充電とマイブーム

マッサージ
 「スターバト・マーテル」の打ち上げの時に、志木第九の会の団員の女性が僕の所に来て肩を揉んでくれた。指揮者は演奏会で自分の思うとおりに音楽を奏でるので、フラストレーションはたまらないし、腕を動かしているので、演奏会後に肩が張っているという感じはしないのだが、彼女に言わせるとやはり凝っているという。
 これは自分にとっては意外だった。でも考えてみると、いつも次の日やその次の日に疲れがどっと来ている。どうやら自覚はないけど、体の中では人知れず筋肉が凝っていたのだろうな。

 それが証拠に、今回は一日経っても二日経っても疲れが全然出なかった。これからは演奏会の直後にマッサージ師を雇おうかと本気で考えている今日この頃です。

 まあ、疲れがいつもよりひどくなかった理由には、いつもより大振りの指揮が出来なかったからというのもあるな。志木市民会館パルシティの舞台が狭い上に大編成のオケだから、すぐ目の前にいるソリスト達が四人で立つと、本気で振ったら彼等の目を突き刺してしまいそうで、バトンを短く持って振ったり、下がれるだけ後ろに下がって振った。
「う・・・これ以上下がると、確実に客席に落ちるな。師匠の山田一雄先生の二の舞になってしまう。」
という危機感を感じながら振っていたので、大振りでないだけかえって無駄な動きがそぎ落とされて、自分で言うのもなんだが、集中力のある良い棒だったような気がする。
 
 会場が暑くて、汗はダラダラ出ていたのだが、振り終わった時に、
「あれっ、もう終わり?」
と思ったのは、純粋労働量が少なかったせいか?でも別に不完全燃焼というわけではないな。これでもいけるんだったら、あまり無駄な動きをして、自分だけ極限の労働して独りよがりな達成感を持つより、このくらいでいいのかも知れない。歌手達にはいつも、
「自分には物足りないくらいで歌った方が美しい声が保てていい。自分が極限まで歌わないと歌った気がしないというのではプロじゃないよ。声がきたなくなるだけだ。」
と言っているくせに、自分の事となるとなかなか見えないものだ。

 

トゥーランドット
 新国立劇場に戻ると「トゥーランドット」の立ち稽古が進んでいる。ヘニング・ブロックハウス氏の演出は、アイデアは斬新で素晴らしいのだが、これを舞台上で実現するとなると簡単ではない。
 まず舞台はプッチーニが「トゥーランドット」を書いた1920年代頃のイタリアの街角。音楽が始まるまでに約7分間の無言の芝居がある。そこへ旅芸人の一座がやってくる。聴衆はしだいに舞台上で仮面をつけたり、中国風の衣裳をつけたり、メイクアップを始める。そして音楽が始まると、「トゥーランドット」のドラマが始まるというわけだ。
 合唱団は、舞台上でもっと動かされるのかと思っていたら、そうではなくて、半分舞台にのめり込み、半分劇中劇の聴衆となって演技をする。その切り替えが難しい。しかも動く芝居は助演の人達がやっているので、ただ立っているだけに近い。これでは欲求不満になってしまう。

 ブロックハウス氏は、どうやら我々をイタリアの合唱団のように思っているようだ。いろんなところから話が聞こえてくるが、イタリアでは、今は合唱団の労働意欲が極端に失せていて、演出家が10要求しても3やってくれればいい方だという。
 財政難で予算が削られて賃金に影響したり、いろいろ原因はあるのだそうだが・・・・・。とにかく、合唱団がストを起こして公演が突然中止になったり、合唱抜きで公演をやったりといった事態が起きているらしい。
 そんな人達と一緒にしないで欲しいよ。今や新国立劇場合唱団は演出家のかなりの要求にも応えられるような能力と意欲を備えているのだから。

 ある時、音出しのところで、舞台上で衣裳を着けてみる練習を行った。合唱団員は緊張して、なるべくスムースにいくように最善をつくした。一度目は逆に早く着替えすぎて時間が余ってしまった。
「ああ、そんなにあわてなくていいんだな。」
と、みんな気がついて、二度目にはゆったりと時間を見計らってやったら、ほぼ完璧なタイミングで出来た。するとブロックハウス氏は、
「みなさん!私は驚いて感動しています。イタリアでは、恐らくここまで出来るようになるまでに一週間はかかるでしょう。なのに、みなさんはたったの二回でこれを完璧にやってのけました。こんな合唱団は見たことがありません。本当に素晴らしいです!」
と大声で叫んだ。
合唱団員は、
「畜生!こんなもの一回で完璧にやりたかったな。」
と悔しがっている最中だったのに・・・・。

 それから、演出家もだんだん我々の能力に注目してくれるようになって、細かい演技をつけてくれるようになったよ。どうせここでやるのだったら、ここ東京でなければ出来ないものを作らないとね。才能を眠らせておくのはもったいないから。

