結婚30年の道のり

メンデルスゾーンの「賛歌」
 10月19日(月)の夜は、読売日本交響楽団の定期演奏会に行った。新国立劇場合唱団が出演するメンデルスゾーン作曲交響曲第2番「賛歌」を聴くためだ。聴くためだなんて、新国立劇場合唱団指揮者がそんな呑気なことを言っていていいんですか?という声が聞こえてきそうだが、今回はスケジュールが尼崎「蝶々夫人」や「午後のコンサート」と完全に重なっていたので、合唱指揮者を我が国の合唱界の重鎮である田中信昭(たなか のぶあき)先生に僕の方からお願いしたのだ。実は17日(土)の方が演奏会初日だったのだが、僕は「午後のコンサート」のオケ練習をやっていたので行けなかった。

 メンデスゾーンの交響曲第2番は、その昔僕がベルリンに留学してすぐにベルリン・フィルの演奏会で聴いた。冒頭のトロンボーンが衝撃的にうまくてびっくりした思い出がある。それ以来聴く機会も演奏する機会もないまま今日に至っているが、久し振りに聴いてこんな良い曲なのにどうしてもっと演奏されないのかなと疑問に思った。
 田中先生はいつも通りの確実な合唱音楽造りをしてくれて、ハーモニーも美しく、響きも揃っていた。手前味噌ながら新国立劇場合唱団の実力をあますことなく披露してくれたといえる。

 新国立劇場合唱団は、年間の全ての演目にのることを前提として契約している40名の「契約メンバー」と、演目によって必要とされる人数に応じて劇場が依頼する「登録メンバー」とに分かれている。今回は、尼崎「蝶々夫人」及び「午後のコンサート」の方に契約メンバーがのったため、メンデルスゾーンの方は登録メンバー中心となった。
 とはいえ、登録メンバーの方がレベルが低いと単純に思われたら困る。特に最近では、こちらから契約メンバーとして欲しいなと思う人材でも、ソロ活動との両立をめざして自ら登録メンバーであることを選ぶ人達が少なくない。年間に10演目以上を合唱団員としてだけこなす事は、ソリストとしての活動がほぼ閉ざされる事をも意味するのだ。
 そんなわけでソリストとしても活躍する優れた人材が登録メンバーの方にも沢山いる。ただ、彼らが契約メンバーと違う点は、いつでも一緒ではないということ。これは案外大事なことなのだ。人によっては一年に一演目しかのらない。だから響きの統一性や、そもそも新国立劇場合唱団の音楽造りはこういう美学でやるんだよという基本姿勢が全員に徹底されているとは言い難い。
 それ故、今回のように僕が自分で面倒を見られないようなケースでは、しっかりとした指導者にお願いしなければならないわけだ。田中先生のようにピシッと稽古をつけて間違いなくハイレベルに仕上げてくれる厳しい指導者は、他になかなか見あたらない。やはり頼むべきはこうした貴重な人材!
 ちなみに、11月28日(土)と30日(月)の読響定期、シュニトケ作曲オラトリオ「長崎」公演は、登録メンバー中心で僕が手がける。今回とほぼ同じメンバー構成となるので、田中先生が造られたサウンドはとても参考になった。同時進行している「トスカ」公演の方は、これまた我が国オペラ合唱界の重鎮である及川貢(おいかわ みつぐ)氏にお願いしている。

 さて、今回の演奏会で最も感心したのは下野竜也(しもの たつや)さんの音楽造りだった。従来からのエネルギッシュなアプローチに加えて、緩やかな箇所では、大きなラインやフレージングの空間性、それにカンタービレの要素が見られ、この指揮者の大きな成長の跡が感じられた。何より音楽の流れが自然なのが嬉しかった。
 読響が機能的に優れているオーケストラであるのは周知の通りだが、ふっくらと大きな音楽をしていた点は特筆に値する。それはメンデルスゾーンという作曲家の特質にも寄るのだろうな。なんとなくオラトリオ「聖パウロ」に似ている箇所も多く、この作曲家のひとなつこい感性は、ここでも聴衆を暖かく包み込む。
 澤畑恵美(さわはた えみ)さんや永田峰雄(ながた みねお)さんといったベテラン・ソリスト陣の揺るぎない歌唱に混じって、少しもひるむことなく堂々と歌った國光ともこさんにも喝采を送りたい。彼女は昨年、僕のミュージカル「愛はてしなく」でマグダラのマリアを歌ってくれたので、また手前味噌のようになるけれど、その美しい声と豊かな音楽性には注目して欲しい。ちなみに僕は、来年の1月17日、浜松バッハ研究会「メサイア」公演で彼女とまた共演する。こちらもとても楽しみになってきた。

