ミサワな夏、完走!

 「ジークフリートの冒険」「ノアの方舟」「BACH TAGE」と三週間続けて週末に本番があり、そのためにそれぞれウィークデイはラストスパートをかけていたから、この夏は本当に疲れたぜ。しかも、そのどれをとっても、僕が倒れたら誰も代役を務めることは出来ないまさに僕ならではの公演ばかりなので、必要とされるエネルギーの量が違う。
 新国立劇場では、すでに「オテロ」「ヴォツェック」の練習が始まっているし、オペラシティが主催する「ブラジル風バッハ全曲演奏会」の無伴奏合唱の本番が22日に控えているので、まだ夏は終わったわけではないのだが、いわゆるミサワな夏はこれで一段落付いた。

演出家としてのノア
 「ノアの方舟」なんか、原作者でもあり作曲家でもあり演出家でもあり、そして指揮者だから、舞台上で起こる全てのことについて気を張りめぐらしていなければならなかった。

 特に演出家としての僕は、本番直前にはもの凄く神経を使う。照明家、音響などの舞台スタッフは、直前にならないと来ないので、舞台稽古から本番までは、照明が場面とどうマッチしているかという事や、暗転や変化のタイミングから片時も目を離せない。
 さらに音楽家としての要素が加わって、それとオーケストラのPAとワイヤレス・マイクをつけたメイン歌手達とのバランスなど、気にしなければならない項目が無数にある。
 せっかく作ったものを直前の照明や音響で台無しにされるなどということを、これまでにも随分経験してきたので、ここが勝負所なのだ。それに、やはり自作だから思い入れが違うんだ。とにかく指揮だけして本番を迎えられるというのは、こういうのから見たら楽なもんだ。
 でもね、本番が終わった後の満足度が違う。自分が頭の中だけで考え出したものが、実際に目の前で舞台となり、自分の頭の中だけで鳴っていた音楽が実際に音となる感動というのは、創作した者でないと決して味わえないんだ。僕は、なんて恵まれた人生を送っているのだろう。こんなに楽しくていいのだろうか?

企画者としてのBACH TAGE
 昨日までのBACH TAGEは、この計画を思いつき、東京バロック・スコラーズを無理矢理けしかけてやらせた張本人として、公演が終了した時に、関わった人達がやって良かったと思ってくれないと悲しいので、ことのほかエネルギーを使った。
 でも、打ち上げでの各団体の雰囲気を見ていたら、僕自身は、
「ああ、いいなあ、こうしていろんな団体が混じり合って、演奏会の成功を祝っているなんて。」
と思って感無量になった。これは企画者としての幸福感。

バロック・ダンス講習会
 BACH TAGEの第一日目。まずは市瀬陽子(いちせ ようこ)さんのバロック・ダンス講習会で始まった。まずは土居瑞穂(どい みずほ)さんのチェンバロ生演奏で雰囲気作り。それから、我が国におけるバロック・ダンスのパイオニアであり第一人者であり続ける市瀬先生の登場して、バロック・ダンスの講義と実践に入っていった。
 実は、この講座に先駆けて、昨年の11月に東京バロック・スコラーズの団内で、市瀬先生をお呼びして一度ダンスのレッスンをやってもらっていた。その時は僕も一緒に参加して踊った。
 それで、これを受講者だけでなく客席で聴講する人もいる公開講座の形にするために、僕がいろいろアイデアを出したのだ。その点に関して、僕はエンターテイメントということを常に考える人間だ。僕が考えたことはこうだ。まず、団内から「さくら隊」と呼ばれる人達を作り、受講者に混じって踊ってもらう。全員が全く初めてというより、中で多少なりともリードするような存在として必要なのだ。
 それと、市瀬先生自身にも踊ってもらう。出来ればバロック期の宮廷の衣裳をつけてと思ったが、それでは実際のレッスンがやりずらいとのことで、市瀬先生がお呼びした粕谷清佳(かすや さやか)さんという若くて美しいダンサーの方に、冒頭でチェンバロの響きに乗せてデモンストレーションをしてもらった。これで一気に気分はバロックの宮廷へとタイムスリップしたというわけだ。
 講座の中で、市瀬先生自身はサラバンド、ガボット、ブーレなどの舞曲を自ら踊ってみせたが、さすがプロ!その軽やかな身のこなしと優雅さに会場は魅了された。

 市瀬先生のレッスンは、ユーモアに溢れ、みんなを惹きつけて短期間の間に成果を上げていく。事前に一番心配したのは、舞台上で受講している人はいいが、会場で聴講している人が退屈しないかなということだったが、その心配は全くなかった。そのレッスン自体が客観的に見ても立派にエンターテイメントとして成立していたのだ。
 最後に「さくら隊」が思い思いの衣裳に着替えてのデモンストレーションを行ったが、これについてはまあ愛嬌ということでお許し願いたい。でもみんな楽しそうに踊っていたので、東京バロック・スコラーズってなんだか自由で楽しそうな団体だなと聴衆が思ってくれたら目的は達せられたのだ。