 指揮者のアントネッロ・アッレマンディ氏は素晴らしい。音楽のアイデアがはっきりしていて、たちまち合唱団員の心を掴んでしまった。トゥーランドット役のイレーネ・テオリンの堂々とした声は一聴の価値あり。

 これから舞台稽古に入っていく。初日の10月1日までにはもう少し時間がある。出来上がって見れば、たぶんアクロバットあり、いろいろなサプライズありでかなり楽しい舞台になりそうな予感はするが、佳境はこれから。また経過報告するね。

充電とマイブーム
 これから11月の尼崎の「蝶々夫人」と名古屋の「パウロ」公演まで、自分が指揮者としての本番はない。僕にとっては充電の絶好のチャンス。「パウロ」は初めてなので、少しずつスコアの勉強をしているが、音符を見るより、聖書とドイツ語辞書を見る方が多いといったベーシックな勉強をしている。
 僕にとっては、こうした外堀を固める勉強がはずせない。何故なら、いずれ土壇場になって、なりふり構わずスコアを頭にたたき込むことになるのだが、それまでに内容にどれだけ肉薄し、どれだけ作品に対してのモチベーションを高めておけるかが、自分にとっては最も大切なことなのだ。

 とにかく、そうした準備も、まだ余裕の中でやっている。すでに何冊かの本も読んでいるが、ここに紹介するような面白いものには出会っていない。それよりCDをいくつか買った中で、密かなマイ・ブームを巻き起こしているものがあるので紹介しよう。

理想的なバッハのモダン演奏!
 まずはアンドラーシュ・シフのバッハだ。曲はピアノ協奏曲全集(LONDON POCL-4363/4)である。ピアノ協奏曲とは、勿論チェンバロ協奏曲のことであって、シフがピアノで弾いているから、こう呼んでいるだけだ。今、これにシビれている。
 オーバーに言うと、僕がモダン楽器を率いてやりたいバッハというのは、こんな演奏なのだ。様式感をきっちり押さえながら、時にはモダン楽器でないと絶対出来ない表現をする。あたかも、バッハだってもし楽器の制約がなかったら、こうやりたかったでしょう、と言わんばかりに・・・・・。

 グレン・グールドもそうだけど、バッハをピアノという楽器でノンレガートあるいは時に極端にスタッカートで演奏するのはもの凄く小気味良い。でも、これはモダン楽器だけが可能にする奏法であって、チェンバロやオルガンでは決してこんな風なノンレガートではやらない。チェンバロはピアノよりずっと減衰の激しい楽器だし、スタッカートで弾くと音色がきついので、むしろ基本的にはレガートで弾くものなのだ。
 それにチェンバロもオルガンも、構造上、音量の変化を瞬時に行うことは出来ない。勿論、鍵盤を変えたり、レジストレーションを変えたりは出来るが、一音一音のレベルではない。そこへいくとピアノでは、思いのままに特定の音にアクセントをつけたり、対位法のある声部だけを際だたせたり、逆に潜らせたり自由自在だ。それによってバッハの楽しさが何倍にも広がってくる。
 昔、モダン楽器の演奏が嫌われた理由として、ロマンチックにバッハを弾いてしまうという要素が多かったように思うが、シフの演奏を聴いていると、そんな方向にはもはや行きようがない。
「これがモダン楽器によるバッハの演奏さ、これ以外にはない!」
と言い切っているようで、なんとも気持ちが良い。

パロディまくりの協奏曲
 チェンバロ協奏曲は、ほぼ全ての曲がどこからかのパロディだ。しかもカンタータだったり、ヴァイオリン協奏曲だったり、オーボエ・ダ・モーレ協奏曲だったり、楽章ごとにも様々だ。ひどいのになると、BWV.1057なんてのは、ブランデンブルグ協奏曲第4番ト長調をヘ長調に書き換えて、二本のフルートと一緒に、そのヴァイオリン・パートをチェンバロで弾いているのだ。
 当時チェンバロは、バッハ自身が弾いていたのは間違いないので、独奏楽器奏者を捜すよりも自分が弾いて、気に入った自作曲の上演の機会を少しでも得ようとしたバッハの作戦だったのだろう。なんと節操のない事か(笑)!

 有名なヴァイオリン協奏曲ホ長調からのパロディであるBWV.1054ニ長調のソロ部分は、ヴァイオリンにかなうものはないだろうと思っていただけに、シフの愉悦感溢れた演奏は、良い意味でショックだった。ここでは音が飛び跳ねている!

