充実した一週間
 先週は月曜日から金曜日まで尼崎にいた。「蝶々夫人」を指揮するためである。アルカイック・ホールは昔の市民会館という感じのたたずまいをしていて、楽屋なども古いけれど、関西のオペラ公演の根拠地だけあって、響きは悪くないし、決して使いにくいホールではない。
 このホールに隣接しているホテル・ニューアルカイックは近代的な高層ホテルだ。昨年は合唱団などは別のホテルに泊まっていたのだけれど、今年は東フィルも合唱団も全部一緒ということで、ほぼ貸し切り状態となった。部屋が足りないくらいなので、僕の場合は同一料金らしいのだが19階(最上階)のスイート・ルームがあてがわれた。これがめっちゃゴージャスで、テレビだけでも居間と寝室とそれからバスルームと3台もある。窓からは阪神尼崎駅方面から海までの眺望が素晴らしい。ここでずっと暮らしたいと思った。
 ツインベッドのあるこのスイート・ルームに一人では広すぎる。つい誰か女の子でも連れ込んだら家庭騒動の元になるので(笑)、長女の志保が遊びに来ることになった。ちょうど同じ時期、9日から12日まで、二期会でも「蝶々夫人」の公演をやっていて、志保はそこで練習ピアニストとして働いていた。自分が関わっていた「蝶々夫人」とパパが指揮する「蝶々夫人」との違いを見たいという気持ちも働いて、一日遅れてはるばる尼崎までやって来たのだ。

 13日火曜日のピアノ付き舞台稽古の後、僕は甲子園球場のすぐ前に住んでいるというテノール歌手の畑儀文(はた よしふみ)さんから食事のお誘いを受けていた。そこで志保も便乗して出掛けた。タクシーに乗ると僕は畑さんに携帯で電話を掛ける。そこで運転手さんと畑さんが直接話をして場所を確認した。僕たちはどこに連れて行かれるのか皆目見当がつかない。タクシーの運転手さんはよくしゃべる人で、話が止まらない。ここまでしゃべる人は東京には絶対にいないので、僕は志保と顔を見合わせた。
 畑さんが招待してくれたのは和食料理屋で今日は鍋料理。場所はよく分からないけど、どうやら西宮のあたりらしい。僕が関西で最も評価している中村朋子(なかむら ともこ)さんというソプラノ歌手も同席していた。
 彼女は、僕が昔神戸で「メサイア」を指揮した時に共演したのだが、透き通った清潔感溢れる声に加えて、バロックの様式感をしっかり身につけていて、とても気に入ったのだ。でも、それ以後僕自身がなかなか関西で宗教曲を指揮する機会がなくて、彼女との共演も果たせないままだった。昨年久し振りにお会いする機会があった時に、昔の話をしたら、
「ええ?覚えていてくださったのですか?」
と、逆にとても感謝されてしまった。あの時は学校を卒業してすぐの演奏会だったということだ。

 料理屋の店長もタクシーの運転手同様よくしゃべる明るい人だ。志保がパリにいたという話をしたら、店長は、
「私もパリにいましたよ。ちょっと修行を兼ねた仕事で行ったんですわ。パリと言ったらあきまへんで、パリー(尻上がりの発音)と言わないかん。」
という具合にこれもとどまることを知らない。なんだか関西にはよくしゃべる男性が多い。
 畑さんの話では、最初フグという事だったが、今日はあまり良い品が入っていないという。店長がでっかい伊勢エビを持ってきて、
「どや、これ?」
畑さんは僕たちに確認を求める。勿論異存はない。
「これはようダシが出るから最後の雑炊が楽しみやで。」
と畑さんも関西弁丸出しだ。
 鍋料理は、そもそも元のダシ汁の味が東京と全然違う。それにプラスして普段食べたこともない伊勢エビの鍋料理だ。これは食感的には、エビというよりカニだな。畑さんは、一見真面目な人そうなのだが、話し始めるとめちゃめちゃ面白い。やっぱり関西人だな。畑さんも楽しそうだ。
「三澤さんとこうして話していると楽しいな。もう毎日一緒でもええな。明日はどうでっか?」
「いや、いや、明日は二組オケ付きで「蝶々夫人」を舞台で通さないといけないから、終わってたぶん近くで簡単に食事して寝るくらいしか余力が残ってないと思いますよ。あさってから本番だしね。」

