初盆

 バッハ・ターゲがまずまずの成果をあげたのを見届けた後、僕は一週間まるまる郷里の群馬で過ごした。昨年は、お盆に入る直前に群馬で「愛はてしなく」の公演があったので、親元に数日滞在し、それから国立に戻って、国立公演に向けて最後の仕上げをしていたので、むしろお盆には全く帰らなかった。
 あの頃はまだ親父も生きていたし、お盆というもの自体が儀式として大事というよりは、親元に帰る時間が取れればそれでいいという感じだった。でも今年は違う。親父の初盆だったので、お盆というセレモニーに意味があるのだ。

 日本人に宗教の事を聞くと、
「いや、自分は無宗教だから。」
と答える人が多い割に、僕は日本人ほど宗教的な国民はいないと思う。だって本当に無宗教の人ならば、お盆なんて無意味ではないか。でもみんなお盆というものを、単なる帰省の言い訳以上に大切に思っている。茄子やキュウリに足の生えたものが家の前に並んでいる光景を見ると、あんたこれでも無宗教かい?え?とツッコミたくなる。
 8月は、お盆に加えて、二つの原爆記念日、日航機墜落事件、終戦記念日と、我々が死あるいは死者と向かい合う機会が多く与えられている時期でもある。日本人は、生い茂る夏草や蝉しぐれの向こうに死者の国を感じる感性を、自らが作り出した歴史や風習によって育み培った国民なのだ。

訪問客
 我が家のお盆に話を戻そう。親父の初盆には、予想した以上に訪問客が多かったのに驚いた。初盆見舞いのお返しの品物を注文する時、
「お袋、それは注文し過ぎだろう。こんなに来ないよ。また見栄張っちゃって!」
とお袋を笑ってしまったのは悪かったと思う。ごめんね。
お袋が反論して、
「お客が少なくて余ったら返せるんだっていうんだからいいじゃないか。」
と言うので、まあ好きにさせとこうということになったが、初盆が始まったら次々とやって来る訪問客で追加注文を取るほどになった。
 僕は、注文を断らなくて良かったと冷や汗をかいたが、同時に、親父がこれだけの人達に慕われていたのかと親父を見直したし、嬉しくもあった。訪問客の中には、晩年ちょっと親父と仲違いした人達もいたようだが、亡くなってみると、それはそれで、もっと前の良かった時期のことに人は想いを馳せるものだなあ。みんなこだわりを捨てて来てくれたんだ。
 人が生きていれば味方もいれば敵もいる。親しい人もいれば嫌な奴もいる。でも好ましい好ましくないに関わらず、どの人も皆その人の人生に必要な人であり、人はまわりの人達に支えられて生きている。だから僕も親父に関わった全ての人達に、
「父が生前本当にお世話になりました。」
と心から言いたい。こんなこと思ったの初めてだ。これが人の死にまつわる人情の機微というものだな。やはり身内の死というものは特別の体験だな。

虎太郎
 地域によっては12日にお盆迎えをする所もあるようだが、僕の町では13日がお盆迎え。それで先祖の魂を自分の家に迎えて、16日にまた送っていく。その間、訪問客と共に身内も入れ替わり立ち替わり来て泊まったり帰ったりした。特に僕の甥や姪達は、これまで親父を慕って盆と正月には必ず来ていたから、この初盆を逃すはずがない。さすが親父の人徳。初盆ともなるとフルメンバーが揃った。ただしいっぺんにではない。
 
