フリッツァの代理で指揮をした石坂さん

オバマ大統領のノーベル平和賞
 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、世界中が喜んでいるというよりとまどっているようだなあ。「核なき世界」をめざす発言をしたことは事実だが、まだ何の実績もないこの時期に平和賞とは、いくらなんでも早すぎるのではねえの?アフガニスタンでは未だ戦闘状態にあるしね。
 アメリカの動向がそれだけ世界を左右するほどの影響力を持つのは分かるし、これをもらっちゃったらもううっかりなことは出来ないよオバマさん!という一種の褒め殺し効果を狙ったものだというのも納得出来る。でもね、こういう賞にそういう意図的な要素を持ち込むと、賞そのものの純粋性というか価値が落ちるような気がするよね。
 とはいえ、オバマ大統領になってアメリカがどんどん変わっていくのは大歓迎だ。ブッシュ大統領の時代には考えられなかった方向に向かっていることは疑問の余地がない。さらに、この賞をもらったことによって平和への道が加速するのだったらそれもいい。もう少し様子をみてみよう。

英独仏伊入り電子辞書
 今、ちょっとマイブームがある。それは電子辞書だ。実は、これまで僕は電子辞書が嫌いで、辞書は本のタイプに限ると意固地に思ってきたのだ。でも、たとえば地方に旅行に出て、同時にドイツ語とフランス語とイタリア語を勉強しなければならない時などは、数冊の辞書を持っていくだけでも大変だし、小さい辞書では用例も少なく不充分なのだ。
 明日から僕は尼崎に4泊する。「蝶々夫人」を指揮するが、この間にいろいろな勉強をするので、こんな時には何カ国語も入っている電子辞書があるといいなと思い始めた僕は、いろいろインターネットで調べてみた。
 今は便利だなあ。ベーシックな電子辞書を買っておけば、別売りのCD-ROMから好きな辞書をパソコン経由で追加出来る。そこで数日前、ビック・カメラに行って買ってきました。CASIOの電子辞書EX-word。赤いおしゃれな色。今この中には広辞苑をはじめとした通常の辞書の数々と英和−和英、独和−和独、仏和−和仏、伊和−和伊が入っている。これでどこに行っても大丈夫。
 使い始めてみると電子辞書はめっちゃ使い易い。ジャンプ機能を使えば何語にも瞬時に飛んで、意味の微妙な違いやスペルの違いを確認できるし、音声機能で発音までしてくれる。でもね、やはりパラパラって本をめくって、何気に同じページに書いてある別の単語に目を通すという楽しみはないんだな。まあ寄り道しなくていいんだけど、寄り道の中に人生の楽しみもあるってやつでさ・・・そこんとこがちょっと不満。だから家にいる時はまだまだ本の辞書を使っていて娘達に笑われている。
「パパ、古い!」

フリッツァの代理で指揮をした石坂さん
 我が事のように嬉しいという言葉があるけれど、身内でもないのに本当にそんな気持ちになることってなかなかないよね。でも最近あったんだ。こんな日は、オーバーかも知れないけれど、なんだか生きててよかったって思う。
 皆さんに是非知って欲しい人がいるのだ。それは新国立劇場の音楽ヘッド・コーチStudienleiterの石坂宏(いしざか ひろし)さんのことだ。彼はドイツ各地の劇場で長年に渡って研鑽を積んだ叩き上げオペラ指揮者だ。2007年9月から新国立劇場で働き出し、2008年4月から正式に音楽ヘッド・コーチに就任して今日に至っている。これから石坂さんにまつわる今週起こった事件の事を話そうと思う。

すでに3日の日に・・・
 新国立劇場の「オテロ」公演が続いていた。指揮者のリッカルド・フリッツァは元気溌剌で東フィルを振っていた。公演は熱気に溢れオケも好演していた。しかし10月3日土曜日の公演では、モニターに映っていたフリッツァの姿を見ていた僕は、彼があまりに興奮して大振りするので多少心配になっていた。
 指揮をする者はみんな覚えがある。こんな風に振ると、その後よく腕が動かなくなることがあるのだ。みんな学生時代などに一度は経験している。でも今年39歳という百戦錬磨のフリッツァのこと。まさか、そんなことはないよなと思っていた。

