「天使と悪魔」観てきました

シラグーザのハイC
 新国立劇場では、ロッシーニ作曲「チェネレントラ」の立ち稽古が進んでいる。ジャン・ピエール・ポネルの演出は、音楽を大切にし、時におしゃれに、時に「あはははは!」と笑い声が出るほどコミカルに作り込み、やはりただものではない事を感じさせる。合唱の場面も実に楽しい。
 勿論、ポネルは随分前に亡くなっているので、今は助手のグレゴリー・フォートナー氏が演技をつけているが、とても手際がよいので、立ち稽古はなごやかな雰囲気の中で進んでいる。

 指揮者のデイヴィッド・サイラスは、ロンドンのロイヤル・オペラハウス(コヴェント・ガーデン歌劇場)でショルティの時代から音楽ヘッド・コーチをしてきた大ベテランだ。コヴェント・ガーデンではショルティ、コリン・デイヴィス、ハイティンクに仕え、現在ではアントニオ・パッパーノの元で仕事している。
 僕はバイロイト音楽祭でパッパーノとも仲良くなったし、一緒に合唱アシスタントをしたレナート・バルサドンナも今はコヴェント・ガーデンの合唱指揮者なので、サイラス氏とはその辺の話で盛り上がった。彼はショルティに連れられてバイロイト音楽祭でも働いた経験がある。
 ショルティはバイロイトをたった一年で去ったが、その辺の内情も彼から詳しく聞いた。細かい事を言うのは避けるが、要するにショルティの音楽がバイロイトとは合わなかったということだな。例の覆われたオーケストラ・ピットの音響が気にくわないと覆いの撤去を要求した話は有名だ。勿論聞き入れてはもらえなかったがね。

 「チェネレントラ」は、登場人物全員がコロラトゥーラの超絶技巧を繰り広げるという、オペラにおいてはある方面で極限の姿。だから歌手達が一流のロッシーニ歌いでないと面白くない。でもアントニーノ・シラグーザのようなテノール歌手が稽古場にいると、もうそれだけでハッピーだな。
 来日したてで疲れているだろうと思ったら、どうしてどうして絶好調で、しかも合唱団員達が練習場にいてノッていたのだろう。第二幕の合唱付きのドン・ラミーロのアリアでは、全く声を抜かずに難所のコロラトゥーラを歌い切り、さらにラストのハイCを死ぬほど長く伸ばしたもんだから、稽古場にいた全員があっけにとられた。その直後、練習中である事を忘れて全員が観客と化し、猛烈なブラボー・コールの嵐。当然稽古中断。
 でもシラグーザは、ちょっと照れたような表情を見せてから、何事もなかったかのように、再び練習に入っていった。

 ううー!これだからイタリア・オペラはやめられない!その後の立ち稽古が、いかに緊張感を孕んだ素晴らしいモノになったかは言わずもがな。アンジェリーナ役のヴェッセリーナ・カサロヴァも間もなく来日予定。この二人が共演したら、もう怖いモノなし。

ヤバいぜ、今度の「チェネレントラ」は!

“ぶらいち”はきっと成功!
 この原稿を皆さんが読む頃には、名古屋市民管弦楽団の演奏会が行われている最中か、終わっているかだろうな。演奏会が終わって打ち上げも終わってから東京に戻ってきて原稿を書くと、どうしても更新原稿のアップは月曜日以降になってしまう。最近では、日曜日になると、何度もホームページを空けて「まだかなあ?」と心待ちにしてくれる人も少なくないようだから、日曜更新という原則は出来る限り守ろうと思う。
 直前で作り込むプロオケとは違って、合宿も含めてある程度の期間に渡って練習を重ねてきたので、僕の作りたい音楽は、よほどの事がない限り揺らぐ事はないだろう。だからつまり“ぶらいち”や「死と変容」はうまくいくと信じている。
 とはいえ、演奏会の様子は伝えるよ。掲示板ないしは来週号に載せようと思うから、そっちを読んで下さいね。

天使と悪魔
 「チェネレントラ」の立ち稽古だが、今週前半は、来日したてのソリストの稽古に集中するため、先週全場面作ってしまった合唱団には思いがけなくオフ日が与えられた。週の後半に、作り込んだソロと合唱が、まるでレゴ・ブロックをあてはめるように合体された。