 その中でもハイライトは、僕のすぐ上の姉の長女貴子の息子だ。親父が楽しみにしていたひ孫なのだが、残念ながらその姿を見ることなく親父は逝ってしまった。以前書いたと思うが、親父は死ぬ前の晩、貴子の夢枕に立ち、
「こたろう!こたろう!」
と呼んだという。その時すでに貴子のお腹の中にいる子供は男の子であることが判明していて、貴子はご主人と相談して虎太郎(こたろう)と命名していた。親父もその名前を知っていて生まれてくるのを待ちわびていたのだ。
 夢を見て気になった貴子は、予定を変更し会社を休んで親父の見舞いに駆けつけた。それから間もなく親父は息を引き取った。その曰く付きの虎太郎くんだが、これがめちゃめちゃ可愛い。可愛いだけじゃない。まだ4ヶ月しか経っていないのに、もの凄くいろいろが分かっている。貴子は、言葉をしゃべると言い張っているけれど・・・・あはははは・・・・それはどうでしょう・・・。貴子は、本当は栃木の実家にも帰らなければならないはずなのに、お盆の間ずっと群馬にいた。時々中空を見ては虎太郎が微笑んでいるので、みんなは、
「じいちゃんが見えるんじゃないの?」
と言っていたが、親父も喜んでくれていたに違いないと信じている。

ソバでおもてなし
 一番人が多かった13日のお昼に合わせて、僕は「蕎麦さかい」で生ソバを注文していた。13日の午前中に群馬宅に届くようにお願いしていた。なんと20人分。本当はお粉を仕入れて自分で打とうかとも思ったのだが、20人分はとても無理。せめて茹でるのだけは自分でやった。この注文の話をバッハターゲの打ち上げの最中に酒井さんとやっていたんだ。あはははは。
 ソバは約一分という短い時間でサッと茹でる。まさに時間との戦い。たっぷりのお湯で茹でないと、ソバ自身の温度で冷めてしまったお湯が再び沸騰してくる前に一分が過ぎてしまう。そうなるとコシがなくなってだいなしだ。ソバを入れた後ふたを閉めてお湯が沸騰してくるのを待つ。タイミングを逃すと、今度はお湯が吹きこぼれてしまう。なるべく水をささないほうがいいので、このタイミングを見極めるのが難しい。それからサッとお湯から上げて、水でジャブジャブと洗い、さらに氷水で冷やしてから丸めてザルに盛る。妻と姉たちは天ぷらを揚げて、ソバと一緒に出した。さすが蕎麦さかいのソバ。コシがあって絶品!みんな夢中で食べてくれた。大好評!

灯籠流しと花火大会
 親父は生前みんなに、
「新町の花火大会を見ていきなよ。」
と言っていた。でも花火大会はお盆の最終日の8月16日の晩。お盆に帰省しても毎年なかなか16日まで残ってはいられない。親父は、花火が上がる前にはスポンサーの名前が告げられるので、「次は三澤建設です。」というアナウンスを僕たち子供や孫達に聞かせたかったに違いない。
 僕が16日の晩に新町にいるなんて本当に久しぶりだ。記憶が定かではないのだが、20数年前ベルリンから帰ってきたばかりの頃は暇だったけれど、それからすぐに夏はミュージカルの仕事をしたり忙しくなったので、もしかしたらそれ以来かも知れない。僕のことだから、今年ももし親父が生きていたら、何か仕事を入れてしまっていて、16日などはすでに東京にいただろうなあ。