 僕は、第二幕の少年合唱及びマンドリンとギターを伴った合唱曲のシーンが終わると、ひとまず「オテロ」の現場から離れた。劇場の地下二階の稽古場エリアでは、平行して尼崎の「蝶々夫人」の立ち稽古が行われていた。こんな風に劇場というものは、本番が進行しながらも、別の演目の練習が同時進行していることは日常茶飯事なのである。
 僕が「蝶々夫人」の稽古場に行くと、僕の留守中に立ち稽古を指揮していたのは音楽ヘッド・コーチの石坂さんだ。
「第三幕の合唱シーンが来たらまた劇場エリアに戻らないといけない。」
と僕が言うと、
「分かった。僕は逆に『オテロ』の現場を見てくる。合唱シーンが近づいてきたら僕の方から三澤さんを迎えに来るから、交代しよう。」
と石坂さんは答えて劇場エリアに上がっていった。

 「オテロ」の第三幕の合唱シーンとなって、僕はまた石坂さんと交代し、劇場の客席後方の監督室に入った。モニター・テレビのフリッツァの指揮を見て、最初は気のせいかなと思ったのだが、彼の動きが何となく違う。先ほどまでのオーバー・アクションは影を潜め左腕を多用している。
「あれえ?なんか変だぞ。」

腕が上がらない?
 演奏が終わってカーテン・コールになった。フリッツァはいつものように僕をセンターに呼び、僕はフリッツァの横でカーテンコールを受けた。ところが、幕が閉まると彼は急に顔色を変え、僕の肩を抱いて小声で言う。
「あのさあ、どうしてだか分からないんだけど、第二幕の終わりの二重唱の時にギクッっていって突然腕が上がんなくなったんだよね。」
「大丈夫?すぐなんとかした方がいいよ。」
「一晩寝て治ってないようだったら医者に行くよ。」
「いや、今日の内に・・・・。」
と言いかけたら、スタッフがあわてて叫びながら迎えに来た。
「フリッツァさん、早く幕前のカーテン・コールに出て下さい!」

千秋楽
 そして「オテロ」千秋楽の10月6日火曜日が来た。僕は14:00から「蝶々夫人」の立ち稽古。「オテロ」公演は18:30開演だが、夜は先日のように稽古場と劇場エリアの間を行ったり来たりしなければならない。僕の稽古場不在中は例によって石坂さんが代わりに振ってくれる。
 僕は6時半近くまで「蝶々夫人」の稽古をしてから急いで劇場エリアに上がった。出番直前のフリッツァが僕を呼び止めて言う。
「この間の右腕が痛むんだ。出来るところまでやるけど、途中で降りるかも知れない。」
「ええ?!」
その時点でも僕は、彼が本当に降板するとは思ってもみなかった。とりあえず腕以外はいつものように元気そうだし、右腕が思うように動かなくても左腕だってある。

またもや全力で・・・・
 公演が始まった。冒頭から激しい嵐のシーン。オケも合唱も咆哮する。監督室で観ていた僕は、彼の右手が肩より上には決して上がっていないのに気づいていた。でも彼は左腕を一杯に使っていつも以上にエネルギッシュに振っている。
 自分だけを見るようにと言って、合唱団員がモニターを見ることも僕のペンライト・フォローも拒否した彼は、合唱シーンを振る時、全力で振らざるを得ない。でも合唱を振るのってエネルギーが要るのだ。稽古の最中、彼が少しでも気を抜くと途端に合唱がズレ始めた。それを知っているから、今日のような状況になっても彼は手を弛めるわけにはいかないのだ。
 僕はペンライトを握っていた。彼の棒にエネルギーがなくなったら、合唱団はズレるか、怖くて声が充分に出せなくなるだろう。そうなったら約束を無視してでも合唱を守らなければならない。さもなければ公演に対し、いや聴衆に対し合唱指揮者として責任が果たせない。
 僕は後悔した。さっき彼に会った時、
「今日は僕がペンライトでフォローするから、合唱の所は頑張って振らなくてもいいからね。」
と言っておけばよかったと思った。でもすぐこうも考えた。あいつがそれを承諾する可能性はない、とね。彼のような性格の奴は、それをするくらいなら指揮を降板する方を選ぶだろう。そんな男なんだ、フリッツァは。最初はいけ好かない奴だと思ったけれど、今ではそんな潔い彼のことが大好きだし、尊敬もしている。音楽家としても人間としても・・・・。

