三澤賞〜大晩餐会
 東京バロック・スコラーズでは、演奏会のチケットを沢山売ってくれた団員の中から4人を選出し、我が家に招いて食事会をする三澤賞〜大晩餐会なるものがある。初回は、チケット売り上げ上位4人が来たが、毎回同じメンバーが重なるので、他の人にもチャンスをあげようということで、今回は上位の人達の中から、演奏会打ち上げの時に僕がくじ引きをしてメンバーを決定した。
三澤家大晩餐会 確かに、我々招待する方としては、同じメンバーがダブるより全く新しい人達の方が有り難い事もある。何度も招待するとだんだんレパートリーがなくなってくるからね。で、今回は初回に出したドイツ料理が復活出来たというわけである。ただそのままというわけにはいかないので、これをメインにしながら、いろいろヴァリエーションを加えた。多少国籍がブレて、たとえばサラダはイタリア・サラダにした。ルッコラ、生ハム、オリーブに、モッツァレラ・チーズといったイタリアン・アイテム満載のサラダだ。削いだパルメザン・チーズも入っている。

 6月4日午後6時半、みんながそれぞれに赤ワインや冷酒や泡盛などを携えてやって来た。これまでいつも女性ばかりだったけれど、今回は3人のおじさまと1人の熟女という前代未聞の組み合わせ。どんな会になって、どんな話題で盛り上がるのか想像もつかなかったが、これはこれで、みんなそれぞれ出過ぎるわけでもなく引っ込みすぎるわけでもなく、様々な話題が穏やかに飛び交い、とても楽しい会となった。
 年代が近いので、話題も身近で、しかもかき回す人がいないから、会話が落ち着いているのだな。驚くべきは、いつもは興奮してしまい、来客中なだめるのが大変な愛犬タンタンがずっとおとなしかった事。途中で一度次女の杏奈のところに行った他は、基本的に僕の膝にずっと収まっていたのだ。

 それにしても、おじさまたちはよく食べよく飲んで、とても張り合いがあった。妻の作ったレンズ豆のスープが好評だった。これはね、ベルリン留学時代に妻とよくMENSA(学生食堂)で食べたEintopf(ひと鍋料理)というMENSAで一番安い料理が手本になっている。お金がなかった時代でとてもなつかしいんだ。
 メイン料理のソーセージの付け合わせのザウワー・クラウトは、調理の仕方がドイツ土着の家庭料理風なので、ちょっと他では食べられないと思う。これは僕が一日煮込んで作った。日本ではザウワー・クラウトを出しても、ビンから出してそのまま付け合わせになんてやっているけれど、ドイツではそんな事は決してしない。どの店でも、店独自の隠し味を忍ばせてきちんと煮て、味を競っているのだ。

 さて、今回のメンバーの内、M氏とT氏は、日本興業銀行合唱団時代からよく知っている。その中でもM氏は、現在東京バロック・スコラーズの幹事もやっているので、僕とは日常的に接触がある。でも家に来たりこうしてのんびりおしゃべりするのは初めて。 最近当団に入ってきたI氏は、国立市在住で、お兄さんは東大アカデミカ・コールの団員であるし、僕や妻に共通の知人もいる。最後に紹介する熟女は、なんと名古屋モーツァルト200合唱団のメンバーだ。医師である彼女は、ご主人の首都圏への転勤に伴って、今では名古屋と東京が半々という生活をしている。

昨晩の献立は以下の通り。

乾杯:ノルマンジー産シードル(リンゴ酒)
カナッペ二種類 マグロとアボガド
                    スモーク・サーモン、ピクルスとノイ・フランク特製さくらチーズ
レンズ豆のスープ
モッツァレラ・チーズと生ハム入りイタリアン・サラダ
ノイ・フランクのウインナ・ソーセージとザウワー・クラウト(酢漬けのキャベツ煮込み)
デザート:煮リンゴの生クリームかけ
三澤家の庭で採れたハーブによるハーブ・ティー

持参した飲み物 彼等が持参したワインも日本酒もどんどん空けて、穏やかな語らいはいつまでも続くと思われたが、適当な頃合いになると誰ともなく、
「そろそろ・・・・。」
という感じになって名残惜しい時間は終わり、みんなは僕の家を後にした。こうした節度も熟年ならのもの。とても後味の良い会となった。

 とはいえ、もう熟年だけで若い人は呼ばないなどと言うつもりもないよ。今後もいろんな世代のいろんな人達を招いて、いろんな雰囲気の会を新たに作り出したいと思う。
さいわい妻は、
「あなたがやっている合唱団にどんな人がいて、どんな事を考えているのか分かるので、この三澤賞はとてもいいわね。これからも続けましょう。」
と言ってくれている。この会だけは家族の協力がないと絶対に出来ないので、妻や娘達が賛成してくれている間は、まだまだ三澤賞は続けます。

 東京バロック・スコラーズの皆さん!引き続き演奏会のチケットを一生懸命売って、この次は是非あなたが僕の家に遊びに来てくださいね!

