目からうろこ

「いやあ、目からうろこが落ちました。」
というのは良く聞く言葉だが、この言葉のルーツが新約聖書で、しかも使徒言行録の聖パウロの回心の場面からきたことを知っている人は何人いるかな?

 それはつまりこういう話だ。若者であったパウロはその頃サウロと呼ばれていて、初代のキリスト教徒を片っ端から迫害していた。ところがある時、ダマスコの近くで、彼は突然自分が迫害している本人のイエスに出会うのである。
 勿論この時、イエスはとっくの昔に十字架上で亡くなっていた。つまりイエスとの邂逅は超自然的なものだったのだ。
「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか?」
と天からの声に、
「主よ、あなたはどなたですか?」
と尋ねると、
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
と言うではないか。
それからサウロは三日間何も目が見えなくなってしまった。

 一方、ダマスコにアナニアというキリストの弟子がいた。彼の元にやはりイエスからお告げが下ったので、アナニアはサウロの所に出掛けて行った。彼が祈りながらサウロの頭の上に手を置くと、サウロの目からうろこのようなものが落ち、彼の目は再び見えるようになったという。
 その後サウロはパウロと名乗るようになり、今まで迫害していたキリストの教えを、今度は自分から大胆に述べ伝える者となったのだ。めでたしめでたし。

 だから目からうろこが落ちるということは、今まで気がつかなかった全く新しい世界に突然目覚め、その事で生き方が180度変わってしまう喩えとして用いられるわけだ。なんでもかんでも
「あらあ、そうなの。やだあ、目からうろこだわ!」
などというように軽々しく使うもんじゃないよ。これは信仰上のコペ転なんだから。分かった?
 何?コペ転って何だって?それはコペルニクス的転回と言って、今まで天が動いていたと思っていたのに、実は地球が動いていることに気がついて、目からうろこが落ちることさ。何?コペルニクスの目からもうろこが落ちたのかって?もう知らない!

パウロが面白い
 今、聖パウロに興味を持っている。名古屋のモーツァルト200合唱団演奏会で、11月23日にメンデルスゾーンの「聖パウロ」を指揮するにあたって、プログラムに掲載する原稿の締め切りがもうすぐで、いろいろメンデルスゾーンやパウロに関する情報を集めているのが直接の原因だ。

 でも調べていけばいくほど、パウロの生き方に惹かれる。パウロは僕にとって、マグダラのマリアと並んで、聖書の中で最も興味深い人間だ。おまけに今年はカトリック教会では「パウロ年」と呼ばれ、パウロ生誕二千年を一年かけてお祝いする年となっている・・・・・まあ・・・パウロの生誕二千年というのは、実は何の根拠もないのだがね。
 パウロが使徒言行録に最初に登場した時に「若者」と表現されているのを受けて、いろいろ調査の結果、おそらく西暦5年以降から10年くらいにかけて生まれたのではないかと推定され、ではこのへんでとりあえず祝っておくかという感じで、2008年6月28日から2009年6月27日までの一年間がパウロ年と定められたのだ。まあ、いい加減と言えばいい加減だが、別にいいさ。不確定だという理由で何も祝わないより、祝った方がいい。 僕にしたって、
「パウロ年に『聖パウロ』を上演するのも何かの縁だ!」
と一人で興奮してスコアを勉強するモチベーションがぐっと上がったのだから。波及効果は抜群だ!

パウロの業績〜異邦人への宣教
 パウロがいなかったら、キリスト教はいつまでもユダヤ教から分派した一地方宗教に留まっていたかも知れない。タルソスという、本国ユダヤから離れた古代ローマ帝国の重要都市に生まれたパウロは、頭が良くギリシャ語に堪能でローマ帝国の市民権を持っていた。 キリスト教が世界宗教になるために、神はパウロの国際性を必要としたのだ。なにせ、キリストの生前、彼の周りにいた者達といったら、娼婦やライ病人、漁師、取税人など身分の低い人ばかりだったのだから。
「ああ、もっと知識人を集めておけばよかった!」
とキリストが天国に帰って後悔したかどうかは知らないが、
「お前はペテロ(岩)だ。この岩の上に私の教会を建てる。」
と言って全権を委ねたペテロでさえ、もとは漁師だったのだ。あの当時の漁師と言えば、キリストと知り合う前は字も読めなかった可能性が高い。

 パウロは回心した後、ユダヤから見ると外国で宣教を力強く行っていった。おそらく最初から異邦人への宣教が目的というわけではなく、パウロ自身のように外国に散らばっていた、いわゆる「離散ユダヤ人」を相手に宣教が行われたと思われるが、その最中に異邦人との接触を得て、しだいに異邦人達の心をも惹きつけることとなっていったのだ。そうなると、元来偏狭な教義を持たない異邦人の方が、キリストの教えを素直に受け入れやすかったであろう。
ある時、パウロはかたくななユダヤ人にシビレを切らしてこう言う。
「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。」
 パウロがユダヤ国内より外国で、ユダヤ人よりむしろ異邦人を中心に宣教を行っていったのは、すでに神によって運命づけられていたのだと思う。