 僕はうきうきと満たされた気分で池袋の東京芸術劇場を後にした。良い演奏会の後は心が温かく豊かになるものだ。その点はプロでも変わらないのだよ。

結婚30年の道のり
 10月22日(木)は僕たち夫婦の結婚記念日だった。しかも今年はなんと結婚30周年なのだ!思えば長い道のり妻と一緒に過ごしている。その間に志保と杏奈という二人の娘が生まれ、その子育てに追われ、気がついたら成人している。月日の経つのは本当に早い。あれえ、いつの間に・・・という感じだ。
 妻の方はどう思っているか本当のところは分からないが、僕は30年間に渡るこの結婚に疑問を感じたことはただの一度もなかった。彼女は僕を実生活の面からも精神面からも常に支えてくれ、僕は彼女がいるお陰で、仕事上で何があっても精神的に落ち着いた状態で毎日を送ることが出来て今日に至っている。本当に妻には言葉に言えないほど感謝している。
 それに妻は信仰深く敬虔で、何事に対しても誠実。若い時からそうだったけれど、いつまでも少女のような可憐さと純粋さを持ち続けている。そんな妻を眺めているだけで楽しい。僕は、仕事上毎週日曜日に教会に通うなんてとても出来ないが、彼女が僕の代わりに行ってくれる。僕は宗教に無関心な女性とは決して一緒にはいられないので、人生の早い時期に彼女に出遭ったのは、本当に神のおぼしめしだと思っている。

 もし来世があっても、僕はまた妻と出遭い結婚するんだと心に決めている。僕は何度生まれ変わっても、今の妻と一緒になる以外考えられませんなあ。必ず次の世でも探し当てて無理矢理にでも結婚するんだ。魅力的な女性というのは世の中に沢山いるかも知れないが、妻にするというのは全然別のことだ。
 でも妻は、僕にかしずいて僕の言うことをはいはいと聞いてくれるような女性ではない。むしろその逆だ。僕は彼女を恐れてはいないけれど、僕に向かってここまで歯に衣着せぬものの言い方をする人間は、世界広しといえど彼女だけだ。母親でもここまでは言わない。
 実生活でもそうだけれど、演奏会などになると彼女ほどシビアな批評家はいない。まあ、最近はそれに娘の意見というものも加わってはきているけれどね。でも、娘の意見の方がプロ同士の感想に近い。妻の耳は、むしろプロの至近距離的感想ではなく、時には全く違った観点から根本的なことをバサッと切り捨てるように批評してくる。だから、
「今日の演奏会はなかなかうまくいった」
と安心していると大変な目に遭う。
 こうしたことはむしろとても有り難いのだ。何故なら、僕くらいの歳になってキャリアも重ねてくると、だんだん人というのは面と向かって批評めいたことは言えなくなってくるからね。いつの間にか僕の耳には良い事しか届かなくなってくる。これこそ最も警戒しなければならない事だ。

記念旅行
 そういうことで、結婚30周年をお祝いして、10月21日(水)は、娘達に留守宅と愛犬タンタンのおもりを任せて、一泊で箱根湯本温泉に出掛けた。本当の記念日の22日(木)の方は、新国立劇場で「魔笛」のオケ合わせがあるため、13時までに初台に戻らなければならないが、21日は休みをとったので、朝から出掛けた。
 先週は尼崎「蝶々夫人」公演と東フィル「午後のコンサート」と続いていていろいろ落ち着かず、なんとなく体も疲れていたから、これから年末にかけて体力を蓄えるためにも、一泊とはいえこうした休養はちょうど必要でもあったのだ。

 妻に感謝と言いながら、運転出来ない僕は、彼女に運転させて自分は助手席で楽ちん楽ちんといういつものお任せ状態。ここのところ毎年、秋になると一度は富士山を眺めに河口湖や山中湖に二人でドライブに行くが、今回もそれを兼ねて富士山を眺めながら裏の富士五湖方面から箱根をめざすことにした。中央自動車道の河口湖インターから続く、山中湖を左に見て富士山を右に見る東富士五湖道路に大いに期待していた。ところが天気は悪くないのに富士山は雲がかかっていて、その雄大な姿を拝むことは出来なかった。てっぺんをちょっと眺めただけ。残念!