 時々左手で右肩を揉んだりしながら、なんとかフリッツァは振っていた。第二幕の合唱シーンが終わると、途中の休憩をはさんで第三幕合唱シーンまで一時間近くある。僕は稽古場に降りていった。
 石坂さんと交代しながら彼に言う。
「フリッツァねえ、やっぱりこの間の肩が痛んでいるらしいよ。右手は肩の上には上がらない。拍子は右でとっているけれど、左腕をめちゃめちゃ動かしてる。今度は左腕が駄目になってしまうのではと心配になるほどだ。」
「大変だねえ。」
と彼は穏やかな性格からくるいつもの微笑みを顔に浮かべながら言った。その直後に彼を待ち受けていた過酷な運命など知りもしないで・・・・。

ついに降板!
 こうして僕は石坂さんと交代し、彼は劇場エリアに上がっていったが、こちらの稽古場は間もなく20分間の休憩に入ってしまった。劇場ではちょうど二幕が終了して25分間の休憩に入った頃だ。そこで僕も心配になって劇場エリアに行ってみた。
 そこでは大変なことになっていた。フリッツァが突然第三幕以降を降板したのだ。ギリギリまで全力で振っていたので、肩の痛みは限界まで達していたらしい。そこで音楽ヘッド・コーチの石坂さんが急遽代理として指揮をすることになった。普段着しか持っていない彼は、モンターノ役の久保田真澄さんがたまたま持っていた背広を借りて舞台に出ていった。
 僕は合唱団員達に自分のペンライト・フォローが復活する旨を告げた。ペンライト・フォローさえあれば、どうなっても合唱がバラバラになる事態だけは起こらない。第三幕は合唱がアンサンブルの鍵を握っている。合唱の事は任せとけよ、イシちゃん!

稽古場も大変
 さて、そうなると稽古場で「蝶々夫人」を振る人がいなくなってしまった。緊急事態なのでこうした通常練習は中止になっても仕方がないのだが、こちらも再演なのでギリギリのスケジュールで動いている。ここで稽古がなくなると、約一週間で全ての演技を覚えなければならない歌手達にとっては上演の危機にまで陥る。幸い今「蝶々夫人」に関わっている二人のピアニストは劇場内にいる。そこで僕は今まで立ち稽古を弾いていた小埜寺美樹さんにお願いした。
「ねえ、シズちゃんに弾かせて、ミキちゃんは僕が離れた後、指揮してくれない?」
「ええ?あたしが振るの?マジ?」
「大丈夫、大丈夫、テンポはシズちゃんが知ってるし、歌手達にアインザッツだけ出してくれればいいから。」
「分かった。でもうまく出来なくても許してね。」
シズちゃんこと木下志津子さんは、2時からの「蝶々夫人」立ち稽古でピアノを弾いた後、「オテロ」冒頭で嵐を表現する不協和音を奏でるオルガンを弾いていた。もう出番はとっくに終わっていたが劇場に残っていてくれたので、僕は彼女に急遽稽古場に降りてきて小埜寺さんの指揮で「蝶々夫人」を弾いてくれるようにお願いした。こうして、こんな事態にもかかわらず、「蝶々夫人」の立ち稽古も滞りなく行われたのだ。

素晴らしい代役
 いろいろ手配してから僕は劇場の客席後方の監督室に入った。モニター・テレビには石坂さんの指揮する姿が映っている。僕はびっくりした。石坂さんは何の問題もなく振っているし、音楽は淀みなく流れている。これは驚くべき事だ。
 立ち稽古をずっと見守っていて、マエストロがオケ練に行っている時には現場で指揮していた石坂さんは、確かに誰よりもマエストロのテンポや歌手達の癖を把握している。だが、東フィルを相手に練習もなしでぶっつけ本番では、ある意味、止まらないだけマシという感じになっても不思議はない。フリッツァの元でしか練習も本番もやっていないオケなのだから、石坂さんがちょっとフリッツァと違った動きをしただけで動揺し、ズレたって仕方がない。
 でもフリッツァの振り数を完璧に頭に入れている石坂さんの棒の元で東フィルは一糸乱れず演奏していたのだ。東フィルも凄い!石坂さんも凄い!