たくましいパウロ〜ローマへ
 パウロという人は案外したたかでたくましい。自分の境遇を武器として使う。エルサレムに戻ったパウロは、ユダヤ人達によって神殿の境内で逮捕され、ローマ軍の千人隊長の所に連れて行かれた。その時パウロは、
「ひと言お話ししてもよいでしょうか?」
と千人隊長にギリシャ語で話しかけるのだ。千人隊長はびっくりして、
「ギリシャ語が話せるのか?」
と言った。
その後鞭打たれる時になると、
「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか?」
と言う。
 ユダヤの国を属国として統治しているローマ人にとって、ローマ帝国の市民権を持つことの意味は大きい。つまりパウロは被統治民族に属するのではなく、千人隊長と同じ統治民族に属しているのだ。しかも次の会話が傑作だ。

千人隊長が言う。
「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ。」
それに対してパウロは涼しい顔で、
「わたしは生まれながらのローマ帝国の市民です。」
と言うのだ。へへーん、どうだまいったか!お前よりオレのが上だもんね。丁重に扱わないといけないよ、というわけである。

 パウロは、それだけではとどまらない。その後の不当な監禁に対し、ローマの皇帝に上訴し、その上訴が認められて、パウロはなんとローマに護送されることとなるのである。あんなに遠いローマ帝国の首都ローマにだよ。考えられない事だと思わないかい?

 さらにそのローマにおいて、使徒言行録によれば、
パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主キリストについて教え続けた。(使徒言行録28章30-31) 
ということなのだ。このように使徒言行録はハッピー・エンドで閉じている。

 パウロの最期は、後の皇帝ネロの迫害時代における殉教だったと言われるので、人生そのものがハッピー・エンドだったわけではないが、それまでに彼の成し遂げたことの大きさを考えると、初期キリスト教にとっては、(キリスト自身も含めて)むしろ最大の勝利者と言えるだろう。このパウロの業績はさらに発展し、キリスト教はその後ローマ帝国の国教となり、全世界に広まっていく。

全ては神の計画?
 ローマ総督ピラトの元で十字架に架かり、その身を滅ぼしたキリストの教えは、ローマ帝国の広大さによって首都ローマにまで広まり、さらにそこを軸に全世界に広まっていった。ローマ帝国市民であったパウロのしたたかさは、彼を起用した神のしたたかさでもある。
 それにしてもわずか3年くらいしか宣教活動をしないで死んでしまった人の教えが、これほどまでに大きな情熱を伴って、ローマ帝国全土に広まっていったという事実が、やはりキリストの周りに異常なほどの霊的な力が渦巻いていたことを証明する。
 聖書の中の奇蹟を信じない人は、残念ながらキリスト教信者の中でも少なくないが、単なる道徳的な教えだけでは、これほどの情熱を弟子達に与えることは出来ない。やはり数々の奇蹟は実際に起こったし、キリストの復活もあったとしか考えられない。
 
 パウロだって、自分からは何もお願いも努力もすることなく、神から一方的に回心を迫られ、目からうろこを落とされ、運命の歯車を回されたのだ。なんて無理矢理な神の手口!こんな人もいるものである。
 いや、もしかしたらパウロだけでなく、みんな自分の意志でいろんなことを行っているように見えながら、パウロのように神様に巧妙に操られているのかも知れない。気がつかないうちに、日々小さい奇蹟は自分たちの周りにも起こっているのかも知れない。

神の意志は計り難く、人の運命は不可思議なもの。

僕の日常
 「トゥーランドット」の本番が続いている。音楽的な評判は決して悪くないが、プッチーニの日常を舞台に持ち込んだブロックハウスの演出は賛否両論。でも演出というのは話題を提供した方が活気があっていい。バイロイトでもシェローの演出をはじめとして、初演時にブーを浴びた演出の方が後に残っていく。ちなみにブロックハウスの演出は、初日にもブーなど出なかったよ。だから基本的には認知されているということだ。
 僕も今回のことで「トゥーランドット」に取り組んでいた時のプッチーニの心境がよく分かった。合唱団は結局あまり舞台上で動かせてもらえないんだけど、その分落ち着いて音楽出来るから、まあいいや。
 今週から「リゴレット」の立ち稽古が始まる。昨日までは「蝶々夫人」や「ドン・ジョヴァンニ」の合唱音楽練習も先取りして行っていた。

 東京バロック・スコラーズでは、「ヨハネ受難曲」の練習が進んでいる。合唱はとどのつまりはサウンドだ。僕は、僕のバッハのサウンドを、この団体で確立したいのだ。だから発声にもの凄く神経を使っている。一人ずつ歌わせることもしばしば。
 「ヨハネ受難曲」は、僕のことだから、最終的にはキリストの真実に迫るべくドラマチックに作るつもりだが、同時に揺るぎない三澤バッハ・サウンドの中でそれを全て実現させたい。

 今は、まだ僕の頭の中でだけ鳴っている三澤バッハ・サウンドを・・・・。聴いた人全ての目から、うろこがボロボロと落ちるような演奏。杉並公会堂は、演奏後、大量のうろこを掃除するので大変だろう。
Cafe MDR HOME  


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