死の音楽〜ドン・ジョヴァンニ

 親父の葬儀が終わって日常の職場に戻ったら、新国立劇場では「ドン・ジョヴァンニ」の舞台稽古の真っ最中だった。「ドン・ジョヴァンニ」は、合唱の出番が少ないので、忌引きで数日間まるまる休んでしまった損失分は、なんとかその後のフォロで穴埋めが出来たかなと思っている。
 これが合唱の大活躍するオペラだったらアウトだった。本当に親父は、良い時に死んでくれたよ。まあ、それでも周りに迷惑をかけたことは否定できないので、あまり僕だけ喜んではいられないのは分かっているけど。

 有名なドン・ジョヴァンニの地獄堕ちの場面で、舞台裏で歌う男声合唱のレベル決めは、僕に配慮して、僕が戻ってくるまで保留となっていた。本番では、この裏コーラスは、モニターを見ながら僕自身が振る。だがレベルが決まらない内は、アシスタントに指揮をお願いして、僕自身は客席にいてオケと合唱のバランスを聴く。
 この舞台セットの響きの状態で、果たして合唱の歌声が生声だけで届くのか、PAを入れるのか、入れるとすればどのレベルで入れるのか、どこのスピーカーから出すのか、合唱指揮者は納得のいくまで指揮者に繰り返してもらい、決定しなければならない。

 そこで僕はバランス・チェックのために客席にいた。第二幕大詰め、ドン・ジョヴァンニ地獄落ちの場面。序曲と同じニ短調の音楽が始まった。その瞬間、僕はゾッとした。背筋が寒くなった。そこにあったのは・・・・僕がそこから抜け出てきたばかりの世界・・・・すなわち“死”だったのだ。
 オペラではよく人が死ぬ。だが人が死ぬ場面だから死の音楽が聴かれるわけではない。“死の場面の音楽”と“死の音楽”とは、全く別のものだ。こんな単純なモーツァルトの手法を使ってそこに響き渡っていたのは、まさに“死の音楽”だったのだ。鳥肌が立った。息が荒くなった。どうしてこんな音楽が書けるのだろうか?これが天才の証だ!

 音楽は、物理的に言ってしまえば単なる音の組み合わせだ。音の組み合わせによって快、不快が生まれる。和声やメロディーの組み合わせによって良い曲になったり、つまらない曲になったりする。そこまでは分かる。だが、このような死の響きは、一体どこからもたらされたものなのか?

 天才の音楽を聴くとよく思う。天才は音を組み合わせているのではない。そんな作業は凡人のすることなのだ。天才がすることは、秩序立てられた音楽を天上に流れる大河からひとしずくすくい取ってくること。その音の組み合わせをアナリーゼすることは可能だが、アナリーゼの中に音楽の生命があるのではない。しかも天才の作り出す音楽には様々な波動が込められている。それが天才の魔法!
 そしてその波動が、楽譜では眠っているが、演奏という行為と共に香りを放ち始める。絵画でも何でもそうだ。天才の作品には香りがある。その香りはどこから来る?それは・・・・彼岸からやって来るとしか思えませんな。こんな音楽を聴かされては・・・・。特にここでは死の音楽。その死の香りこそまさに死の国からやってきている。こんな音楽が流れる時は、この世とあの世との境界線が曖昧になってくるのだ。「ドン・ジョヴァンニ」では、地獄堕ちの場面だけではなく、至る所で死の香りがする。恐ろしいな、モーツァルトの音楽って!