 そこでオフ日を利用して・・・・観てきましたよ!「天使と悪魔」!何?感想はって?待て待て・・・・落ち着いて落ち着いて・・・・ゆっくり話すからね。実は僕、今週だけで二度も観に行ったのだ。何?熱心だねだって?ん・・・まあね。それだけでもないんだけど・・・・。

ドジぶっこき
 5月19日(火)。突然の休日になったので、妻にお弁当を作ってもらって、自転車で国立から南大沢までサイクリング。緑の丘陵を眺めながら多摩川を渡り、モノレールを横切って野猿街道をまっしぐら。実に爽快!でも基本的にゆるい上り坂。特に南大沢駅近辺の最後の急勾配はきつかった。1時間弱でアウトレットの駐輪場に着いた。

 南大沢のTOHOシネマズは、音が良いので僕のお気に入りの映画館だ。ここでチケットを先にとってから、アウトレットのどこかでのんびりお弁当を食べようと思っていた。ところがチケット売り場に行ったら、お姉さんが、
「次の回はあと5分後に始まります。」
と言う。ゲッ!5分後だってえ?
「×××ですが・・・・・。」
どうしよう、お弁当食べる時間がない!それにしてもそんな時間だったっけ?どうもインターネットで見たのと開始時間が違うような・・・・おっとっとっと・・・んなこと考えてる場合ではない。急がなくては!
 ということでチケットを買って急いで入った。すぐ場内が暗くなって予告編が始まった。お弁当をいつ食べようか・・・・ええい、今食べちゃえ!平日なので場内が空いていたのが幸いにと、予告編を見るような見ないような状態でお弁当を食べた。暗闇でお弁当を食べるのって案外大変だ。

 さて、いよいよ映画が始まった。何か変な気がしたのだが、間抜けな僕はすぐには気がつかなかったんだな。トム・ハンクスが話し始めてやっと気づいた。いっけねえ!これって日本語吹き替え版じゃん!さっきお姉さんが言っていた×××は吹き替え版ということだったのか。時間がないと聞いて気が動転してしまって、ちゃんと聞いていなかった!
 すぐに出ようかと思ったが、
「間違えて入っちゃいました。字幕版に替えて下さい。」
とゴネるのもなあ。アホだなあと笑われそうで恥ずかしいなあ。ま、いっか、ということで、その日はそのまま最後まで観た。こういうところが僕の適当な性格。

 吹き替え版は、これはこれでよく出来ていたよ。トム・ハンクスの語り口も特徴をつかんでいたし。でもなあ・・・家に帰ってきて、やっぱりい・・・・やっぱり、やっぱりいいいいい・・・原語で聴きたい!と思ったのだ。馬鹿でしょう。
 運良く21日(木)も新国立劇場では合唱稽古がオフになった。そこで僕は再びチャリンコけったくって南大沢までまっしぐら。やっと念願の字幕版を観たというわけだ。

映画の内容
 で、肝心の内容の方はどーなのよ!早く言ってよ!という半ば怒りの叫びがあっちからこっちから聞こえてくるね。

 映画は・・・・いやあ、面白かった!というか、かなりショックを受けた。こ、ここまで面白いとは!!ネタバレはしませんので、この後の原稿は安心して読んでね。

 この物語のコアになっている部分というのは、実はたいしたことない。早い話、殺人と爆破予告の謎解きをロバート・ラングドン教授が行っていく物語だ。でも、それをここまで息をもつかせぬアクション映画に仕立て上げた監督始めスタッフの人達にまず脱帽!はっきり言って僕は打ちのめされたよ。やっぱり映画界は凄い!クラシック音楽に天才が出現しなくなって久しいが、この現代において才能はこんなところに結集しているのだね。

 実は、今はまだ言えないのだが、僕はあるところから頼まれて、ある新作を模索中なのだ。まだプロットを作っている段階なのだけれど・・・・。こんな時は映画の見方も違う。普段だったら、もっとお気楽かつ無責任に勝手な感想を持ちながら観るのだが、ある意味、決闘するような視線で個々の場面を観る。

音楽
 音楽とシーンとの結びつきには特に注意を払って観る。「ライオン・キング」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」、それに前作の「ダ・ヴィンチ・コード」などの音楽を手がけているハンス・ジマーHans Zimmer(フランクフルト生まれのドイツ人なので、本当はハンス・ツィンマーだろう)の音楽の素晴らしさと、各場面との一体感には本当に驚かされた。
 あまり気に入ったので、映画館の売店でサウンド・トラックCDを買ってきて聴いている。今のサウンドのトレンドは、パーカッションとコーラスの扱い方にあるのだ。

