練習にならない火曜日〜イチロー

3月22日(日)
 名古屋市民管弦楽団の練習に初めて行った。僕は指揮者だけれど、普段はオペラやオラトリオなど歌がついた曲を指揮することがほとんどなので、オーケストラのみの演奏会は久し振りだ。勿論、学生時代には一通り有名どころの交響曲は勉強したし、ベルリン芸術大学指揮科の卒業試験にはチャイコフスキー作曲交響曲第5番を指揮した。
 オペラ指揮者といったってオペラしか振れないわけではない。むしろオペラを振れれば、振る事に関しては何も怖いものはないのだよ。オペラ指揮者になろうと思ったのは、むしろ日本に帰ってきてから。周りにコンサート指揮者がうじゃうじゃいたので、なにも自分がならなくてもいいやと思ったのだ。それよりも、声楽科出身の僕は、自分を生かせるものをやろうと心に決めて二期会などを中心にオペラの活動を開始して今日に至っている。

 名古屋市民管弦楽団は、アマチュアながら上手なオケで驚いた。最初に「マイスタージンガー前奏曲」からやったが、弦楽器がとてもしっかり厚みのある音を出してくれるので、今回のプログラムにはぴったりだと思った。ベルリンに留学し、ベルリン・フィルの演奏会に足繁く通った僕としてみると、ドイツ音楽の基本は弦楽器の音、特に低弦の厚みにあると信じているので、とても嬉しかった。ここのコントラバスはかなり良いと思う。
 「マイスタージンガー前奏曲」は、イケイケ・ムードばかりで捉えられているけれど、随所にちょっとしたアゴーギクや表情付けがある。それをやらないと味気ない演奏になってしまう。前奏曲の様々なモチーフは、楽劇全曲にちりばめられたそれぞれの場面で意味を持つライトモチーフだ。こういうところでは、全曲を知っている僕は、前奏曲だけしか知らない人には分からない表情をつけられるのだ。それぞれのフレーズが演奏される時、僕の頭の中では歌詞が一緒に響いているのだからね。

 メイン・プログラムのブラームスの交響曲第1番については、またいつかゆっくり書こう。もしかしたら先日のヨハネ受難曲の時のように、このコーナーでアナリーゼしてもいいかなと思っているのだけれど、これからまた忙しい日々が待っているので、出来るかどうか分からない。
 名古屋市民管弦楽団はとても良く準備していてくれたので、練習がはかどるのがはやい。僕の注意に対する反応も良い。でも曲が長大なので、初回である事もあり、やりたい方向のアウトラインを示したに留まった。これから合宿などもあるので、ガシガシやって素晴らしいものを作ろうと燃えている。

 それより、今回は練習しなかったのだが、演奏会プログラム2曲目の、リヒャルト・シュトラウス作曲、交響詩「死と変容」に今夢中になっている。
シュトラウスは、若い時に交響詩で自分の管弦楽の語法を確立し、それからオペラに向かった。本当の事を言うと、オペラは同時進行で書いてはいたのだが、リブレットを完全にものにして劇としての説得力を充分に持つまでには、まだ年月を必要としたのだ。
 「死と変容」は、最初の交響詩「ドン・ファン」の次に作った作品なので、後の交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」や「英雄の生涯」ほどは絢爛豪華ではないかも知れないし、管弦楽法には未熟さは全く感じられないものの、まだシンプルさが残る。でも、たとえば「ツァラトゥストラ」で、こんな哲学的な問題を扱っていながら、「この音楽でいいんかいな」と聴衆に思わせるような饒舌故の内容の空虚さといったものはなく、自分自身の重病体験から得たものを表現していて、真摯に表現に立ち向かっており、聴く者の胸を打つのだ。

