として「どうであらねばならないか」については、潜在的に理解しているのだ。
 それが証拠に、彼らの本番でのオーラがただものでないのだ。そうした彼等から、どのようにして眠っている力を引き出し、どのように彼等を導いていったら、演奏会で最高の結果を発揮できるのか、その面白さに指導者として一度目覚めてしまったらやめられない。

いやあ、やばいっす。これからも続くんだろうなあ。この摩訶不思議な団体との関係は・・・・・。

東京バロック・スコラーズ(TBS)演奏会前夜
 チェロとヴィオローネに乗って、二つのヴィオラ・ダ・ガンバが響き始める。まもなく二本のリコーダーがメロディーを奏する。このアルカイックな異次元空間。その瞬間、
「ああ、またこの音楽を聴ける!」
と、言いしれぬ幸福感にとらわれた。リコーダーの高橋明日香さんは、まろやかな音で、この神秘的な曲を彩ってくれる。ヴィオラ・ダ・ガンバの櫻井茂さんはうまいなあ。彼は、他の曲ではコントラバスを弾いてくれているが、こちらはもともとの本業だけあってゆるぎない。

 JAMAC演奏会前日の17日土曜日、いよいよ東京バロック・スコラーズ演奏会のオーケストラ練習と歌との合わせが始まった。特に、このカンタータ106番「神の時は最上の時なり」の編成は変わっていて、合唱とのバランスが心配されたが、タイトな響きに作り上げた合唱は、なかなかいい感じに仕上がってきた。

 カンタータ4番や131番の弦楽器奏者は、将来性を考えて今回一新し、思い切って若手を使ってみた。それぞれがかなり優秀な奏者達。最初ちょっとおっかなびっくり弾いていたけれど、合唱やソリストに刺激されて、だんだん音が出てきた。きれいな音。音程もいい。バロックの奏法は、教わらないと出来ない面もあるので、これから鍛えれば良いオケが将来出来る期待がふくらんできた。

 午後になってオーボエの小林裕さんと、ファゴットの鈴木一志さんが来た。この二人は、今や団員達ともとけ込んで、なかなか良い雰囲気を醸し出してくれた。腕は二人とも第一級。

 今週の水曜日、最後の僕の合唱指導がある。そこで容赦なくビシビシ、ガシガシやって、合唱が仕上がってきて、さらに24日の最終練習で、ソロと合唱とオケの融合性を徹底的に追求すれば、25日の演奏会は、日本におけるバッハ演奏の未来を呈示する、画期的な演奏会になると確信している。ここまで来たよ、この団体。

 みなさん、楽しみにして下さい。まだチケットを買っていない人は、もうあまり残券がないけれど、だまされたと思って演奏会に足を運んで下さい。

 何がウリかというとね。これは、僕が何故バッハを暗譜で振るのかということとも関係あるのだけれど、本番でのパフォーマンス性の高さの追求なのだ。きずのない落ち着いた演奏のみを求める人は、他に行って下さい。でも、一回こっきりの、かけがえのないバッハのパフォーマンスに興味ある人は、この演奏を聴いてきっとやみつきになるはずです。 僕がめざしているのは、マイルス・デイビス1960年代のプログレッシブ・ジャズの精神。表面的には、オリジナル楽器でもないし、何の新しさもないように見えるバッハ演奏かも知れないけど、その内面性に気づいて下さい。

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