教会を冒涜するか?
 「ダヴィンチ・コード」ではパリが舞台の中心となっていて嬉しかったけれど、「天使と悪魔」ではヴァティカンとローマが舞台だ。これも嬉しい。3年前に家族でイタリア旅行した時の記憶が鮮やかに蘇ってきた。ローマ・カトリック教会を冒涜する映画のようにも言われているようだが、最後まで観てみると決してカトリック教会をおとしめる意図は感じられない。
 これを言うとネタバレになりそうだが、最終場面のどんでん返しを見ると、硬直しているように感じられる教会の規則にも、一時の熱狂に惑わされやすい人間を戒める重要な意味があるのだと納得出来る。教会は、長い歴史をかけて過ちも繰り返しながら、現代の規則や儀式のあり方に落ち着いたのだ。
 一方で熱狂が悪いわけではない。サンピエトロ広場にところ狭しと集まった大群衆の熱狂は、まだまだ世界におけるカトリック教会の役目が現代においても終わってはいない事を証明している。僕もかつてベネディクト16世の謁見の為にサンピエトロ広場に立っていたが、あの地で熱狂する群衆に囲まれていると、ある意味人生観が変わる。
 日本では、クリスチャンはまるで隠れキリシタンのように生きているが、あの場では大声で体全体で自分の信仰を表現出来るのだ。とはいえ僕自身は、ローマ教皇に対しては、神をあがめるのと同じ気持ちで熱狂する気にはなれないんだけどね。人間としては最大限のリスペクトを表明するが・・・・。

トム・ハンクスの素晴らしさ
 僕はトム・ハンクスの大ファンだ。ブラッド・ピットのようにハンサムというわけではないけれど、なんともいえない雰囲気を持っていて、知的で同時にロマンチック。あのちょっと恥じらいのある奥ゆかしさがたまらない。でも決してシャイというわけでもなく、ユーモアに溢れている。何も演技しないように見える時でも、目の表情が良い。
 若い時もよかったけれど、歳を重ねていくほど味わいが増してくる。神を信じたくても信じられない知的探求者ロバート・ラングドン教授の雰囲気をよくつかんでいる。

あえてツッコンデみました
 原作でもすでにそうだったが、この作品のストーリー設定には最初から少し無理がある。たとえばイルミナティという秘密結社のことだが、「イルミナティが復活し、かつて科学を否定したカトリック教会に報復する」というストーリーが説得力を持つものなのだろうか?
 確かにローマ・カトリック教会が、かつて地動説を唱えたガリレオに対して有罪判決を出したのが誤りであったと認めたのは1992年、進化論の存在を許容したのは1996年と、共に20世紀も末、ヨハネス・パウロ二世の時代だ。
 それほど保守的であったと皆さんは思うだろうが、しかしながら教会がそれまでずっと地動説や進化論を否定し続けていたかというと、それは違う。あえて声明を出さなかったが、一応けじめをつけたという以上の意味はない。またその声明が世界中から、肯定的にせよ否定的にせよ、大きなリアクションをもって受け入れられたという話も聞かない。
 すでに科学は、医学も含めて、現代では否定し難く進歩している。地動説に従って宇宙には人工衛星が飛び、ヴァティカンの様子も衛星放送で世界中に同時中継される時代だ。教会が信者達に携帯電話をはじめとする電化製品を全く使わないで過ごすようにとか、医学の治療を全く受けないように強要する可能性はゼロだ。科学が信仰を邪魔するなどと思っている人が、カトリック信者でひとりでもいるのだろうか?
 だからイルミナティが報復しなくても、教会は長い間にすでに科学の報復(それは報復と呼ばれるよりも、むしろ恩恵と呼ばれるべきだろう)を受けてしまっているのだ。

 次に反物質の話だが、反物質という恐ろしいものが、あんなバッテリー付きのポータブル容器に収められて、簡単に持ち運び出来るわけがないだろう。まるで誰かに時限爆弾として使ってもらえるように意図的に開発されたようじゃないか。
 しかも都合がいいように、ちょうど12時にバッテリーがきれて大爆発が起きるという。そしてそれを土台にして、この物語が全て組み立てられているのだ。4人の枢機卿の殺害が8時、9時、10時、11時で、ヴァティカンの破壊が12時という完璧なシナリオだ。おほほほほ!
 