 そのかわり、予想外のレジャー・スポットに出くわした。これはドライブに出発してから談合坂サービスエリアで買ったガイドブックを見て気がついたのだが、裏から回ると御殿場のプレミアム・アウトレットのすぐ横を通るのだ。最初の予定ではそんなところは眼中になく、箱根湯本に着く前に、芦ノ湖で船に乗ったりロープウエイに乗ろうかなどと漠然と考えていたので、あまりここだけに時間をとるわけにはいかない。
「では、ほんのちょっとだけ寄ってみようか。」
という軽い気持ちで立ち寄った。
 ところがギッチョンチョン!このアウトレットというのが実にヤバイ!どうヤバイのかというと、まずその広さたるや半端じゃない。最初WEST ZONEに着いて、それだけでも広くてびっくりしていたら、奥に橋があり、切り立った峡谷をはさんでその向こうにもっと大きいEAST ZONEがあるじゃないの。しかも高級ブランド店からリーズナブルな店までもうありとあらゆる店がオン・パレード。妻なんか喜んじゃって子供みたいにはしゃいでいる。早速次女の杏奈にピッタリだというバッグを買って、長女の志保の分も買わなきゃと言っている。
「こ、これは、すぐ引き上げるというわけにはいかないらしいぞ・・・・。」
という予感は見事に的中。気がついたら3時間もここにいた。
 お昼は、芦ノ湖かなあ、箱根かなあ、どこかのお洒落な日本料理屋かなあ、なんて思っていたのに、アウトレットの中をぐるぐる回っている間にお腹が空いてしまった。入ったのはイタ飯屋で食べたのはピッツァ。あーあ。でもTo the Herbsという名のイタリアン・レストランの、店名ピッツァTo the Herbsとマルゲリータは悪くなかったよ。

星の王子さまミュージアム
 すっかり遅くなってしまって、芦ノ湖どころではなくなった僕たちは、それでも「星の王子さまミュージアム」だけははずせないということで立ち寄った。ここは、あまり期待していなかったけれど、なかなか良かった。ただ、大人\1.500は決して安くないなあ。

 このミュージアム全体がサン・テグジュペリの出身地であるリヨンの街並みを再現していて、なんとなく素敵。リヨンは志保がちょっとの間住んでいた土地で、僕たちは街並みの写真を撮って後日志保に見せたが、結構忠実に再現しているとのことだ。
 建物の中に飾られたサン・テグジュペリのおびただしい写真を眺めながら、これって誰かに似ているなとずっと思っていて、ハッと気がついた。そうだ!ミスター・ビーンだ。あのいたずらっぽい目つきがそっくりなのだ。あはははは。きっとサン・テグジュペリも楽しい人だったに違いない。
 「星の王子さま」のことは、この「今日この頃」でも何度か書いた。僕が最も大切に思っている物語のうちのひとつ。あまりにそのムードだけで有名になっているので、語ること自体が恥ずかしいのだけれど、シンプルなストーリーの中に人生の真実がシンボリックに描かれた素晴らしい作品だと思う。
 最近は翻訳が解禁となっておびただしい種類の訳が存在しているけれど、フランス語の出来る人には無理してでも原書で読むことを強く奨める。文章はけっして難しくはないからね。

心で見るエッセンス
 きつねとの出遭いの場面は特に重要。きつねの語る、
On ne voit bien qu'avec le coeur.
L'essentiel est invisible pour les yeux.
というふたつの文章は何度読んでも感動する。
 このフランス語はとても日本語には訳せない。ne queという構文は、否定文の形をとっているが、本来は「〜だけが〜なのだ」という肯定文。だから直訳すると、「人は心だけで良く見える」となる。でもこの文章はある意味不完全。何が見えるのか分からない。内藤濯氏の日本語訳では「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」と「ものごと」という言葉を補っている。原文の主語は不特定のon「人は」で、対象となる目的語はない。これはしかし意図的で、その不完全さは次の文章で補われる。
 内藤氏は次の文章について「かんじんなことは目に見えない。」と書いている。これは勿論間違いではないけれど、日本語で言い切れない事がある。内藤氏のせいでも誰のせいでもない。訳の宿命。まずessentielという単語だ。辞書を引くと「本質的な点、要点、重要な部分、大事な点」と出ているが、つまりはエッセンスのことだ。直訳は「エッセンスは目を使っては見えない」という感じ。
 このessentielという単語の背後には、現実の世界で表象として存在しているものと、彼岸的な世界でのイデアのようなものとの関係が横たわっている。ものごとを見る時に、その現実的な姿の背後にある、そのものをそのものたらしめている本質的な実体を見なければ、本当に見たことにはならないのだという、限りなく深い哲学的考察がそこに表現されているのだ。
 それと、目に見えないだけだったらinvisibleという単語のみで事足りるが、あえてpour les yeuxという言葉を使っていることに注目するべき。つまりは「見えない」のではなく、「目という器官」を使っては見えないと言っているのだ。では、何を使ったら見えるのか?その疑問の答えが、要するに前の文章にあるのだ。ne queを使った構文プラスavec le coeur、つまりは「エッセンスは心だけで見える」わけだ。前の文章の本当の主語もessentielというわけだ。だから
On ne voit l'essentiel bien qu'avec le coeur.
c'est invisible pour les yeux.
ということも出来るわけだが、そう言ってしまうと最初にネタバレしてしまうから文学的には面白くないわけだね。