 楽しい語らいに時間がまたたく間に過ぎていった。最後の雑炊は圧巻だった。今日は畑さんのおごりだ。
「次、東京に来た時には僕におごらせてね。」
気がつくともう11時半をまわっている。中村さんは電車で帰っていった。帰りのタクシーで畑さんを自宅前で降ろす。
「ほら、これが甲子園球場ですよ。」
高速道路が通っていてよく分からんけど、これが高校野球のあこがれの地か。
「その真ん前に住んでるんですが、私は広島カープのファンです。ほな、おやすみなさい。」

 ホテルに戻ってきて僕はそのまま風呂に入って寝たが、若い志保はすでに親しくなっている新国立劇場の音楽スタッフ達の部屋飲みに合流しに行った。

 翌日はこの行程で一番大変な日。東京フィルハーモニー交響楽団でAB両キャストの舞台通し稽古を行わなければならない。つまり、「蝶々夫人」をまるごと二回オケで指揮しなければならないのだ。すでに東京でオケ合わせを一日の内に両組でやっていて、その日も結構ぐったりだったが、舞台ということになるともっと大変なのだ。
 舞台上の歌手とのタイミングやバランスに気をつけなければならないし、オケもピット内では響きが全然違うので、互いの楽器同士聴き合うことに慣れないといけないのだ。だから一度目はズレズレでも当たり前という感じで対処しなければならない。東フィルはプロなので、仮に一度目にズレてもあわててはいけない。たいていは僕が気付くのと一緒に彼らも気付いているので、むしろ二度目にズレた時には直す必要がある。でも、さすが東フィル。昨年も僕の指揮でやっていることもあり、ズレはほとんどミニマムの状態で起こり、二度目にはきれいに直っていた。
 舞台稽古終了後は、志保を連れて昨年も通ったお好み焼き屋の「みっちゃん」という店に行く。合唱団のメンバーが何人もいた。今日はお酒は控えようかなあと思っていたが、オケを振った後はやはりビールを飲むしかない。気がついてみるとジョッキを二杯空けていた。ヤバイ!

 15日の木曜日。本番の第一日目に京都からワグネリアンのKさんが聴きに来てくれた。終わって楽屋に来るなり、
「いやあ、ほんまに良かったですわ。三澤先生、プッチーニを見直しました。ワーグナーみたいでしたなあ。」
喜んでいいのかどうか分からないけど、プッチーニは明らかにワーグナーの方法論を踏襲しているし、ライトモチーフもある。ヴェルディのように曲が途切れることなく、コンチェルタートのような劇の流れを止めるアンサンブルの代わりに、ドラマに密着したアンサンブルが繰り広げられるところは、ワーグナーからの影響以外のなにものでもない。唯一違うのは、やはりイタリア人だけあって、最後までカンタービレを捨てないところ。

 その後、Kさんは僕のために食事の席を用意してくれていた。阪急梅田駅に隣接するホテルの最上階の和食。志保はまた音楽スタッフの方に流れていったので、僕だけ行く。阪神尼崎駅から梅田まで約10分なのですぐだが、いやはや、大阪というところは恐ろしい街だね。阪神梅田から阪急梅田までの道は、人混みで埋まっていて、どこがどこだか分からないほどだ。東京でも新宿や渋谷など人混みでごったがえしている場所はあるが、あんなに広大ではないし、あんなに全てがぐちゃぐちゃにあるわけではない。
 やっとの思いで目的地のホテルにたどり着いた。こちらも食い道楽のKさんお薦めの店だけあって、松茸の土瓶蒸しや松茸ご飯などを中心とした上品なコースを堪能。上等のシャンパンとの相性も和食ながら抜群。
「第一幕の二重唱はトリスタンとイゾルデの二重唱みたいでしたなあ。三澤先生、そんなこと意識して振りはったんやろか?」
「特にそれを意識していたわけではないけれど、基本的にワグネリアンですからね。そうなってしまうのでしょうかね。」
「いやあ、よかったよかった。ほんまにワーグナー聴いているような充実感がありましたわ。」
どうもワーグナー、ワーグナー言われると逆になんだか心配になってくるなあ。これってもしかしてイタリア・オペラとしてはあかんのと違いまっか?おっと、こっちまで関西弁が移ってしまう。

 それより、こんな食生活してたらヤバイっす。もう尼崎はあきらめて流れに身を任せよう。その代わり東京に帰ったら、再び堅実で素朴な生活に戻るんだ。お昼はいつも志保と二人で尼崎商店街のあたりで食べたが、僕が本当に嬉しかったのは、尼崎商店街の繁栄だ。以前、僕が高校の時に通っていた高崎のなつかしい商店街がまるでゴースト・タウンのようにさびれていたのを胸がつぶれる思いで眺めたことを思い出した。でも、関西では、こうした商店街はまだ健全に機能している。昔ながらのスーパー・マーケットも薬屋も喫茶店もみんなみんな頑張っている。これでこそ「街」というものの本来の姿だ。いいぞう、頑張れ尼崎!

