春の香り
 愛犬タンタンの散歩をしていたら、近くの竹藪のところでウグイスが啼いていた。この竹藪は散歩の最終コース。久し振りに軽く汗ばむ体を感じながら、のどかなウグイスの鳴き声を聞くと、おお、春だなと思う。
 冬の間は、高台から見える富士山の輪郭がくっきりしていて、寒空に凛とした孤高のたたずまいを見せていたが、この頃は空気中に含む水蒸気の割合が多いのか、快晴の日でも輪郭が少しぼやけている。うららかな陽ざしに柔らかい富士山の姿。季節の移り変わりというものは神様が人間にくれた最大の贈り物だ。
 美しいけど少し律儀な梅の季節がそろそろ終わると、今度はあでやかな桜の番だ。もうつぼみがほころび始めた。桜の開花は、今年は例年に比べて随分早いらしい。桜を見ると、毎年日本人として生まれてよかったと思う。

食事制限
 頑張ってます!検査の結果発表の3月10日(火)から自主的に始めた食事制限をきちんと守っているよ。その後、17日の火曜日に府中病院に行って、いろいろ脅かされて帰ってきた。それでインスリンを出す薬をもらって、これを飲みながら食事制限もして、4月13日(月)に再検査。その結果をもって4月21日(火)に再び府中病院に行く。

 妻が張り切って健康食を作ってくれているので、家で食事をしている時はいいのだが、外に出るといろいろ誘惑がある。たとえば今日(3月21日土曜日)は東京交響楽団定期演奏会で、その後打ち上げがあった。ヤバイなあ、誘惑に負けたらどうしようと思っていた。
 でも心配ご無用。東響コーラスの団員は、みんな僕の「今日この頃」を読んでいる人ばっかりで、しかも目の前には「あかねちゃん」がいたり、横にはSSKさんがいたりで、厳しい目を光らせて気を配ってくれた。それで気がつくと、僕の前にはパセリやらレタスやらが並んでいた。これとウーロン茶で過ごす打ち上げは、涙が出るほどゴージャスだったぜ!
 明日は初めて名古屋市民管弦楽団の練習に行く。五月にブラームス交響曲第一番を指揮する団体だ。この練習後、また懇親会が予定されている。うーん・・・・・でもね、僕の場合、こうしたお誘いは大切なんだ。新しい人達といろいろお話しもしたいしね。でもカロリーが・・・・。

またウーロン茶とパセリを食べて帰ってきます。

合唱指揮者というお仕事
 ヨハネ受難曲でマエストロとして活動した後は、再び合唱指揮者に戻って仕事をしている。僕のように時々指揮者として公演を指揮しながら合唱指揮者もしていると、心の切り替えというのは確かに必要だ。
 お山の大将でいられる指揮者と違って、合唱指揮者とは中間管理職のような面もあり、労多くして効少なしの報われない仕事のように思う人も少なくない。でもね、それでも合唱指揮者には、合唱指揮者でなければ得られない幸福もあるのだ。今日はその事に少し触れてみたい。

 新国立劇場では「ラインの黄金」が終わり、「ワルキューレ」の準備に入っている。合唱団は相変わらず公演がないが、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の練習が続いている。彼らの「なんちゃってロシア語」もだいぶ本物らしく聞こえるようになってきた。今週からは「チェネレントラ」の練習も始まる。この時期には新国立劇場以外でもいろいろ合唱指揮の仕事をした。

 3月16日(月)は、読売日本交響楽団定期演奏会。演目はベートーヴェン作曲「ミサ・ソレムニス」。合唱は新国立劇場合唱団。85歳の指揮者スクロヴァチェフスキー氏は、作曲家だけあって譜面の読み方が独特だ。いわゆる巨匠らしい雄大なテンポ感というのとは正反対で、曲の構築性を重んじ知的なアプローチをする。だから年齢の割に音楽が若い。

 「ミサ・ソレムニス」の芸術的価値を疑うわけではないが、器楽に精通していたようには声楽の深い知識を持ち合わせていなかったベートーヴェンは、ところどころで非声楽的な音符の扱いをする。ただそれをうまく演奏出来ないのは、作曲家のせいとばかりも言えないで、演奏側の技術が足りないせいもある。
 僕がこれまでこの曲から逃げていたのは、それを演奏するための充分な技術を持った合唱団がなかったからだ。勿論、我らが新国立劇場合唱団にとっても難しかった。でも手前味噌を承知で言うが、今我が国でこれをベートーヴェンの意図通りに演奏出来る実力を持った団体は、新国立劇場合唱団をおいて他にはない。
 非声楽的な音符を声楽的に処理して歌い、透明で、しかもドラマチックで、信じられないほどのピアノから、会場をゆるがすほどのフォルテまで要求される。これ以上の難曲は他にないのではないか。