 交響詩というからには物語のようなものがあるのだが、内容はいたって単純だ。瀕死の病人が死と戦い、あるいは若き日の人生を振り返る。最後にもういちど死と戦うが、そこにVerklarungが訪れるのだ。
 このVerklarungという言葉は、なかなか難しい。「変容」と一般的には訳されているが、最近では「浄化」という訳も出ている。この言葉はもともと宗教的用語だ。マルコによる福音書にはこんな記述がある。

イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で『変わり』、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
(マルコによる福音書第9章2-3)
 この『変わり』という動詞にverklarenという言葉が使われる。この単語のklarenの部分はklarすなわちクリアーにするという意味で、ただ変わるのではなく「輝くきれいな状態」あるいは「素晴らしい状態」に変貌することを指すのだ。イエスはverklarenした後、そこに現れたモーセとエリアを相手に話をしたということである。
 そういう意味では「変容」よりも「浄化」の方が近いようにも思われるが、そもそもこの出来事をキリスト教では「キリストの変容」と呼んでいるので、カタルシスと混同されやすい「浄化」も理想的な言葉とは言えない。
 ともあれ、「死と変容」で最後に主人公が出遭う世界は、彼の姿そのものは白く輝くわけではないが、死への恐怖や病気の苦痛が極限に達したところで魂がverklarenし、光明の世界へと向かっていく事を表現しているわけである。これを書いたシュトラウスの筆に、小手先のテクニックやいたずらな饒舌さは感じられない。
 僕はこの曲のスコアと向き合いながら、もしかしてシュトラウスは、自分が重病に陥った時に一種の臨死体験をしたのではないかという気がする。それと、僕的にはVerklarungは「涅槃」と訳してもいいような気がする。そういうことを言うと、またカトリック信者なのに変な事言ってと怒られそうだが、最後の音楽はマーラー的というか、とても東洋的な響きがするのだ。譜面づらはシンプルなハ長調なのにね。

 次の日曜日にまた名古屋に行く。今度はこの「死と変容」にたっぷり時間をかける。今からとても楽しみなのだ。

3月24日(火)
 今日はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦の日。お昼を食べて家を出てくる時、日本は韓国に対して2対1で勝っていた。このままいくと新国立劇場合唱団の練習が始まる2時頃には、丁度終わるくらいの時間になる。いや、終わってくれればいいけど、9回裏なんていったら、みんな気が気ではなく練習どころじゃない。ヤバイなあ、困ったなあ、と思いながら初台に着いた。

 楽屋食堂を通って驚いた。合唱団員がみんな食堂のテレビの前に集まって野球中継を見ているではないか。食堂に入っていって、
「どう?」
と聞くと、
「勝ってる、勝ってる。今9回の表で3対2。このままいけば優勝!」
「1点差か、微妙だね。野球は9回からと言うからね。」
あと10分で練習が始まるというのに、この状態じゃ困ったな。

 B2の練習場エリアに降りていくと、食堂にいない連中が、電波が届く中庭前にたまって携帯電話でワンセグのテレビを見ている。もう練習3分前。でも試合はまだ終わりそうにない。
「本当に2時からやるの?」
なんて聞いてくる者もいる。これは仕事なんだから、野球で遅らせることなんて出来るかよ。

 2時になった。食堂にいた連中も中庭にいた連中も、みんなしぶしぶ合唱リハーサル室に入ってきた。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の立ち稽古が来週から始まるので、暗譜を今週中に彼らにさせないといけないのだが、とても練習に集中する雰囲気ではない。そこで僕は言った。
「最初に女声合唱を15分間だけやります。次に男声合唱。男性は帰って来る時に結果を報告するように。」
これに対して、女性陣から大ブーイング・コールが起こった。
「ええ?あたしたちだって見たいのに・・・・。」
僕は言った。
「ここで混声合唱の練習に入ったら、全員これから1時間はここに閉じこもるんだから、誰も結果を持ってきてくれる人がいないんだ。15分後に男性に経過報告をしてもらおう。それにもしかしたら延長戦になる可能性だってある。もしその時試合が終わってなかったら、それから男声合唱の練習の間に女性は充分見れるじゃないか。」
 女性達はぶつぶつ言いながら仕方なく練習に入った。ところが15分後、女性を休憩にして男性を呼んだら、悔しがりながら入ってくる。
「9回の裏に韓国に点を入れられ、同点になって延長戦になった。畜生、これからがいいところなのに!」
「ほらね。そう簡単には終わらないんだ。韓国はしぶといからね。」
今度は彼女たちが喜び勇んで出て行った。