 「G線上のアリア」の次に有名なバッハのメロディーである、カンタータ第156番シンフォニアからのパロディ、BWV.1056の第二楽章は、ハッとするほど美しい。弦楽器のピッツィカートと一緒に聴いていると、変なたとえだが、ジャック・ルーシェのプレイバッハを聴いているようだ。

シフとのニアミス
 シフの演奏があまり良いので、「ゴールドベルク変奏曲」を買ってきた。これも秀逸。最初のテーマから美しくてゾクゾクする。もともと僕の家には、たぶん娘の志保が買ったのだと思うけれど、パルティータ集があって好印象は持っていた。

 シフといえば、面白い思い出がある。2002年の冬だったか、横浜のある合唱団を率いてブダペストに演奏旅行をした。持って行ったものは第九と日本の曲で、管弦楽はブダペストのMAFという国鉄が経営しているオーケストラ。僕はみんなより先にブダペスト入りした。中一日おいてオケ練習が始まる。
 その時パリにいる志保が駆けつけて一緒にブダペスト入りした。そして、そのオフの一日で一緒にブダペスト市内をちょっと観光したが、リスト音楽院のホールに行った時、今日は見学者は入れませんと言われた。
「何があるのかな?」
と二人で耳をすますと、中からきれいな音のピアノが聞こえてきた。
「すごく上手だね。誰が弾いているのかな?」
と思ったが、僕はまだ自分の指揮する曲のスコアの勉強が足りていないので、気が気でない。急いで帰って勉強に打ち込んだ。

 翌日知ってびっくりした。あの時、ホールで練習していたのは、その晩のコンサートで弾くアンドラーシュ・シフだったのだ。
「げっ、そうと知っていたら、午前中勉強して、夜の演奏会に行くのだった!」

 そんなわけで、僕はシフの演奏を壁越しに聴いてはいるのです。それは、今になってみると、とてもとても悔やまれることだった。

小野リサ
 それから次のマイブームは、ボサノヴァ歌手小野リサのRomance Latino vol.2というアルバムTOCT-25702。これは別に新盤ではない。家にはすでにRomance Latino vol.1があるのだが、中古CD屋でたまたまあったので買ってきた。でもvol.1と打って変わって、スロー・テンポの多いしっとり癒し系のサウンドにすっかりまいった!
 僕はクレモンティーヌなどもそうだけど、女性のささやくような歌に弱いのだ。だからオペラ歌手は基本的にあまり好きではないのだ。あははははは!
 お願いですから、僕の耳元でハスキーな声でささやかないでください。どうにかなってしまうかも知れませんから・・・・。

ブラームスはこれよ!
 その次は、ブラームスの交響曲。実は来年の5月に、あるところでブラームスの第一交響曲を振る仕事が舞い込んできたので、曲は知っているしこんなに早くから勉強するわけでもないのだが、ベームやカラヤンの全集をレコードで持っていても、CDがないので買ってきてみた。
 まずカラヤンの最後の日本公演の実況録音というのを買ったが、ボワーッとしまりなく広がった響きの垂れ流し状態で好きになれなかった。同時に買ったクルト・ザンデルリンク指揮のドレスデン・シュターツ・カペレに、今更ながらシビレましたね。ブラームスはこうでなくっちゃね。低音のしっかりしたまさにドイツの本道を行くオケの響き。いまだに自分的にはこれを超える演奏はないな。

で、おきまり、マイルス
 マイルス・デイヴィスは常に聴いているので、マイブームでもないのだが、クラシック音楽も含めて他のどの演奏を聴いても、またマイルスのところに戻ってきてしまうのだから、もう病気だね。ジャズでは、最近はブルー・ミッチェルやケニー・ドーハム(静かなるケニー)を聴いていたのだが、しばらく聴いていると必ずマイルスが聴きたくなる。
 だからマイルスだけは必ず僕のi-Podに一種類以上入っている。どうしてこんなに好きなのだろう?一時期は全てのアルバムを集めて、マイルス研究をして発表しようかなどと考えてもいたが、最近は、ある限られた時期の演奏しか聴かなくなったし、それでもういいかなと思い始めている。
 それは1950年代後半の演奏だ。つまりジョン・コルトレーンが入ってから彼が去るまでだ。この時期のマイルスは、どれを聴いてもいい。それに、この時期はマイルス以外のメンバーが最高だし、マイルスはそれらの人材を最大限に生かしている。キャノンボールだってマイルスを離れるとたいしたことは出来ないんだ。コルトレーンは、マイルスから離れて晩年、完全に道を誤ったとしか僕には感じられない。
 
 この時期というと最も有名なのはKind Of Blueだ。みんなはKind Of Blueこそ最高だ!ジャズの奇蹟だ!このアルバムを産み出すためにジャズの全ての歴史があったのだ!と興奮して騒いでいるけれど、僕には、このアルバム、確かに整っているけれど、あまり面白く感じられない。
 それよりも、勢いで作った「スティーミン」「リラクシン」「ワーキン」「クッキン」だの、ニューポート音楽祭に出演したAt Newport 1958だの、1958年の残りの演奏を集めたタイトルも投げやりな1958 Milesというアルバムの方がはるかに自由で面白いぜ!
 ジャズって、所詮ヤクザな音楽なのよ。そのヤクザなところが、クラシック音楽にはない新鮮さをもって僕を捉えるのだ。でもヤクザなだけじゃ駄目なんだな。マイルスはストラヴィンスキー、バルトークなどに傾倒していただけあって、クラシックの世界の人達をも納得させる抜群のセンスがあるのだ。

おっと、またマイルスの話ばかりになってしまった。

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