 でもモーツァルトの音楽を聴く人みんながそう感じているかというと、そうでもないところが音楽の不思議なところ。モーツァルトの音楽は、表向き単純な和声で、楽器編成も小さい。これみよがしなわざとらしさもないし、必要な音が必要なだけ使われていて、客の胸ぐら掴んで、
「ほれ、解れ!」
と強要するような厚かましさもない。

 だから、それらの香りなども注意していないと気付かないで通り過ぎてしまう。この地獄堕ちの音楽が街角やエキチカのプロムナードなどで流れていても、
「あら、きれいな音楽ねえ!」
と聞き流されてしまうかも知れないのだ。いや、極端に言えば、劇場内で響いていたってどの程度理解してもらえるか疑問だ。モーツァルトの天才は、聴き手がそれを理解するのにも、それ相応の心の準備と研ぎ澄まされた感性が必要だということだ。だからモーツァルトの音楽は感性の試金石なのだ。

 新国立劇場の今回の公演の指揮者コンスタンティン・トリンクスは、まだ33歳の若手。古楽演奏にも興味を持っている彼は、この公演でも、弦楽器にノン・ヴィブラートで演奏させたり、弓を古楽器風に扱わさせたりして、オリジナル楽器風の響きを追求している。 最初は東フィルの楽員達も慣れていなかったので、これで大劇場で大丈夫かなとやや心配したが、劇場のオーケストラ・ピットが元々響くのと、楽員達がしだいにこの奏法に慣れてきて、音が飛ぶようになってきたのとで、回を重ねていく内に表現としても充分成立するようになってきた。その結果として、劇場では通常聴かれないような新鮮なモーツァルトが聴かれる。
 今度ダルムシュタット歌劇場の音楽総監督に就任するというトリンクス君。若いけれどなかなかやるな。自分の音楽をしっかり持っているので、全く危なげがない。実に将来が楽しみな指揮者です。

 演出家グリシャ・アサガロフは、新国立劇場には「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」の二本立てと、「イドメネオ」に続いて三度目の登場。「ドン・ジョヴァンニ」の舞台は、元々スペインのセヴィリアだが、アサガロフはそれをヴェネチアに変え、冒頭のドン・ジョヴァンニの登場にはゴンドラが出てくる。でも内容に関しては、彼は、けっして奇をてらった事をするわけでも音楽を邪魔するわけでもなく、美しい色彩感で彩られた正統的なドラマ作りを行っている。

「ドン・ジョヴァンニ」は、12月5日(金)に初日の幕が開いた。15日(月)までの間に6回公演。歌手達はみんな粒揃いだけれど、特にドンナ・エルヴィラを歌っているアガ・ミコライは圧巻。

アマチュアとオペラ合唱
 「ドン・ジョヴァンニ」初日と2度目の公演の間の12月6日(土)は、東京大学音楽部コール・アカデミーの定期演奏会。僕はその最終ステージを指揮した。このステージは、コール・アカデミーと、そのOB合唱団であるアカデミカ・コールとの合同ステージ。〜ヴェルディとワーグナー〜「オペラを彩る男声合唱」というタイトルで、オペラの合唱曲を集めてみた。

 オペラ合唱曲は僕の日常の世界なので、オーバーに言えば、息を吐いてもオペラ合唱が出てくるくらいだ。でもこれをアマチュア合唱団にやらせるのは正直言って簡単ではない。何故ならオペラ合唱は基本的にプロ合唱団を想定して書かれているから、シューベルトやブラームスの合唱曲をやるのとは考え方をまるで変えなければならない。
 
 今回は、練習の中でかなり通常とは違った発声指導をした。特にヴェルディではまっすぐの声を出すことを要求した。ヴェルディでは、曲が単純なだけに小細工が通用しない。良い発声でストレートに歌うこと意外に目的に達する道はないのだ。
 一方、ワーグナーの「巡礼の合唱」のような曲では、ハーモニー感覚が計られる。これは、音程の善し悪しと重なる部分が大部分だが、厳密に言うと音程の善し悪しとハーモニー感覚はちょっと違う。ただやみくもに音程良く歌っていっても、ワーグナーの書いた和声の変化の色合いが理解できなければ、「巡礼の合唱」のような曲はうまく演奏できない。
と、このような課題をOB、現役の合同合唱団はよくこなして、説得力のある舞台を作り出してくれたと思う。