 クレド後半のフーガから後に難しい箇所がある。速いパッセージにタイでつながっている音符があり、速度によってはほとんど演奏不可能なのだ。ベートーヴェンも一度でも自分で歌ってみればこうは書かなかったのにな。でも器楽的に考えると、ここをあまり遅く演奏すると、クレドのフィナーレのクライマックスが充分な緊張感を持って形成出来ない。 ここは究極の選択だ。合唱練習の時にみんなは、
「うわあ、歌いにくい!」
と言っていたが、僕はわざと、
「ここはよく指揮者がとても速く演奏するところなので、速いバージョンで練習しましょうね。」
と言いながらいろいろテンポを変えてやっていた。

 ところがマエストロ稽古になったら、スクロヴァチェフスキー氏のテンポは、それよりもっと速かった。みんなは、
「無理!」
と言っていたが、僕は、
「タイのところは伸ばさないで全部捨てて!ロッシーニだと思ってアジリタ唱法を駆使して歌うんだよ。テンポにだけは乗り遅れないように。」
と言ってみんなを激励したが、演奏会当日のゲネプロになったらさらに速くなったので、とうとうマエストロに言った。
「昨日までのテンポだったらみんな演奏出来たのですが、今日のはちょっと・・・・。もう少し遅く出来ないでしょうかね?」
 するとマエストロは、
「分かった、分かった。本番では出来るようにするよ。」

 この言葉を信じたかったが、僕は密かに覚悟を決めていた。つまり、このタイプの指揮者は、本番では決して遅くはしてくれない。逆にもっと速くなることもあり得る。こういうところの見極めが、合唱指揮者の本領発揮するポイントだ。
 対処の方法はないわけではない。最終ダメだしで僕は団員に、
「このパッセージでは、ひとりひとりが完璧に歌おうとは思わないで。誰かが歌いきれなくてテンポを引きずっても、次に入ってくる人がビートに入ってくれば、どの瞬間でも誰かが歌っているからね。」
と言った。

 案の定、マエストロのテンポは、本番ではさらに速かった。でも、声量は多少失われたかも知れないが、僕のサジェスチョンが効いて彼らは見事に歌い切った。僕はその瞬間、
「やったーっ!」
と思った。
 そのテンポ感は、演奏会にとっては決してマイナスには働かなかった。そのお陰でその後のホモフォニックな部分の高揚感が素晴らしかったのだ。僕なんかのように、なまじ声楽にシンパシーを持ちすぎる指揮者は、個々の部分の歌い易さにとらわれすぎて、こうした演奏は出来ないだろう。その意味では、マエストロの解釈は首尾一貫している。

 それにしてもスクロヴァチェフスキーという指揮者は、いわゆる巨匠らしさを全て拒否したようでいながら、真の意味での巨匠だ。演奏における構成力が素晴らしいので、CDなどでは、一曲通して聴くのが辛いこの作品を、全く飽きさせることなく終曲まで集中力を持って演奏しきった。こうした指揮者をサポート出来ることは、それだけでも合唱指揮者冥利に尽きると言うべきだ。

 今日21日土曜日は東京交響楽団定期演奏会。今は、打ち上げも終わって家に帰ってこの原稿を書いている。指揮者はユベール・スダーンで曲目はシューベルトの「ロザムンデ」。合唱は東響コーラス。
 「ロザムンデ」はオペラとして作曲されたが、完成出来なかったので、CD屋さんに買いに行っても、オペラのコーナーにはなくて、劇音楽のカテゴリーに分類されている。
合唱曲は3曲あって、オペラ合唱というよりは、アカデミカ・コールなどでこれまで僕が演奏してきたような、いわゆる普通の合唱曲という感じだ。男声合唱の「亡霊の合唱」、混声合唱で「羊飼いの合唱」「狩りの合唱」だ。

 水曜日、オケ合わせに行ったら、スダーン氏がオケの曲を練習していた。なんともいえないニュアンスをオケにつけている。シューベルトの音楽は、譜面づらはベートーヴェンなどと変わらないが、鳴らしてみると、素朴でひとなつこい独自の世界があたりに広がる。これがシューベルトの魅力。それをスダーン氏は全身で表現し、オケから引き出している。
 スダーン氏と一緒に仕事をするのは今回初めてだが、僕はいっぺんに好きになってしまった。スダーン氏も、僕の仕事を気に入ってくれたようだ。何より嬉しかったのは、僕の抱いていたシューベルトのイメージと、スダーン氏の作りたい音楽とがほとんど一致していた事。

 そして本番。驚いた!オケの音がとてもしなやかで、弾力性があり、そしてとても楽員達がノッている。素晴らしい出来!こんな東響は初めて見たし、こんな楽しいシューベルトは聴いた事がなかった。そして、我らが東響コーラスも、そのオケのサウンドに乗って、しなやかで表情豊かな音楽を奏でてくれた。みんな、スダーンという指揮者は凄いぜ!

こんな時の合唱指揮者は、たまらなくハッピーなのだよ!

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