健康の有り難さ
 六本木男声合唱団倶楽部には各分野のエキスパートが集まっているので、何か問題があった時には、横のつながりを使わせてもらうといろいろ道が開けるものである。他の団員達もそうやってお互いの便宜を図り合っているので、それだけでもこの団体は存在意義があるというものだ。それに無私で親切な人が多い。みんな心にゆとりがあるのだろう。僕の血糖値が高いことはもうみんな知っていて、いろんな人が心配してくれている。

 団長の三枝成彰(さえぐさ しげあき)氏などは、いつもダイエットをこころがけているが、僕が軽々と痩せたのを見て、最初はちょっと感じが悪かった。休憩時間、僕のところにやって来て、なんとなく僕の姿を斜めに見ながら、
「どうやったの?やっぱ食事?」
「食事が一番大きいですね。」
「酒はやめたの?」
「完全にやめはしませんけど、3日に一度コップ一杯くらいになりました。」
「やっぱり酒かあ・・・。そうだよ酒だよな・・・・。う〜ん・・・・。」
「あと運動もありますよ・・・。」
と付け加えても、三枝さんはもう人の言う事は聞いていない。どうやらお酒を大幅に制限したという言葉が彼に衝撃を与えているらしい。
 と、思うと、突然僕の方に向き直ってこう言った。
「あのねえ、いい水があるから飲んでごらんよ。」
「み、水ですか?」

 数日後、宅配便が届いたので開けてみると、なんと大量の活性水素水なるものが入っている。三枝さんが送ってくれたのだ。なんて親切な人!
通常、水というとH2Oだが、この活性水素水のパックの表面にはH4Oと書いてある。これは一体何だ?と思ってインターネットで調べてみた。
 人間の体は活性酸素なるものを作り出し、これが病気を引き起こすと言われているが、この活性水素水はその活性酸素を水素で消し去る作用があるという。その結果、代謝を促進し、巡り巡って血糖値を下げてくれるそうだ。ホンマかいな。

 活性水素水が自宅に届いてから数日経ったある日、携帯電話が鳴ったので出ると、
「三枝ですけど、水飲んでる?」
「はい、ありがとうございます!飲んでます。」
「で、どう?」
「どう?って・・・・ただの水ですけど・・・・。」
「なんともない?」
「なんともないです。」
「そう・・・・。」
と、電話の向こうでがっかりしているようだ。なんだなんだ、ちょっと親切過ぎるな。もし僕が、
「素晴らしい効き目ですね!」
と言ったなら、もしかしたら、
「ちょっとモニターになってやってくれないか?」
とでもお願いしてくるつもりなのかな?三枝さん自身もセサミンとかいうサプリメントの宣伝に出ているものな。
 いやいや、そんな風に人を勘ぐってはいけない。本当に純粋な気持ちで水を送ってくれ、様子を聞いてきてくれたに違いない。実際、三枝さんって、子供みたいに純粋な人なのだ。