 僕の家から烏川(からすがわ)の土手まではすぐで、歩いて3分ほどだ。でも烏川の手前には温井川(ぬくいがわ)という小さい川があるため、烏川に辿り着くまでに土手を2つ越えなければならない。僕たちは便宜上、手前を一番土手、向こう側を二番土手と呼んでいる。この土手の上からの景色は最高で、赤城山、榛名山、妙義山と上毛の三山が一列に並んで見え、その間に流線型の浅間山が見える。二番土手を越えると、そこから烏川の河川敷が広がっているが、そこには野球のグランドがある。花火大会はそのグランドで打ち上げられる。あたりには焼きそばや焼き鳥などの屋台が建ち並び、すでに沢山の人で溢れている。
 花火大会の前には灯籠流しがある。16日の夕方は、遠くに浅間山が夕焼けの中に美しいシルエットを描いていて、暑過ぎもなくすがすがしかった。僕の二人の娘達、志保と杏奈はそれぞれ浴衣を着て灯籠流しに参加した。僕の同級生で、町の商店街でカバン屋をやっているS君が気を利かして、親父の名前の灯籠を他のものと分けて用意してくれていた。それを志保達が流す。浴衣を着た若い女の子が流すと絵になるというので、彼女たちは他の人達の沢山の灯籠も流すことになった。
 よく考えると、親父の魂はもう提灯の火に乗せてお墓に送っていったはずなのに、水の上にゆらめく灯籠の火を見ていると、ここにも親父の魂がいるような気がする。これって矛盾するよな。でもね、そういう理屈ではなくて、もっと感覚的にとらえてみると、お盆の時期というのは、この世とあの世との境界線が曖昧になって、世界が静かに死者の国と近くなっているような気がするんだ。だからいつも死者の魂がそばにいるような気がする。

 さあ、花火が始まった。でも僕は土手にはいない。家から眺めている。その理由が情けない。実は、愛犬タンタンが、花火の音が怖くて震えてしまってワンワン吠えて大変なのだ。だから僕はタンタンのおもりをしている。でもね、家の中にいるより、かえって外に出て花火を見せた方が怖がらないみたいだ。娘達は打ち上げ会場にいるが、お袋と上の姉の次男の雅之君は僕と一緒に玄関から花火を見ている。妻もここにいる。タンタンがだんだん落ち着いてきたので、それでは大丈夫かなと僕は土手に向かって歩き出した。すると音が大きくなってくるにつれてまた恐がりだし、ついに吠え始めた。駄目だコリャ!断念してお袋のところに帰る。
 新町の花火大会は、こんな小さい町なのに凄い!なんか花火大会に命賭けているみたいだ。親父が僕たちに見せたかった気持ちがやっと分かった。ごめんね、親父!忙しくて全然花火大会を見られなかったね。

 突然携帯電話が鳴った。出ると、花火の発火点のすぐそばにいる杏奈が言う、
「今上がったやつね、おばあちゃんの花火だってアナウンスしていたよ。」

 僕はお袋との会話を思い出していた。
「今年も花火の寄付を頼んできたんだよ。でもね、三澤建設とするわけにはいかないし、ましてや三澤一雄とは出来ないだろう。だから三澤千代子の名前で寄付だけして花火は上げなくていいよって言ったんだよ。花火を寄付した人には灯籠流しの灯籠に名前を書いてもらえるから、それだけでいいんだよね。」
僕はその時、
「親父の初盆で、いまさら花火でもないよね。」
と言った。
 それにもかかわらずお袋の名前で花火が上がったのだ。でも、こうして花火を見ていると、賑やかなことが好きだった親父には、むしろ灯籠流しよりもこっちの方がずっとふさわしい気がした。これならいっそ三澤一雄の名前で出してもよかったかなと思った。まあ、そういうわけにもいかないだろうけれど・・・・。

 ヨーロッパでも花火はあるけれど、ヨーロッパでは花火はお祭り以外の何の意味も持たないような気がする。でも日本では、ヨーロッパよりももっともっと華やかなのにもかかわらず、何故か花火にイニシエーションという意味合いを感じる。つまり灯籠流しと相まってお盆にまつわる陰と陽の宗教的儀式のように感じるのだ。
 こうした儀式を通して、人間は大切な人を失った悲しみの気持ちに“落とし処”というものを与えるのだなあと、初盆を迎えた僕は思う。昔の人は長い間を通して、いろいろな風習を育んできたけれど、それを頭で考えちゃいけないのだ。お盆というのは厳密に言えば仏教的儀式とは違う。仏教には本来先祖供養という教義はない。でも、そんなことどうだっていい。初盆は必要なのだ。人はそんなに早く亡くなった人を忘れられるものでもないし、また忘れちゃいけない。
 記憶はいずれは風化し、「去る人日々に疎し」で悲しみもしだいに収まっていくだろう。それが諸行無常の世の中の掟だ。でも、だからこそ、一年に一度だけ死者に想いを馳せる。死者を家に招き身内が集まって彼らのことを思ってワイワイ過ごす。こうしたことは、人間の営みには必要なことなのだ。