 で、男声合唱の練習が終わり、女性を入れたら、また女性が悔しがりながら入ってくる。
「10回表にイチローが2塁打を打って2点入ったの。で、今10回裏。韓国の攻撃だけれど、2アウト。このまま守りきれるか気が気じゃない。どうしてこのタイミングで戻らなきゃいけないわけ?あと3分待ってよ。」
「ダメダメ。ま、両方ともいい思いと悔しい思いを半々にしたということで、おあいこ・・・・。」
 みんなをなだめながら15分ばかり混声合唱をやって少し早めに休憩に入った。みんな携帯電話をもって全速力で走っていく。僕も中庭の方に歩いて行ったら歓声が聞こえる。
「おお!日の丸持って走ってるぞ!勝ったんだ。やったあ!」
全く、しょうがねえなあ。落ち着かないったらありゃしない。

 夜になって「チェネレントラ」の練習が終わって帰宅し、落ち着いてニュースを見たら、な、なんと、僕たちが練習している間にもの凄い試合が展開していたんだね。勝つか負けるか最後の瞬間まで誰も分からない、まさに息詰まる運びだった。韓国も敵ながらあっぱれだった。本当に良い試合だった。
 選手達はみんな優れていたけれど、その中で特にイチローは凄かった。10回表では、何度も何度もファウルを打っていたが、来る球、来る球、よくあんな風に全部当てられるね。それで敵の投手がだんだん行き詰まってきて甘い球を投げるのをすかさず見極めて、見事なセンター・ライナー。でもその間にイチローの側のプレッシャーも凄かったのだろうなあ。

 彼のインタビューでの言葉は印象的。
「本当は無の境地でいたかったんだけど、めちゃくちゃいろんなこと考えました。今視聴率が凄い事になってるんだろうなとか、ここで打ったら俺(なにかを)持ってるんだとか・・・・。」
 分かる。でもいろんなことを考えながらぐらつかないのは、いろんなこと考えながら、実は無の境地なんだ。普通はいろんなことを考えてそのプレッシャーに負けるのだ。言い方を変えると、イチローのその時の精神は、昂揚しているんだけどとても冷静なんだ。こんなに全世界がイチローの一点に注目している決勝戦の要(かなめ)の瞬間を、自分一人で受け止める事の出来る魂の強さと高さを、彼はまさに“持っている”のだ。

 それからシャンパンをかけられながら、イチローは後輩達のことをこう叫んだ。
「こういう先輩に対するリスペクトのなさが世界一を生んだんだ!」
この言葉は意味深い。それは、このチームが本当に優秀な選手達の集まりである事を証明している。
 音楽家でもそうだけれど、優秀な者は生意気だ。先輩だからって、それだけではリスペクトしない。それで技と技が本音でぶつかりあう。それぞれの者が自分の力を出し切る。そして最終的にはそのチームに属していることを誇りに思える。そんなチームこそが真に優秀なチームなのだ。
 でも、その中で確実な結果を出したイチローのことを、若手選手達は限りなく尊敬していると思うよ。それにしてもイチローはいい顔しているなあ。いや、美男子とかそういうことではなくて。要するに何かをやり遂げる“男の顔”だな。

 でも、どうでもいいけど、練習時間に試合のクライマックスが重なるのだけは、もうやめてほしいよ。アメリカでやっていたから時差で仕方なかったんだけど。それでもね、せめて延長戦になってよかったよ。最初の女声合唱の練習中に試合が終わっていたら、もう女性団員達に口をきいてもらえなくなるところだった。

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