OB六連

 今、この原稿を池袋の東京芸術劇場の楽屋で書いている。今日(8月2日土曜日)は、東京六大学OB合唱連盟演奏会。僕は、東大アカデミカ・コールの指揮者として出演している。
 アカデミカ・コールの今回のコンセプトは、男声合唱とホルンの響き。四本のホルンを伴って、前半をシューマンのホルンと男声合唱のための「狩りの歌」。後半は、ワーグナー作曲「タンホイザー」から、第一幕と第三幕の巡礼の合唱を並べて約20分のプログラムとした。
 巡礼の合唱は、勿論本来はオーケストラ伴奏の曲だが、僕が四本のホルン伴奏付きに編曲した。ついでに第一幕巡礼の合唱直後の狩りのホルンの合奏を加えて、ホルンの見せ場を作った。

 「魔弾の射手」の「狩人の合唱」の例を挙げるまでもなく、男声合唱とホルンという組み合わせはなかなかいいのだ。オペラでも男声合唱は、兵士、僧侶、漁師あるいは船乗り、そして狩人など、当時の生活と密着した男の世界を表現しているが、特に基本的に狩猟民族であるドイツ人の生活に狩りはかかせない。そして狩りといったら何といってもホルンなのだ。

 昨年の夏、アカデミカ・コールの演奏会で、一部だけホルンを使ってシューベルトのホルン伴奏付きの男声合唱曲をやったところ、とても溶け合っていいアンサンブルが出来、好評だったので、これに味をしめて今年はOB六連にぶつけてみたわけである。

 若手ホルニストの友田雅美(ともだ まさみ)さんが、昨年に引き続きあとの三人を集めてくれた。友田さん自身、とても柔らかい音を持っている優秀な奏者だが、他の奏者達も、みんな良い音色と音楽性を持っているので、今年も是非同じメンバーでと僕がお願いした。このユニットは自慢出来ますよ。

 と、書いていたら、いきなりCafe MDRにも時々出現している、「芦屋の人」が楽屋を訪ねてきた。慶應義塾ワグネル・ソサエティーOBから出演しているそうだ。関西にいて、練習なんかどうしたの?と訊くと、関西支部があって、そこで練習しており、それから上京して合同練習して出演するそうだ。凄いな、ワグネルは。

 現役の六大学もそれぞれの特色を出して演奏会をするが、これがOBとなると、その特色のダイナミックレンジがぐっと広がって、実にバラエティに富んだプログラムとなる。前半の立教、法政は、本番前のこちらの練習と重なって、残念ながら落ち着いて聴くことは出来なかったが、東大が前半の最後だったので、休憩をはさんで後半は客席で聴くことが出来た。
 ワグネルは今回はブラームスの「運命の歌」。原曲は混声合唱だが、北村協一氏の編曲で男声合唱となっている。男声合唱で聴くのもなかなかいいな。早稲田グリーは松原千振氏を指揮者に迎え、お得意のシベリウスなどの北欧系の無伴奏合唱曲が中心。しっかりした音楽作りにとても感心した。明治大学グリーのMISSA KENYAは、ピアノに加えて、コンガ、マラカスなどのパーカッションやホルンの伴奏を伴って、個性的なサウンドを作り出し、とても面白かった。

 こんな忙しい時期にOB六連の指揮を引き受けるなんて、無謀のような気もするでしょ。でもね、なんといっても男声合唱は僕の音楽活動の原点だからね。どんなに忙しくても、つい受けてしまうのだよ。それに打ち上げで、みんなが声をそろえて柳河なんか歌うのを聴くと、クー、これだから男声合唱はたまんないねと思うんだよ。

塚田さんのこと
 その原点である男声合唱は、塚田佳男(つかだ よしお)さんの思い出と切り離しては考えられない。この「今日この頃」でも何度か書いたが、塚田さんは、僕の高崎高校の大先輩で、ピアノ伴奏者として有名だ。僕は、国立音大の入学試験の時も、八王子に住んでいる塚田さんの家に泊めてもらって、そこから試験に通った。

 その塚田さんが、先日突然郵便物を送ってきた。開けてみるとCDが三枚入っている。なになに、「見果てぬ夢 こころの歌」?!。歌っているのは高津佳という人。知らねえな。曲は小椋佳の歌や、北国の春などの歌謡曲。エレクトーンで伴奏しているのは、「愛はてしなく」でも演奏してくれる長谷川幹人さんだ。
 手紙が同封されていた。え?この高津佳とは、塚田さんの歌手としての芸名だそうな。「見果てぬ夢とは、歌手として人前に立ちたいという自分の見果てぬ願望なのです。」
ええ?そんな願望を持っていたんだ。で、聴いてみた。う・・・うまい!芸大声楽科から伴奏者に転向した塚田さんらしく、ごまかしなくきっちりと歌っているのだが、同時になんともいえないニュアンスがある。秋桜(コスモス)などを聴いていると涙が出てくるよ。それで僕は、あることを思い出した。それは・・・・。