 舞台上の歌手達は、イタリア・オペラだから随所で伸ばしたいだけ声を伸ばすし、演技をしていれば棒が見えない時もある。けれど、石坂さんは落ち着いて舞台上の歌手達とコミュニケーションをとっていた。
 これはねえ、飛び込みで指揮したということを考慮に入れなくても、類い希な指揮者の証だよ。目の前で行われているのは、客観的に見ていわゆるひとつの優れた演奏ではないか。オペラ指揮者の人材が極端に少ない我が国で、こんな風にオペラを振れる指揮者が一体何人いるのだ?
 これまでフリッツァのみを凝視していた合唱団は、まるで何事もなかったかのようにごく自然に僕のペンライトに注目し、細部に至るまでピタッと合って第三幕コンチェルタートを鮮やかに彩った。こんな時はかえっていつもより集中するのだろう。今までで一番良い演奏となったと思う。

ウルウルの舞台袖
 いよいよ終幕となって、合唱団やスタッフ達がみんなカーテン・コールをするために舞台袖に集まってきた。一同モニター・テレビに釘付けで、まるでオリンピックの中継放送を見ているような緊張感と熱気が漂っている。なんだかみんな嬉しそうでお祭り騒ぎのようでもあるが、感動でウルウルしている。
「頑張れ、イシちゃん!」
「あと少しだ!」
口々に叫んでいる。

 誰かがポンと僕の肩を叩いた。振り返るとフリッツァがそこにいた。めちゃめちゃ落ち込んでいる。オテロの最後の独白のシーンを一緒に歌いながら左腕で指揮をする仕草をして、
「畜生!最後まで振りたかった。俺の音楽で・・・・・。」
と泣きそうな声で言っている。
「でもさあ、シニョール・イシザカが演奏しているのは、お前が作った音楽じゃないか。Questa musica hai fatto.今回のお前は本当に素晴らしかったよ。また一緒にやろうよ。」
「ありがとう、フランツ・・・・。」

 そして演奏が終わった。カーテン・コールはフリッツァと石坂さんが二人で肩を並べて出た。見ると東フィルのメンバーがオケ・ピットから石坂さんに大きな拍手を送っている。それを見て僕は涙をこらえるのに必死だった。

シャンパンで乾杯
 制作部は気を利かせてシャンパンやワインを買ってきて音楽スタッフ楽屋に置いてくれた。カーテン・コールが終わると、石坂さんはまず僕の合唱指揮者楽屋に着替えに来た。音楽スタッフ楽屋だと女性も出入りするからね。僕も着替えていたので二人で着替えながら会話した。
「いやあ、急に言われてあせったなんてもんじゃなかったよ。もうちょっと時間があったらもっとうまく出来たんだけど・・・・。」
「何言ってんだよ。素晴らしかったよ。代理ということではなくて、きちんと音楽をやっていたじゃないか。ベーシックにはフリッツァのテンポや振り数を踏襲していたけどさ、イシちゃんの音楽が随所に見えたよ。あの状況であそこまで表現するのは誰にでも出来ることじゃない。舞台上の歌手達とも落ち着いてコンタクトをとっていた。お世辞抜きで言うけど、イシちゃん、本当にプロだよ。今日だけは自分で自分を褒めてあげなよ。」
「うん、そうするよ。」

 それから音楽スタッフ楽屋で乾杯となった。シャンパンとワインを飲みながら、みんな我が事のように喜んで、石坂さんの快挙を讃えた。
「イシちゃん、指揮デビューおめでとう!」
「マジ凄いよ、あの状況であそこまで出来るなんて!」
「でもさあ、自画自賛するけど、この劇場って凄くない?」
「バタフライの稽古も含めて、どこにも支障が起きないで、本日のメニューが滞りなく遂行されたんだよ。」
「あ、そうそう。ミキちゃんも指揮デビューしたんだ。」
「えへへへへ。」
宴はいつまでも続いた。