 その他にもあるぞ。犯行予告が複雑過ぎる。犯行予告というのは、誰にでも分かるようシンプルでないといけない。宗教象徴学の権威であるラングドン教授がヴァティカン図書館に入って古文書を調べなければ解けないような複雑な犯行場所の特定なんだぜ。
 もしラングドン教授があそこまで聡明でなかったら、それにヴァティカン図書館の膨大な資料の中からガリレオの書簡の目当てのページにたどり着けなかったら、犯行予告の場所も誰にも分からず、従って殺害も誰にも発見されなかったというわけだ。
 少なくとも“あんなところ”で枢機卿が殺害された第一の犯行場所は、下手するとその後数年に渡って誰の目にも触れることはなかったかも知れない。そうしたら、この犯罪は全く意味を成さないではないか・・・・などなど、ツッコミどころ満載だが、僕は今回学習したよ。物語を面白くさせるためには、リアリティだけを追求したら駄目なんだとね。
 
 本当はこんなことあり得ないなんて言い出したらきりがないし、かといって確実に起こり得る事実に沿ってのみ物語を作ったら、どこにでもあるありきたりのものしか出来ない。当然だよ。ヴェルディのオペラの筋もツッコミどころ満載だけれど、だからこそあれだけドラマチックで面白いのだ。
 芸術なんて、嘘の上に嘘を塗りながら作るものだ。それで真実に到達するならばいいではないか。大事な事は、観ている瞬間の観客に「これ嘘だ。あり得ない!」と思われない事だ。
 現場に急行するのに、ローマの街角であんなカーチェイスのようなことをしなくてもいいだろうが、あれだけハラハラドキドキする体験を提供出来るのだから、まあいいではないか。

出来れば二度観た方が面白い
 想定外に二度も観た僕だけれど、二度目も初めての時と全く同じように一瞬たりとも飽きずに見終わった。それに発見したんだ。こうした探偵モノの要素のある映画は、二度観るに限るってね。
 最初から物語の結末を知っていて観ると、また全然違った視点から眺められる。
「うわあ、こいつ、ここでこんな表情をしていたんだ。犯人だものな。初回は全く気がつかなかったけれど、そういう目で観るとヒントは観客に与えていたというわけか。それにしても、どっちともとれるような表情。素晴らしい演技力だ!」
とか、
「こういう風に表現するから、誰もが怪しいように感じられるのか。うまく観客の心を誘導しているな。」
とか作り手の手の内を理解しながら観るのも映画のもうひとつの楽しみ方だな。

バイリンガルな面白さ
 原語で聴くと、英語は勿論だが、ラテン語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などが飛び交うバイリンガルな映画なので、語学好きな僕にはたまらないなあ。枢機卿達がヴァティカン内で協議する時は、ヴァティカン公用語であるラテン語が話される。スイスのCERN研究所では、実験する際の公的言語は英語だが、仲間同士のプライベートな会話はフランス語やイタリア語なんだ。その混じり具合が楽しい。ドイツ人という設定のシュトラウス枢機卿に話しかける部下は、たどたどしいドイツ語を使う。こんな風になかなか芸が細かいのだ。
 でもひとつだけ許せないことがある。教皇選出のコン・クラーヴェcon clave(直訳すると『鍵と共に』というラテン語。すなわちwith key。鍵をかけて新教皇が決まるまで出てこないことからこの名前が付いた。)のことをコン・クレイヴと英語風に言うのはやめて欲しいな。英語圏の人達って、こうだから嫌だよ。

小説を読んでも読まなくても面白い
 「ダ・ヴィンチ・コード」は、小説中のうんちくが重要な部分を占めていただけに、映画版は小説を読んだ人にはもの足りず、小説を知らないで映画だけ観た人は、逆に物語がめまぐるしく展開し過ぎてついていけずという、両方の狭間に陥ってしまった感があった。でも、この「天使と悪魔」は、独立した映画として両方の側の人から満足のいく仕上がりとなっている。
 客観的に見ても、これは「ダ・ヴィンチ・コード」よりはるかに優れた作品だと思う。どんでん返しが劇的だという事が一番大きい要因かな。みんな!是非行くように!

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