 最終公演では、蝶々夫人役のソプラノ並河寿美(なみかわ ひさみ)さんの歌と演技が圧巻で、僕は終幕に近づいてくるにつれ、指揮しながらウルウルとなってしまう自分を感じていた。
「ヤバイ、並河さんの演技を見ていたら泣いてしまう。なにか別のこと考えねば。」
なんてわけのわからないことを考えていた。それほど彼女の蝶々夫人は素晴らしかった。

 こうして尼崎の楽しい日々は終わって、僕は志保と東京に帰ってきた。志保は二期会でずっと稽古を弾いていたし、オケの音も聴いていたので、曲のことを細部に至るまでよく知っている。だから彼女の細かいアドヴァイスはとても役に立った。なかなか家族でないと言ってくれないこともあるしね。往復の旅費と宿泊代の差額は安くはなかったが、それでも連れて行ってよかったなと思った。

 これで一安心と思いたいところだが、すぐ次の日の土曜日は、「午後のコンサート」のオーケストラ練習。これも東フィル。第一部がモーツァルト作曲「魔笛」序曲、ウェーバー作曲「魔弾の射手」序曲、フンパーディング作曲「ヘンゼルとグレーテル」第二幕への前奏曲、ワーグナー作曲「ローエングリン」第一幕前奏曲と第三幕前奏曲といった、まさにドイツ・オペラの歴史を辿るプログラミングで、第二部はなんと「蝶々夫人」のハイライト。
 まだまだ「蝶々夫人」が続くのだ。しかもキャストは尼崎とは総入れ替。蝶々夫人には、二期会でこの間まで歌っていた大山亜紀子(おおやま あきこ)さん。ピンカートンには村上敏明(むらかみ としあき)さんというキャスティングだ。「蝶々夫人」のオケは基本的には昨日まで一緒にやっていた人達なのだが、コンサート・マスターをはじめとして微妙にメンバーが違う。なので多少の説明は必要だったし、歌手のタイミングやテンポ感も、指揮者が一方的にというわけにもいかないので、一回通しておしまいという感じでもなかった。勿論、初めての曲よりは問題なくサクサクと進んだけどね。
 第一部の曲も時間はかかったが、東フィルは何度もやっているので、止めて言葉で説明する前に、僕のやりたいことを分かってくれる。本当にありがたかった。

 18日の日曜日は「午後のコンサート」の本番。僕のお話が長くなりやすいのをみんな知っていて、東フィルのマネージャーも、
「お話しはなるべく簡潔にお願いします。」
というし、ゲネプロから来ていた二人の娘も、
「パパ、お話しは1分以内だよ。長くなったら承知しないよ。」
と警告する。
 ゲネプロが始まった。第一部の曲はなんなく進んだが、第二部に入ると二期会のマネージャーのOさんが走ってきて、
「三澤さん、オケがちょっと大きすぎます。これってオケ・ピットのバランスでは?」
と言ってきた。その後少しは抑えめにやったのだが、ゲネプロ終了後、志保達と話している内に重要なことに気がついた。
 オケピットの中にいると、舞台上の歌手の声というのは聴き取りにくいのだ。逆にオケピットの中ではオケの音が充満していて響きが溢れているので、指揮者とするとどうしてもオケを抑え気味になる。ところがこうしてコンサートになると、僕のすぐ横に歌手がいるのだ。歌手の声が僕の耳にはガンガン聞こえてくるので、オケを抑えるという気持ちにはならない。ところが聴衆からしてみると逆なんだなあ。ピットでのオケは抑えられて客席に届くけれど、コンサートではそのまんまだからね。
本番は、その事を考慮に入れて、かなり良いバランスで演奏できたと思う。お話しもあまり長くはならなかったよ。

 ふうっ!長い一週間が終わって、やっとちょっと一息つける状態になった。でも指揮者としてはとても充実した日々だった。これから新国立劇場では「魔笛」と「ヴォツェック」の練習が佳境に入る。また音楽スタッフに戻って劇場の公演を支える日々が始まる。これもやりがいのある仕事なんだ。

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