はじめてのバッハ
 夜は僕が「はじめてのバッハ」と称したバッハ入門講座を行った。こういうのは前もって準備しておこうと思ったのだけれど、ノアのオーケストレーションや「ジークフリートの冒険」の練習などに追われてなかなか出来ず、結局集中して準備したのは最後の一週間。 ふう!当日の朝までCD-Rに焼く音資料とPower Pointの資料の準備をしていたからね。講座の内容に関してはかなり前から構想は練っていたので、いきあたりばったりというわけではないんだよ。実際に原稿を書いたり、資料を準備するのが遅かっただけ。ピアノを弾いてくれた志保にはだいぶ前から曲目は告げていたしね。
 講座の中では、宣伝の為も含めて東京バロック・スコラーズのこれまでの演奏のCDを使用したが、やはり生演奏の力というのは大きいね。志保のピアノに随分助けられた。

 フーガを楽しむためには、本当はもうちょっと突っ込んだアナリーゼをして聴き所を指摘すればいいかなとも思ったが、それでは初心者講座ではなくなってしまう。今度いつか「中級バッハ講座」とか「もうひとつ知りたい上級バッハ講座」とかやったらどうかな?人が来ないかな?でも、初心者とかいいながら、質疑応答コーナーでの質問の内容からすると、初心者どころか結構オタッキーな人達が来ていたらしいから、かえっていいかも知れない。もっと小さい会場でまるで秘密結社みたいに上級講座でシコシコとアナリーゼをやるの・・・・。どう?

有意義だったBACH FEST
 さてBACH TAGE二日目はいよいよBACH FEST(バッハ祭)で、五つの団体がそれぞれバッハのモテットを一曲ずつ演奏する。司会は僕と評論家の加藤浩子(かとう ひろこ)さんが担当した。コメントも何もなしでモテットを次々に聴かせられるのは辛いが、ワンポイントの指摘だけで、聴衆は曲に対する関心度がグッと高まる。こうしたこともエンターテイメントを重視する僕の意向。それにしても、それぞれの団体がそれぞれの特徴を見事に出してくれて、予想以上に楽しい会になった。

 休憩後のパネル・ディスカッションも、どうなるのか予想も付かなかったけれど、ガーデンプレイスクワイヤの指揮者、櫻屋敷滋人(さくらやしき しげと)さんの哲学的発言やアンサンブルクライスの指揮者、宇野徹哉(うの てつや)さんの細かいパッセージをどう歌うかという方法論に対する僕への質問など、なかなか有意義な意見の飛び交う楽しいディスカッションとなった。
 この演奏会のためににわかに結成し、この演奏会と共に消滅するBach Groovin' Choir(バッハ・グルーヴィン・コアー)という団体の指揮者、大貫浩史(おおぬき ひろし)さんは、バッハの音楽を演奏するにあたっては、独特の方法論あるいは文法のようなものがあって、寄せ集めの団体では、まずそれを習得させるのが難しかったと発言した。なるほど、そこが他の作曲家の作品を上演するのと違うところだなと一同納得。

 実は僕が一番心配していたのは、明治学院バッハ・アカデミー合唱団の指揮者でもあり、我が国のバッハ研究者の第一人者でもある樋口隆一(ひぐち りゅういち)さんが、とても話し好きで、話し出すと止まらなくなることを知っていたので、限られた時間内で彼をどうコントロール出来るのかという点だった。
 でも心配ご無用。それどころか、さすがこうしたシンポジウムに慣れていらっしゃるだけあって、最後にこのパネルディスカッションを総括するような発言をしてくれた。古楽かモダン演奏かという話の中で、御自分で訳された古楽演奏のパイオニア的存在の指揮者アーノンクールの著書の話から、
「大切なのはきちんとした方法論にのっとって音楽を奏でることだ!」
という結論に持っていってくれた。
 さすがだなあ。樋口さんとは打ち上げの席でもいろいろ焼酎をつぎ合いながらお話しをしたが、あれだけ偉い学者なのに偉ぶったところが全くなくて気さくで、僕はとても好きだなあ。それに、あのちょっとイッちゃってる陶酔的指揮も好きだなあ。バッハが好きでたまんないというのが体全体から溢れている。
 まあ、この演奏会で指揮した人達の動きはみんなそうだけどね。櫻屋敷さんなどは、あれだけのけぞった体を片足だけで支え、よく倒れないなあと感心した。バランス感覚がいいんだね。本当にいろんな人がいろんなアプローチでバッハの音楽と向き合っている。

二十一世紀の合い言葉は共生
「みんな違ってみんないい」
いろんな人達の共存。共生。これこそ二十一世紀の僕たちがめざすべき世界観だと思う。それを僕は様々な形で、自分の人生で体現していきたいのだ。
 自分は自分でしっかりとした行動原理を持ち、それに沿って行動する。でも他人の価値観や生き方を否定しない。まず自分とは違ったままでいいから受け入れる。認める。そして対話を通して、そちらの方が正しいと思ったら、自分がまずCHANGEすることを恐れない。

実は芸術と一緒で、何が正しくて何が間違っているという基準ってないのかも知れない。あるのは、何が美しくて何が美しくないのかという美意識だけなのかも知れない。
 僕は、今後何をやっても、こうした美学と行動原理をもって人と関わり合い、何かを作っていく。これが僕らしい生き方であり、僕は音楽家である前に、こうした考え方を持つひとりの人間なのだ。

 ふう、8月前半を走り抜けた!これから一週間はお休みです。昨年11月に亡くなった親父の初盆ということもあり、仕事はしないで8月16日まで田舎に帰っています。なので16日の「今日この頃」の更新もお休みします。次の更新は23日となります。では、それまでみなさん、お元気で!
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