 さて、六本木男声合唱団倶楽部の中には医師も何人もいる。その中の一人で外科医である赤羽紀武(あかば のりたけ)さんが僕に近づいてきてこう言う。
「先生、内科医が全部糖尿病に詳しいとは限りませんよ。糖尿病を専門に研究している医師に一度相談されたらいかがですか。僕の知り合いで糖尿病の権威と言われている大野誠というのがいますが、よかったら紹介しますが・・・・。」
 実は、僕も少し悩んでいた。というのは、今行っているF病院はマンモス病院で、3月に行った時と4月に行った時とでは、異動になって担当医が替わっているし、その替わった医師は、一ヶ月の間に僕があんなに頑張って食事療法や運動をして血糖値を下げたのに、それに対してほとんど無反応だった。そして一ヶ月前と同じ薬を大量に出す処方箋を書き、
「予約がいっぱいなので、三ヶ月後に採血をしてから診察に来て下さい。もしその間に不安なら、別の病院で採血して下さい。」
だって。断言するけど、三ヶ月後に行っても、担当医は絶対に僕の事を覚えていないと思う。
 だからF病院なんかやめてもいいと思っていたのだ。予約をキャンセルしても誰も僕の事なんか気にしない。それより、このままいくとずっと惰性で同じ薬を死ぬまで飲ませられて、たまにあの工場のような巨大な中央採血場で採血して、また半日待たされて惰性で診察されて、その内僕も一生懸命食事制限するのが馬鹿らしくなってきて、また元の木阿弥に戻ってしまう危険性も感じる。
 それにこれまで僕が食べ過ぎていたので、膵臓がさじ加減をしてインスリンをわざと出さないでいたかも知れないのだ。それなのにのべつまくなし薬を飲んでいたら、膵臓がインスリンを出す元来の能力すら奪われてしまう事にもなり兼ねないではないか。僕は、食事療法とかいろいろな要素と合わせた、自分の体にあったきめ細かい治療を受けたいのだ。

「赤羽さん、その大野さんというお医者さん、紹介してもらえますか?」
「いいですよ。大野は赤坂のM病院に外来で来ています。」
ということで、その名医のところに行く事になった。
「三澤先生、大野が事前にCTをとっておいてくれと言ってます。いずれにしても採血してから診察を受けるべきなので、6月1日の月曜日の午前中にM病院に来てくれませんか?そこで私が外来をもっていますので、私が診察するということで検査しましょう。」
 そこでM病院に行った。東京メトロ丸ノ内線赤坂見附駅から徒歩3分。診察室に入ると、いつもはラフな格好をして六男に参加している赤羽さんは白衣を着ていた。
「おお!こう見ると、やっぱり立派な先生ですねえ。」
「この白衣と共に権威を脱ぎ捨てて、ただのおじさんとなって六男に参加するのです。さて、三澤先生、レントゲンっていつ撮りました?」
「もうしばらく撮ってないですねえ。」
「この際だから撮りましょう。」
ということで地下の検査室に行き、胸のレントゲン写真を撮り、それから巨大なCTの器械でCT撮影をした。
 診察室に帰ると、なんと今撮ったばかりのCTの画像がディスプレイに映っている。赤羽さんは、まず僕に胴体の中で臓器がどのように配置されているか説明した上で、
「さあ、これから順々に見ていきましょう。」
と言いながら、僕の胴体の輪切りのCT画像を上から見ていった。
「この黒い空洞は肺です。空気が黒く映っているわけですな。そろそろ肝臓が出てきます。もし癌のようなものがあると、黒い影となって出てくるのですぐ分かりますよ。」
僕はゴクッと唾を飲み込んだ。
「ああ、きれいですねえ。癌はないですねえ。」
なんだか残念そうに言ってない?
「脂肪肝もないですよ。」
おっ、フォアグラ状態は脱したか。
「この辺が膵臓。これも異常なしと・・・・さて腎臓が出てきますよ・・・・ああ、きれいなもんですね。先生、レントゲンも異常ないし、臓器はみんな健康体そのものです。私は血管が専門なのですが、先生は動脈硬化もないですね。」
ヤッター!それから尿を採り、赤羽さんのところで看護師によって採血してもらった。

 まあ、でもあらためて臓器が健康ですと聞くと悪い気はしないなあ。健康って素晴らしいなあ。僕はまだまだ頑張れる!人生は始まったばかりだ!M病院を出た僕は、赤坂見附までスキップして帰った。
 その日は、検査のため朝から何も食べてなかったので、二食分のカロリーを採れる!そう気づいた僕は、何ヶ月ぶりに初台に着いてからオペラ・シティ方面出口を出て、53階の叙々苑に行って焼き肉ランチを食べた。ああ、うめえ!何?それが転落の始まりだって?見逃してよ。たまになんだから。

 

チェネレントラいよいよ初日
 さて、新国立劇場では「チェネレントラ」のゲネプロが終わった。この「今日この頃」が更新される6月7日の日曜日には、いよいよ初日を迎える。ゲネプロでは、公開とはいえ通常からは考えられないくらい沢山の聴衆が入り、しかもブラボーが飛び交う異常な盛り上がりを見せた。観に来ていた妻も、
「歌手達も粒が揃っているし、演出も楽しい。良い公演になるわね。」
と言っている。楽しみ楽しみ。


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