 常に舞台上で演技と共に行われているオペラ合唱曲を演奏会形式であらためて聴くと、新鮮に感じられるところが随所にある。作曲家は、それぞれきちんと書いているから、劇にごまかされないで音楽そのものを味わうことは、時に曲を再発見するために必要な気がする。

もしかしたら反対側に・・・・
 アカデミカ・コールの練習に行くと、毎回Y会長に、
「先生、今日は反省会に出席されますか?」
と必ず聞かれる。まあ、つまり練習後の飲み会のことなのだが、僕はアカデミカ・コールの反省会に出るのは、実はとても楽しみなのだ。
 彼等はみんな東大の卒業生で、それぞれの分野のトップで活躍している、あるいは今はリタイヤしているがかつて活躍していた人達ばかりだ。みんな音楽に対しては、とても素朴な情熱を持っていて、僕の言うことも素直に聞いてくれるが、ひとたび練習が終わって語り合うならば、それぞれの分野のエキスパートの人達からいろんな興味深い話が聞くことができる。僕にとっても、音楽畑の人達とだけいては決して得られない大事な情報源となっているのである。

 彼等に対して特別なシンパシーを持っている理由はもうひとつある。かつて高崎高校という進学校に入った僕は、一年生の時に志望校を書けと言われて、迷いなく東京大学と書いた。その後、音楽の道に行こうかどうか迷ったあげく、今の道を選んだが、もし、親父が音楽の道に反対してピアノも買ってくれず、レッスンにも通わせてくれなかったら、おそらく普通大学に進学するしか方法がなかっただろう。
 うぬぼれているようだが、あのまま方向転換をしないで一生懸命勉強していたら、志望通り東京大学に入っていた可能性だってある。そうしたら高崎高校グリー・クラブにいた僕は、そのまま男声合唱を続けていたろう。そうすると自動的にコール・アカデミーに入っていたのだ。そうなったらAさんやMさんと同級生になっていて、今はこっち側から彼等を偉そうに指揮しているけれど、もしかしたら今頃向こう側にいて彼等と一緒に歌っているかも知れないのだ。

 僕が音大に行ったか普通大学に行ったかは本当に紙一重だった。先週も書いたが、一介の大工である親父が、僕が音楽の道に進むのを許してくれたのがむしろ奇跡なのだ。それに、僕自身も、ご幼少の頃からヴァイオリンやピアノを習っていて神童とあがめられなどという状態からはほど遠かったから、自分に全く自信がなかった。もし誰か権威のある人があの時、
「今から音楽家になろうなんて見果てぬ夢を追っても、もう遅いよ。」
と言ったら、あっけなくしぼんでしまってあきらめてしまったに違いない。

 それにね、普通大学に進んで音楽以外のことをやったとしても、僕はそれなりの人生を歩んだのではないかなと独りでうぬぼれて思っている。今でも、こうして文章を書いたりするのも好きだし、語学やいろんなことに興味があるし、少なくとも小さい時から音楽以外に何もやってきませんでしたという人間ではないから、音楽家以外の人にもとても興味があるのだ。
 僕が音楽家以外になっていた場合は、今度は逆に、音楽への興味は一生涯を通じて決して失せることはなかっただろうから、たぶん稼いだお金で余暇を使って、最大限に音楽的な生活をしていたに違いない。今よりずっと裕福で、自宅にはリスニング・ルームを作り、最高級のステレオを入れて鑑賞三昧とか、外国に出張した時についでにオペラ三昧とか、それもいいかも知れない・・・。

 それでアカデミカ・コールで歌っているかも知れなかった。それを思うとね、彼等が音楽に関してはアマチュアだといって、こちらが先生づらすることがとても僭越なことに思えてくるのだ。

 とにかくアカデミカ・コールの人達と一緒にいるのは楽しい。彼等もいい仲間を持って幸せな人生を送っているよ。東大という自分の母校を中心として、こんなに年月が経っても集まり、お互いを、
「おい、梶川!」
なんて呼び捨てし合っている。他では考えられない現象だ。いいなあ、うらやましいなあと思う。こうした仲間を持っていることは、人生最大の財産だ!

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