成熟した劇場のために
 僕にもどうか自画自賛させて下さい。今、新国立劇場は間違いなく最高、最強の音楽スタッフをかかえている。それは奇蹟とも言える状態で、世界のどこに出しても恥ずかしくないレベルだ。この劇場にやって来る指揮者や演出家、歌手達も、みんな口を揃えて言ってくれる。
「こんな劇場は、世界広しと言えどもない。」
 
 でもこの際だから僕は言いたい。そうした礎を作ってくれたのは、他でもないノヴォラツスキー前芸術監督なのだ。世の中には彼の業績に疑問を投げかける人もいるようだが、僕は彼には言葉で言えないほど感謝している。
 ノヴォラツスキー芸術監督時代の前にも、新国立劇場には一流の歌手達が出演していた。だから観客にとってみると、彼が芸術監督になって特に大きく変わったようには見えなかっただろう。でも彼は、むしろ目に見えない劇場の土台の部分に労力を注いだ。実はその点こそが彼の真の業績なのである。それは劇場内に音楽及び演出スタッフを常駐させることに始まった。
 僕は、彼の就任の2年ほど前の2001年に合唱指揮者として雇われ、この劇場におけるただひとりの常駐する音楽スタッフとして孤軍奮闘していたが、彼はまず僕を最大限擁護し、あらゆる困難から守ってくれた。さらに音楽ヘッド・コーチと副指揮者、ピアニスト及びコレペティトールをその都度の臨時の雇われではなく常駐させ、その連係プレイのシステムを作ることにエネルギーを注いだのだ。

 ノヴォラツスキー氏はいつもこう語っていた。
「良い劇場というのは、優れた歌手がそこで歌っているからとか、良い公演を行っているからというのではないのだ。例えばウィーン国立歌劇場で歌えるといったら、歌手達はそれを名誉に思うだろう。スカラ座にデビューしたといったら、それはその歌手の格を上げることになるだろう。
そんな劇場にうっかり準備の足りない歌手が来たらどういうことになると思う?そこの音楽ヘッド・コーチがただちにその歌手をつかまえてコレペティトールのところに送る。すると優秀なコレペティトールが待ちかまえて、その劇場の要求するレベルに達するまで徹底的に稽古をつける。
こんな風に、どんな時でも何が起こっても、一定のレベルにまで持っていかないといけないのだというポリシーが隅々にまで行き渡っている劇場。それこそが一流の劇場というものなのだ。劇場のレベルを作るのは、常駐するスタッフ以外にはないのだ。」

世界12の劇場にランクイン
 みなさんの中にどれだけ知れ渡っているか分からないが、ノヴォラツスキー氏在任中に新国立劇場は「世界の12の優秀な劇場」の中にランクインした。これは本当は凄いことなんだけどな。あまり注目されなかったのが悲しい。
 一流歌手が出入りしているから選ばれたわけではないのだ。ノヴォラツスキー時代以来、同じように一流の歌手達は来るけれど、何が変わったって、彼等のこの劇場へのリスペクト度というものは、昔とは比べものにならないくらい高くなった。少なくとも、お客様気取りで油断して来る歌手は一人もいなくなった。

 僕たちも、内部をきっちりかためて、来日した指揮者や歌手達が居心地が良いだけでなく、きちんとプロ同士のやり取りが出来るように日々努力を重ねてきた。我が国における最高の人材を確保し、そして最高のチームワークを築き、シビアにそして仲良く仕事が出来るように心がけてきた。
 だから今回のような事があると、その努力が報われたような気がして本当に嬉しいのだ。それにしても相手の成功が自分のことのように喜べるような、こんな仲間達を持てるほど人生で幸せなことってないなあ。

 さあ、今週は尼崎に「蝶々夫人」を指揮しに行くぞう!オケ練習、オケ合わせもすでに順調に済んだ。後は現地での舞台稽古と本番。僕もオペラ指揮者としてイシちゃんに負けないよう頑張らねば。そして帰ってきたらすぐに東フィル「午後のコンサート」が18日にオペラ・シティであります。実に忙しい毎日であります。

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