失った時間とかけがえのなさ
 さらに心を打たれる言葉がある。
C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.
「君がそのバラのために失った時間が、まさに君のバラをかけがえのないものにする」

 これは、誰かを本当に愛したことのない人には分からないだろう。あるいは、損得だけで人生を考えている人には決して到達し得ない真理であろう。まあ、そんなにオーバーに考えなくても、案外身近に、たとえば子供を持った母親だったら誰しも分かることかも知れないけれど・・・。
 人生というものは、無駄に見えるもののなかに得るものがあり、喪失や犠牲の中に豊かさがある。真の愛は与えっぱなしの中にしか存在しない。無尽蔵に愛を与え得る者だけが、無尽蔵に自らの内面から湧き出る愛を得ることが出来る。こうした真理が、こんな簡単な言葉の中に表現されているとは本当に驚きだ。

名前の通り閑静な旅館
 サン・テグジュペリの言葉に勇気づけられた僕たちは、星の王子さまミュージアムを後にし、一路箱根湯本をめざして車を走らせた。今回妻が予約したのは、箱根湯本のにぎやかな温泉街からちょっとはずれたひっそりとした静観荘という旅館。旧箱根街道沿いで普通の民家の建ち並ぶ中に立っているので、外観はいまいちだが、中に入ると落ち着いてしゃれたたたずまいをしている。なによりも温泉がいい。
 温泉は、草津などと違って無味無臭なので、お湯に入るやいなや効く〜!という感じはしないが、お風呂から出てもいつまでもポカポカと暖かい。とても保温効果があるんだな。

 僕は、今日は何もしないぞと心に決めて、あえて勉強道具を持ってこなかったのだが、一方で、
「何もない旅館で長い夜をどうやって妻と二人だけで過ごそうか・・・・。」
と密かに心配していた。しかし心配無用。良い温泉は、一度入っただけで全身からアクティブな要素を全て奪い、体の底からリラックスさせてしまう力を持っている。特にこの温泉はそうみたいだ。

時の過ぎゆくままに・・・・
 僕たち夫婦は本当に何もしないで、ずっと過ぎゆく時に身を任せてしあわせな時を過ごしていた。語らいはしたが、何かについてあらためて語り合うでもなく、外出するでもなく、ただただ静かに二人だけの世界に浸っていた。後から考えてもあの秋の夜長をどう過ごしていたのだろうと不思議に思うほどだ。
 現在、我が家には二人の娘と愛犬タンタンがいるので、こうして妻と二人だけになる機会というのはほとんどないし、こんな風に二人で何もしないでいる事など日常生活の中ではあり得ない。温泉とは偉大だ!まるで先ほどのサン・テグジュペリの言葉通りではないか!
「二人が互いのために失った時間が、まさに二人をかけがえのないものにする」

 翌朝は、小田原から太平洋側に出て、西湘バイパスという海岸沿いの道を走った。サービス・エリアに寄ってちょっとだけ海の気分を味わったが、それから東名高速道路に乗ってあっという間に都内に帰ってきてしまった。環八から甲州街道に入り、初台で僕を降ろして妻は自宅へ戻っていった。降りるといつもの新国立劇場がそこにあった。僕は何の抵抗もなく日常生活にスーッと戻っていった。
「魔笛」のオケ合わせが終わって家に帰ると、娘やタンタンが出迎え、夕食にはかまぼこやわさび漬けが並んだ。次の日も次の日も、まるで旅行など何もなかったかのように日常生活が続く。けれど僕の心の中では、あの「時を忘れた感覚」が抜けない。僕はいつまでも夢の中をさまよっているよう。ミスター・ビーンに似たサン・テグジュペリのいたずらっぽい瞳が、僕にエンドレスに語りかけているのだ。
C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.

金婚式まであと20年・・・・


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