こうして僕の初盆は終わった。僕は生前よりももっと親父と近くなったような気がした。

ブラジル風バッハ無事終了
 さて、こうしたお盆の感傷を吹き飛ばすように、新国立劇場では練習が再開した。しかも猛烈に再開した。いやあ、今週は大変だった!何が大変だったかというと、今週末にオペラシティである「ブラジル風バッハ全曲演奏会」の中で、第9番無伴奏合唱曲を新国立劇場合唱団が演奏しなければならず、その猛特訓を行っていたのだ。
 すでにお盆前に、一日だけ音取り練習をやったのだが、その時はまだかなり悲惨だった。しかもその時に、この演奏会をNHKのFMが収録に来ると言うことを聞いて、
「ゲー!どうしよう!」
とうろたえたのだ。
 曲は確かに難曲だ。まさにブラジル風バッハの名前の通り、ブラジル風の味付けがなされた変拍子のフーガの難しいことといったら!テーマを歌っている人よりも、長い音を伸ばしながらその伴奏をしている人の方が数倍難しい。しかもアカペラなのでごまかしようがない。でも素晴らしい曲だ。なんとかこれを高水準で仕上げたいと僕は思った。

 実は今は演奏会当日、この原稿をオペラ・シティの楽屋で書いている。本番はすでに終わって、みんなはとうの昔に帰ったが、僕はただ1人演奏会全体のカーテンコールに出るため楽屋に残っている。僕は静かな充足感の中にいる。
 結論から言うと演奏会はとてもうまくいった。サンパウロ生まれの指揮者ロベルト・ミンチュクが、重箱の隅をつつくようなタイプではなく、おおきなうねりで音楽を作っていく人で良かった。新国立劇場合唱団のメンバーも力を出し切ったと思う。
 
 いい演奏会の前にある特有の現象として、なんとなくクラブ活動のような雰囲気が支配する時がある。今回の練習期間の後半はまさにそんな感じだった。ぼくも与えられた練習時間をギリギリまで使って、ガシガシ何度も何度もしつこいくらい繰り返して練習をした。午後の「オテロ」の練習の後の時間帯だけに、すでに練習開始の時に喉も疲労しているだろう。通常だったら、こんな練習の仕方なんかしたら、めちゃめちゃ嫌われてしまうのに、今回は違った。みんなとても集中してよくついてきてくれた。そればかりか、自主練習もやり始めた。アマチュアではよくある光景だが、プロの場合はなかなかこんな感じにはならない。
 曲が難しくて何度も繰り返して身体に入れないと不安だというのはある。でも彼らの思考はもっとポジティブだ。曲が難しいからこそ、連帯感も生まれ、さらに少し出来てくるとだんだん面白くなってくるのだろう。何度繰り返しても食らいついてくる。真摯でひたむきで、僕はそんな彼らのことが大好きだ。そして本番の緊張感!
 皆さんには自画自賛としてしか聞こえないだろうけれど、僕は言っちゃうね。今の新国立劇場合唱団員の能力の高さときたら、全くあきれるほどだぜ!それに彼らの音楽に向かう姿勢には心底感銘を覚えるよ。こんな人達と毎日一緒に仕事している僕は、世界一幸せ者だよ!
 
 さあ、明日は名古屋へ行ってモーツァルト200合唱団の練習。これも9月6日の演奏会に向けての最後の総仕上げ。ガシガシやるぜ!それから来週からは「オテロ」新制作の立ち稽古がいよいよ開始する。楽しみ楽しみ!

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