 高崎高校合唱部を指揮しに来ていた塚田さんの練習は、とても細かかった。ひとつひとつのフレーズの歌い方。声の出し方と抜き方。ここまでやるかと思うほど、丁寧に表情を作り込んでいった。音楽の道を志したばかりの頃の僕は、音楽を作るってこんなに大変なんだと驚いたが、僕にとって最初に出遭った合唱指揮者が塚田さんで本当に幸運だったと感謝している。その作り込みの原点は、塚田さん自身が歌手の立場に立って、こういう風にフレーズを歌いたいと思うからこそ可能だったものだ。それが今回このCDを聴いてよおく分かった。

 それで振り返ってみると、僕も塚田さんのやり方を踏襲しているんだ。新国立劇場合唱団の練習でも、アカデミカ・コールでも、志木第九の会でもモーツァルト200でもどこでも、僕は必ず自分が演奏する合唱曲を自分で歌ってみる。そして自分が歌いたいフレージングを練習や演奏会で実現しようとするし、自分が歌いたいような言葉のニュアンスを団員達にも実現させてみようとする。頭だけで考えて素晴らしいと思っても、実際に歌ってみると、案外不自然だったりするので、必ず一度は声に出してみるし、自分が歌えないテンポでは決して演奏しない。
 こうしたことは当たり前だと思ってきたが、思い返してみると、僕と塚田さん以外の合唱指揮者で、こういうアプローチをしている人は意外と少なかった。

 僕はあらためて、自分の音楽人生の最初の時期において、塚田さんと出遭えた神様のはからいに驚き、感謝している。

 このCD、その辺のお店に売っているのかどうか分からないけど、音楽之友社から出ています。可能だったら買ってみて下さい。

「愛はてしなく」群馬公演前夜
 昨日、ソリスト達の最後のスタジオ稽古を終えた。國光ともこさんがここ二、三日で一皮むけ、素晴らしいマリアとなった。それに刺激されて、他のソリスト達も見違えるように良くなってきた。
 
 自分の作品ながら、稽古を重ねていく内に初めて見えてくるものというのは少なくない。たとえば、マリアが、イエスに、
「わたしもあなたを罰しない。あなたの罪は赦されている。」
と言われて、
「どうして・・・・どうして、そんなことが言えるの?」
と反発して、いわゆる逆ギレ・アリアを歌う時の、個々のフレーズの心情や身体の表情を突き詰めていくと、おのずとこれ以外にはあり得ないという、ひとつの形が見えてくる。國光さんのマリアは、僕にとって、彼女以外にあり得ないと思うような理想のマリアとなってきた。

 洞窟で、寝入っていく盲目の少女アンナを見つめながら歌う、「運命」というアリアは、國光さんの全身から醸し出す、えもいわれぬやさしさと、その癒し系ともいえるまろやかな声質とで、僕自身期待していなかったほど感動的なシーンになりつつある。勿論、それは佐藤泰子さんの体当たりの演技とのコラボレーションであることは言うまでもない。

 ローマの司令官アリウスは、これまで挫折を知らずに出世街道を上ってきたエリートだが、マリアと出遭って、この世に、どうしても自分の思い通りにゆかないことがあることを思い知らされ、苦悩する。
 最初は、その強引さから悪人のように見えるアリウスだが、おそらく観客は、しだいに大森一英(おおもり かずひで)さんの演ずるアリウスに共感していくようになるであろう。阿瀬見貴光(あせみ たかみつ)さんの扮する熱心党の首領ノアムとマリアとの純愛も、胸をえぐられるほど切ない。

 「愛はてしなく」は、群馬での初演以来13年目にしての再演となるが、二台のエレクトーン、シンセ・パーカッション、クラリネット、ピアノという編成のオーケストラの多彩なサウンドと相まって、驚くべきヴァージョン・アップを遂げている。

 みなさん、ぜひこの公演に来て下さい。必ず泣けます。そしてその涙の彼方に、あなたはきっと何か人生における真実を見つけることが出来ます。群馬県高崎市新町文化ホールでの公演は、8月9日、10日。国立の市民芸術小ホールでの公演は16日、17日。

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